第十五話:猶予は三日
本日二本目です。
「あ、え、と…」
王国の特殊部隊。特殊技能というものを持っていて、この人一人がいるかいないかで今回の救出作戦の難易度が大きく変わる―――他社から齎された情報と、それにより自らの内で醸成された印象の二つで、男性に見つめられた俺は、自分でも驚くほどに委縮していた。
ミディリアさんから人と人との争いについて話を聞いてから一日しかたっていないからかもしれない。かなり日常的に人と戦っている筈の男性から見つめられるという状況に、恐怖を覚えてしまっているのだろう。
…いくらなんでも、この状況で争いに会うような事はない筈だ。むしろ、こんな態度を俺が示す方が失礼。
「え、えと。失礼ですが、昔俺と会った事、有りませんか?なんだか、そんな気がするんです」
「…有りますよ。こちらもはっきりとした事は言えませんが…二度、でしょうね。タクミさん」
男性から、全くよどみない発音で俺の名前が飛び出して来て、流石に驚く。あちらはこの時点で俺の名前おはっきりと言えているのだ。それに比べて俺は、その声を聞いても記憶に当てはまる所はない」
「…えっと、失礼なことですが、その、名前を忘れてしまいまして」
礼拝堂の椅子の隣へ立ちながら、男性へそう告げる。聞かないままにする方が失礼だし、俺自身、気になって仕方がないのだ。
王国内で、俺という個人について知っている人はほとんど必然的にロルナンの住人という事に成りそうなものだが、記憶に一致する姿はない。
「そう、でしょうね。貴方自身とはそこまで多く言葉を交わしていた訳ではありませんから。あの時は大港湾町ロルナンへと派遣され、忌種の暴走を抑えるということになっておりました。その後も、…まあ、いろいろと仕事が増えましてね。
ああ、私は衛兵です。…貴方が邪教徒を裏路地へと追い詰めた時、副隊長と共に路地へと入ったヅェルという男です―――といっても、覚えているかは怪しいでしょう」
「あ―――。はい、だんだん記憶が蘇ってきました。えっと、俺が海に落ちた時、司教がいた船の中にも来ていましたよね」
「はい。…私があなたの事を覚えているのも、あの戦いにおいて町民や冒険者から出た唯一の死人だったから、という所が大きかったですから、そうでなければ互いにうろ覚えで終わっていたでしょう。…すると、あの事件でロルナン側に犠牲者はいなかったという事にもなりますね。これは喜ばしい」
「な、成程…。えっと、これから、よろしくお願いします」
「ええ。…何故貴方がここにいるのか、ということについては話が長くなりそうですし、聞かない事にします」
「あ、あはは…」
それで話は終わり。ヅェルさんは礼拝堂の奥の方へと進んでいく。ここまでの話が長すぎて、皆からの視線が痛かった。…ヅェルさんが怒るかもという事を考えてはいたが、話しあいその物が遅れるという実に単純な事実に気がつかないとは、完全に失態である。
声を出して謝る物でも無い様だったので、皆に頭を下げて、カルスとラスティアさんが腰かけた椅子の隣へ行く。
「あの人も、知り合い?」
「うん、互いによく知らない人なんだけど、何処で出会ったのかも思い出せた」
「タクミの交友関係も良く分かんないな…凄い人なんでしょ、あの人?」
「特殊部隊の人、なんてことを知れるほど親しくはなかった、って事だけどね」
実際、私的な理由で会った事はない。ロルナンでも、例えば、クリフトさんには自分から話に行ったことも有ったが、ヅェルさんとは偶然以外で出会ったこともない。…会話した事だって数度だ。
なんだかんだで、王国がこの世界における故郷の様だと感じてしまうのはそこに理由があるのかもしれない。
と、そんな事を考えている場合ではないのだ。
礼拝堂の奥で、ランストさんとヅェルさんの話し合いが始まっていた。
「大まかな話は聞いています。つまり、非合法な奴隷取引の商品として攫われたこの孤児院の子供達を救出する、という事ですね」
「…ああ、そうなるな。ただ、一応補足情報として…といっても、国王派という面も持っている君なら知っている事かも知れないが、今回の事件、獣人に対しての差別から起こった出来事であり…発端は貴族、王都に住まう法衣貴族の行動からきている筈だ」
「そう、でしょうね。彼らの行動は余りに非合理的で許しがたい…。王国派という立場から言わせていただくと、この状況を黙認している理由は有りません。すぐに解決、とはいきませんが…そうですね、ミレニア帝国との緊張が次に緩んだ時、解決へ向けて大きく動く事はお約束できると思います」
「お約束できる、か」
そこで沈黙する二人の間には、救援を求めた者と応えた者の間に発生する物とは思えないくらいに緊迫した空気が満ちていた。
…国王派といっても、政治に対して口をはさめるような立場にヅェルさんはいない筈。となると、差別云々について解決できると約束したって口約束にしか過ぎないではないという事だろうか?少なくとも、俺はそういうふうに解釈した。
「はい、方針そのものは決定済みでして…といっても、法整備が意味を成していない現状、抜本的な対策が必要でしょうが。
―――ところで、取引現場について確認は取れていますか?」
ヅェルさんの口ぶりからすると、実際に差別解決への行動は始まっているのかもしれない。それを聞いて僅かに緊張を緩めたランストさんは、問いかけに対して答えを返す。
「一応、な。僕達としては間違いないとも思っているが、そこに子供達が運び込まれた場面を見た訳じゃない。だから貴方…ヅェルさんには、事前に潜入、そこに子供達がいるという確証を得てきてもらいたい」
