第九話:変化
「さて、このあたりの筈だぞ。…治安が悪いな。あの子たち、無事だろうか」
「嫌な話だが、しっかりと閉じ込めていてくれた方が、この場所ではずっと安全だろう。…もし脱走でもしようものなら、奴隷商よりも危険で容赦のない奴らに何をされてしまうか」
「ええ…でも、早く助けてあげないと」
フランヒさんがランストさんの右腕へ寄り添いながらそう言って、周囲は静寂に包まれた。
俺達三人は、その背後に佇んでいる。
「…よし、それじゃあ二手に分かれて、大勢の人間が出入りしている大きな建物を探すぞ。これから三刻後、ここで集合だ」
『はい』
やり取りを終えて歩きだす俺達と、ランストさん達三人の容姿は、既に全く違う物となっていた。同じなのは体格と性別だけで、髪色やその長さ、顔のパーツ、肌の色…全く別人と言っていい姿となっている。
それは、とある魔術によって引き起こされた現象だ。
◇◇◇
「…よし、このあたりでいいだろう」
ランストさんに路地裏で呼び止められた俺達は、何事かと囁き合っていた。
「どうしたんだろ、こんな誰も居ない、特徴も無い道端で」
「ここが目的地、ってわけじゃないみたいだしね」
「…準備?」
「ああ、準備だよ」
ランストさんはそういって、俺達の方に近づいて来る。
「当たり前だが、このままの姿で行動すればすぐに正体が判明してしまう。俺達本人をどうこうするのは、教会を敵に回すことになるから奴らも躊躇うだろうが、お前らはそうじゃない。少なくともこの王都で、安心して過ごせる時間は訪れなくなるだろうさ」
「…まあ、そうですね。あんな事できる人達ですし、戦える人もきっと、あの男だけじゃない」
「だから、だ。…実に単純な話として、お前らの見た目を変える」
「…見た目を、変える?魔術で?」
「ああ、魔術でだ。一部の獣人が使っててな、俺も、そんな奴から習ったから使える。…という訳で、使うぞ。まずはお前からだ、タクミ」
「はい、お願いします。…あの、元の顔には戻るんですよね」
「当たり前だ。恐ろしすぎて使ってられないだろう、そんなもの」
なら大丈夫だろうとほっとした所で、ランストさんの右手が俺の顔面へ突きつけられる。顔が変わる、という事は、この世界へ…というより、この身体になったことによる結果しか体感していない。変わっていく経過の感覚とはどんなものだろうと、妙な好奇心を働かせていた所で、ランストさんの口から起句が紡がれていく。
「『緑の長髪、細い眉、藍の目、鼻は細く低め、肌の色素を薄く』」
…変わっているのかどうか、その自覚はほとんどなかった。だが、いつの間にか視界の端に、緑色の髪が映り込んでいる事に気がついた。
「『唇は厚く、色素は薄く、顔の輪郭を少し細長く。我等以外のすべてに見抜かれず、暴虐を受けつけぬ擬装』…まあ、こんなものだろう」
「終わったんですか?」
そう言いながら顔を触ると、成程、今までの感覚と確実に違う。鏡などがないこの場所では、はっきりと目で見てとれる違いは髪と肌の色、それと、瞳を寄せた時に見える鼻の大きさが小さくなっていることくらいだ。
「調査が終わった後、まだどこかの路地裏で元に戻してやる。…さて、こんな物で大丈夫だと思うか?」
「良いと思うわ。特徴的な顔の方が、もし不審に思われても、その顔を探すようになるから」
「うん、意外といい男になってる。線が細すぎる気はするけど…ところでランスト?もしかしてそれ、貴方自身の理想だったりする?」
「はぁ?何を言っているんだハウア。髪色から違うのに、理想だなんて思う訳も無いだろう」
「あぁ…あなたのもう一つの擬装とも、確かに違い過ぎますね。…えっと、私は今のランストが好きですよ?」
「フ、フランヒはこんな時に何を言って…!?」
…何を見せられているんだろうか、俺達は。
「ああもう、とりあえず、そっちの二人も顔を変えるぞ」
そんな風にも考えたが、もしかしたら、ハウアさんが、緊張しすぎている空気を和ませるために気を使ったのかもしれない。
―――一番追い詰められているのはハウアさんだった気がするけど、それでも他人を思いやれるって言うのは、凄いよな。
「…二人とも、同じ村の出身だという話は聞いたが、随分特徴的な容姿だな。擬装に手を出さなければ危なかった」
「確かに、この姿は、特徴的」
「うん、…はっきり顔を見られたら覚えられちゃうよね、白い髪で、白い肌ってくらいだとは思うけど」
「…というよりは、一部の屑に需要がありそうだという話でな」
「…え」
「ちょ、ちょっと。恐い話しないでくださいよ」
◇◇◇
そんな事もあって、顔の作りも髪色も全く違う三人が町中を歩き回る事となっている。と言ってもまあ、それが異常な事だってわけでは無い。むしろ、冒険者三人組としては自然な形だろう。
「人が集まってる場所、か…有るにはあるけど、屯してる所、ってわけでもないだろうし」
「もっと大勢が居る所だよね。…どうだろ、人目を避けてるのかな?」
「大々的には、やってないと、思う。…暗黙の、了解?」
ああ、と、ラスティアさんの発言に対して納得の声を出しつつ、辺りを見回す。治安が悪いと言っても、犯罪行為が目に見えるほど行われている訳ではなさそうだ。…だが、やさぐれた若者達が集まって座り込んでいたり、何だかひそひそと話しこんでいる怪しい風貌の人々がいたり…雰囲気が良いなどとは口が裂けても言えない場所だ。来ている物が汚れていたり破れていたりする所は、スラム街という想像ともあまりかけ離れてはいない。建物そのものの作りがそこまで変わっていない辺り、この町を作る段階でこの区画が有ったという事なんだろうか?
