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No.1:羊が□×匹

2014/07/27 SFについては本文を参照してください。

 

 2時間前





『こちらは東京都【SF】制御対策委員会です。本日の【SF】予想時刻は18:57です。ただいま、予想時刻の約2時間前、17:00となっております。まだ避難がお済みでない住民の皆様は、安全確保のため地域指定地下シェルターへ避難してください。繰り返します。こちらは……』

 図書委員の仕事の一環で図書室で作業をしていた私の耳にもその放送は届いてきた。

 学校傍に設置されている真新しいスピーカーから無機質な合成音声が現在時刻と【SF:Skyスカイ fallingフォーリング】予想時刻を告げている。

 風でひらめいているクリーム色のカーテンを押さえて窓から空を見上げれば、この夏を照らしつくさんばかりの太陽と、気持ちいいくらいの青空が広がっている。とても、これから“この空がひび割れて、破片となって落ちてくる”とは信じられない。しかし、【SF】とはそういう現象なのだという。数ヶ月前にラジオのニュースで【SF】のことを初めて聞いた時には、まるでファンタジーのような、それこそSFみたいな話だと思っていたけれど。

 ニュースでの【SF】に関する報道はそれなりに社会現象になって、犯罪の増長や物品の買い占めによる品薄なんかにも繋がったし、私も生活面でそれなりに影響はあったように思うけれど、実際こうして避難やら何やらが始まってみても“空が落ちてくる”実感は湧かなかった。

 作業を終えてちょうど校門を出たところで、私は左腕の腕時計をそっと見た。文字盤にはところどころ桜の花模様が散りばめられていて、秒針が静かに時を刻んでいる。この前15歳の誕生日にお母さんが買ってくれたものだ。自分でひたすら悩んで選んで買ってもらったものなので、今こうして腕に巻かれていることが本当に嬉しい。私は時計のベルトの部分を擦りながら、ちょっとだけ笑った。

 まだあの白いスピーカーからは避難勧告の放送が繰り返しされている。

 あと2時間。それが、この世界に空が落ちてくるまでに残された時間。でもそんなことは気にならないくらい、私は幸せな時を過ごしていた。

 まだ時間はある。2時間もある。

 駅前の本屋にでも寄って、小説の一つでも買うとしよう。





 ※


 1時間前






 いきなり雲行きが怪しくなったと思ったらニワカ雨が降り出した。勢いは強まって、私は咄嗟に近くの古びた店に走り込んだ。入り際に、辛うじて視界の端に看板らしきものが見え、“古本屋”と書かれていた。

 カランカランと大きくドアベルが鳴って、自分が鳴らしたのにも関わらずギョッとした。少し遅れて、カビ臭いような懐かしいような匂いが鼻を掠める。いつも寄っている駅前の大型書店とは趣から何から大違いだ。

 店内は本がたくさん詰まった本棚がびっしりと並べられており、本棚と本棚の間は人が一人通るのもやっとという狭さだった。妙に閉塞感があって、でもその閉塞感は嫌いじゃない。元から本屋さんには良く行く上、自分で言うのもなんだけれど地域図書館や学校の図書館も常連だ。学生鞄からハンドタオルを取り出して、私は濡れた髪と眼鏡を拭った。

「おや、こんな時にお客とは珍しいな」

 いきなりそんな声を聞いた私は心臓が止まる思いだった。よくよく考えたらここはお店なのだから、誰も人がいないということ自体ありえない、せめて店員の一人くらいはいると気付くべきだった。

 店はかなり奥行きがあって本棚はそこまで続いていたけれど、その果てに小さな木製のカウンターがあった。そこに長い黒髪の眼鏡をかけた女性が座っていて、私の方を見ている。

「そんな入口に突っ立っていないで、遠慮せずここまで来たまえよ」

 私は恐る恐る彼女に近づいた。妙な話し方が少し気になったけれど、呼ばれた以上は近づかなければ失礼な気もしたのだ。

 近づくにはどうしても、狭い本棚の隙間を縫って行かなければならなかった。私が通った棚はちょうど歴史小説らしきものが集まっていて、日本のものから世界のもの、とある地域や時代、人物をピックアップしたものまで様々なものが目に飛び込んできた。他の本屋とはまた違った、独特の世界に迷い込んでいるかのような心地だ。学生鞄を体の前の部分で抱えつつ、足元にも気を配って歩くというのは随分大変なところではあったけれど、それでもどうにか本棚の隙間から這い出ると、そこにはある程度のスペースが空いていた。

