閑話二:不穏なる戦場
『その速度で二分進めば、後退を始めたらしい帝国軍が見える筈です。速攻を』
『了解した』
地面すれすれ、尖った石に体を撃ちつけてしまいそうなほど低い位置を、体を完全に倒して飛翔する一つの人影。
その光景は勿論、異常なものだったのだが、何より異常なのはその速度だ。
―――一つの丘を、ほんの数十秒で越えていくのだ。
何か高速で移動する物が通る、と言われなければ、恐らくはその隣を歩いていたって、強い風が吹いたとしか感じられない程の圧倒的な速度。
魔術によってそれだけの加速を得たその人物はしかし、魔術によって減少を起こす際、細かい動作や性質を決定する事が苦手だった。
その魔術は良くも悪くも強力、出せる限りの力を振るえば、恐らく彼女に届く者は大陸に二人いるかどうか、と言った所である。
(あまり気乗りしない仕事だが、さりとて放棄する訳にはいかん、か。…しかし、某自身が選んだとは言え、この低空飛行、頭をぶつけただけで御陀仏なのではないか…?)
当然だ。速度と衝撃は比例関係にある。これだけの速度で木と正面衝突でもしようものならどちらも木端微塵。とても視界に入れられない様な光景が出来上がること間違いなしだ。
(い、いや、大丈夫なはずだ。あれから少しは魔術の制御も出来るようになったのだからな。今では転移などせずとも、某自身の力で飛翔していけば移動も出来るのだから…少し情けない話だが)
この女性、とある町での出来事から、その欠点を徐々に打ち消してきているのである。その頃までは、遠くにいる人間と会話する…というよりも、言葉を交わす為の魔術で有る『遠話』系統の魔術に関してはからっきしだったが、今では先程の様に、遠くの人間とも会話できる。
彼女は今、自らの仕事として受けた仕事を達成するために、レイラルド王国王都から、ミレニア帝国との国境近くに有る都市へと―――正確には、その都市を破壊し、帝国へと撤退していく帝国軍の元へと急行していた。
目的はただ一つ、殲滅だ。
「守人が人を手に掛けるとは、全く度し難い…」
蒼の長髪を風に強くはためかせながら飛翔を続けるその女性―――シュリ―フィア・アイゼンガルドは、その端正な顔を歪めて奥歯をギリリと鳴らした。
本来、守人は人と人との戦いへと介入することはない。それは、形骸化している取り決めであると言う者もあるが、しかし少なくとも、守人として選ばれる人間は精神上の問題についても先に調べられているのが普通の事だ。そして、管理されているとは言っても、それぞれの国にいる守人全ての力とそれ以外がぶつかれば、そう長い時間をかけずとも守人が勝つのは自明の理。つまり、それ相応の理由がなければ守人が戦争に介入するような事態にはならない。
『相応の理由』とはつまり、守人にとって大切な何かが戦争によって蹂躙されようとしている場合…つまり私的な物と、戦争に守人に匹敵するような敵、或いは国そのものが滅んでしまいそうな戦況となった場合、という公的な物が有る。
公的な物のうち、少なくとも後者においては、私的な理由と被ることもほとんど間違いない。結局の所、守人は十分強力な抑止力として各国の過剰な戦線拡大を阻止しているのだ。
が。今回の帝国は、大規模な戦力を整えてきた上で電撃作戦じみた速度で王国内で帝国に最も近かった、軍事的にも重要であるとある要塞都市を包囲、そのまま攻略し、そして徹底的に破壊した。
徹底的と言っても、要塞としての機能はまだ残っている。魔術にも耐えられる様な堅牢な作りをしているのだから、当然と言えば当然の事だ。
だが、要塞と都市と言う二つの機能を支えるに足る生産力を持っていた周囲の村々、そして何より、要塞の内部で生活していた多くの民衆も全て、帝国軍の魔の手に襲われたのだ。
多くの人間が死んだ。帝国は、今まで戦いを仕掛けつつも踏み越えなかった一線を、遂に踏み越えてしまったのだ。
ならば、人を守るために存在する守人たちが派遣される事になるのは当然であり、当人達も怒りを感じて反撃に出る事もまた、当然だ。
ならばなぜ、シュリ―フィアは苦悩するのか。
帝国軍の蛮行に対して怒りを感じているのは事実だ。彼女の出身国は王国ではないが、住んでいる期間は王国の方が長い。第二の故郷が侵略の憂き目にあえば誰だって怒りを感じるものだろう。
問題は、それに対する王国側の初動だ。
王都にて、王の次に強い政治的決定権を持つ法衣貴族たちにより構成されている議会の動きが、あまりにも遅い。
今回の帝国軍は、確かに大軍だった。苦戦するのは当然、負ける可能性もかなり大きかったのは確かだ。だが、中央の決定で援軍を早期に、そして大量に送っていれば、少なくともここまでの惨状になる筈がなかったのだ。
結局援軍の送られた回数は二回。それを実行した貴族も議会内において、良い立場とは言えなくなっている。恐らくは近々隠居するのではないかと言う話だ。
そのうえ、今回彼女が派遣されたのは、帝国軍が既に半数以上撤退した後の事だった。都市を一つ墜として、しかしそこで進行を止めると言う行動に混乱が有ったのは事実だろうが、こうして派遣するのならば、せめて帝国がこれ以上の進行を取り辞めるだろう大きな被害を出せなければ意味すらないと彼女は考える。
全く以ってままならないものだと、シュリ―フィアは少し前に通り過ぎた、数条の煙だけが上がる徹底的に破壊しつくされた村の光景を思い出し、その眼光を厳しい物とした。
