第四十八話:巣立ち
「あんまり、こういう構図を望んではいなかったんですがね」
「…それは?」
「いやいや、問題は無いんです」
フィディさんの言う事は、よく分からない。分からないけど…今の状況は、あんまり、よくない。
「『地縛』」
「『浮揚』」
地面に落とそうとしても、即座に魔術を使って反転、再浮上してくるから、対処に困る。…当然、敵を倒す為に作った魔術を使う訳にもいかない。
でも、体調が悪いのは、本当みたい。…いつものフィディさんよりも、魔術にキレが無いし一つ一つの魔術使用の間隔が大きい。だから、いつもよりは、まし…だけど。
「『炸裂』」
「『水膜』」
かといって、威力を抑えた魔術では、あっさりと防がれたり、避けられたり。…空気そのもので、抑えつけている様な、ものだと思うのに。
どちらと相対しても、ただ一対一の戦いでは、勝ち目が無い。最低でも二対二、出来れば二対一の戦いへ、持ち込みたい。…隙は有る。下の状況が分かれば、何とかできる筈―――!
◇◇◇
首を抉るようにふるわれた槍を屈んで回避し、今度こそ距離を詰めようとニールンさんの足元へ飛びかかる。しかし、頭上で回転した槍の石突が僕の脇腹をしたたかに打ちつけた。
「うッ!」
「まだ甘いな」
今のは、かなり痛かった。しかも、脇腹に押し付けた石突を軸に自分の体を浮かせて移動するなんて事までされたから地面へと押しつけられてしまう。
右半身を泥で汚しながら転がる様に距離をとり、そして立ち上がる。
ああ、もしかしたら今の攻撃、石を持ってなかったら柄を手でつかんで、どうにか別の状況に出来たかも知れない。多分、石を持っていなければそんな攻撃が来る事も無かったんだろうけど、悔やんでしまう事はやめられない。
…どうすればこの状況を変えられるだろうか?
普通にやって勝てないのは百も承知。だからラスティアさんと協力し合わなければいけない、けれど、今はそれも難しい…。
…一か八か、頭上のフィディさんへ投石でもしてみるか?そうすればレイリにも隙が生まれて、フィディさんをどうにかできるかもしれない。フィディさんは今体調が悪いから、勝ち目は有る筈だ。
そんな風に考えている時、不意に、僕の目の前へと槍が突きだされてきた。
「うわぁッ!」
「何故気を抜いているのか知らんが…今一歩下がらなければ、私の勝ちだったぞ?」
急所の至近で寸止めする事が勝利条件だから、実際にそうだ。…いや、今のだって、僕の負けと取られても何らおかしくは無かった。
一瞬たりとも、気を抜けはしない。
ニールンさんの動きは非常に苛烈なものであり、間違いなく今までに見たどの動きよりも激しく、そして素早かった。
今まで勝てなかった相手が、更に強い力で目の前に立ち塞がっている。…ならば最低でも、自分自身が今まで出来なかった事をしなければ、抗えるわけも無い。
―――ならば、何ができる?ニールンさんほどの実力者でも出来ない事、した事が無い事…。
再び振るわれた槍を避ける。焦って行動するのは危険だが、何時までもこうして避け続ける事が出来るとも思えない。やはり、そう長い時間は無い。
完全に攻撃を回避しながら、きちんと考え続けられる事が出来ればまだどうにかする方法が生まれる筈だ。
「あ。…いやでも、そんな事」
「独り言か?随分と余裕だな。…終わらせるぞ?」
今までより速い一突きだった。まだ速度が上がるのかと驚愕しつつも、何とか身体を傾けて回避し…その時には既に、目前へと石突が迫っていた。
あまりに早すぎる。普通に回避できるようなものじゃない。
―――仕方ないか!
深く息を吸い込みつつ、流れる川に浮く木の葉を想像する。後はいつもの通り、攻撃に対して受け流すように移動していく。
そうすれば、ほら、当たらない。
でも、それだけしか出来ないようになっていく。攻撃を避けて近づいて行く事は出来るけど、そうすれば間違いなく、やられる。
…って、あれ?いつもならここまで考えられるものだっけ?
