第五章プロローグ:王都の噂
「今日中に王国到着か…なんだかんだで、長かったなぁ」
馬車の中から流れていく風景を眺めつつ、そう呟く。
「まあ、旅って事なら、村からザリーフに到着するまでもそうだったけどね。ただ、馬車って疲れるね…」
「長時間、揺れると、…痛い」
「ほんとにね。…でも、王都に着くまではこの生活が続くよ?」
「うう…」
微妙に辛そうなラスティアさんというのも珍しい光景だ。
道中はこんな風になんて事無い会話を続け、休憩や宿泊の為に立ち止まる村や町では、買い物なんかをして時間をつぶすという生活だった。
出発からかれこれ一週間。後数刻の中に王国に到着できる。
入国審査は、そこまで厳しいものではないようだ。と言うより、審査が緩いか、それとも入国できないか、というような差しか無いらしい。帝国との国境に関所は無く、有るのは要塞などの軍事的な要所ばかりらしい。
王国に近づいて行くと、少しずつ噂なども聞こえてくるようになる。どうやら帝国と王国の間には、つい最近戦いが有ったらしい。王国側の都市が一つ滅ぼされたという話を聞いて不安になったが、帝国軍自体は既に撤退しているらしい。ほっとした。…が、危険な状況に変わりはないだろう。レイリからの手紙はあの後も受け取っているし、こちらから王国に向かっているという内容の手紙も送った。現在は王都にいるらしいので、旅路という意味では合流も簡単な筈だ。
それから二刻、王国との国境に着いた。国境線には疎らに何かの建物が建っている。両国が交互に設置しているように見える事から、恐らくは監視用の建物なのだろう。審査が緩いからと言って、他国との間に警戒が零という事は無いらしい。
入国する時もギルドカードを提示するらしい。確かにこれは身分証明に使えると言う話だったが、パスポートも兼ねていると考えると凄い物だ。誰でも貰える物がこれだけの価値が合っていいのかとも思ったが、冒険者として他国に出ると言うのは、やっていける実力が無いと行き倒れると言う事と同義でもある。結局は、忌種と十分に戦えるくらいの力が無いと駄目なのだろう。
そこにいた衛兵さん―――その呼び方で有っているのかは分からないが、便宜上そう呼ぶ―――からは、戦争についてもう少し詳しい話が聞けた。王国に来る人達へ注意喚起しているのだとすれば、かなり良心的だろう。
何でも、帝国は軍を退いたが、兵力としてはまだ大きい物が有り、要塞都市とやらが修復される前に再び乗り込んでくる可能性が高いのだそうだ。
戦争なんて嫌なのだが、俺がどう思っていた所で結果は変わらない。信条としては王国の味方なので、ぜひ勝ってほしいとは思うのだが…死者が大勢出るんだろうと考えてしまうと、やはり陰鬱な気持ちになる。
ちなみに、撤退する帝国軍に守人が襲撃を掛けたらしい。その被害は大きかったのだろうに、それでも侵攻してくる筈と思われる帝国という国は、一体どれだけ戦争をしかけてきているのか。いやそもそも、それだけの戦力を持っているという事が既に脅威だ。
…まさか、守人や、同じくらい強い人が軍にいるのだろうか。だとすれば…本当に恐ろしい。忌種と戦う事になれば心の底から頼りになるが、もしもそれだけの力を持つ人の心が悪に傾いていれば、尋常ではない被害が起こってしまう。
溜息をついている所を二人に心配された。何時までも落ち込んで手はいけない。大体レイリやエリクスさんだってこの国の中心で生活しているんだ。そんな二人が、戦争の恐怖などを感じずに暮らしているのならば、俺達が向かっても問題はない筈だ。
何時しか町に到着していた。ギルドと提携を結んだ宿に泊まろうとすると、その値段、意外な事に銅貨五枚。
普通の店よりはまだ安いが、今までの値段と比べると、これは五倍である。幸いにも苦しい値段では無かったので店主に代金を祓いつつ、何故値上がっているのかと聞けば、どうやらギルド側から戦争の復興に出費しているらしく、その影響が現れた結果らしい。適正料金より下ならば結局お得なので、文句を言うような人はいなかった。
翌日も朝から馬車に揺られて旅を続ける。少しずつなんかしている事から考えるに、王都は王国の南寄りに有るようだ。
二の月、つまりは二月らしい今の王国は、朗らかな春の陽気に包まれている。印象としては日本の四月。二月ほどずれていると考えた方が良いだろう。道中、忌種に襲われたり、或いは話に聞く盗賊に襲われたりした例のない俺達三人は、かなりリラックスして、腰の痛みに耐えかねた時に時折立ち上がると言うような事を繰り返しつつ呑気に旅を続けていた。
王国の都市を見ていると、やはり聖教国とは違うなと感じる。いや、聖教国にいた期間の方が長いのだが…というか、王国内には二週間くらいしかいなかったのだが、まるで故郷かのような落ち着きが有る。初めて訪れた場所がここだったから、何らかの安心感を抱いているのかもしれない。
