第三十四話:蜘蛛の巣
数日間かけて島々を回っていく。それぞれの場所で物を売りさばき、物珍しい物は購入し、次の島へ。
初日に訪れた島で出会った侯爵さまと、今度はその御屋敷が有る島で再開して、山をくりぬくように作られた古く巨大な祠…というより遺跡のような物を見せてもらったりと、いろいろな事をしていた。
ちなみにその祠、観光地として使う気はないらしい。そんなものを、商会の従業員たち全員を招いて見せるって言う事はつまり、相当信頼されているという事なのだろうか。
ともあれ今は、人が大勢住む島最後の一つ。七つに並んだ島のうち、ここへ来る時では左側に見えていた所だ。
大陸から持ち込んだ物資が少々少なくなっていた所が今回の反省点だとリィヴさんは言っていた。どうやら侯爵さまに想定より多く渡してしまったらしい。それはそれで、有効な関係を築く事が出来たから良かったらしいが。
「それでは、こんな所で一度、大陸の方に帰ります。次は…港に帰ってから一週間でまた出港しようと思っているので、…長くても二週間後にはまた、こちらへ窺う事になると思います」
「長い航海、ありがとうございました。こちらも良い物を手に入れられましたし、自家までに掘り出し物を用意しておきますよ」
島の中ではあまり、商売人同士の争いという者が起きないらしい。正確には、一度出来上がった差が埋まらない、というべきか。
だがしかし、彼等は島の中で得られる利益のみで充分に生活ができていたので、大陸の方まで足を伸ばそうとしていなかった。だがしかし、この島にはない多くのものが都会から流れてくればいいのに、とは思っていたのだ。
そんな相手と、リィヴさんは交渉しているのだ。油断なんて出来はしないが、双方の利益になることを提案することは容易かったのである。
…ちなみに、聖教国に存在する他の商会がこの島々に手を出していないのは、無理をしてここまで行かなくとも、既に大陸側で多くの利益を上げられるからであり、現侯爵までの貴族があまり、商売などの面で大陸側と付き合う事を求めてもいなかった事が大きい。
ならばなぜ、公爵様の方針が変わっただけで、ソウヴォーダ商会に白羽の矢が立ったのかと言えば…。まあ、ローヴキィさんや、その実家によるものなんだろう。
「パコールノスチ家、一体どれだけの影響力があるんだろうか…?」
パコールノスチ家がソウヴォーダ商会に対して様々な手助けをしている事は間違いないみたいだし、その家の一員であるローヴキィさんはこの商会にいるのだ。力を注ぐのは分かる…が、それだけの影響力があるという事は同時に、大きな商会にもつながりがあった筈だろうに。それを無視してソウヴォーダ商会にこのチャンスを渡すなんて…。
「…逆に、リィヴさんがとんでもない期待を背負っているってことか。本当に大変だよな、それ」
とんでもない、というだけ。それが実際にどれほどの重さとなっているのかは、最早想像もつかない。
―――なにはともあれ、今回の貿易は、この島が最後だった。
船を出航させたリィヴさんが、こちらへ話しかけてくる。
「今回の取引はこれで最後だ。これから例の島に行く事になるが…大丈夫か?」
「体調、という意味なら三人とも万全です。情報不足だけがやっぱり不安ですけど」
「ああ…僕の方でもいろいろ聞いて回ったが、あまり有力な物は手に入っていなかったな」
曰く、島の木々が白い物で覆われている。
曰く、忌種が騒いでいる。
曰く、崇りである。
最後のものに関しては、もう与太話と言って差し支えない様なものだった。二つ目もそれを話してくれた人の主観なので、確実な事は島が白いもので覆われているという事だけ。
異常事態であり、侯爵さまは大陸側に調査隊の派遣を要請しているという。近い内には来る筈だと聞くので、今日のうちに向かわないと物色する時間は無くなってしまうだろう。勿論、調査隊の手が入っていない分だけ危険も大きいが。
「今更だが、今回はできる限り身長に行く。まずはすぐにでも退避できるように船を準備しておくから、三人で近場の警戒、最初に頼むぞ」
「分かりました」
「用意は、完璧、です」
「え、えーと。危険だったら、戻っても大丈夫なんですよね?」
二人の躊躇ない了承に若干動揺しつつも、リィヴさんに再度確認をとる。俺だけが恐がっているようで、少々居心地が悪い。
「ああ、それは前に説明した通りだ。まあ出来れば、時間稼ぎくらいは頼みたい所だがな」
「…慎重に行けば、そのくらいは」
「ああ、よろしく頼む」