「使うのか…。まあ良い。これで勝ちの目は無くなっただろうからな」
「―――――――――そんな事、無い!」
「何…?」
いつもなら時間が経って落ち着いてからしか制御する事の出来ない本能を、今は、一度の攻撃を避ける間だけに抑えられる。
こんなにはっきり農が動くとも思っていなかった。今までと何が違ってこうなったのかは分からないけれど、これはいわゆる僥倖だ。
攻撃を避けて、一歩踏み込み、そして短刀を振るって、ニールンさんを一歩下がらせる。
その瞬間、今度こそ完全に本能の動きを停止、全力で後退する。
―――こうすれば、一手でニールンさんとの距離を詰められる事は無くなる。
素早く上方で魔術戦を繰り広げる二人を仰ぎ見る。フィディさんが細い雷のような物を飛ばして、それをラスティアさんが避ける所が見えた。
「待て…!」
ニールンさんの声を聞きながら、僕は右手に強く石を握る。その時ちょうど、フィディさんがラスティアさんの魔術によってガクンと高度を下げた。
◇◇◇
「とおおおおおう!」
お母さんから、大きく距離をとったカルスが、遂に、私の方へと、行動をしかけてきた。
それは、手に持った石を、私の方へと、投げつける事。正確には、フィディさんの方へ。
「何を、って危なぁッ!?」
フィディさんが、大きく身をよじって、石を避ける。カルスは、『しまった』と言いたげな顔をしていたが、私としては、これで十分。
一気にフィディさんの方へ近づき、未だ勢いよく上昇を続ける石を『地縛』で止めて、手中に収める。そのまま、フィディさんの視界から、外れている事を確認しつつ下降、両足でフィディさんを蹴り上げて、さらなる加速を得る。
「あ痛ぁッ!やば」
フィディさんが、何か言っているが、気にしない。私はそのまま下へ―――カルスの下へと槍を構えて直進するお母さんの下へと勢いよく落ちる。
…命にかかわる様な怪我は、絶対に駄目だけど…関節を痛めるくらいなら、良いよね?
短刀を構えるカルスの前で、思い切り槍を振りかぶるお母さん。だから私は、さっき掴んだ石を同じように振りかぶって、少し不安になるくらいの力を込めつつ、槍を握るお母さんの腕へと、振りおろした。
―――いつまでも、お母さんの想像通りの行動だけしかしない私じゃない。
◇◇◇
「ガァッ―――!」
ラスティアさんがやった。…というか、やらかした。
僕が投げた石はフィディさんに当たらなかったけれど、それを宙で掴み取り、そしてそのまま急速に落下、ニールンさんの手首を殴ったのだ。
ニールンさんは槍を放し、右手首を抑えて蹲る。当然だ、あんな勢いで関節に石をぶつけられて耐えられる訳もない。ニールンさんの指の隙間から見える部分だけでも痛々しく真っ赤に腫れているのが分かるんだから。
「お母さんは、任せる」
ラスティアさんはそう言って再び上昇。腹を抑えて苦しそうにしているフィディさんへと魔術を打ち出していた。
なんだか酷い状況だ。そんな風にも思うが、しかしここで手を抜く理由にはならない。
ニールンさんの元へと駆け寄り短刀を一度顔の方へと近づけ、そして引き離す。
「えっと…これで、勝ちって事で…良いんですか?」
「…そうだな、私達の負けだ」
「ちょ、あ、もう、降参!降参!」
そう言ってフィディさんが降りて来て、膝をついて、荒い息を吐く。
「い、いつの間にこんな戦い方を身に着けたの…?あとさ、人を空中で蹴るのは流石にどうかと思うよ?うっかり気絶したら、もうそれだけで死んじゃうよ?」
「フィディさんは、そこまで、柔じゃない」
「変な過信しないでよ…」
そんな会話を聞きながら、ふと、辺りを見回してみる。
…なんだかみんな、ポカーンとした顔でこちらを見ていた。
何故そうなったのか、と言えば…まあ間違いなく、戦いの終結方法が意外だったという事だろう。というよりは、ラスティアさんの行動がか。…昔から、魔術は使っても体そのものは非力だと思っていたけど、いつの間にかこんな事まで出来るようになっていたらしい。
誰の影響なのかは…まあ、何となくわかるけど。と言うか、この思いつきで変な方法をとろうとする感じはタクミそのものだ。
その時、族長が一歩、こちらへと歩み出た。
