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No.3:羊が○▼☆匹

 2時間前





『こちらは東京…【SF】制……対策委員会です。本日の【SF】予そ……刻は15:53です。ただいま、予想時刻の約2時…前、14:00とな……おります。……、避…がお済みでな……民の皆様は、安全…保のた……地い…指定……シェルターへ避難してください。繰り返します。……ちらは……』

 同じクラスの子が、バケツの水を私にかけて、私のランドセルの中から教科書とか参考書とか筆箱とかをばら撒いて走っていった。青いバケツの内側を睨みつけながら、私は放送を一人で聞いていた。

 学校近くの児童館にある古ぼけたスピーカーから流れてるザラザラした声が蝉の鳴き声に混じって、今の時間と【SF:Sky falling】が始まる時間を教えてくれている。

 頭にかぶったままだった水色のバケツを持ち上げて空を見上げると、この夏を真っ新な太陽と、大きな雲をぽっかり浮かべた青空が広がってた。髪の毛から足元の水たまりに雫が垂れてきて、そこに映った私の情けない顔と空がユラユラ揺れていた。今にも落ちてきそうな空だと私は思った。そして実際に、これから“この空がひび割れて、破片となって落ちてくる”らしい。それが【SF】と呼ばれるものなんだそうだ。ちょっと前からラジオのニュースで【SF】のことを放送しているし、パパやママ、先生たちも【SF】について良く話をしている。

 でも “空が落ちてくる”なんて、いつだったかママと一緒に解いた中学受験の国語の問題に出てたお話みたい。本当にこんな綺麗な空が落ちてくるんだとしたら、ちょっと素敵だと思う。

 今はお昼休みで、あと10分もしたら全校生徒と先生が一緒になって集団避難をすることになっている。けれど、気が進まない。こんな濡れた格好で行ったら、絶対に“どうしたの”って変な詮索をされる。面倒くさい。放って置いてほしい時に限って、大人はみんな構ってくる。

 放送は何度も何度も相変わらず繰り返されている。

 あと2時間。それが、この世界に空が落ちてくるまでに残された時間。不思議で素敵なことが起きるまでの時間。

 2時間もある。たくさん時間がある。

 先生は“みんなで避難しましょう”って言ってたけど、その“みんな”にはさっきのクラスの子もいるんだと思うと、とても腹が立った。ランドセルに濡れた荷物を全部詰めて、落ちていた帽子を被る。私は校庭とは逆の方向へ歩き出した。





 ※


 1時間前






 学校の裏門からこっそり抜けて、小さな公園のそばにやってきた。小さい頃はここでパパやママと遊んだっけ。そう思い出して、滑り台の上に登ってみた。昔は段差が大きくて階段を上るのが大変だったのに、今は楽々と上れる。高いところに立つと偉くなった気分だ。全部を見下ろすことができていい気分。濡れた体も、夏の暑さでもう渇いていた。

 そんな良い気分で景色を見渡していたら、近くに変わった建物を発見した。茶色い木の建物で、昔っぽい。社会の教科書で見たような感じの建物だ。あれは、何なんだろう。

 ランドセルをお腹に抱えて滑り台を滑り降りる。さっき見えた方向に走っていくと、確かにそこにさっき見かけた建物があった。けれど、近くで見ると思ったより大きくて不気味でちょっと怖い。入り口の引き戸は閉まっていて、傍には“古本屋”って書いてある板がかかってた。昔の本が売っているお店みたいだ。

 試しにちょっとだけ引き戸を開けてみると、カランと大きくベルが鳴って、自分が鳴らしたのにも関わらずギョッとした。少し遅れて、カビ臭いような懐かしいような匂いがした。中にはクーラーがかかっているみたいで、涼しい風がちょっと吹いてて気持ちいい。

 お店の中は本がたくさんあって本棚もいっぱいあった。本棚と本棚の間は人一人が通れるくらい間が空いている。見たこともないほど大きな本棚が高い天井をつくようで、そして、私を見下ろしているようであまり良い気分じゃなかった。

