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しあわせひつじをふこうにするほうほう(上)

 昔々あるところに、小説家がおりました。

 その小説家は物語を作るのに7日間を費やしました。

 まず、1日かけてテーマを考えました。

 膨大な量の物語を作るには、こうした根本が重要になりますからね。

 次に、1日かけて物語のバックグラウンドを考えました。

 物語の中に出てくる宗教や政治、歴史、派閥、流行……考えることは山ほどありました。

 そして、2日かけて登場人物を考えました。

 考え出した登場人物はかなりの人数でしたので、すべてを考え出すにはそれはそれは手間取りました。登場人物一人一人の人生を、生まれてから死ぬまで、すべて考えました。

 さらに、1日かけて物語全体の大まかな流れ、起承転結を考えました。

 始まりのあるものには必ず終わりがある、なんて言いますからね。出だしから結末まで、小説家はきちんと構成を考えました。

 最後に、2日かけてこれらをまとめて、小説家は一つの物語を作り出しました。

 それは、とても壮大な物語でした。


 自分の書いた物語を読み終えた小説家は、首を捻りました。

 小説家の書いた物語は確かに壮大ではありましたが、面白味に欠けていたのでした。

 小説家は読み終えた物語をその場に放り捨て、新しく物語を書こうとしました。

 小説家は考えます。小説家は自分の生み出した物語の登場人物たちを心の底から愛していましたから、面白味に欠けていたとしてもそれらを変えるようなことはしたくありませんでした。なので、考えた末、結末だけを変えて、再び7日間で物語を作りました。


 自分の書いた物語を読み終えた小説家は、頭を抱えました。

 小説家の書いた物語は確かに壮大ではありましたが、物語はまたしても面白味に欠けていたのでした。

 ところで、彼は一匹の猫を飼っていました。上品な黒い毛並に青い空のような目をした猫です。猫というのは大概お喋りなものですけれど、この黒猫は他の猫に比べて、憎らしいくらい口が達者でした。

「オマエが1から10まで決めちまうから、つまらないんだって」

 猫は小説家に助言をします。

「せっかく登場人物がこれだけいるんだから、奴ら自身に物語を進ませればいい。始まりと終わりを決めてやれば、あとは勝手に物語を進めるさ」

 猫の言葉を受けて、小説家は物語をまた7日間かけて作りました。


 自分の書いた物語を読み終えた小説家は、頭を横に振りました。

 登場人物たちは戦い、争い、いがみ合い、殺し合い、彼が決めた結末が訪れる前に物語を終わらせてしまったのです。

「こういう物語は個人的に好きではあるけどな……まあ、それは置いといてだ。オマエは0か1しかないのかよ!」

 猫は小説家にツッコミを入れました。

「全部登場人物に丸投げしたら、そうなるのは目に見えてるだろうが!ちゃんと結末を迎えられるように、作者のオマエが適度にテコ入れしとけ!」

 話が違うと小説家は内心思いましたが、それを口には出しませんでした。余計なことを言ったら、きっと猫の爪で引っかかれてしまうでしょうからね。賢明な判断です。

 猫の言葉を受けて、小説家は物語をまた7日間かけて作りました。


 こうして小説家は何度も何度も物語を作り出し、読み終えて捨てるという行為を繰り返したのです。


 しかし、44番目の物語を書き始めて6日目の事でした。小説家は結末を考え出すことすらもどうしてもできなくなってしまいました。所謂、スランプという奴ですね。よくあることです。

 考えても考えても良い結末が思いつかず、小説家はすっかり困り果ててしまいました。これまで使った結末しか、どうしても頭に浮かばないのです。各地で火山が同時噴火、隕石または惑星の衝突、パンデミック、大戦、同時多発テロ……どれもこれも既に使った結末ばかり。

