第二十一話:奴隷取引開始
「全員、揃ったな。それでは一人ずつ、顔を変えさせて貰う」
ヅェルさんがそう言って、一人一人の顔を魔術で変えていく。慣れた、と言い切る事は出来そうにないが、それでも心配や不思議に思う事は無くなった。こんな事態に慣れるとは思っていなかったが、それを起点に、今日一日の事に対して全体的に緊張が薄れていくような感覚も有った。
そう、緊張してばかりはいられない。
「という訳で、今日はお願いしますよ。あー…タクミさんで良いんでしたっけ?」
俺に話しかけてきた男性は…涼やかな微笑みを浮かべてはいるが、恐らくは体格からしてドゥーシスさんだろう。俺の名前の確認を取ってきているあたり、間違いない筈だ。
「あ、はい。よろしくお願いしますドゥーシスさん。あ、さんづけで無く、呼び捨ててもらっていいですよ。歳の差がかなりあるみたいですし」
「そうですか?じゃあタクミ。それに、カルス、ラスティアちゃん」
俺と同じように二人も呼び捨てでドゥーシスさんに呼ばれ、確認を取られる。
「…私も、呼び捨てで、構わない。二人と、歳、変わらない」
「あー…女の子を呼び捨てってのもね。この歳になるといろいろ、気を使わなくちゃいけない事も多いから」
ドゥーシスさんの言い分にはあまり納得できなかったらしいラスティアさんは首を傾げたままだった。…そんなに気になる事だったかな?ラスティアさんには、俺達も『さん』と付けて呼んでいる訳だけど。
もしかしたらラスティアさん、普段から三付けで呼ばれる事に拒否感、或いは違和感を感じているのかもしれない。今日のごたごたが終わったら聞いてみようかな?
「…あ、あの。その理論だとどうして私は、呼び捨てなのでしょう?」
「あ?…トアはトアだしな。女に見えねえし」
「はっ!?」
「お、なんだよ。今の顔ならまだ女っぽッ!?蹴るな!お前は体弱いんだから無駄に動くんじゃない!」
ドゥーシスさんとトアちゃんは、言い争いながらも楽しそうだ。二人とも、自分たちの世界に入り込んでいるのか、今までに感じていたそれとは違う、本来の人格のような物が見え隠れしているように思える。
「あー…。怒んな怒んな。弟二人が心配すっからな。…という訳で、こっちは用意できました。ランストさん、ヅェルさん、そっちはどうです?」
問いかけた先、ランストさんとヅェルさんは。顔の全面に作られた開きがかなり狭い外套を被っていた。
ここから確認する限り、普通に被るだけで眼もとと鼻くらいしか確認できなくなりそうだ。顔の輪郭その物がよく分からなくなるので、これ一璦被れば自分の身元を隠すことも可能だろう。
「これは、一度潜入してから、追跡を避けるまで使用してもらいます。流石に街を行くには、これは目立ちすぎますから」
「それは、問題ないのだが…。魔術で顔を変えると言った筈だが、これは必要なのか?」
「一種の罠ですね。これ一枚被るだけで、奪い去った奥の顔が本物だと判断してしまいますから」
「…成程。一種の先入観を利用する訳だ」
「ええ」
二人はそうやって、道具に関しての意味を聞き、答えていた。俺の記憶では、昨日の午後もヅェルさんが買ってきた質問をしていたような気がしたのだが、もしかしたらランストさんも、そういう道具に興味があるのかもしれない。
「じゃあフランヒ、子供たちが喜ぶようなご飯、お願いね。…私が作ると、みんな泣いてしまうし」
「ハウア?子どもたち、貴女の事も普通に好きなのよ?ただ何だか、ハウアの事をおちょくってる所もある気はするのだけれど」
「…まあとにかく、お願いね。子どもたちは出来る限る早く助けてくるから」
「うん、…お願いね」
フランヒさんがそう言った時、ちょうどランストさん達の準備と質疑応答が終わった。
「全員、準備は出来たな?…よし、それでは、それぞれの班に分かれて行動開始だ。きちんと全員、自分が為すべき仕事については頭に入っている筈だと信じているが、不確定なまま行動せず、仲間と相互に確認しながら行動するんだぞ」
「はい、任せてください」
「きちんと仕事は終わらせます」
「よし。…それでは、出発」
再び俺の体をうっすらと緊張が包んでいく。背後で手を振るフランヒさんの姿が、何となく遠くにあるような風にも見えた。
「カルス、ラスティアさん、大丈夫?」
「タクミこそ、だいじょうぶ?緊張してるみたいだけど」
「二人とも、緊張してる。落ち着かないと、危ない」
ラスティアさんからの冷静な指摘で、こちらも冷静になった。
歩いている内に、少しずつ今回の作戦についての話になって行った。つまり、どんな風に護衛達の気をこちらに引きつけるか、だ。