 女性がいるカウンターの上には飴玉やロリポップなどを中心に駄菓子がいくつか置いてある。逆に言えば、それらの駄菓子のせいでカウンター一帯だけがやたらと色鮮やかに見えた。

「なるほど、なるほど、学生か」

 さっきの凛とした声が間近に聞こえて、私はハッと振り向く。上品そうな白いブラウスに黒いシンプルなデザインのエプロンと一般的な本屋さんのスタイルで、黒い縁の眼鏡は黒い鎖で繋がっている。入り口から見た時は気付かなかったけれど、女性の膝の上には黒い猫が丸くなって座っていた。細い体を上下させて、眠っているようだ。女性はカウンターに肘を乗せて組んだ手の上に顎をそっと乗せている。そして、小首を傾げるようにして私を見た。サラリと長めの黒髪が動くのを私は目で追った。

「さて、君の名前を教えてはくれないか?」

「え?えっと、ツユ、です」

「ふむ、ツユか……。それはそれは、良い名だな。くれぐれも大切にしたまえ」

「あ、はい。どうも……」

 訊かれた勢いで応えてしまったけれど、どうしていきなりそんなことを訊いたのだろう。妙な口調は相変わらずだったけれど、不快感を覚えるほどではない。むしろ、優しそうな笑顔が素敵だなあと私は思った。何だか安心感さえ覚える。

「私の名前は、ソバエと言う。言わずもがな、この古本屋の店主だ。どうかな?気に入った本は見つかったかね?」

「え、」

 困った。歴史小説のコーナーは確かに見たけれど、私はあまりそういった本は読まないから詳しいジャンルではない。だからと言って興味はないと言ってしまうのは、それはそれで失礼な気がした。

「えっと、魔女狩りの本、とか。面白そうかなって」

「ほう、歴史小説に興味があるとは、いまどきの若者にしては珍しいな。歴史的事実に基づいた想像は、歴史的事実それ自体よりもそれなりに読者の心惹くところがある。創造と事実、これらの価値が同等かそうでないかは別として、それを越えたところにあるのが歴史小説と言ったところだと私は思うのだが。まあ、いずれにせよ、なるほど、確かに面白い。君は非常に見る目を持っている」

「は、はあ。そうでしょうか?」

 あまり褒められている気がしない。確かに歴史の授業で中世の魔女狩りについては少し習ったけれど、所詮はその程度の知識しかない。

 けれど、ソバエさんの話で少し興味が出てきたし、どうせなら何か買って帰ろうか……


 ボーン、ボーン、ボーン……


「う、わ!?」

「ああ、ちょうど18:00だ。そんなに驚くでないよ。そこの柱時計が鳴っただけさ」

 ソバエさんは背後を指さして笑った。壁の色とほとんど同じ色で気付かなかったけれど、そこには天井に届かんばかりの大きな柱時計がそびえ立っていた。

 18:00。言われて慌てて自分の時計を見る。桜が散りばめられた時計は、ソバエさんの言う通りの時間を示していた。

「ソバエさん、マズいですよ!早く避難しないと、【SF】が始まっちゃいます!」

「知っているさ。世界が滅びるんだろう?」

 ソバエさんの言葉に私は少し驚いた。驚いて、思わず笑ってしまう。

「そんな、世界が滅びるなんて大げさですよ……ニュースでは地下シェルターに避難しておけば、空が落ちてきても安全だって」

「うん、そんな話だったな。私もラジオで聞いていたよ」

 しかし、早く避難しないと【SF】に巻き込まれるかもしれない。巻き込まれたが最後、空の破片に当たって死ぬか、崩れた建物の下敷きになって死ぬか。少なくともそれは避けたかった。

