第11話 友よひとたびの別れを
作文:けん
時に、系歴百二十七年五月上旬。
ハワイ奪還作戦を間近に控えた海条学園の生徒達は、ただならぬ緊張と、不思議な高揚感の中、学校生活を送っていた。
1. 〜或る副長と補欠~
「そんなに気を遣わなくても良いのに」
氷の入ったビニール袋を頭にのせ、レイナが苦笑いした。ナチュラルな茶色の髪は寝癖が直されておらず、うす灰色の寝巻きがくたびれていた。レイナの目の前にはお見舞いの品である栄養ドリンクと、三個パック詰めのプリンが置かれている。
「しんぱいですっ」
レイナを正面に見つめている小さな丸顔の少女が、その頬を膨らませた。彼女の名を、宮内奈津子という。
「せんぱい、めったに休まないのにっ」
奈津子はそう続けた。
「そう、皆勤賞だったんだけどなー」
レイナは笑って、氷嚢を頭から下ろした。手ぐしで数回髪の毛を直して、頭を軽く振る。
「まあ、こればっかりは体調のことだから。仕方ないよ」
「仕方なくないですっ!」
すぐに奈津子が反論した。また頬を膨らませている。
「せんぱい、選抜からもはずされたじゃないですかっ」
レイナはそれを聞いて、少し微笑んだ。
「私にできることは、あなたにもできる。心配ないよ」
「できませんよっ」
奈津子はレイナと会話するというより、憧れの人の代わりを務める自分を納得させることで精一杯のようだった。
「わたしは、どんなにがんばっても、レイナさんには、なれないんです」
「わたしを選んでくれた、香奈さんの期待には、こたえられません」
奈津子は拳を握り、言うべきことを全て言い切った様子であった。それを見たレイナは、その姿があることに重なり、少し面白おかしくも捉えていた。
「ナツ、私と同じこと言ってる」
レイナは、事の面白さに頭痛を一時忘れ、微笑み、奈津子の肩を優しく叩くのだった。それは、前へ進もうとする彼女を、支えるかのように。
そして、自らを後退させようとする何者かの力を、正面から受け止めるかのように。
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2. 〜或る戦術長と通信士〜
放課後の海条学園。山崎将は、『通信電探科』の教室を訪れていた。
「どうしたのでーす?」
幼馴染の突然の訪問に、二学年責任者の松崎佑莉は驚いた。この学校において、常任顧問の次に威張れるのが戦術科である。戦術科の生徒が放課後にわざわざ他の科を訪れる機会は少なく、気の優しいことで知られる将でさえ、この教室に入るのは初めてだったのだ。
「ちょっと、話があるんだ。外に出ない?」
そう言って、将は海がある方を指差す。佑莉には、この幼馴染の行動が解せなかった。
二人が、海岸沿いの堤防に腰を掛けたのは、ほんの数分後のことだ。
「で、結局、何の用なのでーす?」
佑莉は、訝しげにそう切り出した。今日の山崎将は、なんだか、いつもより『暗い』。何か不安があるのだろうか。
というのも、海条学園にとって敵地での戦いというのは初めてのことであるのだ。保護者の許可を得、参加することを決めた生徒の中には、こういった生徒も少なくない。
「最近、変なんだ。……悠平が」
少し予想外であった将の言葉に、佑莉はややドキッとした。
「ゆうが、どうかしたのです?」
佑莉は慎重に、言葉を選んだ。
自らの恋心を、幼馴染に対する長年来の恋心を、この目の前の『もう一人の幼馴染』に悟られまいとする為である。
「悠平は、固執しすぎてる。一つの事に」
佑莉の頭に、一瞬香奈の姿が浮かんだ。しかし、『一人の人』でなく『一つの事』と言い放った将に、僅かの希望を見出すことはできた。
将は、話を続けた。
「去年、悠平と再会した時。そして、軍事演習大会で共に戦った時。学校生活を一年共にした間、小学生の頃の悠平と、その時の悠平、変わりはなかった」
ゆうのことなら誰よりも知ってる。その自信があった佑莉には、将の言いたいことが徐々に分かってきた。
「興味さえあれば、何事にも、取り組んでた、です」
「そう。それが例え、これまでの自分を否定するようなアイデアだったとしても、新しい発明には、目を輝かせていた」
将の言いたいことは分かる。しかし、それを何故私に言うのかという部分においては、佑莉はまだ解せなかった。
「今の悠平は、固執している。翼のない、空飛ぶ戦艦に」
「戦艦が空を飛ぶ理由はいくらでもあるのに、そして、それが最も正しいやり方なのに、否定しているんだ」
『今の悠平は、固執している。叶うはずのない、香奈さんへの恋に』
