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6-現



「誰も――いないよ」

 わたしはそう言う自分の声がとても震えていたので、自身が今どれだけ怯えているのかを知った。

「いるよ――ほらそこの机」

 香苗は先程からずっと一点を指差している。

 暗い闇に浮かぶ一つの机。いや浮かんでいるわけじゃない。ただそこに在るのがぼんやりと見えるだけだ。光量の違いなどない。他の机だってぼんやりとは見えている。

 しかし。

 香苗が指を指すだけで、わたしの目にはその机だけが特別となったのだ。

「や、やめてよ――何もない、何も――“いない”」

 わたしは後ずさる。後ずさったと思っていたが、体は実のところ一ミリ足りとも動いてなかった。

 怪談はもう一つあると言った香苗は、その後この学校に伝わる“幽霊の話”を語った。

 いわく、数十年前“この教室”に在籍していた生徒が一人亡くなったらしい。その生徒は常習的ないじめ行為に耐えきれなくなり自殺したのだそうだ。

 そして事件は生徒の死後に起きた。

 この教室で、その亡くなった生徒を見たと言う人間が何人も現れたのである。亡くなった生徒は自分の机に座り、黙々と何かを見ていたらしい。何かするわけではない。ただ黙って、何も言わず、何も語らず、そこに“いた”だけだと言う。

 それでも――いやむしろその方が怖いとわたしは思う。恨み言を言われた方がマシだ。

 言葉を語るという行為は多分、生きた人間を感じれるのだと思う。だけれど語らぬものは――怖い。怖いと思う。

 その幽霊事件は実質、それだけのことだったらしい。

 その後夜な夜ないじめを行っていた生徒の枕元に立って何かを言うわけでも、霊界に連れ去ったというわけでもない。ただ、それだけだったのだ。

 噂は学校全体に伝わり少しの間小さな騒動が起きたらしいが、それもすぐに収まり、その生徒の幽霊を見たと言う人間もいなくなった。いや、誰も見なくなったから騒動は収まったのだろうか。

 わたしはそんな怪談知らない。有名なのかと聞くと、有名だよと香苗は言った。

 それまでで終われば――良かった。

 教室が同じという生々しさはあるものの、それでも本の少しの恐怖で済んだはずだ。

 それなのに。

 それなのに香苗は語り終えた後、ある机を指差し「今もいるよ」などと言った。

 わたしはその一言で、血の気をも失せさせる冷たい恐怖に体を支配されてしまったのである。

「柚子、見えないの? ほらさっきからそこの机に座っているじゃない」

「だ、だからやめてよ!」

「じっと――見ている」

「やめてっ!」

 暗闇に大きな音が響いた。

 それがわたしが発した声であるということに、香苗も、そしてわたし自身も驚いた。

 沈黙する。

 次いで笑い声が響いた。笑ったのは、香苗だ。

「あははは! ごめんごめん冗談だよ、ウソウソ、今のはウソ」

 どうやら香苗はお腹を抱えて笑っているらしい。香苗の笑い声と衣擦れの音がこだまする。

「う、嘘って――嘘だったの! 酷いよ! わ、わたし本当に怖かったんだからね!」

「ごめんごめん! まさかこんなに“効果”があるなんて思わなかったからさ。いや本当にごめん。大丈夫、ウソだから。あそこには机以外何もないよ。第一あの机は木下さんの机じゃん。木下さんはちゃんと生きているよ」

 香苗はそう言いながらもまだ笑っている。わたしは何だか腹が立った。そう思うほどに、わたしは本気で怖がっていたのだ。

「もう本当に酷い。全部わたしを怖がらせるための作り話だったんだね!」

 香苗はそこで漸く笑いを収め、いやいやと手を振った。

「今もいるなんて言ったのは柚子を驚かすあたしの芝居だけど、怪談自体は本当。いや何点か雰囲気出すために改竄している部分もあるけど、幽霊騒ぎは実際にあったらしいよ」

「……あ、あったの?」

「うん、らしいね。実は姉貴から聞いたの。あたしの姉貴もこの学校通ってたからねえ。怪談話に限らず色々面白い話は聞いているんだ。ま、姉貴が嘘を吐いていない限りは本当なんでしょう」