「そこまで!勝者は挑戦者二人!―――よって、二人には村を出る許可を出す!」
『…あ』
その声は、誰の口から出たのだろうか?いや、多分、この場にいる人のほとんどが呟いたのだ。
村を出られるという事を忘れたのでは無く、明確に告げられる事で、自分の中に確信を抱いたからだ。
「四人は、私の家に来い」
族長はそう言って立ち去った。
―――結果的に見れば、酷い怪我をしているのはフィディさんとニールンさんで、僕達の方は所々に負傷しているくらいだった。
蹲ったニールンさんも立ちあがって、そして歩き出す。
「…えっと、ラスティアさん。大丈夫?」
「…うん」
ラスティアさん自身の負傷は実際大したことないが…自分の母を石で殴るって、冷静になった後では精神に大きく傷つく事だと思う。表情も暗いから、心配だ。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
ニールンさんを追うように、僕達も歩きだす。振り返る直前、フィディさんも起き上がっている所が見えたから、まあ大丈夫だろう。
家の中へと入って、五人全員が座る。形で言うと、五角形の頂上に族長が座り、その両隣りにフィディさんとニールンさん。僕達は族長の反対側だ。
「先ほども言ったが、これで二人は村から出ていける。…出て行くんだな?」
「うん」
「はい」
「そうか…」
族長も、やはり寂しそうだ。一人娘が出ていくという事は、やっぱりさびしいものらしい。僕にはわからないものだが、寂しいと感じている事は分かる。
「ラスティア」
「…何?お母さん」
「………いや、何でもない。
いつの間にか、私の知らないお前になっていたんだな、と。そう思っただけだ」
ニールンさんはそう言って、一つため息をついた。が、そこには決して、悪い物ばかりが詰まっている訳でも無いように僕の耳には聞こえた。
「…私は、私よ」
ラスティアさんもそっぽを向いてそう言ったが、こちらはむしろ、隠しきれない嬉しさがにじみ出ていた。本当は仲良いじゃないか。そう言いたくもなったが、空気を壊す気がしたのでやめた。
「ところで、タクミ君はこっちに来ないのか?」
「え?あ、はい。ちょっと今…事故で、ザリーフから動けません。今頃に目覚めるって話だったんですけど」
「え、目覚めると言う事は、まさか昏睡状態だったの?そんな重症なのに君たち帰って来たの?」
フィディさんが混乱したような口調でそう言ってくるが、僕達としては『そうだ』という答えを返すことになる。それに、
「タクミがきちんと起きてくるのは間違いないですから。ならそれまでに、僕達ができる事を済ましておこうかなって」
「…へえ。なんだかみんな、変わってきたものだなぁ」
フィディさんはそうしみじみと呟いた。僕自身としてはそんなに自覚が無い。強いて言うのなら、少し積極的になった事だろうか?
「私としては、二人を連れていくタクミ君には是非一言…二言三言言っておきたい事もあるのだが、連れて来てもらえる事は出来るか?」
「え?えっと…体調が回復してたら、多分大丈夫です」
「…でも、つれて来なくても良いよね?」
「え?}
ラスティアさんの言葉に驚いたのは僕だけでは無かったらしい。全員がラスティアさんの方を見て口を開けていた。
「だって、私達はもう村から出る許可を貰ったから」
「え、ええ?いやラスティアさん、それは」
「それに、私はタクミについて行くんじゃなくて、私自身が世界を見て回りたいから、外に出るの。その責任を、タクミに背負ってもらおうとは、思わない」
ラスティアさんの話を聞いていたら、成程、と思う事もあった。僕自身は、ラスティアさんと比べると幾分かタクミについて行こうって思いの方が強いけど、それでも、だからタクミに守ってもらおうとか、そんな風には思わない。
僕もその思いを族長に伝えた。すると、族長は今までのそれよりもかなり大きなため息をついて、その後、諦めたように首を振ってから、口を開く。
「そこまで言うのなら、もう仕方が無い。いつでも村から出ていけばいいさ。…但し、帰りたいと思ったのならきちんと帰って来い。二人の故郷はここで、二人の家はここに有るんだからな」
族長はそう言って、もう話は無いとばかりに後ろを向いた。
