4-現
「これから――まずは音楽室を目指します!」
ビシッと人差し指を立てて上を指す香苗。
肝試し――。
香苗が突如として切り出したそんな言葉を実行するため、わたしたちは下足場で踵を返し、先程下りたばかりの階段へ向かった。
外はますます暗い。
何をやっているんだろう――。
「……怒られないかな?」
「怒られるよ。見つかったらね。でも見つからないよ」
なぜそう言い切れるのかわたしにはわからないけど、どうにも流され気味だ。
わたしは香苗を止められなかった。
というより止めなかった。
いつもそうだ。わたしは何かにつけてノーと言えない。断れない。いつもいっつも誰かに何かに流されるばかり。流される道だけ選ぶ。
楽だから、かもしれない。
ああだこうだ考えるのは――苦手なのだ。
考えたところでどうにもならないことはどうにもならないし、どうにかなることはわたしが動く前にどうにかなっている。
わたしはいつも後手だ。
後手で成り立つ。
だから。
考えるのは無駄だと思うし、そっちの方が楽だと思う。楽、なのだ。
香苗が先頭に立って階段を上る。わたしは後ろを気にしつつ、ついていく。
どうせやるんだから、香苗みたいにもう少しどんと構えれば良いのに、わたしはそれすらできない。
ちっぽけな人間である。
「……何で肝試し?」
そんなことしか言えない。
「いやあ、さっき人間の恐怖についてあれこれ語ったけどさ、でも結局のところわかんないじゃん」
「何が?」
「だから幽霊」
幽霊――。
そんなの。
「いるかいないかなんて、結局のところあたしにもわからないし、多分これからもわからないだろうけどさ――」
でも、と香苗は振り向く。
「“今の考え”を固めることは出来るんじゃないかな?」
「……今の考え」
「人間は日々変化する生き物さ。今日好きなものも明日は嫌いになるかもしれない。でもね、未来のことなんかわからなくても、今日を確かに生きることは出来るんじゃない?」
よく――わからない。
わたしはいつだって“今しかない”。
先のことは考えないし、考えるのを止めている。先のことなんて、端から考えていない。
「ま、幽霊なんていないけど、でもその考えは“今日変わる”かもしれないじゃん。今日幽霊を見たにしろ見ないにしろ、過去の意識は今日の出来事で変化する可能性を十分に秘めているのさ。だから、さ。まあ付き合ってよ」
香苗はそれだけ言って再び階段を上る。
――付き合うよ。
端からノーはない人間なのだから。
音楽室についた。
しかし当然のごとく扉は施錠されていた。
「あちゃあ、鍵のこと忘れてた。今から職員室に行くわけにもいかないし――」
当然である。行けばこの肝試しは即終了だ。
「まあでも、音楽室の怪といえば“誰もいないのに鳴るピアノ”。なら入らなくても問題ないか」
香苗はそう言うと扉に耳を当て室内の音を確認する。何だか滑稽だった。
本当にピアノが鳴ったとしたら、別に聞き耳を立てる必要もないと思うのだが。
辺りはシンとしている。そして――暗い。物質を呑み込み隠す闇の色。
わたしは何だか恐くなった。
「鳴らないな。時間が悪いのか、それとも怪異自体がないのか――」
「香苗――もう行こうよ」
わたしは“もう帰ろう”という意味でそう言ったのだが、香苗はどうやら“次に行こう”と捉えたらしい。
んじゃ次は女子トイレだね――などと言う。
わたしはそこでもノーとは言えなかった。
「んでも、女子トイレと言ってもいっぱいあるよなあ。どこいく?」
わかるわけがない。行きたくない。でも言えない。
「ううん。学校の怪談、あるいは七不思議。どこの学校でもあるけど、そういやここでは聞かないな」
香苗はそう言って腕を組む。
「ないの? わたしはてっきり巡ってるんだと思ったけど……」
「あたしは知らないよ。ただそういうのってどこも多少の違いがあるだけで、根本は一緒じゃん。うちの学校もカテゴライズは同じでしょ。当て嵌めて回ってるだけだよ」
つまるところ適当と言うことか。
「ま、どこでも良いや。暗くて怖そうな場所なら“出る”でしょ」
などと陽気に嘯き、香苗は暗い廊下に足を進める。
真っ暗な――闇の中に。
わたしも当然ついていく。
断れないというのもあるが、一人になるのが少し怖かった。
その後わたしたちは二階と三階の女子トイレ――一階は先生に見つかるおそれがあるので止めた――を全て巡り、さらには屋上へ向かう階段や理科室――ここも施錠されており入室はできなかった――までも巡った。
何も起きなかった。
そこで十八時である。
闇だけが深まっていた。
「ふうん。やっぱり何も起きないか。ちょっと拍子抜け」
香苗は再度鼻から息を抜く。
巡ろうと思えばまだまだ巡る箇所はあるのだが、学校の怪談が“起きる場所”は大抵施錠されている。わたしたちは行き場をなくし、結局教室へ戻った。そこも施錠されているかと思ったが、まだ開いていた。
香苗は自分の席に座りふて腐れている。
「……巡り尽くしたよ。時間的にもこれ以上は不味いし、帰ろうよ」
たとえ先生に見つからなくても親が心配する。いやもうしているかもしれない。
「うーん。ま、そうだね。これ以上は意味がないかもね。あーあ、結局幽霊なんていないじゃん。あたしの今日に、変化はなしか」
むしろ幽霊がいて欲しいような口振りである。
「変化がないなら強固になったんじゃない? 香苗の言葉を借りるなら、ね」
香苗はまあねと何とも言えない気の抜けた声を出し、伸びをする。
瞬間。
ガタ――。
廊下の方で微かに音が立つ。
わたしはビクリと体を震わせた。
今のは――。
香苗も気付いたのか廊下に視線を向ける。
「……か、香苗」
「静かに」
香苗は気配を立てぬようそろりと席を立つ。
「先生の見回りかも。ここは危険だったか――」
そのまま忍び足で入口を目指す香苗。わたしは心臓だけを高鳴らせていた。
「……いや、大丈夫みたい」
香苗は扉の小窓から廊下の様子を覗き、そう言った。
「まあどっかの教室で何かが倒れたんじゃないかな。けっこう遠かったし、とりあえずは大丈夫でしょう」
「……も、もう帰ろうよ。わたし、何だか――怖い」
闇が――どす黒い闇が――。
「そうだね。ここもいずれ施錠しにくるだろうし、帰ろうか」
そう言って香苗は机に置いていた鞄を取った。それを合図にわたしも立ち上がる。
大丈夫だと思っていても、わたしは極力音を立てないようにした。
怖いのだ。
何やらわからぬ――ものが。
鞄を抱えた香苗はなぜか立ち止まっている。いや、何かを見ている。
――なに?
香苗は暗闇に眠る無機質な机の群れの――その一つを凝視していた。
そのわけのわからぬ行動すらも、いやわけがわからないからこそ――怖く感じる。
僅かな間の後。
「……そういや、怪談は“もうひとつだけ”あったよ」
酷く冷たい声で、香苗はそう言った。