 まあ、数十年前ってのは嘘だけどね――と香苗は笑う。

 実のところその事件は香苗の姉が通っていた当時に起きたことらしい。

 しかし生徒が一人亡くなったのは事実らしいが、それはいじめを苦にした自殺ではなく、単なる病死とのことである。

「まあいじめの事実はあったらしいから、亡くなった生徒をいじめていた生徒たちが罪悪感やら恐怖感やらに囚われて幻覚を見た――ていうのが本当のところだって姉貴は言っていたけどね」

 事実がどうなのかは知らないよ――と香苗は言う。

「あたしがなんでそんな話を怪談に仕立てて柚子を怖がらせたかと言うとね、ちょっと試したかったんだ」

「何を――?」

「柚子ってさ、ちょっと感情が薄いなって思う時があるわけ」

「それは――」

 事実だ。

「思うに柚子は感情が麻痺してるんだよ」

「麻痺?」

「そう。柚子ってさ、けっこう世の中を――ううん“人生”を達観しているんじゃない?」

 それは――。

 いやそうかもしれない。

 わたしが物事を深く考えないのは“結末が見える”からではないか。

 何をしても“こうなる”。

 何を言っても“こう返される”。

 多分、そういう物事の結末が見えてしまうから、わたしは深入りしないし深くも考えないのではないか。

「達観ってのはね、悪いことじゃない。言うなれば“真理を悟っている”わけだから、すごく頭が良いんだとも思う。多分柚子には物事の結末や“限界”が見えてしまっているから、何をしてもある程度予想出来るし、そしてその予想が当たってしまう。ゲームでもさ、上限ってのは絶対にあるわけで、どんなにレベルを上げても上限以上超えることはないし、超えれない。そうなるとさ、結局最後の最後は“みんなが辿り着く”わけだよ。それって自分の個性も何も見いだせないよね?」

 香苗の言っていることは何となく理解できる。

 たとえばどんな複雑なゲームでも、どんなに選択の幅を広げられたゲームでも、突き詰めれば必ず“これが最善”という一つの集束点が存在する。

 そして、仮想現実での遊戯で人が何を求めるかと言えば、それは“個性の現出”なのだ。

 自分の方が強い。自分の方が上手い。そう言った格差を、プレイヤーというのは必ず求める。

 しかしそこに“唯一無二の正しい回答”などと言うものが用意されてしまったならば、差というのは生まれない。格差を成り立たせるためには上と下という“差”がいるのだ。そしてその差は不変的なものでなくてはいけない。どちらかに限界があっては、やがて差はなくなってしまう。

 ゲームに限らず、限界がある物事とは突き詰めればこそ“平等”になる。

 結末が見えると言うより、一つの結末しか用意されてないその終局が、わたしは――厭なのだ。

 個性が潰された人間など、どこの誰かなんてわからないし、どこの誰にでもなれて、どこの誰でもない、ということである。

 だからわたしは“わたしという意思”を捨てているのである。

 わたしじゃなくても、どこの誰でも“善い”のだから、わたしという意思は不要だ。

 それが――。

 達観なのだろう。

「そりゃ真理だよ。善くも悪くも、真理さ。あたしはその考えが間違っているとは思わないし、間違っていると思う奴は多分、考え知らずのアホだ」

 柚子はでもね――と続ける。

「たとえ真理でも、それじゃあ人生つまらないよ。すごくつまらない。結末が見えるからやらないってのは勿体無い。確かに結末ってのは予想通りのものしか用意されていないよ。そしてその結末ってやつは変わらない。結末を変えれると思ってるやつも人生を知らない青い馬鹿さね。でもね――変わらないならとことん“付き合ってやる”っていう気概も必要なんじゃないかな?」

