第十八話:安心
「おい、起きろタクミ。着いたぞ」
近くから聞こえたリィヴさんの声に目を開けば、馬車の揺れが完全に収まっている事にも気がついた。
馬車の後部に片足を掛けてこちらを覗きこむように見つめるリィヴさんの目には、少しの苛立ちが混じっている。
「…すいません!完全に寝てました」
「もうフィークについたと伝えたのに、何故下りて来ないんだ。お前と一緒に乗ってたやつらも困ってたぞ」
「あ…」
そりゃぁ、町の近くで一度起きたのにすぐに寝たのでは、疲れているのではないかと無用の心配をさせてしまったかもしれない。いや、疲れている事に関しては本当だが、こんな形で迷惑をかける気なんてさらさらなかったのだ。
「すぐ降ります。今は皆さん、何を?」
「冒険者なら町にすぐ入れるが、それ以外は別だ。商会員とその家族って扱いにしているが、証明には多少時間がかかる」
「…えっと、リィヴさんがこっちに来ても大丈夫だったんですか?」
「まあ、なんだかんだで衛兵とは顔見知りだし、ローヴキィもいるからな、問題ない」
数ヶ月間行商を含めて町で商売をしていたのなら、多少顔を覚えられもするか、と納得した。どうやら、随分と景気よく発展できたみたいだから、余計に覚えられもしたのだろう。
ともあれ馬車を降り、門の方へと向かう。
作業そのものは簡単だった。ギルドカードを見せれば、それで終了。正確には、何やら細い光を当てて確認しているようだが、どちらにしたって実に手軽だ。
そのまま馬車に戻ると、俺より先に衛兵たちの元へ行っていた筈の九人家族が戻ってきていたので、挨拶と少しの謝罪をしておく。
それから二十分もしないうちに馬車は動き始めた。十台を一度に見てもらったので、動き出すまでは遅いかわりに一度動けば町の中まで止まらない。
門をくぐり、その先へ。
一度馬車の中に入ってくる光が途切れた後、再び光が眼に映るまでにそう時間はかからなかったが、俺はその間に再び馬車の外へと身を乗り出す。
「おお…!」
今まで見て来たのは港街ばかり、そうでないのはヒゼキヤだけだったが…これは、今までのどれとも違う風景だ。
ザリーフにも、というよりは恐らく聖教国全体で通じる物があるのだろう、建物に施された装飾と、恐らくは石であろう白い建材。石畳なども、それだけであればザリーフと何ら変わりない。
だが特筆すべきは木々だ。街道に、家屋に、或いは外壁に、水路に。町中の至る所に様々な木が生えている。
鬱蒼と、だなんて表現は絶対に合いはしない。町の外から見た森も手入れが行き届いていたが、町の中はむしろ、少し緑の多い公園と言った感じだ。勿論、それが建物の立ち並ぶ町中すべてに広がっているから異常さが際立つという訳である。
小鳥が飛びまわる羽音やさえずりは耳に心地よい。一応は綺麗に整備された町中だというのに、どこか牧歌的な雰囲気も感じる。
視界の端に木と木の間を走る子りすのような動物の姿を見つける事で驚きと共に瘴気に帰った俺は、リィヴさんに対して問いかける。
「リィヴさん、これどう考えても他の町とは違う町並みですよね?一体どうしてこんな事に?」
「ん?…それぞれの町に変わりがないなんて思っている方がおかしいと思うが、確かにこの町は特殊だよな」
「はい。町と森が同化しているようにも見えました」
「ああ。元々はこんなに穏やかな町じゃなかったらしいんだが、まあそれが本当かもわからないくらい昔、近くの森と町を合わせて、森の中から危険を除去する事が出来れば、生活は格段に楽になる筈だと考えた領主がいたんだとか」
「………それはまた。大変、なんて言葉で表現できないくらいの大工事だったでしょうね」
「そもそも木を育てるのには何年も時間がかかる筈なんだがな」
そこも考慮すれば、本当に気の遠くなるような作業だ。その領主が工事を始めた年齢によっては、効果が見えてくるまでに亡くなってしまったのではないだろうか。
だがしかし、実際に良い町だと思う。他の町がそうではないという訳ではないが、この町の人々はそれ以上に幸せそうだ。
「…よし、そろそろよさそうだな。戻るぞ」
背後へ振り返りながらリィヴさんがそう呟いたので、俺もついて行く。どうやら皆、門を抜けたらしい。
馬車も町の奥まで入っていく。街道を走る時よりは相当速度を落としていて、徒歩でも追いつこうと思えば可能だろう。実際に、俺以外でも馬車から下りて歩いている人も何人かいる。村の皆よりは、町に慣れた商会員さん達の方が多いけれど。
馬車は門を越えて、隅の方で一度集まる。村人が全員いる事を族長から聞いたリィヴさんは
「移動するぞ!」
と一声。馬車はそのまま町中を移動し始めた。
