No. 4:羊が〓Д◇★◆▽匹
2時間前
『こ……はと…【SF】制……対策いいいい……。本…の………ガッ………刻は23:59……。ただ……、よそ…時……の約2時…ま……、22……おおおぉま……。…………がお…み…な……民の……は、あ…保のた……い…し……シ……タ……へ避な………ガッ………。』
雨が降りしきる交差点を走りながら、俺はその放送を聞いた。
道の片隅で横たわっている完全にイカれたスピーカーから流れてる合成音声がノイズと雨音に混じって、今の時間と【SF:Sky falling】が始まる時間を告げようとしているらしかった。時刻がどうにか聞き取れただけ御の字だろうか。
数ヶ月前に【SF】がニュースになってから、東京は治安もへったくれもなくなり、誰も彼も、自分が生き残ろうと死に物狂いだった。あるいは、完全に諦めて死に場所を探すか薬でどっかにトんでいった。どこにも平和な場所なんぞなかったし、俺も含めて誰もが独善的になっていった。きっと他の地域も似たようなもんだろう。
夜雨の街に人はいない。いや、雨が降る前から人は大分少ないし、そもそもすべてが崩壊したこの場所を街と言って良いのかすら疑問だ。見上げた先で、錆びついた信号機が首を傾げている。
しかし、雨自体は有難かった。そこらへんに漂っている饐えた臭いも処理されない死体の臭いも硝煙の臭いもすべてまとめて流してくれる。
しばらく前に少年の死体から掻っ攫った拳銃を握りしめる。前の銃は妹のツユに渡してしまった。そのツユも今となってはあの少年と同じになってしまったのだけれど。
今の俺の生きる術はこの拳銃くらいしかなかった。少なくとも、それが今の俺の強さを示すためのものだった。
国が用意しているというシェルターに行く気もない。シェルターに避難していれば安全なんていう噂を聞いたがそんなものは到底信じられなかったからだ。信じない根拠も信じる根拠も実はない。本当に直感的な話だが、シェルターにしろ何にしろ、避難したところで逃げ道はないのだと俺は思っていた。しかし、犬死する気もなかった。
放送は何度も何度も相変わらず繰り返されている。
あと2時間。それが、この世界に空が落ちてくるまでに残された時間。けれど、そんなことはどうでも良かった。
俺は雨の中を走る。
※
1時間前
どれくらい走っただろうか。とにかく、俺は目的のものを見つけた。雨の中、不気味に佇む木造の建物。看板が掲げられ、“古本屋”と読める。俺の目的のものは、しかし、古本屋そのものではない。その中にいる人物である。本屋の戸は閉まっていて中はよく見えなかったが、明かりが揺らめいている。
少しだけ戸を開けてみると、カランと思いの外大きくベルが鳴ってしまった。自分が鳴らしたのにも関わらずギョッとする。少し遅れて、カビ臭いような懐かしいような、どこかで嗅いだような匂いがした。中にはクーラーがかかっているみたいで、少し肌寒い。
お店の中は本棚が所狭しと並べられていた。本屋なのだから、それが当然ではあるが、薄気味悪く感じた。棚と本棚の間は人一人が通れるくらい間が空いている。
「おやおや、今回はまた随分と物騒な顔したお客さんだね。まだ子供だというのに」
そして、その先にその人物はいた。店の奥にカウンターがあって、そこから眼鏡をかけた女がいてこっちを見ている。黒いエプロンをした、いかにも本屋さんという感じの女。少年という言い方に少しカチンと来る。もう13歳なんだから、そんな風に子供扱いしてほしくない。俺は立派な男だ。こうして銃を持って一人で生きているんだから。
「そんな入口に突っ立っていないで、遠慮せずここまで来たまえよ」
明かりはついているものの、どちらかというと薄暗い。女の言う通り奥まで入り込むつもりはない。俺は手に持っていた銃を構える。まっすぐ腕を伸ばして、銃を向ける。
「物騒なのは顔だけじゃないようだね。拳銃なんぞ構えて。私を殺す気なのかね?」
「そ、そうだ!」
女に目的を言い当てられてドキッとする。それにしても妙な話し方だ。
「俺は銃を持ってる!だから、お前より強い!だから、殺せる!」
もっとマシな脅し文句を考えていたはずなのに、すっかり忘れてしまった。格好悪い。けれど、俺は銃を持っている。女は持っていない。単純明快な力関係がここにはある。これが覆ることはないはずだ。
「坊や、自動式拳銃は初めてかね?」
女はそれでも笑っていた。よく見るとカウンターの上に黒い猫がいて眠っていた。
「本当に使いこなすつもりなら、使い方はわきまえていたまえ。そうでなければ、何事も自分の利するようにはならないものだ。持っているだけでは意味がない。その銃、スライドを引かなければ弾は撃てんよ」
女はこちらに長い指を差し向けた。俺は手の中の拳銃を見る。まともに拳銃を扱うのはこれが初めてだった。実を言えば、ツユに拳銃を渡す前は他の子供から物を盗るときに脅しに使っただけで実際に弾を撃ったことは一度もない。
「お、俺は、坊やじゃない!!」
このまま女のペースに乗せられるかと、俺は一歩前に出て、拳銃を構え直す。女は眼鏡を上げながら、俺の方を見つめる。
「では、君の名前を教えてはくれないか?」