と言っても、ロルナンとヒゼキヤの二つの街しか俺は知らない。似ているな、と思う事が有っても、懐かしいと思うような事はなかった。
何が似ているのか、というと…少し騒がしいことだろう。聖教国は基本的に静かな人が多かったので、二人も町の喧騒に驚く事が多いようだ。
今いる町で買い物をしている時なんて、人混みと、そのとんでもない血気盛んぶりに押されて、店にまで辿り着けなかったくらいだ。今だって、どうにか手に入れた果物を物悲しくポリポリと齧っている。俺は少し余分に買う事が出来たので、あげようかとも思ったが…二人は受け取らなかった。どうにも、慣れるために一度辛い思いをしておきたいらしい。
「でも、晩御飯まではまだ長いよ?」
「まあ、我慢だね」
「辛い環境も、味わっておく」
俺だとこのあたり、『まあ、少し待てば店も空くかな…?』なんて風に考えるだろうから、二人の考え方には頭が下がる。まあ結局のところ、俺はまだまだ自分に甘いのだろうと言う話だ。
それについて、何か変わろうと言うふうに考えつつも、結局特別な行動を取る事無く旅を続けて、…約一週間。
「明日、王都に到着…長かった」
「長かった」
「人、多過ぎ…」
宿の中で話し合う。旅そのものには慣れたのだが、抜けきらない疲労が溜まったままで、そろそろゆっくり休みたい、とばかり考えてしまう。
「そう言えば、タクミは明日、どうするの?合流場所は、どこかに決めた?」
「あー…それなんだけど、さ」
二人が俺の顔を見て疑問の表情を浮かべているのは、俺が残念そうにしているからだろう。口で説明するよりも手っ取り早いと思って、俺は鞄から手紙を取り出す。
「これ。何だか、受けなくちゃいけない依頼が入ったらしくて、十二日間王都にいないんだって。差出日が昨日だから…王都に着いてから十日は会えないね。
ただ、帝国側に近い方に行くみたいだから不安でさ。大勢で受けてるみたいだから、大丈夫じゃないかとも思うんだけど…うーん」
「帝国、って…あの、この国と戦争してた国なんでしょ?そこに近づくのって…」
「…危険」
「だよね、やっぱり。受けなくちゃいけない、って言うのが何だか不安でさ…」
つまりは、一種の徴兵に近い様な状況になったのではないか、という事。いや、帝国軍は今居ない筈だから、十日間と少しで帰ってくるというのなら、戦争に参加すると言う事はないと思うのだが…不安なものは不安なのだ。
とにかく、王都に行ってもすぐに二人と再会できるわけではないという事は分かった。とりあえず、その間は王都について情報を集める事にしないと。いっつも下調べが足りないせいで痛い目に合っている気がするし。
「急ぐ理由は無くなったから、明日は少しゆっくり出発しよう。王都とこの町の距離はそこまで無いらしいし、どっちにしても昼過ぎには到着すると思う」
「分かった。ああ、今日はゆっくり寝られる…」
「じゃあ、ご飯も食べたし、今日はもう、休む?」
「うん、そうしよう。おやすみ二人とも、また明日」
「おやすみー」
「おやすみ」
寝室に移動して、いつも通りに寝る準備をする。寝転がった時に、肩が凝っているという事に気がついた。やはり疲労が抜けていないのだ。回復能力の衰えははっきりと分かる。
身体能力に関しては、旅の途中に全力疾走して試した結果、衰えていないという事が分かった。というより、ロルナンにいたころと比べて少し速くなった印象もある。
だが、満月になれば傷が治ると言う『月煌癒漂』様についての話に関してはかなり信憑性が高い。なので、そこまで心配する必要はないだろう。不安な事に変わりはないのだが。
「あー…もう寝よう。明日はいよいよ、王都到着か…」
王都、つまりは首都である町の姿とは、一体どんなものだろうか。そんなものをぼんやりと想像しつつ、眠りについた。
翌日、朝一番の馬車に乗らず町中を散策、王都についての情報を聞きまわっていた俺達は…その、想像とは違う話に驚きを隠せないでいた。
『王都は住み辛い。人が多いし、その分治安も悪い。何より貴族が横柄過ぎる』
『忌種には襲われないけど、人との争いに巻き込まれそうなのが恐い。出来れば、もう少し田舎に住みたいくらい』
『獣人には厳しすぎる環境だ』
『王都に定住するのはやめた方がいいと思う』
王都のすぐ近くに有る街だと言うのに、悪評ばかりが聞こえてくるのだ。こうなってくると、多少の差は有れど、王都は実際に良い町とは言えないような場所なのだろう。
そう言えばレイリも、家自体は王都じゃない場所に立てるつもりだって書いていた。元々王国に住んでいたレイリは知っていたのか、それとも、王都に訪れてから考え方が変わったのか。しかし、何だか一気に不安になった。
