第九話:完成と親子
薄く、薄く。
空気が纏まり、薄く引き延ばされていく様をイメージ。進行方向に当たる方向を刃の様に鋭くしていく。
この時に大事な事は、出来る限り精密に頭の中で組み立てる事、地球のニュースで見た衝撃波が空を飛ぶ映像、それをイメージするのが手っ取り早かった。
形は緩い弧を描くように、上から見たならきっと三日月のように見えるだろう。その向きを効果が分かりやすいように縦に変える。そのまま地面の岩へと狙いを定め、
「…ウインドカッター」
………今の時間はだいたい午後1時くらいだろうか?かなり熱くなってきている。しかし今の一撃はまわりにも風をまき散らしたため、少し涼しかった。そして、その結果。目の前に有った俺の腰ほどまでの高さのあった岩は見事に両断されていた。
「…よっしゃ」
試行錯誤を始めて早三時間。三分に一度は使っていただろうことから合計数は約六十…。考えてみればなかなか恐ろしい数字である。一時間ほど前には地面に30㎝程の切れ込みを入れられていたので、そこで止めても良かったのだが、自分が魔術なんて物を自在に使えることに心が躍り、ここまで続けてしまった。
さて、そろそろ目的地である森に向かうべきだろう。もう昼過ぎと言う事も考えれば、あまり時間に余裕もないだろう。とりあえず、今魔術の練習をしている岩場からも近い、おおよそ町から見れば西の方角に当たるであろう方向の森へと歩みを進める。森はかなり深そうに見えるので、森の奥に忌種…低位忌種?のゴブリン(日本でもゲームで有名だったあのゴブリンと同じだろうか?)がいると言う話から考えても大方正しいと思える。
「それじゃあ…少し、急ぎますか」
時間に余裕が持てるように、前世とは比べるべくもなく上がった身体能力を駆使しながら俺は森へと駆けた。
◇◇◇
冒険者ギルドロルナン支部、そこではその日の朝に起こったとある事件の収拾をつけ、その現況に対する折檻を終え、いつも通りの平穏な空気が流れ始めていた。
そんな中ギルド長室の中で話す人影が二つ。それはその部屋の主であるギルド長のガーベルト・エリアスと、その娘ミディリア・エリアスだった。
「う~、私は思うんだけど、お父さんは最近私に厳しすぎると思うんだよね…」
彼女の言い分はこうだ、
「いやさ?私って結構頑張ってると思うの。仕事だって積極的にやってる。今日は、まあ失敗だったと言わざるを得ないけど…」
「その失敗の大きさが問題なんだ。一時間も業務が滞ったのに、お咎め無しな筈が無いだろう?」
「でもでも今回は、タクミさんに武器を貸さなきゃいけなかったんだしさ?急いでたんだから仕方ないじゃん」
「ハア…思い出せよ我が娘。彼はそもそも全属性に適合した魔術士だぞ?武器など持っていなくても小人鬼程度、一捻りと言う物だ。少し指摘してやれば分かっただろうに」
相も変わらず行動が先走ってばかりだな…。と娘に対して口では咎めながらもどこか優しい瞳を向けるガーベルト。しかし、そんな彼の眼前、娘の顔はどこか固まっていた。
「………い、一応聞いておくけど、父さん、タクミさんにちゃんと武器、貸した?」
「?いや、彼なら問題ないと思って、全てお前ごと此処に運んだままだぞ。ほら、そこの壁に立てかけてあるだろう?」
その言葉を聞いたミディリアに衝撃が走る。
「ちょっ!?た、大変だよ父さん!!タクミさんは適性があるってだけで、魔術を使ったことなんて一回も無いんだよ!?そもそも戦いの場に出たことも無いような素人!初心者を裸一貫で忌種の討伐に向かわせるとかっ…!頭おかしいの!?」
「な、なにいっ!?タクミ君が魔術を使えないい!?そんなはずはないだろう?彼の年なら、いくらなんでも信仰している神を祀っている教会で自らの力を理解しているはず!それならば魔術の修行はいくらでも積むだろうし、一昨日の模擬戦闘!エリクスには勝てなかったが、あの身体能力を考えるに、これまでまともに戦ったことも無い等ありえないはず!そもそも戦いを経験していない人間のとるはずの無い行動ばかりだ、相手の懐に潜りこむ果敢さ、その上、咄嗟に剣を投げつけるなど、武器に執着しがちな初心者では到底真似できん!」