「……それは」

 そうかもしれない。

「幽霊なんていないけどさ、でも人間の“恐怖”って感情は真実なのさ」

 暗闇が怖い。

 何がいるかわからないから怖い。

 身を脅かすものがいるかもしれない。

 それが見えないから怖い。

 でもそれは動物的恐怖心――本能だ。

「そう。見えないから怖いってのは動物的だね。でも人間は“見えるから怖い”っていう“錯覚”を併せ持つ生き物だ」

 暗闇が怖い。

 そこには――“幽霊がいるかもしれない”から、怖い。

 暗闇に、幽霊という概念を先入的に“観てしまう”から――怖い。

 だから、幽霊を知らなければ――怖くはないのだ。暗闇から“幽霊を引けば”残るのは他の恐怖である。

 もし動物的恐怖すらも引いてしまったら、暗闇はたちまち――ただの“暗い場所”になる。

「そういうことだね。でも引けないよ。人間から感情は引けない。精々麻痺する程度だね」

 麻痺――か。

「柚子はさ、人生を達観し過ぎて感覚が麻痺してるんだよ。そりゃそうだ。極力無駄な動きをしないようにしているんだもんね。そりゃ麻痺る。鈍くなる。でもね無くなるわけじゃない」

 現に柚子の恐怖心っていう感情は無くなっていなかったじゃん――と香苗は笑う。

「ちょっとやそっとのことじゃ中々起きてこないけどね、柚子の感情は概ね麻痺しているだけで、無いわけじゃない。だからね――」

 冷たい人間なんかじゃないよ、柚子は――香苗はそう結んだ。

 ああ、結局――香苗はそこに結びつけたかったのだ。

 何もかも、読まれていたということか。

「……じゃあさっきの怪談、いえそもそもこの肝試し自体も、わたしの感情がどうなっているのか試したいだけだったのね?」

 香苗はご明察と指を鳴らした。

「ま、幽霊がいるのかいないのか確認したかったってのも事実さ」

 ちょっとだけね、なんて嘘っぽくはにかむ。わたしは何だか一気に気が抜けた。

 スケールの大きな人間なのか、はたまた滅茶苦茶な性格なのか、どちらにせよ香苗という人間は底がしれない、と思った。

「悪気はないから許してね“親友”」

「悪気があっても許してやるよ“親友”」

 わたしたちは暗闇の教室で静かに笑いあった。

「さて、用事はこれで本当に済んだから帰ろうか」

 わたしがうん、と頷く前に、

 ガタ――。

 また音が鳴った。

 しかも今度は先程より近い。わたしは香苗を見る。

「……いや、あたしじゃない」

 わたしはてっきりその音も香苗の“仕込み”だと思っていた。

 再び恐怖が体を痺れさせる。

 ――ガタ。三度目の音。

 そして、微かに人の足音が廊下に反響した。

 香苗もわたしも息を呑む――。

 その足音が、こちらに近づいてるからだ。

「不味いね。先生かもしれない。一先ず隠れよう」

 香苗はそう言って教壇を指差した。そこに隠れろということだろう。

 しかし。

「一人しか隠れれないよ」

 どうあがいても教壇の下のスペースには一人しか身を置けない。

「あたしはカーテンの裏に隠れるから」

 窓の端にはカーテンがまとめられている。確かに窓の縁に立てば人一人は隠れることができるかもしれない。

 香苗は目でもう一度合図すると忍び足で窓に向かう。わたしも音を立てぬよう教壇の下に潜った。

 心臓が張り裂けんほど高鳴りを打つ。

 コツ、コツと、確かに足音はこちらに向かっていた。

 コツ、コツ。

 すぐ目の前だ。わたしは呼吸をも止めた。

 ――通り過ぎて。

 しかし、その祈りも空しく。

 甲高い音を立てながら――扉は開かれた。



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