「だったら、早く避難しないと」 

「避難?」

 ソバエさんは笑った。その笑顔に私は背筋が凍る思いだった。だって、ソバエさんの笑顔はまるで嘲笑うようだったから。

「この世界のどこにも逃げ場なんかありゃしないさ。言ったろ?この世界は滅びるんだよ」

「どうして……」

 どうして、そんなことが言えるのだろう。しかもここまで自信を持って。

 近頃のニュースは【SF】の話題で持ちきりで、けれど地下に避難すれば安全だから政府が予算を組んでシェルターを作っているって。全部、ニュースで言ってたのに。ソバエさんはどうして笑うんだろう。

「どうしてって。私はこの世界のカミサマみたいなものだからね」

 さらっとそんなセリフを言われて理解に苦しむ。さっきからあまりにも話についていけない。

「す、すみません!失礼します!」

 怖くなった私は踵を返した。まだ、今から走ればシェルター避難に間に合うはずだ。転びそうになりながらも、さっき通り抜けた歴史小説の棚をすり抜け走る。途中で小説がバサバサと落ちる音がしたけれど、そんなことはもうどうでも良かった。そして、やっと戸口に差し掛かって、

「……え?」

 私はそこで立ち止まった。

 外は暗かった。でも遠くに近くに明かりが灯っている。綺麗な、まるで流星群のような。


 ボーンボーンボーン……


「ダメじゃないか。本は大切にしてくれたまえよ」

 ソバエさんがクスクスと笑う声。振り向けば、私の背後の本棚に背を預けて立っていた。肩には黒猫が乗っていて、こちらに神秘的な青い目を向けている。

「どう、して……さっき18:00になったばかりなのに」

 自分の腕時計に目を向ける。時計が19:00を指していた。つまり、もう【SF】が始まっている。空が落ち始めている。空気を焼き尽くすような轟音をたてて、すべてを破壊しつくすように。

「時が経つのは思いの外早いものだよ。1時間なんぞそれこそあっという間だろうに」

 ソバエさんは相変わらず、面白がっている様子でクスクス笑っている。

「何でそんな呑気なんですか!このままじゃ私たち死ぬんですよ!!」

 私は振り返って思わずそう怒鳴った。自分の頬が濡れているのに気付いて、けれど拭う暇もない。

「死にたくないなら、盲目的に決まった運命にすがるのはやめたまえ。見苦しい。せめて、足掻きたまえよ。そして、抗いたまえ」

 涙で歪んだ視界で表情までは見えなかったけれど、私はソバエさんの声を聞いた。

「君はこの物語の主人公なのだから。さあ、世界を救ってみたまえ」

 そして私は、




 ※


 1時間後






「まーた、全部白紙かよ」

 古本屋から出た黒猫と女性はその光景を見て、しかし慌ても恐れもしなかった。

 周囲の地面は大小様々な大きさの黒い破片が刺さって地中深くまで抉られていた。破片には小さく光る欠片が混じっているものもあれば、くすんだ色をしているものもあった。破片すべてが夜の色をしていた。彼女の古本屋以外の建物はすべて破片によって破壊しつくされているようだった。

「そうだな。また本当に何もなくなってしまったな、呆気なく。まあ、あの子は結局怯えるばかりで何もしなかったから、必然的にこういう結末になったのだろうが」

 女性、ソバエは見渡しながらクスクスと笑って、足元で喋る黒猫の言葉に応えた。古本屋の戸口に寄りかかり、空を見上げる。そこには、ただひたすら“何もない光景”が広がっていた。空も雲も太陽も星も月も何もかもそこにはなかった。かつて見上げた先にあったものはすべて、今は地面に落ちてしまっている。

「おいおい、これ何回目だ?」

「私は数えてないから知らないな。でも、まだ3ケタはいっていないんじゃないかね?神のみぞ知るというところだと私は思うが?」

「割と笑えねえ冗談だな、まったくよ。こんなにしてまで神様アバズレは何したいんだかな?」

 呆れかえる黒猫をしり目に、ソバエは呟く。

「……本当に救われないねえ」

 その目には“何もない光景”を映していた。


「No.1:羊が□×匹」あとがき→http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/187605/blogkey/954277/

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