第二十二話:焦燥
奴隷取引の会場からは離れた場所を回るが、この早朝だというのに、間違いなく今までに訪れたいつよりも人通りが多い。間違いなく、取引の客がきているのだ。それは、低所得者層が集まる王都外周部にしては縫製の整った服を着ている人が多い事からも分かる。
「ランストさん達、大丈夫かな…?」
「一応、遠目の効くトアは偵察として残してきたから、何か有ったならすぐわかるぞ」
カルスの呟きに、ドゥーシスさんが反応する。
現在トアさんは、建物の上を進んでいるらしい。時折、通りの方から取引現場を見て偵察をしているのだとか。
俺達も、後十分くらい歩きまわった後に現場へと戻って、いよいよ事を起こすのだ。…そう考えると、やはり緊張してくる。
「タクミ、魔術、どう使うか、考えた?」
「え?…『風刃』じゃあ、効果はともかく見た目が分かりにくい。かといって『砂弾』じゃあ壁に当てても壊せない。だから今回は、準備する時間を十分に取れるのも有るし、久しぶりに『重風刃』を使って、壁を大きく削ってみようかなって。その後に『砂弾』を打ち込めば、それをしたのが俺だってことも分かると思うから」
「…『重風刃』?」
ラスティアさんに、今のところ考えていた魔術の運用について話したところ、『重風刃』という単語を出した時に不思議そうな顔をされた。
「あれ?ラスティアさん、『重風刃』って知らなかったんだっけ?」
「私は、そんなの、聞いた事、無い。カルスは?」
「いや、僕も知らないよ。そんな魔術、今まで使ってたっけ?」
「…言われて見ると、確かに俺もあんまり使ってないかも。初めて使ったのが、あの壁を壊す時、ちょっと追い詰められた土壇場だったし…その後も練習で二、三回くらいかも。多分誰にも話した事無かった」
「ええ…?」
「でも、あの壁を、壊したのなら、威力は十分…」
あの時は尋常じゃない集中力によって一瞬で使う事が出来た『重風刃』だが、普通の心境と集中では、十秒近く時間がかかってしまう。しかしそれでも、相手が最初からこちらへ攻撃する意思のない現状、ゆっくりと準備する事が出来るから、これは有用だ。
「そっちの話は終わったか?だったら、そろそろ行くぞ。時間だ」
「は、はい。大丈夫です!」
「タクミ、私は、あの取引場の、扉を、切り崩す事に、した。タクミも、壁に、穴を開ける、くらいの、気持ちで」
「う、うん。派手に行く事にする」
「うわぁ…、二人とも大丈夫?変な気分になってない?」
カルスが何だか失礼な事を言っている様な気がしないでもなかったが、まあ、問題は無い。
俺達は再び、取引会場の方へと歩き出した。
◇◇◇
辺りを見回しながら、その集団は奥へ奥へと進んでいた。
「子供たちの姿は無い―――。まだ表に出されていない、という事だよな?」
「そう考えるのが妥当でしょうね。流石に、何の利益も出ない状態で孤児院から子供たちを誘拐するなんて真似、しないとは思いますし」
周囲では、奴隷達が並ばせられていた。勿論、それを金で購入していく者達も多い。そもそも彼等も、その集団の中に潜んでいるのだから当然だ。
傷だらけの奴隷、というものはいなかった。手荒な扱いをされてはいないのだと、その集団の一員であるランストは一瞬ほっとしたが、それが一種、商品としての奴隷を美しく見せる為の一環であるのだという事に気がついてからは、むしろ不快さが増すばかりだった。当然、こんな所に自分達の大事な子どもたちをおいておけるわけもない。
「奥に、いけるか?」
「勿論。…もう少し進んだ所に、警備が薄い場所がありました。同じ人間が考えた警備体制なら、穴も同じ場所にある筈です」
「あの、ヅェルさん、目星はついているんですか?」
「目星…子供たちの居場所という意味ならば、この建物の地下区画が怪しいと思っています」
「地下、ですか?」
ヅェルに問いかけるのは、ノカとホサ、三つ子の中、男二人だった。
「ええ。これだけの数の奴隷を、一日で王都の各所から集めるというのはあまりに難しい。となれば、ここまで二機関で奴隷を別の場所からこの館の地下へと運びいれたと考えるべきでしょう」
「成程、確かに大勢の人間を一斉に動かしたら不自然ですよね…」
ヅェル達の集団は、辺りの人間、特に取引の主催者側の人間に話の内容を聞き取られない様に人の流れの端へと寄って行った。
そして、建物の一角、壁てか壊れてはいても屋根のない外部から屋根と壁てかこまれた屋内の通路へ、監視の一瞬の隙を突いて、しかし自然に流れ込む。
案所へと入った後、更に奥まった廊下へと進んでいく。何処となく、冷えた空気が漂っているように感じるその廊下の奥、単純に人一人を通すには少し大きな扉を彼等は発見した。
「さて、まあ、十中八九この奥に、地下へ続く階段があると考えていいでしょう。隠すのならば廊下に階段を作る筈は有りませんし」
「…しかし、この奥に入ったら、誰かが待ち構えているという事は無いのか?」
「…いえ、多分誰もいないわ」
「俺もハウアさんと同意見ですよ。少なくともこの奥に、私達に敵意を持つ人間はいない筈です」
「何故二人とも、そんな事がはっきり分かるんだ…?」
そう言いつつ、一番最初に扉を開けたのはランストだった。その奥へはいっても、実際に何も起こらない。
「それで…階段は、何処に?」
