第四十二話:「覚悟」とは
「起きろ。…おい、そろそろ起きられるだろ?」
最初に聞こえたのはそんな声。多分、リィヴさんの声だ。
「…あれ?リィヴ、さん?」
「やっと起きたか…。外傷は無いんだから、何時までも寝込むな、全く」
「………あ」
片手を敷布団に押しつけながら、上体を起こす。妙に密着する掛け布団が重たかった。
部屋の反対側、開け放たれた扉に背を預けてこちらを見つめるリィヴさんの顔は、どこか呆れた様であり、しかし―――心配してくれていたらしい。安心したような雰囲気が漂っている。
「…気絶、したってことですよね」
「ああ。で、ラスティアが船まで連れて帰った。…さて、悪い知らせだが、二人は既にフィークに帰っている」
「え?」
「何でも、儀式とやらに挑戦しなくてはならないとかでな。焦っている様だから、僕が行かせた。お前の体調そのものに問題はなかったからな」
疑問が募る。本当に、聞きたい事はいろいろあるが…とりあえず。
「皆、無事、でしたか…?」
「あー…怪我人は出たが、重症者は一人もいないぞ、心配はいらない」
「それは…良かったです」
「ああ、実に良かった。…で、だ。お前は何で気絶したんだ?」
何で…何故、か。
「あの…多分、情けない事なんですけど…。あの【犬穢娘】の要旨…特に上半身って、人みたいじゃないですか」
「ああ、そうだな…ああ」
何かを察したらしきリィヴさんの声。それに何処となく安心感を抱きながら続ける。
「…俺、あそこまで人に似た忌種を殺した事、なかったんです。特に、あんな風には」
「………そうか」
「俺自身は、そこまで気にする必要はない、相手は忌種なんだ、って思ってましたし、そもそも、ここまで精神に負担がかかるとか、まるで思ってなかったんです」
リィヴさんは、あまり多くを話さなかった。
だから俺は、聞いて貰えるのならばと思って、出来る限り話そうとした、が、…結局、上手く言葉にはできなかった。
ロルナンで邪教徒と戦った事は有る、とか、その時はこんなに辛さなんてなかった、とか…結局は、自分でも何が原因でこんな風になっているのかが分かっていないのかもしれない。
そうして一通り話終えた後、リィヴさんはこちらを見つめて、ポリポリと頭を掻いた。それが、何か面倒な状況になってしまったものを見るかのような様子だったので、その原因は俺にあるのだという事は理解していても少し納得がいかなかった。いや、それこそが俺の短所でもあるのだが。こんな所で子どもっぽい様な所を表すべきではないというのに。
「―――まあ、間違いなく僕が言うべき事じゃないんだが…。いいか?」
リィヴさんはそう前置きして、ゆっくりと言い聞かせるように、こう言った。
「お前は、人や、それに近いものを傷つけることを恐れているんじゃない。それを恐れない自分になる事を、恐れているんだ」
「………え?」
「いや、そこまで深刻そうな顔をする必要はない。それはいっそ、お前がいたって普通の人間だっていうことの証明だぞ?」
「でも、そんな…」
リィヴさんの声音に、かなりの分量で励ましが混じっている事は手に取るように分かった。
―――それが、いたって普通の人間、なんてことがあり得る物だろうか?だって、普通人を傷つける事が恐いだろう?それは、リィヴさんが言った事も間違っては無いと思うけど…。
「誰だって、自分が躊躇なく人を傷つけられるとは思いたく無いだろ?そんな猟奇的な人格をしているなんて言う事、本当に狂った奴じゃないと望んだりはしないさ。…あ、お前が猟奇的とか、そういう話じゃないぞ」
「…でも、あんな風にする事が正しいなんて」
「正しいさ。お前が耐えられる限りは、何処までも」
「…どうして、そこまで言うんです?」
リィヴさんの言いたい事が、伝わってくるようで、しかしはっきりしない。励まそうとしているのだろうという、ぼんやりしたこと以外はほとんど分からない。
…普通どころか、正しいという言葉すら飛び出している。励ますという事ばかりが先行して、本来の伝えるべき事を忘れてしまったのではないかと思ったが、リィヴさん本人の様子はいたって変わらない。
「単純な話だよ。考える理由も無いくらい」
「それは…?」
「奴らが忌種で、お前が冒険者で、ついでに言うと、そうじゃない皆がいたから、だな」
「…俺が、戦わないといけないってことですか」
「ああ。…お前は冒険者だろう?自分でそう成ったんだろう?…僕は冒険者というものは基本的に嫌いだが、冒険者のお陰で今の比較的安全な社会が生まれているということくらいは分かる。
…冒険者って言うのは、そういう覚悟を決めるんだろう?少なくともぼくはそう聞いたよ」
「…ッ!」
『覚悟』。それは、冒険者になったその日に、ギルドマスターから問いかけられた言葉。
あの日の俺は、確かに覚悟が有ると言ったのだ。だが、―――本当に、そうなのだろうか?