「俺の名前は、アメ!お前を殺す人間の名前だ!覚えとけ!」
よし。今度は格好よく名乗れた。我ながら完璧だ。
「ふむ、アメか……。それはそれは、良い名だな。くれぐれも大切にしたまえ」
「な!?……い、良い名前なもんか!」
褒める理由が分からない。こっちは殺そうとして銃を構えているのに。
「私の名前は、ソバエと言う。言わずもがな、この古本屋の店主だ。どうかな?気になる本はあるかね?」
「は?」
呆気にとられてしまった。ここに来て、今更、本だって?馬鹿げている。
「お、お前分かってんのかよ!」
だから、困った。女は相変わらず笑顔で、けれど淡々とした感じで俺に話しかけてくる。昔、お母さんが他の友達のお母さんと一緒に井戸端会議をしていたときのノリと似ていた。おかしい。このソバエという女は、おかしい。
「俺は、お前を殺すんだぞ!」
「ほう、何故?」
「それで俺が強いことを証明するんだ!」
今度は怯まないで俺は宣言した。しかし、女は、ソバエも怯まずに返す。どこか嘲笑さえ含んで。
「なるほど、証明か。昔は死ぬ妹を見ているしかなかった自分が、今は妹を守れるくらい強いって?」
ボーン、ボーン、ボーン……
大きな音が鳴った。背筋が寒くなって、それが胃まで降りてくる。吐きそうだった。
何で、何で、この女、知ってるんだ。俺たちのことを何で。
「ああ、ちょうど23:00だ。そこの柱時計が鳴っただけさ」
ソバエさんは後ろを振り返って指さして笑う。そこには大きな柱時計が立っていた。
「何で知っているのかって顔だね、坊や」
「あ……あ……」
言葉にならない。泣き声にも似た情けない音が咽喉から這い出てくる。胃の冷たさも相まって、気分はとても悪い。
いつの間にか、ソバエは立ち上がっていた。黒いエプロンを揺らしながらこっちに近づいてくる。足元には黒猫もいて青い瞳がこちらを照らすように光っていた。
「原宿の裏路地で野宿をしていた君と妹を夜盗が襲った。しかし、子供だからそうそう金目のものなど持っていない。そう気づいた夜盗どもは、君のポケットから拳銃を見つけた。元は【SF】関連の闘争で亡くなった父上のものだ」
体が嫌でも震えた。泣けば良いのか笑えば良いのか。とにかく気が触れそうだった。あの裏路地のことを思い出す。
「そして、彼らは面白い遊びを思いついた。まずは、君を殴りつけて妹に拳銃を渡すように促した。脅された君は仕方なく妹に銃を渡した。夜盗どもは、また君に暴力を振るい、地面に押さえつけ、」
そして、彼らはツユに言った。
“その銃で自分の頭を撃ちぬけ。でなければ、兄の命はない”
「……や、めろ」
「君の幼い妹は小さな両手で一生懸命銃を握りしめた。泣きわめく妹は、しかし、兄を助けた。しっかりこめかみに銃口を宛てて、」
俺の目の前でソバエは屈みこんだ。眼鏡越しにこちらを見つめる目はさっきまでと大して変わらない。それを見た瞬間、俺の中で何かが急速に競り上がってきた。
「ズドーン」
「やめろよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ソバエの言葉が合図になった。俺は引き鉄を引いた。
ボーンボーンボーン……
「……」
柱時計が鳴った。ああ、そういえば【SF】が始まるのか。
痺れた腕を俺は下ろした。目の前にソバエが倒れている。打ち抜いたのは右の二の腕で、そこから大量に出血していた。ソバエのYシャツにも僅かに血が飛び散っている。
妹はどんな気持ちだったろうと考える。今の俺みたいな胃がムカムカするような気分だったのだろうか。硝煙の臭いが目に沁みるようで、俺はそれから目を背けるように外に目を向けた。
本当に空が落ちていた。驚かなかったと言ったら、嘘になる。空は空気を焼き尽くすような轟音をたてて、すべてを破壊しつくすように落ちる。建物から何からすべてが崩れ去って、地面を抉る。やはり地下シェルターとかそんなもので回避できるようなものではないのは明白だった。
「……ああ、これで何回目だったかは思い出せないが、やはり今回も痛かったかな」
俺は反射で背後に振り返りながら銃を構えた。血まみれの腕を押さえながら、ソバエがそこに確かに立っていた。少し痛そうに顔を顰めているが、概ね笑顔だ。
「さて、君はこの物語の主人公だ。さあ、世界を救ってみたまえ」
銃口の先にいるその女、ソバエは、まったくと言って良いほど動じていなかった。本棚に背を預けてどこまでも朗らかだ。俺は彼女から目を背けることができなかった。彼女の目には、落ちてくる真っ暗な空と辺りを照らす炎ばかりが映っている。
0:00。【SF】が始まって、恐らく数分といったところ。照る太陽は無いはずなのに、暑く、咽喉ばかりが渇く。唾液を飲み、俺は深呼吸をする。
「何でお前!!?」
「言ったろう。本当に使いこなすつもりなら、使い方はわきまえていたまえ。そうでなければ、何事も自分の利するようにはならないものだ」
訳が分からない。ちゃんと弾は当たった。それなのに。
やはり、この女は狂ってる。こんなに出血しているのに平然と笑っているだなんて。どうして、銃で体を撃たれて、笑っていられる?