だが、割れた窓が治っていなかったり、屋根の一部が欠け落ちていたり、補修ができていないのも、その為の金がないからなのだろう。犯罪の温床と考えるよりは、純粋に、貧困層が集まった場所、という印象が強い。
だが結局、奴隷達が集められているような場所を見つけることは出来ていない。
今は比較的太い道を歩いているのだが、もっと路地裏の、入り組んだ場所まで入って行かないと駄目だろうか。大勢の人を集めなければいけない以上、そこまで入り組んだ場所で行うとは考えていなかったのだが…。
「でも、隠れて、行うなら、もっと、奥地、かも」
「大きな建物とかがあったら、かなり怪しいだろうけどね…。どうするタクミ。行ってみる?」
「うん、このままじゃ埒が明かない感じだから、行こう。…早く見つかればいいけど」
そういって、結局路地裏へと入っていく。建物と建物の間、という雰囲気の強いそこは、先程の道と比べてかなり暗く―――何処となく、犯罪の気配のような物を漂わせていた。それは、この地域の治安が悪いという潜入案から来るものかもしれないが、…しかし実際、さっきまでいた若門たちよりも澱んだ目をした人の数が増えてきたような気もする。
何というか…よそ者に対して、訝しげに見つめてきているような感じだ。
だが、人の数自体は減っている。人が多く集まった場所を探すのに、人がいない所へ来てどうするのか、と一瞬考えたのだが、これはむしろ、こんな場所で人がより多く集まっている場所が最も怪しいというものだろう。
そうして歩きまわっていく内、確証はないものの、人の流れのような物が生まれている様な気がした。
人数は増えていない。だが、その少ない人間が、同じ方向へと向かっているように見えた。
「タクミ、これって」
「そう、なのかな…。まだわかんないけど」
「でも、集まってるよね」
更に変わった事があるとすれば、小奇麗な服装の物が増えてきたという事。より詳しい事を言えば、食糧なども満足に取れていないせいか、不健康そうな肌や体格の物が多いこの場所において、そんな服装をした者だけが血色のいい肌や肉付きのいい体格をしているという特徴も挙げられる。
…このあたりに住んでいる人間では無いのか、或いは、ここに住んでいて尚、良い儲けを得ているということか。
今までよりも声を落とし、二人にギリギリ聞こえる程度の声量で囁く。
「やっぱり怪しいから、できる限り自然に、何かを見つけたら一度、不審がられない様に退避しよう」
「うん…大きい建物を探すんだったよね。何処かな」
「天井が、高いとは、言ってなかった…平ら、かも」
そうして曲がり角を越えると、一気に人の数が増えていた。ほんの少しだけ太くなった道幅を塞ぐように、大勢の人が屯している。
建物を見ると、ラスティアさんの予想通りに、一階建ての、面積が広い建物が有った。そこの門の前、台の上にあがって何やら話している男が居る。集まった人々は、それに聞き入っているようだ。
…一度退避しようと思ったが、思ったよりも人が多い。ここで急に進路を反転させたりすると、自然な動作とは言えなくなるだろう。
「…あの人の話をある程度聞いてから、戻ろう。それが多分、一番自然な筈だから」
「分かった。…ここで正解かな?」
「たぶん、そう。…だから、あれは、取引の、説明?」
人込みの近くへ行き、ほんの少しだけ離れた場所で立ち止まり、話を聞く。
「と、まあ。今回はそこまで目玉商品はありません、すみませんで」
「まあ、最近は動きづらいからな、仕方がないだろう。開催日時は六日後、いつも通りか?」
「へえ、それは勿論。目玉商品はなくても、いつものように平均して品質は高いんで、皆さんご期待下さいって所でぇ」
集まった人間達に猫背の男が話している内容からして…どうやら、俺達が到着したのはかなり遅かったらしい。もう殆ど説明は終了していた。
「それではまたよろしくお願いしやす。出品人数は十七名の予定っすよ」
そう男が言って、皆、少しずつバラけて離れ始めた。…解散と、そういう事なのだろう。
その人波に乗って路地を歩く。どうにかこうにか、きちんと仕事を全うする事が出来たらしい。…集合時刻まで後一刻ある。余裕を持って到着、そして、報告できそうだ。