速度を出し過ぎると危険だな。俺は再び馬車の中から身を乗り出しながら考える。
町の広さはそこまでではないが、木々があるからか、道は少し複雑で、大通り以外は曲がり角が多い。
そしてどうやら、今向かっている場所は大通りにはないらしい。まあ、町の中心の土地なんて、いくらなんでも始めたばかりの商会で買えるような場所ではないだろうから、当然だ。
「ああ、あそこだな」
「え?」
フォルトさんが誰にでも無く呟いたのを聞きつけて、その視線の先を追う。
一瞬、森の中を向いているのかとも思ったが、違う。その手前に、今まで見て来たものとは違う木製の建物が建っているのが見えた。
見えるだけで…十二軒。おそらくあと二、三件は後ろにあるのではないだろうか。
予想通り、一分もしないうちに馬車はその家々の前に停車した。
皆で馬車から降りて、そしてリィヴさんの周りへと集まって行く。昔から商会員として所属していた人たちと、村の皆で別れるような形だ。ちなみに俺は村側である。
「皆さんにはこの家に住んでもらいます!新築ですので特に問題ない筈ですが、何かあったら商会の方までお伝えください」
リィヴさんは最初にそう伝え、その後、『詳しい説明は彼女に』と言って、ローヴキィさんを前へ送り出した。
「家賃に関しては、銀貨二枚ということにさせていただきます。月の給料を銀貨二十枚ということにさせていただきますので、余裕を持って賄える筈かと」
「成程…。食事などは私たちが勝手にやるが、食材に関してはどうすればいい?購入になるのだよな?」
族長が質問をする。確かに、皆は今までずっと狩りで肉を得て、木々から植物性の栄養を得ていたわけだから、その生活が崩れるとなると困惑もするだろう。町中で暮らすことにこんな弊害がるとは思っていなかったが…畑に関しては、土地を得るのだって難しそうだからなぁ。
「そう、ですね…。野菜は町中や、周囲の村で栽培された物などが基本的に市場に流通していますから、そちらを購入してもらうことになると思います。
ただ、…あちらの森で狩猟をすることは認められています。道具も自分たちで用意して、収穫も全て衛兵などに確認をとらなければいけないあたり、少し面倒ではありますが。
間違いなく格安ですし、皆さんが今まで狩猟を生活に組み入れてきたのならば、そちらの方がいいかと」
「…そのやり方の方が良いな。ありがとう。利用させてもらう…利用するにあたって、何か条件は有るのか?」
族長が、質問する直前に俺へと目配せをしてきたのだが、あれは自分の質問が普通のものであるか不安になった、という事だろうか?
だが問題はない。俺としてもこの世界の普通というものを掴みきれてない所は有るが、それでもやはり、漁業権に似たような物は有るだろう。狩猟だって、例えば日本のように猟友会しか出来ないという程狭い条件ではない筈だが、何らかの縛りは有ってしかるべきである。
「森に入る前に衛兵に何らかの形で身分を証明する事ですね。証明さえすれば身分の差は関係ないです。
後は、必要以上に狩りすぎないことと、先程も言った通り、収穫物を衛兵に確認をとる事です。場合によっては買取等もしてもらえます」
「成程。それでは次に―――」
族長からの質問は続く。一応そちらへ耳は傾けながら、俺は少し家の様子を眺める事にした。
木製の家…つまりはログハウスだ。この木材も、あの森から切り出した物なのかもしれない。結構頑丈そうな作りで、柱も太く、また、天井と壁の境目は丸太が組み合わさっていて、地震などにも耐えられそうだ。
まあ、地震があるかどうかは分からないけれど。
しかしこの町、あの森を完全に中心として回っているんだな。
昔の領主さまも本望だろう。苦労は多かっただろうが、未来で確かに報われたのだから。
―――皆の生活も、この調子なら大丈夫そうだ。本当に、安心である。食材の多くを無料で確保できて、家賃を引いて最低でも一家に銀貨十八枚。ほとんどの家は冒険者側等で二人以上働いてもいるから、実際の稼ぎはそれ以上だ。非常に厚遇で、…だからこそ、他の従業員からすると嫉妬の対象になっているかも知れないという可能性も考えたが、しかしそんな様子も見られない。同じくらいの待遇は受けているという事だろう。
リィヴさんの商会そのものだけの稼ぎでそれだけの事が、少なくとも現状の状況で出来ているとは考え辛い。となると、ローヴキィさんの実家が関係しているのだろうか。今の従業員もそこから来ているらしいし。
まあ、幸せそうだから後ろ暗い物でも無いのだろう。―――――――――もう少ししたら、皆とは別れる事になるな。
村長がローヴキィさんと、次いでリィヴさんとも握手を繰り返すのを見ながら、俺はそんな事を考えた。




