ザックとカーディスの日常
「覚悟しろ、魔王ッ。今日こそは貴様を倒してみせる!」
威勢の良い掛け声がザックの耳に届いた。振り上げていた鍬を下ろし、手拭いで汗が滴る額を拭う。
「あぁ。もうそんな時間か」
頭上を見上げれば、真っ赤な太陽が青紫色の空のてっぺんに昇っている。まばらに広がる暗雲を目で追ってみると、東のほうで雷光が落ちた。
軽いため息を漏らしながら、ザックは振り返った。そして同時に絶句する。彼の視線の先にいたのは、眩しいほどに光輝く物体であった。
「何だ、その悪趣味な鎧は……」
呆れ気味に呟いたその言葉はザックの想像よりも大きかったようだ。光の塊が上下に揺れながら怒鳴りつけてきた。
「貴様、我が国の秘宝に何という暴言を放つんだ!」
「いや、だって……なぁ」
絢爛豪華と言えば響きは良いが、はっきり言ってしまえは悪趣味だ。どこぞの成金ですら放り出しそうな物だとザックは心中で断言する。
「いいか、聞いて驚け。この鎧は親愛なる我らが女王陛下に認められた者しか身にまとえない由緒正しい物だ。全ての魔を打ち払う伝説の貴金属で出来た――」
「ほーほーすごいすごい」
「聞いてないだろう、貴様!」
怒号を無視してザックは畑仕事を再開し出す。今日は種蒔きまで済ませておく予定だ。
鍬を振るいながらザックが前進すれば、黄金鎧も後からついて来る。その間彼はずっと怒鳴りっぱなしだ。よく喉が保つものだとザックはこっそりと感心した。
それよりも今の自分たちは端から見たら愉快なものだろう。鍬を振る大男の後ろを刷り込みの雛鳥よろしく小柄な悪趣味鎧がついて回る。なかなか滑稽な図だ。
「――大体この鎧が変だというのならば、貴様のその妙ちきりんな発光をする角のほうが悪趣味だっ」
その言葉に、ザックの手が止まる。後方の黄金鎧は突然の停止に足がついて行かなかったらしく、ザックの背中で顔面を強打した。
いってぇと呟く鎧を見下ろしてザックは口を開く。
「ほぅ、それじゃあお前さんは何でこの悪趣味な角を欲しがるんだい?」
ザックは左手で、自身の頭上に生えた一対の角を指差した。山羊の角に似たそれは、赤青黄はたまた緑など様々な色合いに絶えず変化している。そんな角は、厳つい顔つきで筋肉質の体躯を持つザックの姿をより威圧感を与えていた。
黄金の兜の奥から、ゴクリと唾を飲む音が聞こえる。
「そ、それは我らが女王陛下がお求めだからだっ」
「じゃあ、お前さんはその女王が欲しがる物を悪趣味って言うのか」
「なっ……! 違う! 私はそんなつもりで言ったわけでは無い」
わなわなと震え出す鎧に向かって、ザックはわざとらしいため息を吐きつけた。
「なら、いらないだろう。さっさと帰んな、坊主」
「だっだっだっ、誰が坊主だ! おのれ、剣を取れ! この屈辱を倍にして返してやるっ」
完全に怒りに飲み込まれてしまったらしい。わずかに覗く兜の隙間から血走った青い目が見える。
こうなったらちょっとやそっとではあしらえない。ザックはもう一度ため息を吐いて手にしている鍬を鎧に向かって突きつけた。
それを見て、鎧はガタガタと震えだした。無論、恐怖でなく怒りで。
「貴っ様! どこまで僕を愚弄する気か!」
「農民の武器と言ったら鍬だろう、鍬」
差も当然と言った風情でザックが言えば、やはり怒鳴り声が返ってきた。
「ふざけるな。見てみろ、僕の剣を」
鎧が掲げた剣は、刀身が青白く輝いていた。まるで寒い日の月のようだ。
「この剣はいかなる邪悪も斬りつける聖なる剣! 貴様の命運もここまでよ」
「……お前の方が魔王らしいよ」
「なんだと?」
ザックの言葉はほとんどボヤキめいた呟きだったが、鎧に聞こえてしまったようだ。ガシャガシャと金属の擦れる音を立てながら、その場で地団駄している。
「許さん……。許さん許さん許さん! 醜悪な魔王め、叩き斬ってやる!」
「へぃへぃ。お前さんが勝ったら俺の角をやる。お前さんが負けたら、いつも通り俺の手伝いをしてもらうからな」
「僕は負けない! 負けるはずが無い!」
絶叫と共に鎧が駆けだした。一気に間合いが詰まってゆく。
あんなに叫んでよく喉が持つよなぁ、と呑気なことを考えながらザックは鍬を振り下ろした。
※ ※
この世の全てを憎むような表情を浮かべて、少年は鍬を振るう。一振りするごとに呪詛を口にしながら。
「カーディスよぉう。そんなしかめっ面しながら畑を耕すもんじゃない。作物が悪くなっちまう」
呆れ気味にザックが言えば、カーディスと呼ばれた少年が彼に向かって怒鳴り散らす。
「黙れ黙れ! あんな卑怯な戦法を取る貴様に言われたくない」
「卑怯っつうてもなぁ」
ザックがチラリと傍らを横目で見れば、真っ直ぐに裂けた大地があった。