『香奈さんに断られる理由はいくらでもあるのに、そして、それが最も確率の高い返答なのに、否定しているんだ』
将の言葉に込められた真意に対する、佑莉にとっての『正しい』答えは、これだった。
いや、正しいというより、むしろ、『都合のいい』答えと言うべきなのだろうか。いずれにしても、これが、この二人の会話にあった意味を求める上では、一つの答えであったのだ。
『何が言いたいのです?』
佑莉は、夕方の短い間で渦巻いたこの疑問を、かなり強引に、そして傲慢に、解ききったのだ。
「これだけ愚痴を言えるのは、この学校では佑莉だけだ」
最後に将はこうまとめた。そして礼を言った。滅多にない幼馴染の姿に、佑莉は導き出した答えを当てはめることができた。
「小学生の頃、悠平には好きな人がいなかった」
将は最後にそう付け加えた。一種のヒントとも取れるこの言葉は、佑莉にとって、理解の範囲をこえた公式を導き出した時のような快感を与えた。
私は、ゆうのことが好きだ。
佑莉は、そのことを再確認した。しかし、彼女の心の内にある、折笠悠平が杉谷香奈を愛しているという事実が、恋心を落胆へと傾けようとしている。それも感じた。
「将は、好きな人、いるのですか?」
反撃を試みた佑莉。しかし、彼は何も言わずに、校舎への帰路につく。
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3. ~機関長、艦長、そして謎の少女~
「君のレポートには目を通しておいた。この技術・この作戦の科学的意義、そして、オプション事項も理解した」
かの二人と、ほとんど時を同じくして、折笠悠平は、八神ちひろの元を訪れていた。常任顧問が普段仕事をする部屋は、他の非常勤とは分けられており、この学校の長たる事を示しているようである。
「君のレポートは素晴らしかったよ」
八神はそう前置きをする。
「だが、私がひとつだけ苦言を呈するとしたら――」
そう言って彼女は、『最もリスクの高い事項』として、悠平の示した新たな戦艦飛行技術を挙げた。
「これはあまりにも危険だとは思わないかね」
そう言って、八神は悠平のレポートを差し出す。
『重力使役反転装置 試作初号機 OS-1α』
「――確かに、危険だとは思います」
悠平は自らのレポート用紙を見つめて、おぼろげな視線のまま、それでいてしっかりと返答した。
「しかし、これを武蔵に積んで行く価値は充分にあると考えています」
悠平は、その真っ直ぐな視線を八神に向けた。
「その気持ちもわからなくはない。だが、私は君に問いたいことがある――」
「なぜ、空中戦艦に拘るのかね」
八神は、顔の前に手を組み、やや上目に折笠の顔を見つめた。
悠平には、すぐには答えを挙げることが出来なかった。そして、自らの頭脳をなんとかして回転させ、答えをしぼりだした。
『スエズ運河』
二年生にもなると、一般教養を習う科目も種類が増える。悠平もその例外ではなかった。
「かつて英国は、最も重要な植民地であるインドの権益を守る為、インドへの最短経路であるスエズ運河に拘ったと聞きます」
なぜならば。
「船舶は、空を飛べないからです」
習ったばかりの世界史の知識を多いに活用した悠平に、八神は軽く笑った。しかしそれは決して、嘲るような笑いではなかった。感心の念があった。
「デジャヴだな。昔、私には、君のような戦友がいた」
八神の目が、やや遠くを見る。
「名は、ルドという。科学者だった」
「――ヨーロッパの方、ですか?」
少なくとも、日本や三笠の名前ではない。悠平はそう思った。
「ドイツ系の火星移民人だ。君のような、自分の信念は決して曲げない男だった」
「今ではもう、マルツの人間。つまり我々の敵だ……」
八神がそこまで言った時、突然、部屋のインターホンが鳴った。
「おっと。そうだそうだ。今日の本題はこっちだったか」
八神によってリモートコントロールのスイッチが押されると、扉が開く。
「失礼します! 桜尾学園一学年生徒、有原ユイです!」
そこには、黒髪の女子生徒が立っていた。目は優しくもあり、それでいて力強くしっかりとしている。身長は悠平よりも少し低い程度で、長い髪の毛は下ろしたままだ。
「……神崎七海です」
その隣には、水色の美しい髪をした少女が、視線を宙に浮かせたまま立っていた。
しかし悠平は、その水色の少女に視線を向けることをしない。なぜならば、その隣の女子生徒に見覚えがあったからだ。
使役、飛行……
