第二十一話:トリピィカ山へ
「…さて」
部屋の扉を叩く。だが、返事はない。
もう陽二刻頃。そろそろこの村の冒険者ギルド…の出張所のような建物へ行って、【白金牛】について詳しい話を聞きたいと思っていたのだが、どちらの部屋を叩いても反応がない。未だに二人は寝ているようだ。
昨夜は何故か寝苦しかった。ベッドの質も決して悪くはなかったのだが、…枕が違うというだけで眠れなくなる体質じゃなかったんだけどなぁ。
寝たと思っても、多分少しの時間で目が覚めた。もしかしたらうなされていたのかもしれないと自分で思うくらいにはひどい時間だった。頭痛も有ったし。
ともあれ今は、それが嘘のように疲れ自体はとれている。体がだるいなんてことも無い。
―――耳を扉に当てれば、寝返りを打つ音は漏れ聞こえてくるし、その頻度も多い事からもうすぐ二人とも起きるとは思うが…いや、もうさっさと起こしても問題はないだろう。
先程より強く扉を叩いて、ひとまずカルスを起こす。
「ほら、起きてカルス!もう仕事の時間!」
中から呻き声の様な『うぅ…』という音と、布団が身体からずり落ちるような大きな衣擦れの音が聞こえてきたので起きたと判断。隣の部屋の前へと移動する。
「ラスティアさんも!今日中にフィークに帰れないよ!」
「…あー…寝過ごしてるね、これ」
そう言ったのは隣の部屋から出て来たばかりの、髪がぼさぼさになっているカルス。
「そりゃぁ、時間を厳密に守らなきゃいけないなんて事はないんだよ?でも外泊は一日って先に言った以上、今日中に帰らないとだめでしょ」
「…余裕を持って、二日って、言えば良かった」
「そんな事言ったってもう遅いんだから…とりあえず二人とも、着替えてきたら?」
二人ともが寝ぼけ眼で薄着のまま廊下に突っ立っている光景に、自分が無理やり起こしたせいでもあるとは分かっていながら少々頭が痛くなる。
二人を後ろ向きに回転させて、背中を押して部屋に入れる。もう少ししたら出てくるだろう。
そう考えて、約十五分後。
意外と時間はかかったが、髪まで直し終わって二人は出てきた。
「あはは、ごめんごめん。ちょっと起き辛くって」
「…慣れて、ない」
「………寝苦しかった?」
「最初は寝苦しかったけど、そのせいで余計に眠気が多くなっていつまでも寝ちゃったって感じかな。慣れたらこんな事も無くなると思うけど…ふわぁ」
そう言って大きなあくびをしたカルスは、眠気を振り払おうとしているのだろうか、目尻を指先で揉み解す。
ラスティアさんは…まだ少しぼーっとしている。少なくともギルドにいる間に眠気は振りはらわないと危ないよな。
外の空気は、少し肌寒い。この村がフィークから見てさらに北にあるという事よりは、高地にある事が原因だろう。ザリーフからフィークまでも上り坂を多く越えて来たように思えたが、昨日の馬車の中では更に登ったという感覚があった。
同時にかなり清々しい気分でもある。歩いているうちに眠気は勝手に消えていくだろう。
「…で、あれだよね、ギルドの出張所」
俺の視線の先にあるのは、頑丈そうな作りではあるが村の他の建物と変わり映えしない一軒の家。だがその看板には確かに冒険者ギルドの六文字が…少なくとも俺の目には浮かんでいる。その下にある字は俺には読めないのだが…多分十文字くらいで表記されている。
扉を開けて中に入ると、俺たち以外の冒険者は特にいないらしい事が分かった。ちなみに言うと、ギルドの構成員らしき人も…見える限りで二人。奥の部屋にももう一人くらいはいるだろうが、少人数なのは間違いない様だ。
とりあえず受付の男性に近寄って、【白金牛】についての話を聞いてみる。
「すいません」
「はい?」
「【白金牛】の討伐の為に来たのですが、生息域はどこなんでしょうか?」
「【白金牛】ですね。村の北方に見える山の中腹、一部平坦な場所があるのですが…実物を見てもらった方が早いですね。どうぞ、こちらへ」
そう言って男性は手を俺達の背後へ向ける。つまりは、外に出て山を見せよう、という事らしい。
成程、それが一番分かりやすいだろうと納得して、皆で再び外へ。
説明を待たず視線を彷徨わせれば、ああ、あれだろうなと思える山を見つけた。このあたりではどうやら最も高い様で、北にあるという事もあって雪を被っている。それだと分かったのは、村の入り口が南向きであると分かっていたのも大きい。
「あそこにひときわ高い山があるのが分かりますでしょうか?あの山はトリピィカ山というのですが、そこの中腹に、少し草が生えている所があります。ここからだと、黄緑色に見える場所ですね」
「あれ、ですか…不思議なものですね」
「ええ、全くもって」
「…えっと、何が不思議なの?ラスティアさんは分かる?」
「カルス、多分これ、私たちには、分からない」
その現象自体にはそこまで危険な所はないようなので、二人には後で説明しよう。