「足元に、というしかありませんね。足を踏み外さないように注意して探してみてください」
そう言ったヅェルの言う通りに、全員が片足を軸に、もう片足で階段がある筈の窪みを探して行く。
すると、そう時間はかからずに見つかった。ノカとホサが同時に、『有りました』と言ったのだ。
再び全員で固まり、今度も戦闘を歩こうとしたランストをヅェルが止めて、自分が先に降り始めた。
「まだ降りないでください。俺が先に下りて、安全を確認します」
「…分かった、頼む」
壁や階段の天井を手で確かめながら下へ下へと降りていく。ヅェルが床を認識したのは三十段以上後の事だった。天井はかなり高く、構造を把握した後なら暗くても進めるだろう事も分かった。
「この周囲には、誰もいませんね。降りて来てください、階段は長いので、お気をつけて」
「分かった」
ヅェル達が階段を下りるまで、そう長い時間はかからなかった。気を付けると言っても、敵がいない事は確認が取れているのだから、そこまで気を使う事もない。
「ここに扉が。と言っても、獣人の皆さんなら見えているかも知れませんが」
「はい。…でも、大きいですね」
「さっきの階段も、そこまで大きい物を運び出せるわけじゃなさそうなのに」
「そんな事は、いい―――」
獣人特有の、まさしく獣のような強い五感について触れられた事で、つい自分たちの意見を発してしまったノカとホサ。しかしその発言を打ち切るように、僅かに語気を荒げたハウアが行った。
「子供たちが、この向こうにいる。―――大事なのは、それだけ」
伸ばした手で開けられた先には、今までの闇とは違い、魔方陣によって灯された光で、そこに何があるのかを確かめる事は容易な空間が有った。
続いて彼等が認識したのは、壁と同化するように作られた幾多の檻。牢獄のようでもあるそれは、しかし清潔さを保たれている。その中には勿論、人―――奴隷としてこの上、地上で売り買いされる商品として扱われる者たちがいた。
「でしょう?」
振り返るハウアの目には、囚われた彼等に対する憐れみは有っても、『助けなければ』という義務感は感じられなかった。彼女にとって助けるべきは、攫われた子どもたちだけ。
他の者にとっても、それぞれその光景に感じるものは違ったのだが、目的としてはただ一つ。孤児院から攫われた子どもたちの救出だ。時間的・能力的にも救出できる人数にも限界がある以上は、優先するべきものを間違える事は許されない。
「ああ、行こう。ハウア、ヅェルさん」
「ええ、そこまで時間に余裕があるわけでもありません。ここからはもしあちらの人員に見つかったとしても、時間が許さない場合は隠れるのではなく、始末する方針で」
「分かった」
『分かりました』
進んでいく先、通路には奴隷たちを地上へ運ぶための人員が、多くは無いが配置されていた。彼等の進路は地上―――つまり、ランスト達潜入救出組が入ってきた階段の方へ。
「な、何も」
の、と言葉を言い終える前に、ヅェルが喉笛を一突き、切り裂く事によって一撃で息の根を止める。囚われた奴隷達は、彼等の事を自分たちを助けに来てくれた存在だと思っているらしく、彼らに協力するように騒ぎを広めないでいた。
完全に息の根が止まった所を、ノカとホサが傷口を潰し、布で縛る事で出血を抑えつつ、更に奥へと引きずっていく。ぽたぽたと地面に続く血痕も、弱い光源しかない今の状況では集中して見つめなければ発見は難しい。
地上から戻ってくるだろう者達も、奥に踏み込むまでは異常に気がつく事は無いだろう、そう考えたヅェルの策だったのだが…。
「思ったよりも広いですね、この空間。間違いなく上の建物の数倍は有りますよ」
「み、道が曲がってるからそう感じるのでは?」
「いえ、頭の中に地図くらいは描いています。このあたりは丁度、あの屋敷の向かいの家くらいの筈ですね」
「地下区画の拡張…ですか。そんな事までしているなんて」
子供達は未だに見つからない。先行するヅェル、ノカ、ホサは、歩みを緩めずにこの空間の構造について意見を交わし合っていたが、後方に続くランストとハウアは焦りを隠しきれない。
「もう降りてから十分以上は確実に経っている…!早くしないと、タクミ君達外部攪乱組の仕事が始まってしまうぞ」
「どちらにしても、子どもたちが見つからない事には意味がない!どれだけ広いの、ここは…!?」
檻の中を見ても、探している子供たちの姿は無い。時間がないからと諦めるつもりなど彼らには無かったが、時間をかけ過ぎれば計画は崩れて、子供たちと共に逃げる事は困難になってしまう。
焦りが頂点に達しかけたその時、ハウアの耳に声が聞こえた。
「今のは!」
「ハウア?何か聞こえたのか!?」
「子供たちの声…何を言ってるかまでは分からないけれど、あっちも私達の声が聞こえたんだと思う。そう遠くない筈だから、急ぐわ」
「あ、ああ!」
その会話を聞いていたヅェル達も、走る速度を上げていく。邪魔になった死体をその場に放置したままで。
―――外部攪乱組の行動開始まで、残り数分の事だった。
投稿遅れて申しわけありません。日曜日の夜から酷い熱が出ていて、ろくに執筆できない状況が続いておりました。まだ体調も万全とはいえないのですが、一応、書き上げましたので投稿します。




