第十六話:入会
先日は酷い目に合った…という言い方はずるいだろう。自分で始めたことで、ラスティアさんまで巻き込んだわけだから。
日が暮れるまで追いかけっこをしたあの日から、既に三日。冒険者になった皆は町で作業をしたり、忌種の討伐をこなしたりと仕事を重ねているが、しかし今日は全員、街道近くの森で待機していた。
理由は単純に、今日か明日には確実にリィヴさんは到着する筈だからだ。
絶対に全員で出迎える必要があるのか、というと、少し怪しい所もあるかもしれない。だがこれは誠意だった。
族長としてはやはり、見ず知らずの人間を村ごと助けてくれる事に対しては、こちらからもきちんと答えたいという思いがあったのだろう。数か月の間にしろ、一緒に暮らしていた俺では少し感覚が薄くなっていた様だが、森から現れたばかりの村人たちを雇ってくれるなんて、例え本当に商売の戦力になるにしても懐が広い。
「…とはいえ、まだ来ない」
まだ陽四刻だ。四日目か五日目、という表現ならば今日の夕方ごろか…いや、移動に時間がかかるから、来るなら昼頃までだろう。ならば、今日の可能性は少し低いのではないのか。
街道からはっきりと目視されると拙いので、最低でも自分の前側に木が四本は生えている場所を見計らって皆自由に立ったり座ったりしているのだが、人を待っているという状況、更にそれがこれからは雇い主となる相手だからか、少し皆の態度が硬い。具体的には、会話が弾まない。いつもどおりなのは子供たちだけだ。木々や人の間を駆け回りながらキャッキャとはしゃいでいる。
皆はまだ商会で…会社で働くということを理解していない。実際に働く前に死んでしまった俺が言うべき事じゃないのは間違いないのだが、働きに応じて給料をもらうということは分かっても、会社という一つの生き物の器官として動くような事にイメージがあるかは疑わしい。皆は一つになって動くことに慣れているから、少し考え方を帰られればすぐになれる筈だけど。
幸い、リィヴさんにも皆が社会とは断絶されて長い期間暮らしていたということは理解してもらっているから、ある程度、常識などに関しても教えてくれる筈だ。
さて、俺の方は俺の方で、次に考えないといけないことも出てくる。
王国にいつ帰るか、という話だ。
これに関しては、ラスティアさんもカルスもかなり鋭敏に反応する。まあ、当然だ。友達が外国に引っ越すとなれば愕然とする。俺だって、別れたくないとは思っている訳だから。
だが、何時までも帰らないという訳にはいかない。王国の皆ともう一度会いたいし、前みたいに暮らしたいとも思うのだ。
たかが数週間。されど数週間。それも、新しい人生を始めた最初の地だ。思い入れがないわけがない。
…いや実際、レイリは今頃何をしているのだろうか。
ともあれ、皆の生活がしっかり安定したのを見届ければ、後はいつでも出発できるだろう。
不安要素があるとすれば、帝国と王国が開戦したという噂だ。
戦争ともなれば、もっと大騒ぎになっていると思う。ならば、リィヴさんの情報が間違っていたという事だろうか。
だが、国境際での戦いで戦火は広がらず、何らかの理由で王国が情報を隠していたり、あるいは聖教国が民衆には発表していないとか、そう言う事なら決してあり得ない訳ではないと思うのだ。
戦火が広がっていないのなら、隠しようは有る。帝国側としても、この大陸で大きな国は帝国、王国、聖教国だけ。後者二国が同盟を結んでいるのだから、喧伝する必要があるかどうかは疑わしい。国内向けならばもちろん、士気を上げるなどの方法は利用できるだろうけれど。
―――ああ、結局今の俺が考えたって何も分かりはしないか。リィヴさんの一言くらいしかまともな情報がないのだから。
だが、危険な情勢になったと聞いた時には、一番速い方法でロルナンに戻ろう。それだけは確実に決めておく。
…国境を越えるのに必要な手続きも調べなければ。
と、何時の間にやらリィヴさんの到着とは全く関係ないことを考えていた事に気が付き、視線を前へと向ける。今までは斜め上の方を見つめて思考に浸っていたので、少々首が痛い。
