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Deus ex machina:ハンプティ=ダンプティの塀の下で

「夢の終わりにオマエに少し話をしよう。テキトーに聞き流すか、耳を傾けて聴くかはオマエ次第だ。好きにしろ」


「さて、人間ってのは、簡単に嘘を吐く。他人にも吐くし、自分にも吐く。そうすることで、自分が納得いくような舞台を整えて、自分を演じて踊り、時に他人にも演じさせる。そんな見るに堪えない舞台あるいは物語を書き重ねていく生き物なのさ」



「……他人を陥れるばかりじゃない?他人のために吐く優しい嘘もある?それで救われることもある?まあ、そうだろう。そういうこともあるな。全くないとは言わないぜ。けれど、嘘を吐いているっていう事実は同じだ。そうだろ?それは認めろよ。長々と嘘物語を書き連ねて、到達した幸福なんざ、それこそオレにとっちゃ吐き気がするがね」



「おいおい、勘違いするなよ?あくまで、“オレにとっては”ってだけだ。嘘の幸福、嘘の平和、別にそれらを否定しようってんじゃない。ただ、そういうものがあるって知っておけって話だ。すべての人間は、どこまでも不完全だ。不完全が故にそれを否定したくて、嘘を吐く。逆にそれが真実を歪めていると知っていても尚、上から重ねて吐き続けることさえある」



「オマエが書いていた物語が不安定だったのは何故だか分かるか?物語が完全でなかったのは、みんながみんな笑顔でいられず、みんながみんな幸せでいられなかったのは何故だと思う?どいつもこいつもオマエが描いた真実塗れの眩しい世界に嘘を吐きながら、血反吐を吐き散らしながら、重たい命を引き摺ってでも必死に生きようとしていたからなんだぜ?」




 ◇◇



 天井が見えた。目を閉じたのは覚えている。そして、夢を見た。随分と長い夢で、随分と懐かしい夢。そして随分と滑稽な夢。

 しかし、いつから自分の目が開いていたのか、自分で判然としなかった。ただ、相変わらず部屋のクーラーは風を吹かせていたし、それに対して床一面の原稿用紙は揺れていた。そして相変わらず、僕は床に横になっていて、猫はそんな僕を青い瞳で見下ろしていたのだった。馬鹿みたいに青い瞳だ。

「にゃーう」

「……全く」

 目の前の猫の顔が小憎らしく見えた。あの小賢しい猫のように言葉を発さないだけましかとも思うが、それでもやっぱりあの猫のことを思い出してしまうのはあまり良い気分じゃない。

 思い出さなければいけないことを思い出した。

 それだけだというのに。何とも、

「独善的な話、だな」

「にゃ」

 返事をするように鳴く猫の頭を指先で少し小突いてやった。

 上半身を起こすと、不思議と体が軽くなったように感じた。あれほどだった頭痛も全くなくなり、むしろ頭はクリアですらある。

 足元に散らばる原稿用紙の中、インクで書かれたソバエの名前が視界に入る。そこにちょうどさっき捨てたペットボトルが転がっていて僅かに原稿を濡らしていた。僕は一瞬だけそれを目に留め、すぐに目を逸らして立ち上がった。クーラーの冷たさによる気だるさを振り払って一歩踏み出す。そのまま、原稿用紙を踏みながら玄関まで進み、そのドアノブを捻った。

「……」

「あれ?まーた外に出ようとしてたのか、病人どの」

 友人だった。お気楽な顔をこちらに向けて、またビニール袋をいくつか掲げている。

 突然の友人の登場に僕は驚かなかった。予想をしていた展開が、予想通りに来て拍子抜けはしていたが、それだけだ。以前同じことがあったから、というのはその予想の理由ではない。

 恐らくそういう設定になっているのだろうと思ったからだ。

「休んでろっつったろうに。お騒がせな野郎だな。支援物資を搬入したいので、ちょっとそこ通してくれませんかね~?」

 おちゃらけた笑顔で友人はそう言ったが、僕は退かなかった。退くつもりはなかったし、もはやその必要性はなかったからだ。

「……えーっと?どうした?やっぱ顔色悪いぞ?」

「お前、僕の名前は知っているか?」

「はあ?」

 彼にしてみれば突飛な質問だったろう。しかし、彼は即答する。

「ソラだろ。何だ?いよいよ名前まで忘れたか?」

 ソラ。かつてソバエに呼ばれた名前。

 答えを聞いて、僕は確信する。その上で、再び彼を見る。

「じゃあ、お前の名前は?」

「お、俺?あーあ、友人の名前も忘れるなんて薄情な奴だぜ」

「確かに僕は薄情な奴だな」

 すべて分かって質問をしているのだから。

「良いから答えろよ」

「……」

 目の前の男はハッとした表情で固まった。僕が冗談を言っているわけではないと気付いたらしい。

 男は僕の問いに応えようと口を開く。しかし、すぐ口を噤んだ。言葉は出なかった。

 無言で目を泳がせて、考えている。自分の名前を、だ。

「うん、それで良いんだ」

 男のことを少し気の毒に感じた。しかし、仕方がない。

「この物語は、初めからそういう物語だからそれで良いんだ。お前は名前を設定されていない。必要がなかったから。ただ僕の友人として、記憶を失って錯乱した僕を看病していれば良いだけだった」