才能がある新人、高評価ではあるが、それでも一般の枠内に入ると思っていた少年に対する、矛盾とすら感じられるほどの違和感。それは、平和な世界で安穏とした生活を送り続けて来た彼の人格と、その後女神により授かった能力から来るものだったが、そんなことは分かるはずも無い。混乱したガーベルトに、いつの間にか娘ではなくギルド構成員としての立場へと…、受付嬢ではなく、冷静に、あるいは、冷酷に、事態への対処を行い続ける、仕事人としての姿を現したミディリア・エリアスが発言した。
「いえ、私にとってもあの身体能力は疑問ですが、彼はあのとき、到底剣など握ったことも無いようでした。構えがあまりにも安定していなかったので、それは間違いないはずです。その戦闘に対する対応力すら、彼の一種の才能ではないでしょうか?
しかし、今の問題はそんな事ではありません。彼は武器すら持たず、忌種の跋扈する森へと足を踏み入れた、その一点に尽きます。良いですかギルド長!私達が今行っているのは、将来守人へと至る可能性すら秘めた萌芽を成長させず、みすみす見殺しにしているのと同義です」
その言葉は厳しい視点からの物だったが、確かに正しい物だ。しかし、ここで一つの事実が浮かび上がってくる。
すなわち、
今より数時間前に森へと向かった卓克を今から追いかけて、果たして忌種と遭遇する前に彼に追いつくことができるのか、と言う純粋な時間の問題だ。
「…この後、他の冒険者に救出依頼を出す、などというやり方では遅すぎますし、その上こちらのミスをさらけ出すような物。エリクス達の様な個人的な付き合いがある相手に頼むにしたって、さすがに話を通すにしたって、やはり足りないのは時間でしょうね。しかしこのまま手をこまねいている訳にも行きません。とにかく誰か」
「いや、私が行くよ。彼も忌種の恐ろしさは知っているはず。戦った事が無いのなら慎重に行動しているだろうから、今私が動けばなんてことはない、すぐに連れ帰って来れるだろう。幸い、今日の仕事は大方片付けているんだ」
「いえ、いくらなんでもガーベルトギルド長が直々に動くことは」
自らの上司の突発的な行動を止めようとするミディリア。しかし、それに被せるようにしてガーベルトは言う。
「そもそも、これはギルド側で起こした失敗。我々が出来得る限り最善の選択をするべきだ、その方法が俺が出ることだと言うなら、何も間違ったことはあるまい?
それとも…この程度で俺が危険な目に遭うと思ったか?ミディリア」
「…はあい、分かった分かった。じゃ、行ってらっしゃい。父さん」
それは一つの家族の関係。二人きりでは大人になりきれない娘と、それを見守る偉大でありながらどこか不器用な父親の、どこにでもある、関係。
………ちなみに彼らが、こんなどこか心綻ぶ会話をしている中、救出対象である卓克はと言えば…。
「………う~ん、森の奥っていったい何処の事をさしてるんだろうか?もうかなり暗いし、相当奥に来たとは思うけれど、ゴブリンって感じの生き物はまだ見てないしなぁ…?」
彼らの思惑を外れ、彼は森の奥へ着々と踏み入れていた。
…但し、その戦力については、良い意味でも思惑を外していたのだが。
◇◇◇
…もう森の中に入ってから一時間以上は立っているのでは、と思うのだが、ゴブリンどころか生き物を一匹も見ていない。そもそも森も終わりが見えない。まあ、俺が入ってきた方向に振り返っても外は見えないので中心に近いかもしれないが。
いつゴブリンが出てくるかもわからないので慎重に進もうと思って走っていなかったわけだが、いい加減に時間が不安にもなってくる。やはり少し走って森の奥に行ってしまうべきだろうか?