「それに、何だ、主人公とか、何だそれ!物語の世界でもあるまいし!」
気付くと俺はそう言っていた。とにかく何か言わなければと思った。何かを言わなければ、落ちてくる空にしろ、この女にしろ、とにかく飲みこまれてしまう。それが心の底から怖いと思った。
「どうかな?案外、この世界は物語のようなものかもしれないよ」
「じゃ、じゃあ、物語ってことは書いた奴がいるんだろ?誰だよ!こんなクソみたいな話書いた奴!!神様か何か!?」
そうだとしたら、どうして神様は妹を殺したんだろう。
「それなら、神様を殺せばいい。こんな馬鹿みたいな話、さっさと終わらせて……!そしたら、そしたらっ……ツユも!!」
「そんな顔をするでないよ」
ソバエは、俺の質問には答えず、俺の頬を手で拭った。ヒンヤリとして滑らかで触られると気持ち良かった。うっかりそれにすがりそうになる。ハッとしてソバエの手を見ると明らかに濡れていた。
では、という微かな呟きを俺は聞いた。ソバエは神妙な表情でこちらを見る。茶化す様子は、もう微塵もなかった。さっきまでと同じなのは表情から想いまでは読み取れないということだけだ。
「この話を書いたのが私だとしたら君は私を殺すかね?」
俺はその問いに答えた。応えた。
※
1時間後
「クソみたいな話、ねえ」
古本屋から出た黒猫と女性はその光景を見て、しかし慌ても恐れもしなかった。ただ、黒猫の言葉が辺りに広まった。周囲の地面は大小様々な大きさの真っ黒な破片が刺さって地中深くまで抉られていた。破片すべてが黒色をしていた。彼女の古本屋以外の建物はすべて破片によって破壊しつくされているようだった。
「オレにとってはなかなか良い線いってるシナリオのうちの一つだったんだがな」
「そうだったかね?ちなみに、君は私が“殺される”度にそう言うね?」
「そうだったかねえ?ちなみに、ツユに殺されるパターンもあったな」
猫の言葉にソバエは苦笑する。
「ああ、撃たれるのも刺されるのも殴られるのも潰されるのも……どれもこれも痛いのだがね」
「撃たれるパターンがなかなか多いよな。これまで150000回くらいはそのパターンじゃないか?そのうちどれくらいがちゃんと急所に当たってるかは知らんが。数えてないしな」
足元で毛づくろいを始めた猫を、ソバエは見下ろす。
「……どうした?」
「いや、やはり“違う”のだろうか」
「“違う”なあ、全く」
猫ははっきりと応答する。
「何万回か前にも同じことを言ったような気がするが、オマエの綴る物語は、ただの茶番なんだよ。けどよ、ここまで繰り返したんだ。オレも腹を括った。今はオマエが“そう”なんだから、仕方ない。それに、オマエがそれで良いなら、オレは付き合ってやっても良い。永遠と繰り返そうじゃないか、このバカげたつまらない茶番をよ」
けれど、と猫はソバエを見上げる。猫に表情はなかったが、その台詞にソバエは感情を読み取っていた。
「“アイツ”がそれに納得するかはまた別の話だ」
猫は嘲笑っている。何を嘲笑っているのか。その真意までは彼女には読めなかった。
「何をするつもりかね、猫」
「何もしないつもりさ、アバズレ」
歌うような声音は何もない世界に響く。
「さあ、店の中に戻ろうぜ。次の物語を始めようじゃないか」
ソバエは猫に促され、店へと戻る。
古本屋の戸がカランカランとドアベルの音を響かせて、ゆっくりと閉じていくのに混じって、猫はそっと呟いた。目の前の女性に届けるわけではない言葉。しかし、それを楽しげな声音で。
「……さあ、羊を数えて、目を覚ませ」
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