それが指し示す先、遂に帝国軍の最後方が見えてきた。
全く歪みなく歩き続ける人の群れ。体格や身長まで似通っていて、まるでそれが一つの生き物の様でもあった。
(あれ、か―――。確かに大軍だが、しかし随分と統率のとれた動きをしている。帝国軍の統率は並はずれたものだと聞いたことは有るが、成程、実際に見ればその脅威も良く分かると言うものだな。
…何より、速い)
単純な話だが、大勢の人間が同時に移動するとき、その数が多ければ多いほどに速度は落ちる。一人一人の歩く速度には差が有るし、やはり、一人一人に対して不慮の事故―――つまり、負傷や、軍紀の乱れなどから起こる諍い―――などが起こる可能性も増える。しかし、帝国軍は、早歩き程度の速度をずっと保っていたのだ。
本来帝国軍と接触する筈だったのは、先程『遠話』で帝国軍の場所を再計算した結果が本部から伝わったあの場所だったのだ。あれから数分立っているのだから、その移動速度は異常と表現して差し支えない。
「だが、まあいい―――『攻性光:覇軍』」
起句を唱え、自らの魔術の神髄たる光が溢れだす前に全力で加速。杖の先に嵌められた結晶から遂にこぼれた光の先端を、帝国軍の左側後方から杖で薙ぎ払うように振りかぶり、帝国軍を追い抜かしながらその前方へ、そして上昇、すべてを焼き尽くすつもりで光を解き放ち続ける。
辺りは夜中とは思えないほどの眩い光に満ちていた。まるで祝福の様に絢爛豪華な輝きを放つ光の柱の下では、夥しい数の死が生まれ、そして、原形すら残さぬほどに微塵と消えて行った。
地表も大きく削れて行く。次第に土煙が辺りを覆い始め、明るく照らされた周囲の景色もぼんやりとして行く。
正しく圧倒的。帝国軍は反撃どころか、殆ど碌な対応を取る事すら許されずに灰燼と帰したのだ。
シュリ―フィアは杖からの光を少しずつ細め、そして消した。辺りには再び夜の帳が落ちて、これから満月になろうとする半月と星々の仄かな光だけが、そこに有るものを照らし出していた。
「…本当に」
完全な勝利を得ても尚、シュリ―フィアの表情は硬いままだ。やはり守人にとって、理由があろうとも人殺しは辛い物なのだ。…自らと他者の間に、隔絶した実力の差が有るから、より一層。
砂埃が地面へと落ちて、ようやく辺りの景色を見渡す事が出来るようになってから、杖の先に灯りを燈して地面へと下りる。
辺りには一切、生物の気配と言うものが無かった。当然だ。この場にいたのならば魔術に巻き込まれて死んでいるだろうし、離れた場所にいたのだとしても、間違いなく生命の危機を感じて逃げて行ったことだろう。
それがより一層自身の孤独を表しているように感じたシュリ―フィアは、いくらなんでも悲観しすぎだと自分を諭して、辺りの調査を開始する。
一瞬での勝利を目標としていたがために、この場に死体はほとんど残っていなかった。少なくとも、どの部位なのかが分かるような状態ではない。煙を上げる小さな炭の塊が幾つか転がっているだけだ。
(証拠は集められないだろうと本部も判断していたから、問題は無いと言えばないが…拾えるだけのものは拾っていくべきだろう。…しかし、鎧の欠片から見ても、完全に同じ鎧や武器を使っていたようだな。一つの規格で統一されているのは王国も同じだったはずだが、個人個人による工夫も一切見られない様な気がする)
やはり軍規が厳しいのだろうと納得しかけて、しかし、頭の中で何かが引っ掛かっている事にシュリ―フィアは気がついた。
(待て―――何かが変だぞ。あまりに似通った体格、そんな事があり得るか?しかし、全身を鎧で大手いるとはいえ、体の大きさと会わない鎧なんて長く着ていられるようなものじゃない。
それに、あの有りえないほど洗練された集団行動。まるで、魔術により人形を動かしていたかのようだった)
シュリ―フィアが思い返していたのは、今では廃れたとある流派の魔術士たちが好んで使用した、土や岩から屈強な人形を作り出して戦わせると言う魔術。魔術で操作される人形は、完全な統率を可能としている。故にこそそれを思い出したのだが―――しかし、それはありえないと言うふうに頭を振って、シュリ―フィアは、物証では無く現場の情報のみ思って帰る事に決めた。
(あの流派は、自らの意思で、人を凌駕する圧倒的な力を発揮させる事が出来る一体の人形をそれぞれが使っていた筈。間違えてもあんな大量の人形を一人で動かすような魔術では無かった。…そもそも、この中に入っていたのは人で間違いない筈だからな)
焦げ臭さの残滓だけを残して、最早そのあたりに有る黒い石と見分けもつかなくなった炭の塊を見ながら、シュリ―フィアは再度飛び立つ。
「…人同士の戦場など、某の望んだ物では無い」
それだけを言い残して、来た時と同じように、しかし今度は高所を全速力て飛んでいく。
彼女とて早く帰りたいのだ。自らが仲間と認め、そして認めてくれる者達の居る場所へ。勿論、職務を放棄する気などは無かったが、本意でない物に乗り気になる人間などそうはいない。
(…だが今は、同じ守人よりも、普通の友人と会いたいな。…いや、幾らなんでもここからロルナンに向かうような事は出来ない。突然守人が現れれば皆に迷惑をかけてしまうだろうしな。…だが、あの二人なら、今頃はどこか王都に近い町には居るのだろうか?)