少し間が空き、ユイが悠平の存在に気づくと、彼女は苦笑いした。
「こんなの聞いてないよ……。明日香、お願いっ」
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4. 〜Rebuilding〜
系歴128年。
将の都合も考えず悠平は、香奈を垣間見るために三年生教室の前を通った。その後コンクールの打ち合わせをして、不思議な詩と出会った。
悠平は真広とコーヒーを飲み、夢について語った。
悠平は将とB校舎へ出かけた。そこで、ハワイ奪還作戦が発表された。八神と出会った。
悠平は辛い夢を見た。
香奈のピアノを聞きながら、設計図を書いた。試作した新装置をミナに見せた。ちょっと危険みたいだけど、自信作だ。
香奈のお父さんが帰ってきた。スキヤキを食べた後、マルツとの開戦について、話を聞きに、護衛艦やまとを見に行った。
選抜メンバーが発表された。1・2年生と3年生は分けられていた。桜尾学園から、有原ユイという生徒が転校してくるらしい。
八神先生にレポートを見せた。『何故空中戦艦に拘るのか』との問いに、世界史の知識で対応した。ちょっぴり褒めてもらえた気がする。先生には、ルドという戦友がいるようだ。
すると突然、部屋のインターホンが鳴った。
「おっと。そうだそうだ。今日の本題はこっちだったか」
八神によってリモートコントロールのスイッチが押されると、扉が開いた。
「失礼します! 桜尾学園一学年生徒、有原ユイです!」
そこには、見知らぬ黒髪の女子生徒が立っていた。目は優しくもあり、それでいて力強くしっかりとしている。身長は悠平よりも少し低い程度で、長い髪の毛は下ろしたままだ。
「……神崎七海です」
その隣にはこれまた見知らぬ、水色の美しい髪をした少女が、視線を宙に浮かせたまま立っていた。
「神崎?」
悠平が第一に気になったのは、当然水色の少女だ。髪型もそうだが、何よりもその氏名が、である。
この問いに、八神ちひろは、思い出したように答えた。
「七海は、神崎レイナの家に住まうことになった。もう一人、私の紹介でフレイという女の子も神崎家に、だ」
そう言って、『神崎七海』『神崎フレイ』の二人が、海条学園に編入したことを八神は伝えた。
悠平は七海を見た。七海も、宙に浮いていた視線を少しだけ悠平に向けた。少し沈黙が走った。放課後の学校にある独特の騒ついた雰囲気が、部屋の空気を圧する。
「――彼女は、……神崎七海さんは、A校舎ですか? Bですか?」
静かに沈黙を破った悠平。
「Aだ」「彼女が?」
八神の返答に、振り返ることもなく疑問を跳ね返した悠平。そうだ、と八神は表情ひとつ変えずに言った。
悠平は七海に、自分に近い何かを、ほんの少しだけ感じていた。根拠もなく、前例もない、まさに妙と言うべき感情であったのだ。
「折笠への頼みは、艦内設備の案内だ。七海も有原も、武蔵に乗るのは初めてだからな」
折笠はそれを聞き、七海とユイとの両方を、交互に見た。そして今度は、ユイに視線を向けた。
――香奈?
有原ユイは黒髪セミロングで、同じ黒髪とはいえ、ポニーテールの香奈とは長さが遥かに違った。しかしその目に少し、香奈に似ているところがあったのだ。
「えっ、と……折笠君。だよね、よろしく」
ユイが手を差し出した。
悠平もそれに答えて手を差し出す。
「よろしく。有原さん、一年生だよね?」
握手を交わしながら、ユイは自らが一年生であることを返答。
「敬語は、必要ないか?」
確認するように悠平が言うと、ユイは悩むように顔をしかめて、
「私が敬語じゃなくても良いなら、かな」
と答え、
「よそよそしいのはあんまり好きじゃなくて」
と続けた。
「ああ、そうね」
悠平は慣れっこだった。そもそも、自分が香奈に敬語を使わないからだ。一つや二つの学年の差なら、言葉遣いに気を使う必要はないと考えていた。
「作戦日まで時間がない。出発の前でも構わないから、案内をよろしく頼むよ」
八神は悠平に再度頼みこんだ。
悠平は、振り返って少し頷き、敬礼の姿勢をとった。
「了解! 折笠悠平、艦内紹介の任につきます!」
それを聞いた八神が、「好きだねぇ、それ」と笑う。
「私も、好きかな。それ」
ユイは、頬を赤らめて微笑んだ。
――有原さんって、ちょっとだけ、可愛いな。
香奈の去った後の事を計算しつつ、そんな自分に嫌悪も少し抱きつつ。それでも、折笠悠平は、楽しそうであった。
つづく
ありがとうございました。
次回も、よろしくお願いします。
次回:11.0