魔術を使って外壁を攻撃する事で、警備している人の注意を俺達の方へ引きつけて、潜入救出組の脱出を容易にする―――言葉にすればこれだけだが、実際にやってみようとするとかなり難しい筈。
実際ヅェルさんも、そして今ドゥーシスさんも、簡単な仕事じゃないと言っている。
「結局、相手に誘ってると思われた時点で意味が無くなるからな。まず大事なのは、目的を誤認させる事だ」
「あ、はい。ヅェルさんも昨日、そんな事を言っていました」
「本来の目的がばれると、何をしようが意味が無くなる…だったっけ?」
「別の目的を、隠して、相手に、勘違い、させる?…さっきの、ヅェルさん達と、同じ」
ラスティアさんが言っているのは、さっきヅェルさん達が着た外套の事だろう。
「あー…確かにそうも言えるだろうさ。本当の目的には手が届かない様にするわけだからな」
「それで、どうするんです?結局、警備の人員がどのくらい有能か、という所で今回取るべき行動も変わると思うんですけど?」
微妙に棘のある話し方をしているのは、未だに少し不機嫌なトアさん。射抜くような視線でドゥーシスさんを睨みつけるが、ドゥーシスさん本人はどこ吹く風といった様子だ。
「そのために、俺がこっちについてんだ。その辺の見極めをきっちりつけられるほど実戦経験があるのは、俺とヅェルくらいだろうからな」
「…えっと、ドゥーシスさんってヅェルさんとお知り合いなんですか?」
「ん?ああ、あっちの本来の所属とは全く関係ないが、教会側として何回かは同じ仕事をな」
へぇ…と俺が内心でいろいろと『仕事』について想像したりしていると、いつの間にか緊張が抜けていっている事に気がついた。
…先程までなら喜んでいただろうが、取引現場が近い今となっては、適度な緊張感はむしろ保つべきものだろう。全員、同じような事を考えたのかもしれない。いつの間にか黙って、目的の場所へと歩いて行く。
王都の西側に就いたころには、太陽は壁の上まで上がってきていた。…現在陽二刻。取引が開始されるまで、後半刻程だ。
「さて…何処となく人は多いが、警備と気の早い客と、半々って所かね」
通りを歩きながら、ドゥーシスさんは呟く。ヅェルさん達ももう到着している筈だが、姿が変わった状態で人込みの中にいると、流石に誰が誰だかわからない。
行動を起こすまでに、まだ時間は有る。全ては取引が始まった後、ヅェルさん達が子供たちを救出した頃を見計らって騒ぎを起こし、建物内部への警戒を薄れさせるのだ。そう、頭の中で繰り返す事で集中力を高めていく。
「タクミ、大丈夫?」
「うん。いろいろと考える事は有るけど…大丈夫」
「敵が近づいた時は僕に任せて。タクミもラスティアさんも、しっかり自分の仕事を全うしてね?」
「うん。カルスも。…無理は、しなくて、いいよ?」
「まあ、引きつけなきゃいけないから、基本は逃げるんでしょ?分かってる分かってる」
「…町中で、どのくらい直接的に攻撃してくるかな?」
「え?…あ、確かにそうだね」
カルスも得心したように頷いている。
…町中で、よしんば誰かが魔術を使ってきたとして、他の人も歩いている環境ですぐに武器を抜き、攻撃してくるという可能性は、どのくらいあるのだろうか?
勿論、非合法の奴隷取引を行う彼等は荒くれ者であり、何らかの行動は起こしてくるだろう。…しかしそれでも、この周りに集まっているのはほとんどが客であり、中には貴族だっているのだ。事を荒立てて、もし何らかの被害が出れば―――。
「いや、容赦なく手を出してくる筈だ」
「え?…そうなんですか?」
俺の考えとは真逆に、ドゥーシスさんはそう判断した。
「なにせ、ここまで杜撰な隠し方だけで奴隷取引をしてる奴らだからな。権力との癒着はかなり強力、恐らく、衛兵なんかに見咎められても握りつぶせるだろう。
そして、万が一にも自分自身へと疑惑が届かない様に、貴族本人が取引会場へと来る事もない。なんだったら、奴隷に奴隷を買わせることだってあるだろう」
「そうなれば、多少奴隷に被害が出ようとも、奴隷取引その物を潰されるよりはましだと考える物の方が多くなってしまうのです」
トアさんがそう言いきった。俺達としては、もう「成程…」と頷く事しか出来ない。
ならばやはり、気を引き締めないと危ないな。そう考えた時、―――遂に、会場の門が開かれる。
「はーい!よろしくおねがいしやーす!」
門の奥から聞こえてくるのは、あの猫背の男が叫んだ声。奴隷取引、という言葉は無かったものの、間違いないと考えていいだろう。
それと同時に、少しずつ増えてきていた客がその門へと飲み込まれて行った。その中には、ヅェルさんやランストさん達の姿も有る。
「移動するぞ。ここにいるのに客でも護衛でも無いとなれば不審だ。次に来る時には、すぐに騒ぎを起こす事になるがな 」