少しずつ、島から離れて行く。行き先にある筈の白く染まった島とやらはまだ見えてこないが、なんとなく、聖教国の方へ帰るには遠回りの航路を往っているという感覚だけが有った。
…そして、ここ数日間を過ごした島々が見えなくなってから二刻程。恐らくは北西側へと進んでいった船の先に、一つの島がぼんやりと浮かんできていた。
「…あれ、ですか」
「たぶんな。近づかないとはっきりした事は分からないが、このあたりには他の島もなさそうだし」
リィヴさんの発言からして、座標などおおよそ伝えられていたとみて間違いないだろう、その近くに島が一島だけだというのならば、ほとんど間違いない筈。
今はまだ、距離が遠いから島が白く見えるのか、白い何かで覆われているから白く見えるのか、という事に判断は付かない。が、島との距離が埋まるにつれて、むしろその白さははっきりとしてきた。
繭。
それが、俺の中でその島を表すのに最も近いと思われた言葉だ。
岩が転がる沿岸部より奥には、木々の生える山が有るように見える。そこに生えた木々の葉は、当然の様に緑色なのだが、…そこに白く半透明のものが覆いかぶさっているようだ。
全体を見ると、蛾の幼虫なんかが作る繭のように見えてくる。
―――あの中に何かがいるって感覚は、強くなってきたけど。
不安から来るものかは分からないが、何となく頭が痛くなってきたような気もする。少々友つだが、仕事だし、カルスとラスティアさんの両方があんなにやる気を出している。俺も頑張らなければ。
船は少し離れた場所に泊まった。何故だろうと思ったが、よく考えれば港などは整備されていない無人島なのだ。近づけば岩礁に乗り上げてしまう。
「舟を出すか?」
「…はい、お願いします」
『飛翔』の方が速く移動できるとも思ったが、カルスを連れてとなると、どうしても上げる事の出来る速度に限りが生まれてくるので、とりあえず船で移動しよう。『操水』を使えば、櫂を上手く使えないという欠点も埋められる筈だ。
「じゃあ、行くよ。『操水』」
「うん」
「白い…」
三人で小舟に乗りこんで、白波を立たせて進む。船から岸まではなかなかの距離が有ったのだが、すぐに到着した。
近づいて森の方を見れば、繭という印象が正しかった事が分かる。霧などが発生している訳ではないのだ。細い繊維が、幾重にも森を、山を、包み込んでいる。
「…二人とも、どうする?」
「怪しいのは、まあ、森の方だと僕は思うけど。とりあえず海岸を調べて、その後行くことにしよう」
「私も、そうする。でも、本命は森」
「まあ、そうなるよね…じゃあ、とりあえず…『感知:生命』
反応は…ない。有るにはあるが、海の中に小さいものが有るだけだ。恐らくは魚などの生物だろう。
二人の方でも探しているようだが、何か反応が有ったようには見えない。ならばやはり、このあたりには何もいないということか。
「…何もない、みたいだね。どうする?もう森に向かう?」
「だね。…でも、あれ何なんだろ。布みたいな」
「糸というか…繊維みたいな物の塊みたいだよ。ここから見える限りだけど」
「…繭?」
「あ、ラスティアさんもそう思うのか…」
慎重にしよう、と思って入る筈なのだが、二人はどこか急いでいる感じが有る。やはり、焦っているのではないだろうか。
何に焦っているのか、というと…色々あるけど、この状況だと以前の【白金牛】討伐で手間取った事が原因なのかな?いくらなんでも、恋愛云々とは関係ない筈だし。
しかし、あの時一番失敗していたのは俺だから、二人がそんなに焦る理由は分からない。それとも、それを理解できないのはおかしい事なのだろうか。
繭の近くまで行き、一度立ち止まる。流石に、いきなりあれへ直接触れたりする気は起きなかった。それは二人も同じである。
もう一度生命体がいないかを確かめるものの、やはりいない。森の中にも、少なくとも近場にはいないようだ。繭のように見えるとはいえ、その中で何かが育っているという訳ではないのかもしれない。
リィヴさんが求める特殊な『良いもの』とやらは、正直この糸以外には見つけられそうになかった。今の所他にめぼしいものが無いのだ。
だが、いい加減に気になってくる事もある。
「いくらなんでも、生き物の数が少なすぎる。磯みたいになってる所でも、貝とかはいたけど、大きな魚は見なかった。森の中も、…山の半分以上は範囲に入っているのに、動物がいないし」
「ねえタクミ、忌種って人以外も襲うんだっけ?」
「え?えっと…」