彼女の脳裏には、将来有望そうな兄妹に、近い内にその実力の頂点へと至りそうな男、そして、兄妹の妹とコンビを組んでいた男の事と、様々な人間の姿が映っていく。
(ああ、彼は結局、どこかで生きていてくれているのだろうか…。某があの時もう少しうまく魔術の制御ができていれば、或いは彼が手に掛けられる事も無かった筈かもしれないと言うのに)
楽になりたいと思って友人の事を考えていたのに、それで連鎖的に自らの失敗を想起し落ち込むあたり、彼女の真面目さと、それ故の不器用さと言うものが透けて見える。
自分の行動が迷惑になると思ってロルナンに行かず、また、その兄妹―――つまり、ライゼン兄妹の動向について調べきれていない辺り、不器用さ加減は極まっていると表現したっていいだろう。
はぁ、と溜息を吐いた彼女は、ふと眼下に、滅びた要塞都市が有る事に気がついた。
「…あそこならば、遺体はそのまま残っている筈だ」
先程感じた疑問点を証明する事が出来るかもしれない。そう思ったシュリ―フィアは再度降下、鎧の意匠から帝国軍の者だと分かる遺体を数体集めて、そして兜を引き剥がす。
一人目は、黒髪の男性。線は細めだが、しかし筋肉などは付いていて、平均的な軍人と言った体つきだ。帝国に多い容姿で有るとも言えるのだが、シュリ―フィアの眼には少々、違う血が流れているようにも思えた。
とはいえ帝国は土地も広く、また住む人種も多種多様。違和感を感じることくらいは当然あるだろう。
そんな風に考えながらシュリ―フィアは二人目の兜を引き剥がし、―――そして、驚愕に見舞われた。
「………どういう、事だ?」
焦ったように三人目の兜を取り、そしてそのまま、周囲の帝国兵の兜を剥ぎ取り続け、そして、その異常がただの偶然では無いのだと言う事を実感した。
「―――二十四人、同じ顔。同じ体格。馬鹿な、そんな事があり得る筈が…」
シュリ―フィアは胸の内から湧き上がる戦慄のままに飛翔、今までよりさらに速い速度で王都へと帰る。
(あれは…あれは危険だ。王国上層部があの情報を掴んでいるのかは分からないが、要塞都市以外での交戦が無かった事を考えれば、未だ未確認情報の可能性が有る。一刻も早く伝えて、そして対策を練らなければいけない。
―――たった一人の人間が何人にも増える魔術なんて、作れるはずが無いというのに!)
一条の流星の如く空を裂いて進むシュリ―フィアは、しかし気がつかなかった。
民間人が完全に退避した筈の眼下の土地に、幾人かの人影が森の中を揃って進んでいく。
調査に来た王国軍ではない。その服装は何処にでもいる一般人のようなものだったが、しかし、悪所にも関わらず全く足元を乱れさせずに進むその姿からは、見る人が見れば確かな訓練を受けた物なのだと分かっただろう。
彼等の容姿、体格、その全てが同じだった。
何時しか彼等は、森の中で行き先を少しずつ分け始めた。各々に目的とする場所が有るのか、誰かに見咎められる事を避ける為だろうか。それは分からないが、しかし、既に近くを歩いていた者が何処にいるのかは分からないような距離は開いた。そこからは完全な単独行動。目的を果たせるのか、その途中で倒れるのか。そんな事は分からなかったが、進む足に迷いはない。最も、そこに恐怖を抱く事が有るのかどうかすら、彼等以外には分からないのだが。
―――彼等は向かう。帝国を背に、王国の中心部へ。
文字数が膨らんで投稿が遅れました、ごめんなさい。これにて四章終了です。




