最終章
奇妙な絵
その日、各新聞やテレビは、世界中で目撃された未確認飛行物体(UFO)の話と、同時に世界中で発見された行方不明者達の話を、大きく取り扱った。そのほとんどは、UFOを宇宙人と結び付け、様々な憶測を流した。
不思議なことに、発見されたほとんどの人に、行方不明だった時の記憶がなく、みんな夢を見ているようだと語っていた。
その中の何人かは、帆船を見たとか、大蜘蛛に襲われたとか口にしてはいた。しかし、警察関係者はもちろん、マスコミの中でもそれが取り上げられることは、ほとんどなかった。
多量の行方不明者を発見、救助したことになって、木崎部長刑事は一躍有名になっていた。そのベテラン刑事がまずやったことは、京子と彩香をそれぞれの家庭に送り届け、一晩中帰さなかった非礼を、それぞれの家族に詫びたことだった。
ただし、彼は二人が今話題になっている事件に関わっているとは、一言も口にすることはなかった。また、彼女達のことを報じた記事も、一行もなかった。
そんなわけで、事情をまったく知らない京子の母などは、懇切丁寧に頭を下げる木崎に、逆に恐縮し切った。彼女は、自分の娘が人様の役に立つとは、思わなかったと驚いていた。そして、こんな娘で良かったら、いつでも使って下さいと胸を叩いて、娘の冷やかなヒンシュクを買っていた。
高野の家では、フキが激しく警察を非難したが、彩香はもちろん、透にすら、老人の心配症だとして、軽く受け流されてしまった。
さすがに、京子も彩香も疲れ果てて、その日は学校を休むと、一日中眠り続けた。
「婆やったら、怒って帰っちゃったのね‥‥‥」
翌々日の朝、ようやく目覚めた彩香は、食事の支度がまったくないキッチンを眺めて、そう呟いた。
死ぬほど心配した彩香自身にまで、心配症だとあしらわれて、フキは腹を立てて、岩倉の家に戻ってしまったのだった。
もっとも、本当は、彩香の無事な姿を見て、腰が抜けて何もできなくなってしまったことが、大きな理由だった。そのことを、もちろん透は彩香に言うつもりはなかった。
彩香がアトリエにはいると、既に出勤用に着替えた透が、新しく描いた画布を見つめていた。
「もう、目が覚めたのか?」
「ええ‥‥‥」
振り返らずに、彩香にそう言った透の背中にもたれるように、彩香は小さく頷いた。
「これが、あの絵なの?」
「ああ、ずいぶん、変な絵になっちゃった‥‥‥」
「失敗作?」
「そうかも知れないけど、結構気に入っているんだがなァー」
そんなことを言いながら、二人は画布の絵を見つめた。
それは、赤と黒を中心とした奇妙な空を背景に、古代の剣を膝に置いた少女が窓辺に座って、遠くを見つめている構図だった。
窓辺に座る少女の、現代的な軽い感じのワンピース姿と、その膝に置かれた古代の宝剣が、奇妙にアンバランスな感じがした。しかも、彼女の視線の先には、大きな帆船の前半分が宙に浮かぶようにして、描かれていた。
「こりゃ、シュール・レアリムスか、SFアートの世界だな‥‥‥」
「でも、私は好きよ」
そう言って、彩香は透の首に抱きついた。
「先生、ありがとう‥‥‥」
耳元で、彩香にそうささやかれた透の顔は、たちまち湯でタコのように真っ赤に染まり、慌てて彼女の体を自分から引き離した。
「いかん、このままでは遅刻する。彩香も、行くのなら早く着替えなさい!」
下手な照れ隠しでそう言うと、透はアトリエを出て行った。
彩香は少し残念だと思ったが、それでも何か嬉しくて、自分の両手で自分を抱きしめた。
やがて、再び絵に視線を戻すと、本当に済まなそうに呟いた。
「御免なさいね、鬼蜘蛛さん。今度、必ずお詫びするから‥‥‥」
その絵に、手近かなシーツをかぶせた彩香は、アトリエを後にした。
その時、彩香は絵の中の少女の胸のブローチを軽く指で弾いた。すると、その蜘蛛の形をしたブローチが、まるで生きているように細かく震えた。
盧沙那
黒いロールスロイス製のリムジンが、静かに校門を離れ、彩香は軽やかな足取りで、学校の中に消えた。
「会長、おはよう!」
「早いね、会長!」
元気な運動部の生徒達が、早朝練習をしながら彩香に手を振り、彩香も笑顔で応えた。
透に急かされるように出て来たものの、まだ始業時間にはだいぶ間があった。しかし、昨日丸一日眠っていた彩香は、時間ギリギリまで寝ている気にはなれなかった。
人影のまばらな校内を通り抜け、自分の教室に入っても、先に来ていた生徒は、一人だけだった。