王都に関する嫌悪感を最も持っていたのは、獣人…つまり、獣の耳や尾、或いは牙、毛皮などの特徴が現れている人達だ。少なくとも見える限りでは、彼等も普通に暮らしているように俺の目からは見えるのだが…王都での状況は違うのだろうか。
俺達自身には関係のない事かも知れないが、一応詳しい話を聞こうと思って話しかけるも、余り深くは語ってくれなかった。それだけつらい話だと言う事なのだろう。
だが、諦めて帰ろうとしていた俺達に、一人の女性が話しかけてきた。顔の横から犬のようなペタリと長く、ふわふわとした毛に包まれた耳を生やし、それを時折動かす仕草からは、二十代中盤くらいの年齢から感じる印象とは違う無邪気さのようなものを感じさせられる。
その女性は何故か一瞬俺の方を見つめ、首を傾げ、何かを思い出そうとするようにうんうん唸って、しかし諦めたのか、こう言った。
「あの、王都での獣人の扱いについて聞いて回ってるみたいっすけど、どうかしたんすか?」
「え?ああ、実はこれから王都に長い間滞在することになりまして、でも何だか不穏な噂が流れているので、詳しい話を聞ければ嬉しいなと思ってたんですけど…皆さん話してくれないので、聞いちゃまずい事だったかな、と」
「あー…まあ、あんまり話したくない内容なのは事実っす。でもまあ、お三方が悪人ってわけじゃないでしょうし、話やすよ?」
と言ってくれたので、話を聞かせてもらう事にした。
「まあ簡単に行っちまうッすけど、差別ッすよ、差別。獣人で、中でも女子供なんかは弱いって思われるんで、嫌がらせとして奴隷市場に売られたりとか。誘拐で奴隷にする事は出来ない筈なんすけど、それが暗黙の了解で通っちまうんすよ。この町は、別の貴族が治めている土地何で、安全なんッすけどねぇ…」
「奴隷…」
「…でも、そんな大規模な違法行為、見逃し続けられるものなんですか?これだけの人が知っているのなら、普通の人だって知ってる筈ですよね?」
「そりゃあ勿論ッす。でも、一部の差別主義者が権力者に多いんッすよ。だから、いつまでたっても無くならないんす」
「そんな…」
つまり、権力者―――先程の、『別の貴族が治めている土地』という言葉を考えれば、貴族―――が、その摘発に対して圧力をかけるような真似をしているのだろう、ああいや、そもそも誘拐だって、貴族が主導で行っている可能性も高い。
「とはいえそれも獣人の話。普通の人なら…そうっすね、暮らしにくいことには変わりはないッすけど、犯罪に巻き込まれたりとかはしない筈ッすよ」
「…ありがとうございました。あの、話し辛い様な事まで教えてくださって」
「良いんすよ。それに、王都に警戒なしで行ってたら、流石に危険ッすからね。それじゃあ、またどこかで会いましょうッす」
離れていく俺達に右腕を振って別れを告げてくる女性へと手を振り返している時に気がついた。彼女はずっと左手でお腹を擦っている。恐らくは、子どもがいるのだろう。…獣人の女性と子供は狙われやすいらしい。警戒していた所で俺達がそんな話をしていたから気になったのかもしれないな。
―――しかしあの女性、どこかで見た覚えが。
「タクミ、どうする?」
「…不安?」
「うん。だってさ…奴隷って、あれでしょ?タクミが話してた、無理やり辛い仕事をさせられたりする人たちの事。誘拐されてそうされるのは、やっぱり怖い」
「…そもそも、一番大きな町が、一番悪い所って、どういう事?」
「それに関しては俺も、今日までよく分かってなかったんだけどさ…でも俺、王都に行こうと思う」
二人の表情は…『まあ、そうだろうな』とでも言いたげな、驚きが何もないものだった。
「まあ、そりゃそうだろうね…今更行かないとか言われたら、それこそ驚いただろうけど」
「再開が近いのに、行かないわけがない」
「…それも勿論、有るけどさ。でも、レイリと再会するまでの間に、王都の状況について、知っておきたいかなって思う」
王都の状況というよりは、どんな悪事がそこに存在するのかという事についてだ。
少なくとも、俺がその全てを解決できるなんて思わない、思えない。差別問題なんて、辞めようと言って無くなる物でも無いと思うから。
ただ、それでも知る事で、俺自身がどう行動するのかは帰られる筈だし、目の前で起こった事件の一つくらいは解決できるかもしれない。…思い上がりかもしれないが、そんな風に考えたのだ。
「という訳で、俺はもうすぐ来る馬車に乗って王都に行くよ。二人はどうする?」
「そりゃまあ、行くよ。ここまで来たんだから当然でしょ?」
「タクミに、ついて行く訳じゃ、なくて、私達だって、知りたい事は、たくさん有るから」
「…ありがとう」
「ええ?」
「いや、なんだかんだで不安な所もあったからさ。―――よし、じゃあ行こうか」
向かうは王都。未だ得体の知れない、どこか不気味な王国最大の都市―――。
五章は長いんだか短いんだか…プロットを書いていて不思議な気持ちになりました。




