第十六話:護衛戦力の把握
影へ沈むように、身体を滑らせて、音無く建物を観察する。月明かりは天上から朧気に地表を照らし、整備された道の石畳は光り、これもまた、自分が隠れる場所を奪って行く。
だが―――問題はない。むしろ、夜であるというだけで自分にとっては好条件。
「…地下がある、のでしょうね」
視線の先、平屋でかなりの面積を持つ一件の屋敷を見ながらそう呟く。教会で聞いた話では、あそこが奴隷取引の現場らしい。
今まで国王派が本腰を上げて探していた訳ではなかったにしろ、碌に摘発されていなかった奴隷取引の現場が、あっさりと見つかった。喜ばしい事だが、違和感も有る。
…町を見回る、特に、治安の悪い王都外周部には多めに動員される筈の衛兵は、これを発見できなかったのだろうか?
考えられる可能性は、衛兵に対してはもっと厳重に情報を隠している。衛兵まで法衣貴族に取りこまれている、或いは、…単純な失敗。とはいえ、流石に最後の発想は無視していいだろう。衛兵はそこまで愚かでは無い。
まあ、今はそんな事を考えている場合では無いですよね。頭の中でそう呟き、視線と意識を建物の中へ送る。
その中に、強い悪意と罪の香りが蔓延しているのはすぐに分かった。
奴隷取引と関係なかったとしても、ここは間違いなく犯罪の現場。一部の法衣貴族の屋敷と同等に穢れた場所。
無視する理由はない。人の気配がない事だけを確認して、塀に手を掛け、一息に内部の闇へ飛び込んでいった。
◇◇◇
朝、教会の二階、貸してもらった部屋で、三人一緒に目を覚ます。子供たちに割り当てられていた部屋だからだろう、ベッドは三段の物が二つ並んでいた。
一応、ラスティアさんには別のベッドに寝てもらい、俺とカルスでその反対側のベッドで寝た形となる。
こういう時に性差を意識してしまうのは男の方らしく、気にせず上のベッドへと登っていくラスティアさんを止めるのは、カルスと一緒に苦労した物だ。
二人で話し合って決めた説得方法が、三人で片方に寝るとベッドが壊れるかもしれないとラスティアさんに告げる事だったのだが―――ベッドの一番上に入ろうとしていたラスティアさんにその言い方、一夜明けた頭で考えると、これは相当失礼だったような気がする。
だがまあ、混ぜっ返す事はラスティアさんも望んでいないと思うし、彼女の方から切り出してこない限りは黙っておくことにする。
「ん…あ、そっか…おはよう、タクミ、ラスティアさん」
「おはようカルス。ラスティアさんも」
「うん。二人とも、眠れた?」
特に寝苦しい事はなかったので、素直にそう伝える。どうやら昨日の事については覚えていないのか、或いは気にしていないらしい。
ベッドから降りて、普段着に着替えつつ辺りを見回せば…子供の部屋だという事がはっきり分かる。
男女の区別なくこの部屋を使っていたらしく、壁にはタッチの違う絵が何枚か貼られている。そこに描かれた人の顔は皆笑顔だ。大人の女性二人と男性一人は、ハウアさん、フランヒさん、ランストさんだろう。皆で集まった絵が多い事からも、この孤児院にいる人達の中が非常に強固だという事が分かる。
また、角の方には男の子が捕まえたのか、虫が入ったかごがあった。…しかし、世話をする人がいなかったからだろうか、中にいる大きな虫はひっくり返り、既に死んでいた。
三人とも準備が終わった所で一回に下り、そこから一番近い場所―――食堂へ入る。早朝から食事の準備をしているとフランヒさんが言っていたので、早く起きた訳だから手伝おうとしたのだ。すると、丁度その時、背後から声が掛けられる。
「三人とも、こっちへ―――ランストとヅェルさんが帰ってきたから」
声のする方へと顔を覗かせれば、そこにいたのはハウアさん、顔だけはこっちを見つめたまま、体は既に礼拝堂の方へと向き、動き出している。
俺達もその姿を追って、礼拝堂へと急ぐ。
中へ入れば、魔術によって変わった顔から既に直ったヅェルさんとランストさんの周りに、ハウアさんとフランヒさんが立っているのが見えた。その近くへと寄って行くと、ランストさんがこちらを見て、
「ああ、三人とも、早かったな…。それじゃあヅェルさん、説明を頼む」
「ええ、分かりました―――まず、奴隷取引の現場は、あの屋敷で間違いありません」
それを聞いて、周囲の空気は少しだけ弛緩した。自分たちの予測が正しかったと分かったからだ。
「ですが、子どもたちの所在は確かではありません―――取引用の資料に孤児院という単語がついたものがちょうど七つ有りましたから、取引に出品されることは間違いないでしょうが、これだと流石に、事前の救出は不可能。決行は取引の当日になるでしょう」
「…取引現場に子供達を連れて行く途中に強奪する、という事は出来ないだろうか?」
ランストさんの発言は確かに、俺の中でもかなり良い意見だと思われた。少なくとも、正体を見破られない様に侵入する必要はないのだ。救出の難易度はぐっと下がるような気がする。
しかしヅェルさんは首を横に振る。
「子供達が何処に閉じ込められているのか分かれば話は別ですが、それが分からない以上、不可能です。子供達が連れられていると分かるかすら定かではありませんし、むしろ個人単位への警備は厳重でしょう。
会場全体へ警備の目が分散する当日でないと、子供七人の救出というのは不可能です」
「…そう、ですか」
フランヒさんはヅェルさんの言葉で、子どもたちをより早く救出する事が出来るかもしれないと目を輝かせていたから、その分大きく落ち込んでいるようだ。