「…俺、覚悟が有るって、言ったんですけど…そんな事、なかったのかもしれません」
「あんなものはよっぽどの事が…それこそ、故郷が忌種に滅ぼされたとかではない限り、口だけだろうよ。あそこのギルドマスターだってそれは分かってる。分かった上で、即答できる奴を探しているんだ」
「でも、ギルドマスターはあんなに」
「覚悟なんてその場で決まるわけないだろうに…。で、だ。その覚悟って言うのは本来、実戦の中で見に着けていく物だろう。…いや、僕は分からないけどな?でもお前には、ちょっと厳しかったわけだ」
「…はい」
「なら、冒険者辞めるのか?」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
続いて、様々な風景がよみがえる。それは、全てがアイゼルでの思い出で…同時に、冒険者として過ごした記憶。
初めて仕事に就いた、なんてことない、けどどこか温かい思い出。
危ない事も多かったけど、何とか乗り越えた、少しドキドキする思い出。
そして何より―――皆と、レイリと戦った、一番楽しい思い出。
「それは、嫌です」
確信を持って、伝える。人に似た忌種を攻撃する事も、それを、完全に躊躇なく行う事も、まだ恐い。恐いけれど、それを乗り越える事が冒険者として大切なことだと言うのなら…必ず。
「…まあ、それが言えるのなら、良いんじゃないか?」
「…はい。あの、俺」
変な手間を掛けさせてしまってごめんなさい、ありがとうございます。そう伝えようと思ったが、
「あ、今日のうちに聖十神教の教会に行けよ?ローヴキィにはもう話を通してあるから、連れて行ってもらえ」
と、完全にいつもの調子に戻ったリィヴさんが言ったので、何だか雰囲気が壊れてしまった。言い出し辛い。
…聖十神教?
「え、あ、今日中ですか?」
「ああ。ローヴキィが明日から本家に行かないといけないらしくてな。都合が付けられるのが今日しかなかったらしい。今日中に起きられて良かったな」
「…えっと、もしかして、お忙しい所でしたか?」
「忙しくないとは言い切れないが、まあいつも、昨日一日既に休んでいるから、問題はないだろう」
…あれ?
一つ疑問を感じた所で、ちょうどそれが、起きてすぐにリィヴさんへ聞こうとした質問と同じである事に気がつく。
「あの、リィヴさん………俺って、どのくらい気絶してたんですか?」
「…一日と半分、くらいじゃないか?あの時は夕方で、今はまだ早朝だから」
「ええっ!?そんなに」
そう大声を上げた事で、一日以上使っていなかった喉に痛みを感じて、ゴホゴホと咳こむ。ああ、本当に長い時間寝てしまったらしい。
「ローヴキィさんは、今から行っても大丈夫ですか?」
ずっとそこに有ったからだろう、密着するような重さを感じる掛け布団を体から剥がして、立ちあがりながらそう言う。
「ああ、さっきも言った通り今日は休みだからな」
「だったら、行ってきます。…えっと、ローヴキィさんは何処にいらっしゃいますか?」
「…それを先に伝えたら、お前がさっさと走っていってしまいそうだったからな、黙っておいた」
「え?、な、何でですか?」
「…お前なあ」
溜息と共にそう呟いたリィヴさんは、右手で頭を押さえ、左手で俺の腹を指差してきた。
「一日半。お前は今、五食分食べてない事になる」
「あ…」
それを自覚したから、という事もあるだろう。いっそ愉快なほどに軽い腹の音が鳴った。…これは正直、恥ずかしい。
「…そんな状態で奴らの所に行ったら寝るぞ。確実に寝る。あれは敬虔な信徒でない限り寝るようにできてるんだ」
「な、なんですかそれ…。えっと、じゃあ、ご飯を食べてからにします」
「ああ、もう用意してある」
「え?」
「いや、実のところは、そろそろ起きるだろうってローヴキィに言われてな。だから、部屋で待って、お前に声を掛けてみたってわけだ。ほら来い、料理はこっちだから」
「え?…え?」
何だか最後の最後に変な事実が発覚したような気がしたが、しかし、とりあえずいい事が有ったと、そう言う事にしておこう。