「おはよう。早いわね、京子さん」
窓枠に行儀悪く腰をかけた京子は、いつもと同じようにリンゴをかじっていた。このリンゴは、京子の精神安定剤を兼ねていた。
「あんたもね、彩香」
「目が覚めてしまって。あなたもでしょう?」
「昨日、一日中寝ていたからな‥‥‥」
そう言いながら、京子は、彩香の表情を観察していた。
彩香は、薄い唇の端で笑うと、鞄の中から自分の生徒手帳を取り出した。
「あなたがご覧になりたいのは、これでしょう?」
京子が手渡された手帳の表紙の裏には、間の抜けた男の顔写真が挟んであった。
「彩香、何の冗談だ?いまさら、叔父様の写真なんか、見たくもないよ!」
「その、裏をご覧なさい」
言われた京子は、叔父の写真を手帳の表紙から抜いてみた。すると、その下にもう一枚、別の写真が入っていた。
それは、セピア色をした白黒の写真だった。よほど古いものを、修正して複写したもののようだった。
「これは?」
「私の母です‥‥‥」
京子は、息を飲んだ。これまで彼女は、彩香の両親のことについては、ほとんど聞いたことがなかった。
古い写真には、髪を二本の三つ編みにまとめた、若い娘の顔が写っていた。背景はハッキリしなかったが、どこかの山の上のようだった。
その娘の顔は、言われてみれば彩香に良く似てはいたが、彩香に比べて顔の全体に彫りが深く、目がきつかった。そして、外国人であることは、一目でわかった。
「チベット高原の奥の村で、巫をしていたそうです‥‥‥」
彩香の説明に、京子は写真を見ているのが、何か悪いような気がして、何気なく裏を返した。
そこには、『盧沙那・壱拾七歳』と書かれていた。それも、写真の複写のようだった。
「盧沙那?」
「ルシャナ、母の名前です。それは、父の字だそうです」
二人の間に沈黙が流れ、窓の外から運動部の歓声が聞こえた。
京子は、丁寧に写真を手帳に挟むと、叔父の間抜け顔を表にして彩香に返した。
「それで、このお母さんは?」
「あの世に行きました」
彩香の言葉に、京子は明らかに狼狽した。この間の経験から、彼女はそれを、素直に死んだと解釈することが、出来なかった。
そんな京子の心を見透かすように、彩香は京子の隣りに来ると、窓枠に肘をついて、空を見上げた。
「それは、あの世で、何かしているってこと?」
言葉を選ぶのに苦労しながら、京子が何を言いたいのか、もちろん彩香には良くわかっていた。
彩香は、目を細めて微笑んでいた。そんな、彼女の表情が理解できない京子は、再びリンゴを喰わえた。
「母は、もう一つの世界、天界にいます」
「ふーん」
「そこで、神様の手伝いをしているはずです」
危うく、京子はリンゴのかけらを、喉に詰まらせるところだった。
むせ返った京子は、なんとか落ち着くと、もう一度彩香の顔を見直したが、その表情から、それが冗談でないことは明らかだった。
「ということは、あの時、剣やら船やらを出して、助けてくれたの、そのお母さんなんだ!?」
「そうかも、知れませんわね」
「なるほど、出来の悪い娘を持つと、どこの親も苦労するわけか‥‥‥」
自分のことは棚に上げた、京子の勝手な決めつけに、彩香の感情が敏感に反応した。
「あら、なぜですの?」
「お前に、神様の手伝いが出来ると思うか?冗談じゃない、バチが当たるのがオチだろう!?」
それは、京子の宣戦布告の合図だった。
先日の奇妙な体験の清算を済まさないと、京子はどうも落ち着かない感じがしていたのだ。そして、それは、彩香にしても同じだった。
思えば、二人が早朝の学校で、二人だけで顔を会わせたのも、このためだったのかも知れない。
エピローグ
京子と彩香の後から、教室に入って来た男子生徒は、その入口で足を止めた。
窓際で睨み合う二人の間に、青白い火花が、小さな蛇のようにチロチロと、のたうっていた。それは、彩香と机を並べる彼にしてみれば、見誤りようのない現象だった。
「どうしたんだ、早く入れよ?」
彼と一緒に来た男子生徒の声に、その生徒は慌てて乱暴に戸を閉めると叫んだ。
「入るな!会長と副会長が睨み合っている!!」
二人の男子生徒は、同時に鞄を取り落とすと、叫んだ。
「せんせーいッ!」
二人の生徒が、廊下を駆け出して行った時、その背後で爆発音と、ガラスの割れる音が響いた。
続々と登校してきた生徒達も、校庭などでその異変を知った。彩香と京子のいる三階の教室から、爆発音と共に、黒雲のような煙が沸き出したのだ。
「何だ?火事か!?」