「おやおや、随分とかわいらしいお客さんが来たものだ」

 いきなり声が聞こえて、私の体は石のように固まった。ここは店なんだから、お店の人くらいはいるのが当然なのかもしれない。

 店の奥に眼鏡をかけた女の人がいて本棚の間からこっちを見ている。今いる入り口から奥までは大分距離があるように見える。

「そんな入口に突っ立っていないで、遠慮せずここまで来たまえよ」

 入り口だけでも怖いのに、中はさらに薄暗い。だから、中に入るのはもっと怖い。私は首を横に振った。外の蝉の鳴き声が大きくなった気がした。私は後ろに下がる。けれど、

「みゃーう」

「あ!」

 どこからともなく黒い猫がやってきて飛びついてきた。驚いている間に頭の上の帽子を取ってお店の奥に走っていく。本棚の間を縫って、カウンターの上に身軽な動きで飛び乗った。

「おやおや、これは申し訳ない。うちの猫は手癖が悪くてね」

 そう言うのに、お店の女の人はちっとも申し訳なさそうじゃない。猫も帽子をくわえたまま、こっちを見るだけ。

 “返して下さい”と言えれば良いのに、その一言が言えなかった。怖かったからだ。だから、このまま帰ろうとした。取りに行く勇気はないから、振り返って駆けだそうとする。

「逃げるのかね?」

 でも、後ろから女の人の大きな声がした。

「まあ、構わないよ。逃げたまえ。私は止めはしない」

 女の人の言葉で、学校のクラスメイトのことを思い出す。同じだった。何が同じなのか分からなかったけど、とにかく同じ。あの子たちの前だと、体が震えて息も早くなる。汗も出る。今もそうだ。

 けど、違った。何が違うのか分からなかったけど、とにかく違う。何でか分からないけど、私は逃げなかった。逃げられなかった。お店の中に振り返ると、女の人がこっちを見て笑っている。どうしようもなく帽子を返してほしい気持ちになった。

 だから、私は一歩、お店の中に向けて歩き出す。一歩、また一歩。そしたら、いつの間にか走っていて、女の人のところに着くころにはちょっと疲れてた。

 カウンターの上にはカラフルなお菓子がいくつか置いてある。他のところには色がないけど、カウンターの傍だけ色があってお祭りみたいな感じだった。

「か、返して、くださ、い」

「うむ、すまなかったな」 

 信じられないことに私は声を出していた。いつもだったら、こんな風には言えないのに。女の人は面白がるように返事をして、帽子を返してくれた。受け取って少しカウンターから下がる。白いブラウスに黒いエプロンで普通の本屋さんみたいな格好だ。黒い眼鏡は黒い鎖で繋がっている。女の人の膝の上には黒い猫が丸くなって座っていた。体を上下させて、気持ちよさそうに眠っている。

「さて、君の名前を教えてはくれないか?」

「えっと……ツユです」

 不思議だった。あまり人と話すのは得意じゃないけれど、一度、会話をすると話ができるようになるなんて。

「ふむ、ツユか……。それはそれは、良い名だな。くれぐれも大切にしたまえ」

「は、はい、ありがとうございます……」

 訊かれた勢いで応えてしまったけれど、どうしていきなりそんなことを訊くんだろう。それに、私の名前を聞いたとき、女の人は不思議そうに首を傾げていた。

「私の名前は、ソバエと言う。言わずもがな、この古本屋の店主だ。どうかな?気に入った本は見つかったかね?」

「え、」

 困った。ここまで走って来ただけだから、お店の本はよく見なかった。本のことはよく分からない。でも、ここにあるのは昔の本ばかりだろうし、難しいことが書いてあるのが多いんだろうなとは思った。