 別に無理に全部思い出すことはねえと思う。記憶飛ばすほどショックなことがあったんなら、忘れたままの方がむしろ良いかもしれないしな。



 かつて友人が僕に言ったこの言葉に嘘はないはずだ。本当に僕を思っての言葉だったろう。きっとそういう人物設定で、それがこの物語での彼の役割だったのだから。

 それを考えれば、東京の梅雨明けあたりに僕と交わした会話というのも嘘ではないと言える。

「彼女が、ソバエが、いない世界なんていらない。消えてしまえ……」

「え?」

 彼女の願いを聞いた結果、僕は自分の重荷を手放して、忘れてこの物語へとやってきた。その後、僕も恐らくその設定に引き摺られたのだろう。僕は友人であると設定された男に連絡を取り、その台詞を吐いた。清々しいくらいの独り善がりだ。この物語を書いたであろう彼女もきっと驚くくらいの独善性だ。

「悪かった、巻き込んで。だけど、僕はもう出かけるよ」

 僕は友人に声をかけた。半開きだったドアを押し開ける。

「お、おいおい、まだ万全じゃないだろう。部屋にいろって。またカレー作ってやるから無理するなよ、な?」

 友人は言葉で僕を止めつつも、ドアが開くのを止めようとはしなかった。

「ありがとう。でも、もう大丈夫だ。心配かけて悪かった。ありがとう」

 僕はそんな友人思いの男に言葉をかけた。

「大家さんや“みんな”にも伝えておいてくれよ」

「おい、ソラ、」

 最後の声を振り切って、僕は一歩外に出た。



 ◇◇



 外に出た瞬間、すべてが霧散した。友人も、支援物資も、あのアパートの部屋も、デスクも、椅子も、あの水玉模様のカーテンも、白々しく照る太陽と馬鹿みたいに青い空ももうない。ひたすら何もない空間が360度広がっている。

「にゃー」

 ただ目の前にはあの黒猫がいて、どこか得意げに僕を見上げていた。

「お前は本当にあのお喋り猫にそっくりだな」

「なうなう」

 僕の足にすり寄って、八の字を描くようにグルグルと周囲を回る。

 そして何周かして満足したのか、先程消えた友人と同じように跡形も残さず消えてしまった。結局、空間には僕一人になってしまった。

 しかしその代わりに、頭上から何かがはらりはらりと落ちてきた。辺り一面にそれは降り注ぎ、地面を埋め尽くす。落ちてくるそれは真っ白に見えるが、その一つ一つにはインクで文字が綴ってある。一枚拾い上げて確認すれば、それは原稿用紙だ。インクの掠れ具合や文章から判断するにこれは、

「これは76番目の116枚目だ……」

 原稿用紙はアパートの部屋にあったものとは違うが、それでも見慣れた字面で書かれていた。こうして一枚眺めている間にも、次から次へとそれらは落ちてきて、辺りを埋め尽くしていく。まるで海のようだ。

 もう一枚拾いあげる。最初の行を見て僕は思わず笑ってしまった。

「14番目の52枚目か」

 相当悩みながら書いたらしく、ところどころインクが滲んでいる。

「こっちは21番目の42541126枚目」

 端が少し破れてしまっているもの、皺が入っているもの、誤字脱字があるもの、ホワイトで修正した後があるもの、インクが擦れてしまったもの……。どれも同じサイズの原稿用紙であるはずなのに、多様な表情を見せている。

「これは48番目421538838518454251578549枚目、こっちは55番目75125236522185144521枚目、32番目2枚目、62番目1245枚目、90番目の57414453454枚目……」

 頭上から落ちてくるそれらを僕は必死にかき集めた。カサカサと紙同士が擦れる。懐かしさに自然と笑みが零れた。今手に抱えているものは一度は捨てたもののはずなのに、一枚一枚が懐かしく、ずっしりとした重みを感じる。

 一枚一枚の原稿用紙に目を通して、順番に床に置いていった。僕は時間をかけて原稿用紙を拾い、物語ごとにまとめていく。

 こうして目の前に98の物語が並んだ。整然と並んだそれは、いっそ荘厳でさえある。僕はそれらを前に立ち、見渡した。どれも書き終えた証にfin.と綴ってあったが、98番目だけにはそれがない。

「僕は確かに薄情な奴だけど、物語は最後までちゃんと書き上げたいんだ。書き上げるべきなんだ。だから、今から書いてくる」

 薄情で、どこまでも救われない、馬鹿な奴。

 98番目の原稿を手に取って、床に残った97の物語を見、言葉をかける。もちろん、目の前にあるのは原稿用紙だ。紙が物を言うわけではない。応えはない。

 しかし、それでもこうして言葉にしておきたかった。言葉に残しておきたかった。

「だから、それまでは……」

 それまでは、どうか……。

 これは言葉にせずに、ただ願う。神が紙に願うだなんて、馬鹿げたダジャレだ。まして、紙が何かを叶えられるわけでもない。

 けれど、それで良かった。



 きっと、これは、救われない者が願う物語ものがたりなのだから。

『Deus ex machina:ハンプティ=ダンプティの塀の下で』あとがき。→http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/187605/blogkey/971099/

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