「なら、ちょっと気晴らしで、」

 黒猫が、珍しく小説家に同情して言いました。

「ちょっくら物語の中を覗いてこいよ。そしたら、分かるだろうさ」

「何が、分かるんだ?」

 小説家は訊ねました。

「登場人物たちの……内情って奴が」

 猫は答えました。


 小説家は考えました。

 今の自分には物語を終わらせる力はない。だから、猫の言う通り、少し息抜きをした方が良いのかもしれない。

 手元にある大量の原稿用紙を見て、小説家は決意しました。

 そして、小説家は物語の中へと、自ら足を踏み入れたのでした。




 ◇◇





 胃が引っくり返るような、頭がもげるような、そんな暴力的な感覚。すべてが掻き混ぜられ周囲を横切る。そして、次の瞬間には僕は固い地面に横たわっていた。夏の炎天下で熱せられたアスファルトから背中に熱が伝わって、息が詰まる。体勢をそのままに、周りに視線を巡らせれば、いわゆるロリータファッションの女の子たちが看板を手に必死に何か叫んでいる。それに声をかける男たちも総じて派手な身なりだ。ピンクや金などの髪色、カラーコンタクトなのか目の色も赤かったり青かったり……。賑やかな雑踏の真ん中に僕はやってきたらしかった。

 目がチカチカしていけない。重い腕を持ち上げて顔を覆う。倒れている僕を誰もがジロジロ見つつ、通り過ぎていく。写真でも撮っているのかシャッター音まで聞こえてきた。声をかけてくる者は、流石にいな、

「おやおや、竹下通りのど真ん中で昼寝とは。珍しい趣味の人もいたものだ」

 声をかけてくる者は、いた。

 女性の声が極近くに聞こえる。僅かに腕をずらせば、女性が僕の隣で屈みこんでこちらを覗いているのが見えた。白いYシャツに黒のスラックス、黒い長い髪に同じ色のエプロン、眼鏡の奥から覗く瞳はキラキラと輝いている。その眼鏡には華奢な鎖が繋がっていた。何故か腕には、僕の黒猫を抱えている。

「私の名前はソバエという。君は?」

 彼女が何事か話しかけてきた。しかし、意識が朦朧として何を聞かれているのやら、理解できない。ただ、彼女の頭上に視線を移せば、そこに広がる馬鹿みたいに青い空が鮮烈に目に焼き付いて、それがやたら印象的だった。

「そ、ら……?」

「ソラか。なるほど、良い名前だな」

 女性の声がまた聞こえる。何を言っているんだろうか。体が熱くて、意識も曖昧で。視界に広がる空と女性さえ揺れて見える。


 バシャッ


「う、あ……!?」

 突如、顔に冷たい水が降り注いだ。もちろん、雨ではない。口に入り込んだ雫が、僅かに甘く冷たく咽喉を滴る。

「起きたまえ」

 女性が言う。右手にはいつの間にやら150mlペットボトルがあった。傾けられていて、どうやら僕の顔には半分以上かけられたようだ。随分と乱暴な女性だと思う。しかし、今ので大分体も意識も楽になったことは否定できない。

「立てるかね?ここから少し歩くが、それでも構わなければ私の店で休むと良い」

 彼女の口元が弧を描き、手が差し伸べられる。乱暴だが、優しい。妙な話し方の、妙な女性。

 僕は体をゆっくりと起こして、その手を握った。

 白々しく照る太陽と、馬鹿みたいに青い空が、僕らを見下ろしていた。


 ※


 原宿、竹下通りの喧騒から少し横道に逸れていったところに目立たない店構えの小さな本屋があった。木造の建物と“古本屋”と書かれた看板は、流行からはあえて外れたレトロな雰囲気を醸し出している。

 カランカランと鐘が鳴る戸を開けて中に入れば、クーラーの涼しさと同時に、懐かしいようなかび臭いような香りが鼻を擽った。思ったより天井が高く、背丈の2倍ほどはあろうかという本棚が整然と並べられている。一つ一つの本棚には本がぎっしり詰まっていた。