『ゲァッ!ゲアァ!ギィィッ!』
…今の、端的に言って汚い声、まさかとは思うが『噂をすれば』と言うやつではなかろうか…?
そんな、現実に存在するフラグとも呼ばれる何かを感じていた俺は、少し奥にある茂みの奥に、何とも特徴的な濃い緑色の物体が動いたのを見た。
………ゲームと同じなら分かりやすい、なんて考えていたけれど、ここまで同じだとは思っていなかった。思っていなかったが、それならそれでいい。なにを倒すべきなのか、それが分かっているなら話は早い。
ただし、真正面から突貫なんてすれば死ぬのは確実だと思う。武器も防具も無い、魔術は使えても一種類の上、僅かではあっても集中していなければ発動しない。
ここまで来ればやることは決まる。陰に隠れて狙撃、言い方を変えれば暗殺。この森は隠れられる茂みも多い、あの茂みの向こうをもう少し見える場所にまで移動して様子を窺い、その上で行動を起こすことにしよう。
そこまで考えた俺は足音の立たぬように慎重に、茂みを迂回する形でゴブリンを観察できる場所を探し始めた。かなりの恐怖体験だ。何せ人を殺そうとする化け物に対して少しづつ近づいて行くのだから。だが、今さら帰れるはずもない。後方へも注意をしながら、一歩ずつ、前へ。
そんなことを繰り返して約十分。ようやく茂みの向こうを観察でき、更には身を隠す事も出来る都合のいい場所…とはいっても、ただのそこらに有るのと同じ茂みなのだが…へ辿り着いた。
そして、その茂みから顔をのぞかせ、ゴブリン達の様子をうかがい、
―――!?
そこにいたのは十数匹のゴブリンの群れ。ここは一種の集落なのか、茂みや木のうろの中にスペースを作り、その中に入って行く姿などが見える。茂みや体重のうろの中には何匹も入れるだろうと言う事を考慮すれば、その合計数はいかほどの事か。
ただ一つ言えるのは、少し間違って見つかっていれば、為すすべもなく死んでいただろうと言う事。
それを知覚した瞬間に体中から冷や汗が流れ始める。その姿、その蠢き、そして何より存在そのものに決して相入れる事の無いモノだと伝わってくるのは、やはり俺自身が既にこの世界に生きているからか。
…なんて、冷静に判断しているのは、現実味を感じられていない地球人としての俺もいるからかもしれない。
と、こんな事を考察したところで意味は無い。今はどうやってこの状況で見つからずに数体だけを倒すのかを考えるべきだろう。
『ゲキャアッ!』
ううん…さっきからゴブリンが騒いでる声が大きくて正直集中できない。 この場合は…!小石でも投げて、その音で警戒を誘うのなんて良いのではないだろうか?
『ギィィ!ゲキャキャキャァ!』
と言うわけで手ごろな石がないか周囲を捜索。しかしこの茂みの近くには無いようだ。ならば少々面倒だが少し離れた場所まで探すしかない。息をひそめて行動するのは相当に神経をすり減らしてしまう物だが、ここで座り込んでいても仕方がない。そう思い、とりあえず身体を後ろに向けると、腰の後ろ辺りにちょうどいい大きさの石が落ちていた。
「お?ラッキーだ。都合よく石が落ちているじゃないか」
その石を握って身体を起こそうと視線を上にあげると、
いまにも石斧をこちらに振りおろそうとしているゴブリンの姿。その数、なんと3匹。
「………なぁッ!!」
『グキャァッ!』
その存在に気付いたのとほとんどタイムラグなしで振り下ろされた石斧を、咄嗟に右方向へ転がりながら回避。そのまま走りぬけるも、大きく動いたせいで群れていたゴブリン達にも発見されてしまう。
「くそっ!」
どうやら考え込んでいるうちに後方への注意が途切れていたらしい。集落だとすれば、帰ってくるゴブリンだっているだろうに!なぜその発想が無かったんだ俺ぇ!
