第三十七話:協力
2016/7/31文字数不足のため修正
舟に乗り込み、『操水』で進む。再び商会の船にたどりつくまで、そう長い時間はかからなかった。
「どうだった?何か分かったか?」
甲板でリィヴさんにそう聞かれた俺は、隠すことなく事実を伝える事にした。
「あの白い糸を出した人が誰なのか、という事が分かりました」
「人?あれを人が作ったのか?」
「はい。ですがその人、ここから出る手段を持っていなくて、商会の船で大陸にまで連れて行ってほしいんだそうです」
「…それ自体は問題ない。なあタクミ、お前から見てどうだった?その糸」
「え?糸、ですか?」
てっきり女性について聞かれるものかと思っていたのだが、リィヴさんがより気にしているのは糸の方だった。
「えっと、凄く細くて、一本だと透明にも見えるくらい透き通ってます。魔術で攻撃しても、かなり魔力を使わないと切断できないくらい丈夫でした」
「…そうか。ローヴキィ!一緒に来てくれ!他は今まで通り海側の監視だ!」
リィヴさんの号令で皆が動き出す。最初にこちらへ来たのは、案の定一人だけ呼ばれたローヴキィさん。
「分かりました、行きましょう」
ここ最近、パコールノスチ家についていろいろ疑いを持ったりもしたけど、この人だけを見ていると、全くそんなものが思い浮かばない。リィヴさんに向ける信頼感のようなものが感じられるからだろう。何故そんな思いを抱いたのかは、まだこの二人の関係をあまり知らない俺には推測の出来ない事だが。
「会長!遠くに船が見えます!航路からすると最終的にこちらへ向かっているようですが、どうしますか!」
「逃げる準備のみはしておいて、目的と所属を聞いておけ!公的機関なら歯向かうなよ!」
そう言いつつリィヴさんはローヴキィさんと舟へ乗り込む。
その姿を見送ろうとすると、眼下の舟から『お前らも来るんだよ!』と言わんばかりの形相をしたリィヴさんが両腕でこちらを手招きしてきた。
慌てて乗り込み、再出発。
急いで移動した結果、二十分ほどで再び女性と合流出来た。『操水』の勢いを強くし過ぎて酷い飛沫が舟に乗っていた俺達にかかったりもしたが、今はもう気にしない。
途中、リィヴさんが島を囲んでいた糸の一本を手に取り、何やらローヴキィさんと頷きあっていた。やはり何か、あれを商売道具にしようという考えが有るのだろう。
「貴方達は、私を大陸の方へ連れて行ってくれるのか?」
「ああ、それで話が付いた。だが一つ、こちらから『できれば呑んでもらいたい条件』を提示させてもらいたい」
「何かしら?だいたいの事なら答えられるけれど」
リィヴさんはこの場で交渉を始めるようだ。
ローヴキィさんもリィヴさんの隣で目を光らせている。最早ただの比喩では無く、本当に目が光っているようにも見える。普段の理知的なそれとは違う、爛々と輝く獰猛な光。
「君や、そこにいる蜘蛛たちが出したという、この島を覆う糸。それを買い取りたい。出来る事ならば、これからも定期的に」
「…それは、どういう目的で?」
「私はとある商会の会長をしている。だが、まだまだ若輩の身でね。出来る限り、他の商会に対抗できるものを用意しておきたいんだ。しかし今、商品という意味では目新しいものを持っていなかった…が」
「成程。私の糸を売りたい、と…ええ、良いでしょう」
女性の方は一瞬だけ悩むように視線を動かし、しかし最終的には了承した。リィヴさんが『よしッ!』とばかりに拳を握り締めたのが視界の端に映る。ローヴキィさんの眼光は変わらない。
「ただ、大陸についてから、少なくとも一度は、大陸中を回りたいと思っているのです。なので、私よりも糸の生産量が少ない端末を何体か配置していく、という形でよろしいでしょうか?」
「端末、というのは…その蜘蛛か。どのくらいの量を作れる?」
「…それ以外での稼働時間を削って最大効率を目指した場合は、一日五十~六十メートル程、ですかね。十体程度までなら提供可能です」
「そ、そうか…」
リィヴさんは動揺を声に滲ませながらローヴキィさんの方へそっと目をやった。
そのローヴキィさんはそちらを見ずに一度頷きを返す。
「そうしてくれるならありがたい。ところで、この島はこれからどうするんだ?」
リィヴさんはまた、かなり安心したような表情で話を再開した。ローヴキィさんと事前に何か合図でも決めていたんだろうか。
「別に私の島では無いし、放置することになるわね。ああ、流石に糸は片付けて行かないと…そういう事」
「ええ、そちらの方が私達としても都合が良い。どうです?貴方が良ければ、すぐにでも作業を始める事は出来ますけれど」
「ええ、お願いするわ」
「それでは…ええと」
リィヴさんが話を急がせているのは、正体不明の船がこちらへ近づいて来ているからだろう。
場合によっては危険な対応だが、彼女の方も島から脱出するという第一条件を果たせるから、それほど問題では無かったのだろう。元々何らかの要求は有ると考えていたのだろうし。
そこで気がついた。何故かリィヴさんが、こちらを見つめてきている事に。
何を求めてこちらを見るのか。女性の方へと手を差し出しつつ何故こちらをちらちら見るのか。
「ね、ねえタクミ?もしかして、リィヴさんはあの人の名前を知りたいんじゃない?」
「え?…あ、確かにそうだね。でも、…」
俺達もうっかり彼女の名前について聞く事を忘れていた。リィヴさんを見つめて首をゆっくり横に振る。
それだけで察してくれたらしいリィヴさんは、少し呆れた様な顔でこちらを見、そして、諦めたように声を出す。
「すまない、貴女の名前を教えてくれないだろうか?」