「裏から色々取ってくるから、カウンターの椅子で座っていたまえ」

 ソバエは、狭い本棚の間を器用に縫い、奥にあるカウンターの方へ歩いていった。その更に奥には大きな柱時計が立っている。その脇には、引き戸があり彼女はそこに入って行った。

 僕は指示された通り、カウンターの椅子に座る。背もたれのある、一般的なパイプイスだ。

 さっき渡されたスポーツドリンクを口にすると、もう少し温くなっていた。

「どうだ。ご感想は?」

 いつの間にやら黒猫がカウンターの上に飛び乗っていた。少し暗めの店内と相まって、猫の瞳が怪しく光っているように見える。

「色んな人がいると思う」

「ありがちでつまらない感想だな。どうせならその色んな人とやらと話してみれば良いのに。せっかくオレが引き合わせてやったんだから、一先ずあの女と話すと良いさ」

 まあ、人選はテキトーだったけどな、と猫が呟いたのを聞き逃すほど僕は馬鹿ではない。ここで言い返してもテキトーに返されるだけだと分かっているので、とりあえず諍いにならないような言葉を返した。

「……人と何を話したら良いのか分からない」

「……」

 猫は無言のまま前足で僕の肩を二度叩いて、首をゆっくりと横に振った。そして、息をフッと吐く。どうやら笑ったようだ。どこか馬鹿にされたような気がするのは気のせいだろうか。

「その子が私を君の元へ連れてきたのだよ」

 後ろから声がして、ソバエが銀色のお盆を持って立っていた。菓子類や飲み物などが乗っている。

「にゃーご」

 いきなり猫が甘え声を出し始めた。あざとい。そして、白々しい。

「はいはい、君にはこれをあげよう」

 お盆に乗っていた浅い皿を床に置くと、ミルクをそこに注いだ。カウンターから降りた猫はそれをピチャピチャと舐める。ソバエはしゃがみ込んでその首元をカリカリと掻いた。

「この子、鳴きながら私の店の戸を引っ掻いていたんだよ。何事かと思って近づいたら走り出してね。付いて行ったら、人が倒れていたものだから、驚いたよ。それで、近くの自販機でそれを買って君に声をかけたんだ」

 それ、とは言わずもがな、先ほど僕の顔にかけられたスポーツドリンクのことだ。今は渇いてしまってベタベタしている。そんな僕にソバエは濡れタオルを差し出した。ありがたく受け取って顔を拭く。

「えーっと、どうも」

「気にすることはないよ。ただ、炎天下を歩くなら水分は適宜補給したまえ。でないと、さっきみたいに倒れてしまうからね」

 ガラスの容器からトクトクトクと音を立てて、麦茶がコップに注がれる。二つのカップにはそれぞれ赤い花と青い花の柄があしらわれている。赤い方がバラで、青い方はスミレだ。ガラスの容器を持つソバエの手にはいくつか絆創膏が巻かれていた。

「あ……」

「ん?」

「それ、怪我したのか?」

「え?ああ、これかね?本のページの端やブックカバー、他にはちょっとした作業のときなどにたまに切ってしまうんだ。傷は浅いから大したことはない」

 そう言うのを聞きながら、赤いカップを持つ指を見る。細くて白い、綺麗な指だと思った。

 時計に目を移すと、時刻は17:00に差し掛かるところだった。


 ※


「へえ、物語を書いているということは、ソラは小説家なのか。てっきり学生かと思ったが」

「ああ、まあ。けど、最近書いている物語の結末がどうしても思い浮かばなくて。少し気晴らししに外に」

「それで、君はあんなところで倒れていた、と」

 さっき猫にはあんなことを言ったが、ソバエと喋るうちに段々と話すことには慣れてきた。ソバエはどこからか作業用の脚立を持ってきて、その上に器用に座っている。時折、お盆の上にある煎餅を取り上げつつ僕と話をする。