「分かり、ません。あまり、本、読まないから」

「ほう、ファンタジーやおとぎ話、絵本も読まないのかね?シンデレラや白雪姫、不思議の国のアリスというのは?」

 私は首を横に振った。もちろん読まない。だって、ファンタジーやおとぎ話、絵本は中学受験には役に立たないから家にはないし、学校でも勉強しなきゃいけないから。女の人が言う、しんでれらとしらゆきひめ?とかいうのは初めて聞く。

「読みません。でも国語の授業で、ちょっと読み、ます」

「そうか。それは……」


 ボーン、ボーン、ボーン……


 女の人、ソバエさんが何か言いかけたときに大きな音が鳴った。

「……!?」

「ああ、ちょうど15:00だ。そこの柱時計が鳴っただけさ」

 ソバエさんは後ろを指さして笑った。壁の色とほとんど同じ色で気付かなかったけど、そこにはとってもとっても大きな柱時計が立っていた。

 15:00。そう言われて、私はドキッとした。もうすぐだ。もうすぐ空が落ちてくる。

「君は地下に避難するのかね?」

「え?」

「まあ、構わないよ。避難したまえ」

 ソバエさんの言い方に私は少し首を傾げた。不思議だった。どうしてだろう。

「あの、ソバエさんは……?」

「ん?何だね?」

「避難、しないんですか?」

「避難してもしなくても空は落ちてきて世界は終わるのでね。そういうことになっているんだ」

 ソバエさんは笑っていた。何だかママに似ている笑顔だった。塾のテストの点数が悪かった時に“次頑張れば良いのよ”って言うときのあのテキトーな笑いに似ていた。

「まだ、分からない、です」

 さっきまで空が落ちてくるのを見たいと思ってたのに、私はそうソバエさんに言っていた。ソバエさんの顔を見ていると、何となくそう言いたくなったのだ。

「もしかしたら、その、空は落ちてこない、かも。それで、ホントは全部ウソでしたって」

「それは、無いのだよ。本当に空は落ちてくる。残念ながらね」

 どうして、そんなことを、そんな顔で言うんだろう。とっても自信ありげで声は楽しそうなソバエさんだったけれど、顔は悲しそうだった。何だか私も悲しくなった。

「……どうして、そんなこと言うんですか?」

「それが本当のことだからだよ」

「何で?落ちてこないかもしれないじゃないですか」

 ソバエさんは黙って私を見ていた。


 ボーンボーンボーン……


「えっ……?」

 柱時計が鳴った。低い音程で16回。

「もうそんな時間……?」

 私は店の出口に向かって、走り出した。さっきはソバエさんにあんな風に言ったけど、やっぱり心配だった。放送では【SF】は15:53に始まるって言ってたから、放送の通りなら、もう【SF】は始まってる。きっとみんなとっくに避難しているはず。だけど、胸がざわざわした。おかしな話だった。落ちてくる空で全部つぶれちゃえってさっきまで思っていたのに、今は空なんか落ちてきちゃダメって思ってる。

 本棚にぶつかりながら私は走る。出口がとても遠く感じた。どうか、神様お願い……。

「……」

 店の出口に着いたとき、私は外の景色を見た。見上げると、そこにはいくつかぽっかりと穴が開いていたり、ひびが割れていたりした。それで、大きな空の欠片がどんどん落ちてくる。本当に空が落ちてきていた。こんなに大きな音なのに、お店の中にいた時は何で気付かなかったんだろう。それにこれじゃ、地下に逃げてもきっと欠片にみんな潰されちゃう。

「君はこの物語の主人公だ。さあ、世界を救ってみたまえ」

 声に振り向くと、ソバエさんが腕を組んでお店の戸に寄りかかっていた。足元にさっきまで寝ていた黒猫がいて青い目でこちらを見つめている。空みたいな大きな目だ。

「物語の主人公……?」

「そうだよ。君は世界を救うべき存在だ」

 主人公ってお話の中心になる人のことだよね。けれど、これはお話じゃなくて、本当の事だ。今、空は落ちてきているし、それはもうウソじゃない。ホントのことになっちゃったから。ソバエさんが言う“主人公”っていうのは一体何だろう?比ゆなのかな?