「そうですか…そういう事なら、これから行きましょうか?そう時間的猶予も無いのでしょうし」
「…何?」
「夜闇に紛れた方が簡単です。それに、取引が実施されるまでに子供達を助けなければ危険ですから…やはり一刻の猶予もないかと。
子供達一人一人の特徴、教えていただけませんか?」
その言葉を聞いているランストさんは少し、驚いた顔をしていた。
「それは、僕達としても非常に望ましい。…だが、危険ではないか?君の得意分野だという事は分かるが、到着した流れのまま潜入に向かう、というのは」
「俺も、それを了解してここに来ています。準備なども既に終えていますから、場所を教えていただければ、すぐにでも向かえますよ」
「…分かった。お願いする」
そうしてランストさんとフランヒさんがヅェルさんに七人の子供達について、特徴の説明をする。
その間、ハウアさんはヅェルさんの事を見つめていた。その視線は決して睨みつけるような鋭さを伴ってはいなかったのだが、どこか迫力のある物。
恐らくはヅェルさんもそれに気がついたのだろう。説明を聞き終わった後にハウアさんの方へと振り返った。
「どうかしましたか?何か、気になる事でも?」
「いいえ…。ただ、救援に来たとは言え、そこまで精力的に動いてくれるとは思っていなかったというだけの事。
―――感謝するわ。貴方のような優秀な人材が来てくれるのは有りがたい」
「いえ、こちらも仕事という面は有りますので。…個人的に思う所も有りましたが」
「というと?」
「…ええ、本当に個人的な事なのですが。最近結婚しまして。その相手もまた獣人の女性でしてね…生まれてくる我が子がもし、同じような目に会ったのなら、と、そう考えたのなら、要請を断る事なんて考えられませんでした」
漏れ聞こえてきた事実に、心の中で小さく衝撃を感じる。
ヅェルさん、結婚していたのか。―――最近、という事は、恐らくロルナンでの事件の後だろうが、やはり数カ月の間にいろいろあるものなんだなぁ…。
だが成程、納得だ。それだけ自分の感情にも強く訴えかけられる状況なら、熱心に行動するだろう。
「…意外ね。気配からして未婚だとばかり。相性がいいのか、相手の器量が大きいのか…大事にしなさい」
ハウアさんは何に反応しているのか不明だったが、言っている内容は遠回しにヅェルさんの事を貶めているようでもあり、これはヅェルさんも怒るのではと、少し周囲の空気が冷えた。
「ええ、本当に…。彼女くらいです」
だがこちらの予想とは違い、ヅェルさんは幸せをかみしめるような微笑みで瞳を閉じ、虚空へと小さく頷いていた。
―――本当に、数カ月で色々ある物だ。勿論、もともとこんな一面があった可能性は有るが、かなり真面目な衛兵だったと記憶しているヅェルさんのこんな一面を目にすることになるとは。
「という訳で、これから潜入してきます。それでは―――」
行きましょう、と言おうとしたヅェルさんをランストさんが引きとめる。
「待ってくれ。もし見つかってしまった時の為に、君の正体を隠す為の魔術を掛けておきたい」
「…それは、もしかしてあの、一部の獣人魔術士が使っているというあれですか?」
「ああ、それだ。…よく知っているな」
ランストさんがヅェルさんに魔術を掛けると、ヅェルさんの顔は少しずつ変化していった。
髪は黒色をそのままに十センチほど伸びて、わきくらいまで届く長さになった。それだけで人の印象は大きく違うものだが、鼻の高さ、瞳の色、肌の色までうっすらと変化すると、もうそこにいるのは全くの別人だった。
色素が少し薄れた肌と、青い目。暗いこの場所で真っ直ぐ見つめると鮮やかなコントラストで非常に映える姿だったが…むしろ今までより、隠れられれば見つけられないかもしれない。
男性に抱く感想としてはおかしいだろうが、この場にいる人間で表すのならばラスティアさんにも近しい儚さを感じる容姿。
「…成程、見た目だけではなく、実際に形を変えるのですか。これはなかなか、驚きですね。…ちなみに、解除されてしまうような事は有りますか?」
「いや、僕自身が解除しようと思わなければ無いだろう」
「そうですか、それなら安心です。…それでは今度こそ、潜入に行きます。案内してください」
ヅェルさんは荷物を拾って、歩き出す。ランストさんがその隣を歩いて就いて行く。
「あ、あの、…頑張ってください」
近くを通りかかったヅェルさんに、そう声をかける。何を言おうかはっきり決めていなかったので、こんなぼんやりとした事しか言えなかったが。
しかし、ヅェルさんは立ち止まり、こちらを向いて微笑む。
「ええ、勿論。…言い遅れましたが、タクミさん、無事のご帰還、おめでとうございます」
「あ、…ありがとうございます!」
俺の、少しだけ上ずった声を聞いたヅェルさんは微笑みながら、教会の外、王都のはずれにある取引現場へと向かって行った。
「…さて、子供達が寂しがっているかも知れないし、私はそろそろ戻るわ。皆も、後で上がってきて。寝泊まりする部屋を用意するから」
「あ、はい、お願いします」
「ありがとうございます」
「…あの二人、大丈夫?」
ラスティアさんの問いかけは、ヅェルさん達ではなく、子供たち二人の事を指しているのだろう。声色に含まれる気遣いからそうと分かる。
「ええ、この状況にも慣れてきたみたいだから。…だからこそ、早く皆を連れ帰ってあげなくちゃって思うんだけどね」
「…明々後日か。私も、きちんと動かないと」
状況が動き出した事を誰もが悟り、少しずつ緊張感を持っていく。
取引は三日後。ヅェルさんの言う通り、最早余裕の持てる時間は少ないのだ。