「いや、また会長と、副会長だ!」
「本当かよ、まいったな、これで一時限は潰れるかな?」
煙を見上げながら、生徒達は勝手なことを言っていた。いまさら、驚くようでは、この学校の生徒はやっていられなかったのだ。
「高野先生!大変です、荒神さんと柳さんが!!」
彩香のクラスの男子生徒は、そう叫びながら職員室に駆け込んだ。だが、彼らの無作法を咎めるはずの教師達の姿は、そこにはなかった。
生徒達が驚いたことに、そこにいるべき教師達は、全員が身を乗り出すようにして、職員室の窓に群がっていた。
ただ一人、窓を見ずに自分の席に座っていたのは、生徒が呼びに来た美術講師の高野だけだった。
「何で来たのかは、わかっているよ。いささか、遅かったがネ」
「どうしたんです?」
生徒は、その異様な光景に驚いて、自分達が駆け込んで来た用件も忘れて、透に尋ねた。
「外を、見てごらん‥‥‥」
そう言われて、顔を見合わせた二人の生徒は、教師達の背後からその背によじ登るようにして、窓の外を覗いた。
「彩香!今日という今日は、きっちり決着つけるからね!!」
そう叫ぶ京子は、校庭に現われた巨大なガマ蛙の頭の上に立っていた。
そして、京子に指差された彩香は、これも同じく校庭にトグロを巻いている、巨大な蛇の頭上に立っていた。
「そのお言葉、そっくりお返ししますわ、京子さん!」
青白い炎を吐き出す蛇の頭は、四階建て校舎の屋上を越えていた。また、その背中のイボイボから白い煙を上げているガマ蛙の頭も、三階の高さに届いていた。
睨み合う蛇と蛙。校庭で見上げる生徒達の中には、どっちが勝つかといった無責任な賭けをする者もいた。また、彩香派と京子派に分かれて応援合戦を繰り返す、良くわからない男子生徒のグループ達もあった。
校長の机の電話が鳴ったが、誰も出ないので、仕方無しに透が受話器を掴んだ。
「はい、聖麗高校。えッ、巨大な蛇と蛙?ああ、学校行事の一環でして、ええ、ハリボテです。えッ、生きている?いや、良く出来ていますでしょう‥‥‥は?頭上に生徒が?さァ、そんなはずはありませんが‥‥‥いえ、もちろん大丈夫です。それでは‥‥‥」
ほとんど、無理矢理に電話を切った透だったが、受話器をおいた瞬間から、またベルがなった。
「はい、聖麗高校。いえ、怪獣ではありません。ええ、ご心配なく‥‥‥」
そうして、透が次々にかかる電話の応対に追われていると、ついに校庭では彩香と京子が衝突した。
京子の気合いと、生徒の歓声が、校庭を揺るがした。飛び上がった彩香と京子が、空中で衝突すると、激しい電光が走り、爆音が響いた。
巻添えを喰って、校庭の生徒達が、次々と宙に舞い、悲鳴と歓声がこだました。
華々しい外の格闘と、鳴り響く電話を見比べて、とうとう透は受話器を投げ出した。そして、椅子の上の座布団を取ると、電話の上にかぶせて、音を消した。彼は、その座布団の上に自分の頭を乗せた。
外では、京子が蛇の頭に、彩香が蛙の頭にと、攻守立場を入れ換えて、第2ラウンドを始めようとしていた。大きく一つアクビをした透は、徹夜で絵を仕上げた疲れから、間もなく安らかな寝息を立て始めた。
校庭と校舎から、ひときわ大きな歓声と悲鳴が沸き起こったが、透の眠りを妨げることはなかった。
『生徒会長荒神彩香、副会長柳京子。朝のホームルームを中止させた件で、教頭より説諭。一般生徒の被害がなく、設備の被害も軽微。さらに、本人達の反省の色、大につき、特に処分せずと、教頭より報告有り。校内平常。すべて世はこともなし‥‥‥』
この日の、この学校の校長の日誌には、こう記されていた。
FIN
どうも長いお話にお話にお付き合いいただきまして、ありがとうございます。実はこの彩香を主人公とした短編(あくまで、この作品に比べてですが)、がまだ2編ほどあります。もし皆様の御希望があれば、是非こちらのサイトへ掲載したいと思いますので、宜しく御評価・御感想の程、お願い致します。また他の作品や、こちらには掲載できないアニメやマンガの評論や感想については、前書きでも述べました通りHINAKAが主宰していますホーム・ページ『あんのん〈http://ryuproj.com/cweb/site/aonow〉』とブログ〈http://blog.so-net.ne.jp/aonow/〉にも色々とありますので、宜しければそちらの方も御覧いただければ、これに勝る喜びはありません。それでは、御高覧どうもありがとうございました!