「明後日までにもう少し、会場の構造などを詳しく調べておきます。ですが今からは、警備に当たっている人間の実力に探りを入れます」
「そうか…ありがとう。だが、今は少し休んでくれ。昨日から働き詰め、そもそも王都へ移動している間もあまり休めなかっただろうからな」
「いえ、そこまでの疲労は有りませんから、問題ないですよ」
ランストさんはヅェルさんを気遣うようにそう口にするが、ヅェルさんはそれを静かに断った。
ヅェルさん自身、そこに嘘などはなさそうだが―――結局、この孤児院の人達は優しいのだ。
「いや、休んでもらおう。明後日に体調を崩されてはかなわないし、そもそも、同じだけ仕事をした僕が休んでヅェルさんが休まない、となると、…見栄えも悪い」
肩をすくめるようにそう言ったランストさんの事を数秒、ヅェルさんは黙ったまま見つめて、やがて諦めたように呟いた。
「…それでは、食事を頂くことにします。その後は少しだけ休んで、冒険者ギルドの方へと行きますよ」
◇◇◇
「あの、ギルドでは一度、冒険者相手の依頼があったらしいんですが、それ自体はもう存在していません。その後、新しい依頼が出されたかどうかは分からないんですが…」
「そう、ですか。…ギルドの職員にそのあたりの事を聞くのは骨が折れますし、危険ですから有りがたいですね。しかし、どうやってそれを?」
「え、えーと…」
受付嬢に聞きました。なんて言うと、今の会話の流れだと拙い気がして一瞬言葉に詰まる。
だがこの人もロルナンにいたのだ。ならば、ミディリアさんのことくらいは分かってくれる筈だと信じて口を開く。
「あの、ミディリアさん―――ロルナンのギルドマスターの娘で、つい最近までロルナンで働いていた受付嬢さんから聞きました」
「ああ、あの方が…王都に出向中だったのですね。知り合いがいるというのは幸運でしたね」
「はい。…えっと、ただ俺達、明後日の取引の日には、中に潜入はしないことになっているんです。なので、その…頑張ってください」
言ってから、なかなかに都合のいい事を言っている様な気がしてきたのだが、ヅェルさんはそれに気を悪くした様子はなかった。
「ええ…その方が安全でしょう、当日は、外からの救援、お願いしますね」
「はい。それはきちんと」
当然だ。それを放棄する事は、もうその時点で放り投げる事に等しいのだ。そんな事を選ぶ訳がない。
そんな会話を続けて、ヅェルさんと二人、ギルドへと到着する。
さっそうと依頼掲示を眺め始めたヅェルさんとは逆の場所から、俺自身も、奴隷取引場所の護衛依頼を探す。
―――奴隷取引の護衛、というと、非合法なイメージが強いから、別の言い方に帰られているかも知れないと思いながら。
「ッと、…タクミ君?来てたんだ」
「え、あ、ミディリアさん…」
何やら紙束を抱えた、仕事中のミディリアさんに声を掛けられた。
「…まだ例の事件、解決したって感じじゃないわね。ちゃんと決めた事、守ってる?」
「勿論。…ただ、情報を得ようにもいろいろ難しい、って言うのが問題です」
「そっか…。私から協力できる事、ってそうないしね。ロルナンで起こった事ならまだしも、ここじゃあただの新米受付嬢でしかない訳だし」
「ミディリアさん、街道の再整備に関しての資料、僕の机の上に置いておいて」
ミディリアさんの背後で、男性の職員がそう告げ、足早に去っていく。一定の大きさを越えた町にあるギルドはどこも忙しそうだが、それは当然、この王都でも変わらない事らしい。
ミディリアさんはやれやれと言った感じで肩を上下させた。
「…って感じなの、ごめんね」
「いえ、ミディリアさんも、お仕事がんばってください」
「うん、それじゃあまた。危ない所に首は突っ込まない様に、気を付けるのよ」
返事を返し、ミディリアさんが掲示板の陰に隠れて見えなくなってから、もう一度一つ一つの依頼を読み込み始める。
…奴隷取引という単語も、あの場所を指し示す情報も、見た限り存在してはいなかった。暗号のような物となると俺には間違いなく見抜けないだろうが、そこまでするのなら、自分たちの仕事を受けてくれる冒険者と繋がりを持ち、個人的に仕事の契約をすると言ったことだってできるだろう。そもそも一度は依頼が出ていたというのだから、現実味は薄い。
これはもう単純な話、俺が探した場所に無いのか、そもそも依頼が出されていなかったの二つだろう。
そう考えたのと同時、ヅェルさんが俺の方へと歩いてきた。
「これは怪しいと思いますが…タクミさんから見るとどうです?」
「え?…えーと」
どう考えても年上のしっかりした人から『タクミさん』とさん付けで呼ばれると思っていなかったので、少し動揺してしまった。
それを振り払って依頼掲示の髪を見てみると、…取引会場からほど近い、別の建物に集合、そこで詳細な依頼内容を教える、といった旨の依頼分が書かれてあった。
―――怪しい。
「はっきりと依頼内容について書かれていないですし、それ以外の情報量も足りてないですね」
「ええ。…集合は明日の早朝ですか」
言うやいなや、ヅェルさんはギルドを出て行った。
「ど、どうしたんですか?いきなりギルドを出て」
「いえ、あの依頼を受けようと思いまして。ただ…堂々と潜入できる機会で、ランストさんの魔術によって身柄がわれる心配も減少している以上、私だけでは無く、幾人かで入った方が効率が良い。教会へ一度帰って話し合う事にします」
「な、成程…」
俺でも思いつきそうな事ではあったが―――思考を纏めるのと、それを行動に移すまでが凄く速いな。これを決断力というんだろう。
急ぎ足で教会へ向かうヅェルさんを追いかけるように、俺は道を急いだ。