とにかく走る。追いつかれたら倒さないわけにもいかないし、しかしそんな事をすればその間に他のゴブリンにも追いつかれ、最後には包囲され、逃げ場をなくして殺されるだけ。
しかし、入って来た時も感じていたが、木々が並び立つ森と言うのは走りにくい。一つ一つの木々をよけながら走り、その上成れない俊足に感覚が追いつかず何度も転びそうになる。足元に茂みや木の根など障害物が多いこの森の中ではそれが顕著に表れる。
それでも止まれない。転んでしまったら追いつかれてしまうが、だからと言って速度を落として逃げ切れる程奴らも遅くない。このスピードなら奴らも振り切れる筈なのだ。そんな事を考えながら、時には眼前に現れる枝を屈んでかわし、太い木の根を飛び越える。時に鬱蒼とした茂みが現れれば、無理やり『ウインドカッター』をぶち込み掻い潜る。そしてまた目の前に現れた太い木をよけようと右へ方向転換して
『ズドッ!!』
その木に深々と突き刺さる斧を見て背筋を寒くしながらまた走るスピードを上げる。結局俺の事を追ってくるゴブリンの数は十匹いるかどうかという数。一匹ずつ倒そうという目論見は一体何処へ行ってしまったと言うのか。
その数分後、かなり遠くまで走った頃。奴らが少しづつ俺を包囲するような動きを見せ始めている事に気が付いた。ただの獣ではなくこちらを追い詰める狡猾な頭脳も持ち合わせている、と言う事だろう。だが、本来の俺の目的は一匹ずつ確実に奴らを仕留めること。つまり、
「お前らが勝手にバラけてくれるなら、俺にとっては何より好都合なんだよっ…!」
奴らは油断せず、こちらの事を遠くから包囲していっているのだが、それは一体一体の距離が更に広くなると言う事、もちろん、見晴らしのいい草原ならば事前に気付かれる程度の策でしかない、無いが、この森の中だからこそ、有効に働く策がある事に、気付く事ができた。だったらやるべきだ。それに、
「俺が目指してる立派な人間っていうのは、乗り越えるべき障害から、目を逸らしたりなんかしない。少なくとも、俺は、今までの俺自身を超えていかなければいけないんだ」
そう、少なくともそれだけは、何としても。いや、別に俺が知っている大人なんて両親くらいしかいない、という悲しい現実もあるが。
…あの両親に育てられて、どうしてこんなダメに育ったかなぁ…。
いや、今はもう考えるまい。今俺がすべきことは奴らを倒す事、そのために使えるのは即席で作った、実戦で未使用の魔術『ウインドカッター』と、さっき走り出した時から握り続けていた石。後は、せいぜい制御しきれない身体能力だけ。
だが、それこそ関係無い。実戦経験なんて端から皆無。今はどれだけ言葉を重ねても命を左右する逆境なのは確かな事で、それでもやると決めたから。
「そうだ、俺は、やる。奴らが本気で止めを刺しに来るより早く動いて、各個撃破を狙っていることがばれないうちに数を減らして、それで全員倒して万々歳だ………。
………よし!」
大雑把に計画を立て、自分の姿が木の陰に隠れるその一瞬、奴らの視界に入っていない事を確認し、おそらくは最も直線距離で近い左端のゴブリンのもとへ方向転換。全力で駆ける。相手が俺の策の通じる条件の中にいることを確認した俺は迷うことなく選択した。