そう言えば、誰かに訊ねた事はなかったかもしれない。カルスの質問でそれに気がついた。が、記憶を掘り起こして考えると。
「人が住んでいない様な深い森の中にも忌種がいるし、食べる相手は決まってない筈だと、思うよ?」
「だったら、…この繭みたいなもので動物を逃げられなくして、その中で食べてる、なんてこともあり得る、かな?」
「…それは」
カルスの言った通りの事をここにいる可能性が有る忌種がやっているとすれば、その力と、そして何よりその狡猾さに、恐怖を覚える。
一つの島を、丸ごと餌場に…しかも、檻の様に囲ってまで獲物を追い詰める執拗さ。
「タクミ、下がって!」
想像の中の敵に怖気を抱いていた俺を、ラスティアさんが叱咤する。
その声に言われるがまま後ろへ跳躍。着地点の岩に足を取られそうになったがなんとか耐えて、前を見る。
そこにいたのは、一匹の蜘蛛。しかしただの蜘蛛ではない。
その体躯は優に二十センチを越えていて、体からは不気味な光沢を放ち、動きは目で追える物ではない。現に今も、一瞬で繭の繊維を伝ってどこかへ消えて行った。
それを見て、何となく確信する。これは繭などではない。巨大な蜘蛛の巣なのだと。
「…今の、蜘蛛」
「…うん」
そして、カルスとラスティアさんは今までよりもかなり真剣さと緊張感の増した顔で頷きあう。二人には、恐らく俺以上の発見が有ったのだろう。
「今の蜘蛛が、どうかしたの」
「生命が…つまり、魂が感じられなかった。あれ、生き物じゃない」
「…でも、そんなの」
ラスティアさんは、自分でも感じたのであろうことを、しかし受け入れられないでいるようだ。俺だってそうだ。というか、多分俺が一番受け入れられない筈なのだ、が。
…先程感じた特徴が、一つ、近しいものを思い出させる。それにしたって、あんな性能のものを作り出せるとは到底もえないのだが。
というか、この世界にそれが有るとも思えないし、動物がいなくなった理由も、それ…機械がこの蜘蛛の巣をつくったと考えると、ちょっとつじつまが合わない様な気もする。
しかし、蜘蛛の巣だと考えると、余計に触りづらいな。何と言うか…それこそ、獲物にされるイメージが浮かび上がる。毒で身動きできなくされて糸で縛られるとか、想像するのも嫌だ。
となれば、まあ、遠距離から魔術で攻撃という、いつもの方針になってくるのだが、
「カルスは何か、考えある?」
「うーん…さっきの蜘蛛みたいなの相手にするなら、あんまり森の中みたいな所は嫌かな。地面しか動けないなら、まだ追いやすそうだし」
「成程…じゃあ、この巣をどうにかした方が言い、かな?」
「とりあえず、斬ろ?」
ラスティアさんの提案は、急いでいるというよりも、まず行動しなければ何も変わらないだろうという意識からきている様な気がした。軽く巣に指差しながら言うので、悩んでいるこっちが間抜けなのかと思ってしまうほどだ。
だがなるほど、距離を取って巣に攻撃、様子を窺うというのは良いかもしれない。それで蜘蛛が出てくれば遠くから攻撃しておびき出す。そうでなければ、またその時考えればいいのだ。
波打ち際まで距離をとり、カルスは海側を警戒。俺とラスティアさんでここから魔術を撃つことになった。
「『風刃』」
「『切開』…?」
俺が『風刃』を放つと同時に『切開』を使用したラスティアさんだったが、何やら歯切れの悪い感じで終わる。
「どうしたの?ラスティアさん」
「今、…上手くいかなかった、ような」
「え?」
何故だろうと視線を巣の方へ戻すと、ちょうど俺の『風刃』がその網に触れる寸前だった。
目を凝らしてその様子を見ると、『風刃』に触れた糸が内側にたわんで、そして耐えきったのが見えた。
「えぇ…?と、とりあえず、ちょっと近づいて」
「タクミ、近づいただけだと意味がない。威力も上げないと」
「威力もって、近づけば…魔力も?」
「そう。私の『切開』は、距離、関係ないから」
つまり、この距離で聞かなかったのならば近づいても結果は変わらない。単純に、使う魔力量を増やすべき、という事だろう。
なかなか面倒なことになってきた。ちなみに現状、蜘蛛の姿は何処にも見えない。巣に何かが触れただけでは反応しないのか、こちらの存在に警戒しているのか。
どちらにしろ、面倒なことになったという感覚は有った。リィヴさんが商品に出来そうな物として、あの糸が見つかった事だけが朗報なのではないだろうか。
夏休みになってもなぜか忙しい…。八月も数日を過ごせば少し楽になるので、そこからはもっと頑張ります。