 相変わらず不思議な口調ではあったが、彼女は概ね聞き上手だった。僕が言葉に詰まれば、彼女は僕を導くような言葉を示してくれるのだ。それが心地よく感じて、安心する。

 ちなみにいつの間にか僕の名前はソラということになっているらしかった。別にそれで会話に支障が出るわけではなかったし、後から否定して面倒なことになるのも嫌だったので、そのままソラで通している。

「物語というとジャンルはどのようなものを書いているんだね?」

「あー、何だろう?」

「色々あるだろう。SF、ジュブナイル、ゴシック、アクション、ミステリー、ロマンス、ナンセンス……」

 ソバエは、途中で“このジャンルだったらこんな作品がある”などと例も交えつつ、小説ジャンルを次々と上げていった。考えてみれば、今僕がいる物語は僕の44番目の物語になるわけだが、これまで捨ててきた43番目までの作品も含めて、自分の書いているものに関してジャンルを考えたことは一度もなかった。だがしかし、あえて今考えて、彼女に応えるとするなら、

「……群像劇、なのかな?」

「ほう、なるほど。群像劇ね」

 脚立の上で足が組み代わり、ソバエは眼鏡を少し押し上げた。

「群像劇なら、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』が有名なところかね。私の店によく入ってきて、よく売れる作品の一つだよ。学生が課題図書なんかで買っていく」

 彼女は脚立から体を捻って、近くにあった棚から帳簿のようなものを取り出して、言う。どうやら店の記録らしい。

「今結末に悩んでいるのも群像劇なんだろう?どんな感じの結末なんだ」

「すべてが終わる結末を考えている。各地で火山が同時噴火、隕石または惑星の衝突、パンデミック、大戦、同時多発テロ……」

「なるほど。世界が滅亡する結末というわけだ。それにしても、色々考えたんだな」

 考えた結果、すべてボツになったわけだが。そういう事情を知らない彼女は僕に尋ねる。

「ふむ、どういう世界が終わるんだ?世界といっても色んな世界があるだろうに」

 妙な質問だ。答えは決まっている。

「僕が愛している世界」

「は?」

「愛している人たちがいる、愛している世界だ」

 ソバエは呆気にとられたように口を開けている。分かってもらえなくても良い。これは僕の変わることのない唯一のものなのだから。誰に理解されずとも、届かずとも、これが僕の思いだから。それをきちんと始めて、終わらせるのが、僕の役目なのだから。

 しかし、ソバエは口を閉じて一度頷くと、僕に言った。

「そうか。自分の書いた物語を愛しすぎて、それを滅ぼすのが惜しいということか」

 彼女の言葉に、僕はまた導かれる。凛とした声がストンと僕の中に落ちる。そうなのかもしれない。ほしい言葉を彼女はくれる。

「私は物語を書いたことはないけれど、そういう感情はなかなか好感が持てるよ」

 そして、彼女は脚立から下りて、椅子に座る僕の目の前に屈んだ。僕の手を両手で握り、優しげな笑顔を浮かべている。

「これからも書き続けたまえ。私も君の物語の結末を見てみたい」


 ※


 ボーンボーンボーン……


「18:00か。時が過ぎるのは早いものだね」

「そうだな」

 もうこんな時間か。

「結末に悩んでいるという話だが、」

 あの後、実は話題はあちこち移ったのだが、ソバエはその間も僕の話の結末について考えていたようだった。

「ちょっと一つ思いついたんだ。少し待っていてくれないか?」

「ああ」

 ソバエは裏に行って、思ったよりもすぐに戻ってきた。手には小さなラジカセとカセットテープを持っている。

「確かB面……」

 独り言を呟きながら、テープをラジカセにセットして戻したり進めたりしている。そして、あるところでカチッという音と共に曲が流れ出した。ポップミュージックのようだ。

「私の好きな曲の一つでね。ラジオで録音したものだから、少し音は悪いが」

 改めて脚立の上に座り直した彼女はラジカセを抱えて、流れる曲とともに一緒に歌を口ずさんだ。澄んだ声が響く。声とノイズがアンバランスなのに、流れるような曲にはとても合っている。ギターとドラムが軽快なリズムを刻む。