「それで、【白金牛】っていうのはどんな忌種なんですか?」
「…そう、ですね。金色のつのに、白い毛皮、数体で群れている細身の牛、と言った所です」
「…なんとなく想像できました。何か注意することは有りますか?」
「…一度怒らせると手がつけられなくなりますね。忌種と言えばそんなものですけど、本当に危なくなるまでは諦めるという事を知らないんです。それと、返り血を浴びないようにした方が良いです」
「返り血、ですか?」
「はい。かなり危険なので、用心してください」
…毒性がある、という事だろうか。だがまあ、対処は可能だろう。返り血そのものだけに気をつければいいのなら、とりあえずは遠くから魔術で狙い撃てばいい。
カルスは少し難しいが…先に返り血がどういうものかを確認すればまだやりようは有るだろう。
とりあえず今気になるのは、あの山まで徒歩で行くしかないのかという事だが。
「あと半刻と少しで北へと向かう馬車がでます。ただ、帰りの時刻に関しては正確な事は言えませんので、徒歩で帰ることも考慮しておいてください。申し訳ございません」
「あ、分かりました」
…もう聞いておくことはないんだっけ?いやいや、まだあるぞ。
「討伐証明には何を持ちかえればいいのでしょうか?」
「この場合、角ですね。僅かに内側へと湾曲しているので、右側の角を持ってきてもらえればいいです。…それと、討伐報酬その物は問題なくお渡しできますが、冒険者としての実力証明という目的がある場合、四体以上の討伐をお願いします」
「…一人四体、という事ですか?」
「はい。【白金牛】が中位忌種なのは、その特殊な生態と、集団行動を崩さない所にありますので」
「成程。了解しました。…二人もそれで良い?」
「うん。まあ、三人そろってるしね」
「最初は遠くから攻めるから、逃げようと思えば逃げられる筈」
ならばそれで良いだろう。構成員さんに礼を言って、馬車が泊まっている場所へ。二台止まっているうち、荷物が少ない方へと話しかければ案の定正解だった。もう片方はどこかの商会の行商だろう…つまり商売敵か。
馬車の二台に先に乗せてもらったが、これから出発の時間までに誰が乗るという訳でも無い様だ。早く出発してもよさそうなものだと御者さん自身が言っていた。
「中位忌種って事はかなり強いんだよね?タクミは戦った事有る?」
「あるけど、…ちょっと違うというか、例外なのかな?元々は頭が良い様な相手でもあったらしいんだけど、もうずっと暴れまわるばっかり」
「暴走?」
「そうそう。だから完全な状態の中位忌種と戦うのって初めてなんだよね」
最も、まだ楽な方だろうという予想が俺の中には有ったが。
複数体で群れをなしている、という事を聞いて少し理解したのだ。つまり、【白金牛】とは中位忌種の中ではまだ弱い方なのだろう。
低位忌種である【小人鬼】と【岩亀蛇】の力は同じだったか?当然、違う。【小人鬼】複数体に襲われた時、危ない場面は有ったがしかし、無傷だった。
しかしその後、魔術の使用に慣れてから戦った【岩亀蛇】は、一体だけだったのにもかかわらずかなりの苦戦と、そして手傷を負わされた。
それ自身は既に治ってしまったが、その記憶は今も鮮明に残っている。あそこまでの火傷をしたことなんてなかったから、当然だ。
…何が言いたいのかと言えば、恐らく今回、群れている上に複数体討伐が基本とされる【白金牛】は、低位忌種で言う【小人鬼】の様な物なのだ。当然両者の間に差はある。もしかしあら一体一体が【岩亀蛇】よりも強いということだってあるかもしれないが、しかしまだマシと、そう考えるべきだろう。
相手が複数でこちらは一人、というのならむしろ危険かもしれなかったが、こちらも複数。しかもかなり連携が取れる程度には戦いを重ねた間柄。となれば、きっとどうにかなる。
「それで、タクミ」
『そろそろ馬車を出すぞ』という御者さんの言葉に従って馬車に乗り込みながら、ラスティアさんはこちらへと問いかけてくる。
「さっき言ってた、異常な事って、何?あの山の」
「あ、それ僕も気になる。危険じゃないって言ってたけど、変な物は変なんでしょ?」
「…いや、別にここでしか見られないってことじゃないのかもしれないんだけどさ」
そう前置きして、二人に違和感を感じたことについて説明する。
「いや、あの山、全部雪に覆われていたのに、あの草原だけは草の色がはっきり見えたからさ。
下の森も、まあ少ないけど雪が積もってて、草原より標高が高い場所はもう雪山って感じなのに」
「雪…?」
「…えーっと、あの白い奴?」
「そう。…ってそうか。二人はまだ雪って見たことないんだよね」
時間に余裕があるようなら雪合戦でもするか。なんて気の抜けた事を考えながら、俺達は馬車に揺られて荒れた街道を進んでいった。
あとひと月で夏休み…更新速度もそうなれば上げられるはず…。