 でも、もしホントにこれがお話で、もし私が主人公だったらどうだろう。私はどうしたら良いんだろう。“あなたがこのお話の主人公だったら、どうしますか?30字以内で書きなさい”なんていう問題が過去問にあったのを私は思い出していた。

 ソバエさんを見上げて、空があったところを見上げる。そして、またソバエさんを見た。どうしたら良いか、私は考える。


 “あなたがこのお話の主人公だったら、どうしますか?30字以内で書きなさい”


 胸がドキドキした。白い解答用紙に、黒いマス目が並んでこちらを睨む。あのテストの緊張感に似てる。時間はない。時間は、もうない。

 私はソバエさんの腕を掴んだ。

「一緒に、逃げましょう、ソバエさん!少しでも、長く生きられるように!」

 ソバエさんは目を丸くしている。そして、

「あっはははははははははははははははははははは!!!!!!」

 大きな声で笑った。黒猫も驚いたのか毛を逆立てて、唸っている。私も驚いた。驚いている間に掴んだ手をソバエさんに優しく外される。

「君は優しいのだね」

 息を整えて、ソバエさんは私に言った。

「まあ、構わないよ。君は逃げたまえ。私は止めはしない」





 ※


 1時間後






「今回は随分と贔屓したもんだな」

 古本屋から出た黒猫と女性はその光景を見て、しかし慌ても恐れもしなかった。ただ、黒猫の叫びが辺りに広まった。周囲の地面は大小様々な大きさの青や白の破片が刺さって地中深くまで抉られていた。破片すべてが昼の色、更に言えば、夏空の色をしていた。彼女の古本屋以外の建物はすべて破片によって破壊しつくされているようだった。

「珍しく入れ込んでいたみたいじゃないか」

「小さい子だったからね。可愛そうだろう?」

「なら、アイツの言う通り、一緒に逃げちまえば良かったんじゃないか?新しい結末が見られたかもしれないぜ?」

 猫の言葉にソバエは苦笑する。

「私が逃げられないことは、君がよく知っているだろう?」

「知ってるぜ。逃げないこともな」

 しかし、と猫は言いながらソバエの足元に絡みついた。足の周りを歩き回る。

「そういう贔屓の仕方じゃなかったぜ?らしくない」

「そうだったか?それなら次回からは気を付けるよ」

 ソバエはクスクスと笑って、喋る黒猫の言葉に応えた。古本屋の戸口に寄りかかり、空を見上げる。そこには、ただひたすら“何もない光景”が広がっていた。空も雲も太陽も星も月も何もかもそこにはなかった。かつて見上げた先にあったものはすべて、今は地面に落ちてしまっている。

「っつーか、良いんだよ。そういうのはさ」

「どういうことかね?」

「茶番はそろそろ終わりにしようぜってことだ、アバズレ。アンタのはさ、ぶっちゃけ“違う”んだよ」

 黒猫は吐き捨てた。

「主人公は、毎度名前が一緒で人物設定もクズ。シナリオはどうしようもない一辺倒。おまけに何百回と繰り返しても、結末はいつも同じ。オマエの綴る物語は薄っぺらいんだよ、何もかも」

 黒猫は見上げ、ソバエは見下ろす。両者の視線が交錯し、しかし何が起こるわけでもなかった。この世界はすでに終わっているのだから。

「良い。これは、そういう物語なのだから、それで構わないのだよ」

 ソバエはそう言って踵を返す。黒いヒールがアスファルトを踏む。

「さあ、猫、店の中に戻りたまえ。次の物語を始めようじゃないか」

 猫は渋々彼女の後に続く。古本屋の戸がカランカランとドアベルの音を響かせて、ゆっくりと閉じていった。


『No.3:羊が○▼☆匹』あとがき→http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/187605/blogkey/958816/

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