 曲は終始軽快な調子だった。問題は歌詞である。

「“突然、空が落ちてきて、僕らの明日はひしゃげて消えた。示し合わせた言葉を探し、バイクミラーに目を凝らせ”……」

 歌い終わった彼女はラジカセを眺めながら言った。歌詞の一部、サビの部分だ。

「この曲を聞くたびに自分ならどうだろうと考えるんだ。もしも空が落ちてきて世界が滅びてしまう物語があって、もしもその物語の主人公が自分だったとしたら、どうだろう。少しワクワクしないかね?」

 顔を上げたソバエと目が合った瞬間、彼女は表情を少し歪めた。僕は一体どんな表情をしているのだろう。分からなかった。しかし、少なくとも僕は自分の中に僅かな昂揚を感じて、それが段々と急速的に高まっていくのを感じていた。空が落ちてくるなんて、今まで考えつきもしなかった。胸が高鳴る。呼吸が荒くなる。試したい。この物語にその結末をもたらしたら。

 僕は立ち上がった。足元で寝ていた猫が、目覚めて飛び退く。

「夕暮れの空が、落ちてくる……」

「……ソラ、どうした?」

 僕は立ち上がった。思い立ったらすぐに綴っておいた方が良い。ソバエに呼びかける。

「外に出よう、ソバエ」


 ボーンボーンボーン……


 柱時計の鐘が鳴る。時刻は19:00。

 ソバエの手を引いて、僕は走り出す。猫はその後に続く。本棚の間を縫って出口まで。体が軽い。さっきまで悩んでいたのが嘘みたいだ。


 そして、僕らは外へ出た。



 ※



 夕暮れの空が落ち始めていた。空気を焼き尽くすような轟音をたてて、すべてを破壊しつくすように。建物から何からすべてが崩れ去って、地面を抉る。

 人々の叫びが聞こえる。阿鼻叫喚が響き渡る。燃える炎が夕暮れの代わりにすべてを照らす。夏の暑さに拍車がかかる。焼け出された人々が転げまわる。あちこちで爆発が起こる。

「何だ……?これは……?」

 僕の隣でソバエが口を押えていた。眼鏡のレンズと彼女の瞳が落下してくる空を映す。

「結末。空を落としてみた」

「落としてみたって……」

 僕は答えた。やっと出した答えだ。

「こうして物語を綴れたのは、ソバエのおかげだ。ありがとう。あとは結末を迎えるだけだ」

 さっき彼女が握ってくれたように、僕も彼女の手を握る。強く固く。

「ああ、そうだ、ソバエ。お前、さっき言っていたよな?」

「え」


 “もしも空が落ちてきて世界が滅びてしまう物語があって、もしもその物語の主人公が自分だったとしたら、どうだろう。少しワクワクしないかね?”


「今からお前がこの物語の主人公だ。さあ、お前ならどうする?」

 この物語が終わるまで、まだ時間がある。結末に至るまで、この物語の登場人物が何を為すのか、あるいは為さないのか。興味があった。特に主人公となれば、物語の中核となる存在だ。

 僕もワクワクしていた。僕だけが綴ったのではない、彼ら自身が進めた物語を僕は見てみたい。読んでみたい。

「どう、して……?」

 しかし、口元を押さえたまま、ソバエはその場で頽れてしまった。気分でも悪いのだろうか。眼鏡の奥の目を覗けば、赤い炎を湛えて黒目が揺れていた。

 その間にも物語は終わりへと向かっている。

「ソバエ?大丈夫か?」

「どうして、」

 ソバエはまたそう言って僕に目を向ける。しかし、その目は僕を見ていなかった。

「どうしてこんなことをしたんだ……神様は」

 彼女の言葉が胸に刺さった。それくらい、彼女はとても苦しそうな顔をしていた。

「で、でも、お前は主人公になれたらワクワクするって言ってたろ?だから、」

「君がやったのか?これは、本当に君がやったのか?」

 愕然とした。やっと彼女の目が僕を映したかと思ったら、それは怯えや怖れを示していたのだ。古本屋の周囲はもうほとんど生きている人間もまともに立っている建物も残っていない。空はひび割れ、何もなくなった穴がぽっかりと開いている。