リィヴさんは来ているかな、そう考えて街道の北側を見れば、馬車が何台か走っているのが分かった。
だが今までも馬車は何台か走っている。それらは全てザリーフまで行ってしまったが。
リィヴさんは森の近くを通る時に合図を出すと言っていたし、町では無く外で待つと言っているのだから町に行って戻らないということはあり得ないので、やはり今のところは来ていない。
向こうから走ってきた馬車は、そのあと少ししてから、案の定何の合図を出すことも無く走り抜けて行った。
『あ~』とため息交じりの声が口々にこぼれる。俺もその一人だが。
「もう今日は来ないかも…」
「ちょっとカルス、あんまり口に出しちゃ駄目だって」
俺の隣に座っていたカルスはそう呟く。
相当小さな声だったので周りまでは聞こえていないと思うが、流石に待ちぼうけの状態でそれはまずい。『もう待たなくても良いかな』なんて気持ちにされてしまうのだ。
カルスもそれに気づいたらしく、『あはは、ごめんごめん』と言っているが。
そのまま、カルスと二人でぼんやりと街道を眺める。活力が無くなってきたのは事実なのだ。
…そう、カルスと二人で。いつもならラスティアさんも一緒だっただろうが、あの追いかけっこの一件のせいで、あまり一緒にいると悪ふざけが始まるから、完全に自由な時間以外ではあまり一緒にいるべきじゃないという判断が族長から下ったのだ。
実際に悪ふざけを始めたのはラスティアさんとではなくカルスとだった気がするのだが、それに関しては考慮されることはなかった。まあ、族長は娘をおしとやかに育てたいという事なのかもしれない。
ちなみに、それを聞いた時のラスティアさんの表情は非常に悔しそうで、何故かカルスは喜んでいた。そう言う所が見えるせいでふざけ合っていると言われるのだろう。
今頃は族長たちと同じ所にいる筈だ。
「タクミ」
「ん?」
カルスが肩を叩きながら俺の名を呼んだ。何事かとそちらを見れば、周りの皆も声が大きくなっていた。視線は北側へと向いているので、これはいよいよリィヴさんが来たのかもしれない。
そう思って視線を向ければ、街道のかなり先に、馬車が何台も並んで走っているのが見える。
二、三台という数ではないだろう。最低でも五台は越しているだろうし、もしかしたら十台程かもしれない。
村の皆は、合わせて百名を少し超えた程度。もともと村としてはそこまで大きな規模ではないが、多く人を乗せたとしても、やはり十台くらいは馬車がいるだろう。
だがしかし、リィヴさんはそんなに馬車を持っていたのか。馬も車も、そこまで安い買い物ではないと思うのだが。
少しずつ近づいてくるにつれて、馬車その物は華美な装飾など全くない事が分かった。機能を果たせればそれで良いという考えが見えるようである。
そのあたり、リィヴさんの好みなのかもしれないなと思いつつ、その荷台前面に張り付けられた金属板に刻まれている文字が見えた。
『ソウヴォーダ商会』
…リィヴさんの商会の名前、ということでいいのだろうか。
さて、何故俺があの馬車達をリィヴさんのものだと半ば断定しているのかと言えば、理由は一つ。
御者をやっている人が、近くの森に向けて何度も大きく手を振るという作業を繰り返しているのだ。どれが俺達のいる森かが判断できなくなってしまったのだろうが、少し異様な光景だ。
俺達も森の外へ出よう。俺がそう考えた時には、既に何人かが森の外へと足を進めていた。皆の方が早く見つけていたのだから当然だろう。
ラスティアさん…というか、族長一家も歩きだしていたので、俺達も森の外へ出る。
森の外に全員が出そろう頃には、皆にも馬車の荷台についているプレートが見えるくらいの距離になっていた。馬車側からも俺達の事を見つけたらしく手を振ってきているので、腕を伸ばして手を振り返す。
三分ほどして、街道のすぐそこにまで歩いてきた俺達の前に、十台の馬車が停まった。
先頭の馬車から出てきたのは、やはり、リィヴさん。
「約束通り、迎えに来た。
―――歓迎しよう。私のソウヴォーダ商会を支える、新たな力になってくれ」