「…」
しかし、彼女の方は黙ったままだった。
「…私には、まだ正式な名称というものが有りません。仮登録であれば、『蜘蛛』と呼ばれてはいましたが」
「ん…?」
「タクミ?」
何と言うか、蜘蛛という単語を発した時の彼女の口の動きが、どこかで見覚えのあるものだった気がした。
―――そうか、spiderって言うふうに口が動いたように見えたんだ。まさか英語って事はない筈だけど、似た言語を使っているのかもしれない。
勿論、耳で受け取る情報としては日本語にしか聞こえなかったのだが。
「『蜘蛛』…本当の名前では無いというのも納得だ。なんというか、特徴だけで割り振られたような感覚が有るな。
不快ならば聞き流してくれて構わないのだが、君の言う『主』は、君に新しい名前を与えようとしていたかい?」
「準備はしていた。………二日後、伝えられる筈だったのだけれどね」
「そうか…。旅をすると言っても、町などに入らなければいけない以上、名前を持たないという訳にはいかない。出来れば、偽名を作っておいてくれ」
彼女の言う『主』とは、親のようなものだったのだろうか。名を与えられなかったとだけ聞くと冷たい人なのかとも思ってしまうが、しかし、彼女の表情や声色からは、深い親愛の情を感じる。
「ええ。…考えられない事もありません。大陸にはいって、必要になった時にはすぐに名乗れるようにしておきます。
今は仮に『蜘蛛娘』とでもおよびください」
「く、『蜘蛛娘』、さん…?」
リィヴさんの動揺が伝わってくる。まさかそんな安直なネーミングだとは思わなかっただろう。もしかしたら,『主』と似通った発想なのかもしれない。蜘蛛型の端末を使ったり糸をだしたりするから『蜘蛛』と呼んでいたようだし。
「ゴ、ゴホン。それでは、『蜘蛛娘』さん。私どもへの協力、ありがとうございます。
貴女個人とは、短い付き合いとなるのかもしれません。しかし、貴女の存在が、私たちの商会をこれから栄えさせて行くことになるでしょう。
故に、貴女へ感謝と、これからの旅路の幸運を祈ります」
「…ありがとう。そうね、なら、私は、貴方達と出会えて、そして、この島をようやく抜け出せることに感謝を。そして、あなた達に栄えある未来が待つ事を祈りましょう」
―――わずか十分足らずでまとまったとは思えないほど双方に得のある話し合いは、これにて終わった。
蜘蛛娘さんは、辺りの蜘蛛をどこかへ走らせていった。リィヴさんによると、島にある糸を回収しに向かったらしい。後で商会の皆で回収するとも。
再び森の外へ出る。まだあまり、糸の密度に明確な違いが有るようには思えない。
まあ、まだ数分しかたっていないから当然だろうと思いつつ、商会の船が有る方へと視線を向けると。
「あれ…?」
「…まずい、か?」
俺達が乗っていた商会の船の隣に、もう一隻船が泊まっている。
あれは、恐らく先程言っていた、こっちへ向かってくる船なのだろう。
だが、ちょっと早すぎるような気がする。大型の船だから推進力も大きいだろうけれど、『操水』を使って動かした小舟より確実に速度が出ていないと、この短時間では来る事の出来ない程度には遠くにいた筈なのだが。
幸いな事と言えば、争い合ったようには見えないということか。よく見ると、商会側の船からこちらへ手を振っている人影も何人分か見える。
いや、手を振っているのでは無く、指を指しているのだろうか?
「こんにちは、…その金髪からして、貴方がソウヴォーダ商会会長の、リィヴ・ハルジィルさんですよね?」
そんな声が突然、俺の斜め後ろ辺りから聞こえてきた。
驚いて振り返れば、リィヴさんと見つめ合う、五十代程度に見える女性がそこにはいた。
短めの蒼い髪、ふくよかな体系に柔和な雰囲気。何と言うか、親しみやすい近所のおばちゃんといった風である。
「…そうだが、其方は?」
「わたくしは、この島で異常な現象が起こったという知らせを聞きましてね。招集はかからなかったのですが、非番でしたし、まあ良いかと思ってついてきたんですよ。ただまあ、余り危険な臭いはしてなくて少しは安心という感じですわね。ああ、わたくし一応、聖教国所属で…すみません、そもそも名乗っていませんでしたね」
話し方にしても、威圧されるようなものでは全くない、非常にフレンドリーなものだった。一度話し始めるとなかなか終わらないうえ、その言いおいも強烈なので、別の理由で威圧されもするが。
現にリィヴさんも、戸惑った様子である。
「え、ええ」
「本当に、ごめんなさいね?わたくしは、スウィエト・アイゼンガルドと申します。一応、聖教国で守人を務めさせてもらっておりますの」
―――え?
全員が黙りこくる。まさか、目の前に立つこの陽気な女性が守人だなんて信じられなかったから、だろう。
いや、ラスティアさんとカルスは、その事実には驚いていなかった筈だ。多分、守人というものについて知る機会がなかっただろうから。むしろその目には、この状況に対する困惑が色濃く映っている。
そんな二人を見ていると、何だかおかしくなって、俺も驚きと緊張が身体から抜けていくような感覚が有った。
―――――――――そして、もう一つの驚愕に見舞われる。
「…え?アイゼン、ガルド?
………まさか、シュリ―フィアさんのお母さんですか!?」
五日前に連載開始一年経ってました!嬉しい!…のですが、それに今更気がつくと言う自分の抜けっぷりに少々眩暈も感じます。
なにはともあれ、皆さん、これまでの応援ありがとうございます!これからも書き続けますので、楽しみにしていただければ幸いです!