…今は出ていけ、という事だろう。
「じゃあ、ラスティアさん」
「うん、行こう、カルス」
外へ出て、そのまま町の方に向かおうとして―――ラスティアさんに服を引っ張られた。
「え?どうかしたの?」
「朝ご飯、まだ食べてない」
「…あ、ここで食べる?」
「ここは私の家って、お父さんも言ってたし」
さっき別れたばかりの族長も絶対に朝ご飯食べにくるよな…。出くわしたら少し気まずい気もするんだけど、まあ、僕もおなかすいたし、良いか。
◇◇◇
「はい、ご飯とお薬持ってきました」
そう言って族長宅の扉を開いたのはミィス・ナルクだった。その後ろには幾人かの村人が続いていて、その言葉通りにここにいる全員分の朝食と、薬を持ってきたのだと言う事が分かった。
「あ、ごめんねミィス。そんな大荷物持って来させちゃって」
「いいのいいの。…えっと、もう二人は行っちゃったのよね?」
「ああ、恐らくはもう、町の中心部へ向かっている事だろう」
族長の発言は実際のところ外れているのだが、この場にそれが間違いだと気がついたものは居ない。
少し後、傷の治療のため薬草を煎じた薬を延ばした薬を患部に塗られ始めたニールン・ヴァイジールが、少し重々しい口調で話し始めた。
「私も今更、あの二人を引きとめろなんて言わない。言わないが…本当に良かったのか?」
その言葉の矛先は族長へと向けられたものだった。族長は、自らの妻からの言葉を聞いて、少し考えを巡らせてから、こう返す。
「良かったんだよ、あれで。カルス君はともかく、ラスティアはもう、私が長くないことくらいは知っているんだから」
「だが、あの時の瘴気のせいで悪化している事はあの娘も知らない。…親の死に目に会えんぞ」
「それも含めて、だよ。…きっと、悲しむし、後悔もするだろう。けれど、もしそんなことになったとしても、ラスティアなら乗り越えられるさ」
「…そうか。お前がそこまで言うのなら、私にはもう、何も言えないさ。…卑怯な」
「卑怯と言うか?
…それに、そう簡単に死ぬ気はないさ。後数十年くらいはどうにかするとも」
「…ああ、もう良いよ。本当にそのくらいは生きそうな気がしてきた」
その場の雰囲気はかなり和やかになっていた。とても、人の生き死にについて語っていた場所とは思えないくらいに。
実際に、族長には簡単に死んでやる気などは無かったのだ。長い間壁に囚われたままの人生を過ごして来て、しかしこうして、幼いころの記憶と同じ外の世界へと解放されたのだから、簡単には死ねない。娘ではないが、いろいろと見て回りたいというふうに本気で思っている。
「…それにしたって、寂しくなる事に変わりは有りませんけれどね」
そう呟くのはミィス。夫のフィディ共々、ラスティアとは親戚として、カルスは親を亡くした後は様子を見たりして、ずっと付き合いが有った相手だ。
「まあ、それは当然だが、な…。ああ、そうだ。言い忘れていたが、もしも私が若い内に死んでしまったら次の族長はニールンに勤めてもらおうと思っているのだが、良いか?」
「え?」
「まあ、それが当然ですよね。勿論ですとも」
「えっと…あんまり厳しい決まりは作らないでくださいね?」
この屋敷にいる人間で、その言葉に疑問を抱いたのはニールン本人だけだった。
「待ってくれ。私は…人の上に立つような人間じゃない。そういう立場は合わない…そうだ、この際フィディでも構いはしないだろう?」
「…ならせめて、一度族長になってから、族長命令としてフィディに譲れ。私からフィディに譲るのは規則違反だが、姉であるお前からなら特に問題も無いんだからな」
「今更そんな決まりを覚えている奴もいないだろう。私を経由する必要はない」
「あの、僕の意思は関係ないんですかね…?」
大事な娘が自分達の手元から離れていくことに、強い寂しさは感じていた、が、努めていつも通りに。彼等は間違いなく、村の住人にとっては上に立ち導く人間なのだから。
◇◇◇
「じゃあ今度こそ、行こう、ラスティアさん」
「うん。…今からだと、二本目の、馬車だよね?予定よりも、遅れたけど、…間に合うかな?」
「ラスティアさんがそれ言うの…?」
そして二人も、今度こそ進み出す。友が待っている筈の町へ。