「僕は、」

 咽喉が渇いた。あのスポーツドリンクとお茶が懐かしい。

「僕は、結末まで書き上げたかっただけだ。君も僕の物語の結末を見てみたいって言ったろ?」

 彼女が好きな、空が落ちてくる歌をふと思い出す。



 突然、空が落ちてきて、僕らの明日はひしゃげて消えた。

 示し合わせた言葉を探し、バイクミラーに目を凝らせ。



「君は何を言っているんだね?私は、こんなことは望んでいない!こんな世界は望んでいない!」

 呆れかえったような声音がまた胸を突く。

「じゃ、じゃあ、ソバエは何を望むんだ?何を願うんだよ!?」

 登場人物が望む、物語の結末。小説家の立場では知りえない、彼らの内情。

 猫が最初に言っていた意味が分かった気がする。その当の猫は僕の傍らで我関せずと言った様子で、座って僕らを見ている。

「今からでも、まだ願えるのなら、」

 ソバエの声は震えていた。けれど、次の瞬間に僕を見上げた目は、強く光っていた。

「誰もが平和で、笑顔でいられる世界を」

 朽ちる世界の真ん中でソバエはそんなことを言う。やはり気分がすぐれないのか、蹲ったまま腹を押さえていた。

 しかし、すべてが崩れていく轟音の中でも、その声は凛と響いた。僕の耳朶を打つ。

「分かった」

 それならば、僕は書こう。45番目は、そういう話になるように。

 お前が望むなら。平和な物語を書こうじゃないか。


 真上に空の破片が迫っていた。

 彼女はそれを見上げる。




 ◇◇




 昔々あるところに、小説家がおりました。

 小説家はその物語を作るのに7日間を費やしました。


 自分の書いた44番目の物語を読み終えた小説家は、涙を流しました。

 小説家の書いた物語は確かに壮大ではありましたが、決して感動的でなわけではありませんでした。変ですね。だとしたら、何故彼は涙を流しているのでしょうか?

「どうだ。ご感想は?」

 黒猫は小説家に尋ねました。そして、もう一つ質問を付け足します。

「登場人物たちの内情、オマエに分かったか?」

「どうだろう」

 小説家は自分を嘲笑うように言いました。

「でも確実に分かったのは、僕の作る結末が何をもたらしていたのかということについて、僕自身がどれだけ無知だったのかってことだ」

 そうですね。それを知らずに彼は物語を作っては捨て、作っては捨て……それを繰り返してきたわけですからね。

「そうだな。オマエのような奴に生み出されて……。アイツらはまるで哀れな羊だ」

 まさに猫の言う通りでしょう。

「……でも、始まりがあるからには必ず終わらせなければならない。終わらない物語なんてないんだ」

「まあ、間違っちゃいないな」

 黒猫は小説家に言います。

「それなら、納得いくまで書き続けろ。それがオマエにできることだ。そうだろう?オレも腹を括ったから、オマエに付き合ってやる。オレもさ、オマエが作る物語の先を見てみたいんだ」

 小説家はその言葉に頷きました。そこにはもう涙はありませんでした。

 そして、誰もが平和で、笑顔でいられる世界を描くために。

 

 小説家は物語をまた7日間かけて作り始めました。








 小説家かみさま物語せかいをまた7日間かけて作り始めました。


『しあわせひつじをふこうにするほうほう(上)』あとがき→http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/187605/blogkey/967442/

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