「打撃も魔術も効かねえ相手だったら妥当だろうが」
「だからと言って、地の割れ目に突き落とすな!」
キィキィと喚くカーディスを見て、ザックは肩をすくめた。
「お前にとっちゃ、俺は卑怯で愚劣で醜悪な魔王なんだろう? だったらそれらしい戦術を取って何が悪い」
飄々とそう言えば、開き直りか! と吐き捨てられた。
「嘆かわしい。古来、決闘とは一対一の真剣勝負のはず。このような無法がまかり通って良いはずがない」
眉間に皺を寄せて怒るカーディスは、とてつもなく恐ろしい。なまじ顔立ちが整っているだけに余計にその迫力が増す。
いつだったか「そんな顔してたら女の子にモテないぞ」とザックは彼に言ったことがある。そうしたら、カーディスは顔を赤くさせながらもっと凄まじい形相で剣を抜きはなってきた。
熊のように厳つい自分よりも、カーディスの方がよほど恐ろしいと思う。第一、子供は笑顔が一番だ。ザックはそう思っている。……カーディスから笑顔を奪っている原因はザック自身なのだが。
「ほら! 言われた通りに耕したぞ」
カーディスが唇を尖らせて言った。
「これで文句は無いだろう」
「あぁ、ありがとさん。相変わらず地ならしが上手いな、お前さんは」
礼を言うついでに軽く誉めれば、カーディスはフンッと鼻を鳴らす。
「これぐらい、剣の鍛錬よりも容易いことだ。だてに勇者を名乗っていないからな」
素直に喜べばいいのに。そっぽを向くカーディスを眺めながら、ザックはそう思う。
「と、とにかく賭けの分は終わったから僕はもう帰らせてもらう」
「待て待て。帰るのはメシ食ってからだ」
腹具合もほどよく空いている。
「こないだ収穫した野菜を塩漬けにしたやつがあっから、それと握り飯。後は茶だ」
ザックが座ったままで地面を三回叩く。そうするとその部分の地面が音をもなく隆起した。ちょうど円柱形に盛り上がってその真ん中付近に手をかざせば、まるで扉が開くかのように土が割れた。
円柱の中は空洞になっており、そこには先ほどザックが口にした飲食物が収まっていた。中に手を入れると、ほどよくひんやりとした空気が流れている。
「ほれほれ、こっちに座りな。この根菜の塩漬けは、こないだお前さんが収穫したやつだ」
自分が手塩にかけた野菜に多少なりとも情があったのだろう。ザックが手招きをするれば、カーディスは特に警戒心を放つことなく傍にやってきた。
「ほほぅ、これが……」
一つ手に取り、カーディスはパクリと口に放り込む。歯ごたえの良い音を立てながら、彼は塩漬けの味を堪能する。
「うむ、うむ! 上手い!」
「だろう? ほれ、味が残っている間にこの茶も飲んでみろ」
「これは、この間の渋茶か」
若葉色のお茶の注がれたコップを手にとったカーディスは、またしてもザックの言う通りに口に含む。すると途端に表情を一変させる。
「ほぅ! 甘味が増している」
味わいの変化に感動したのか、カーディスは二度三度と塩漬けをかじり茶をすする。その度に彼の目に輝きが増す。今の彼は勇者を気取ったものではなく、年相応の顔つきを浮かべていた。
「おいおい、それだけで腹を膨らます気か? ちゃんと握り飯も食わないと」
苦笑混じりにザックが言えば、カーディスは眉間をしわ寄せながら頬を赤くさせる。
「分かっている。何だ貴様は。僕の母か」
「お前さん、家でも一点食いを注意されてるのか?」
からかうようなザックの問いかけは無視された。思いきりの良い食いっぷりでカーディスは握り飯に食らいついているからだ。
その様子を眺めていると、視線に気付いたらしいカーディスが下から睨みつけてきた。
「人の食べる姿を見てそんなに楽しいのか?」
どうやら照れているようだ。声が若干上擦っている。
湧き上がる笑みを含ませながら、ザックは頷く。
「あぁ、楽しいさ。育てた作物を「上手い上手い」と言って誰かに食べてもらうのは農民の誉れだ。この角が生える前から俺はそう思っている」
だからこそ、この荒れ果てた荒野でザックは作物を育てた。
地が枯れているのならば、耕して雨を降らせた。陽の光が届かなければ、疑似太陽を作った。死の空気に苗が枯れれば、配合を繰り返して強い種を作った。
不可能を可能にするぐらいの魔力がザックにはあった。
「そんな風に思うのならば、魔法で大量に作って遠くの村に降り注がせれば良いではないか。いや、そもそも鍬を振るうことから魔法でやれば早いだろう」
カーディスの言い分は分かる。確かに彼の言う通りにすれば疲労も無く短期間で収穫し放題になるだろう。
しかし、ザックはそれをしない。彼がとっている方法は己の魔力を最低限でしか使用していない。出来ることは全て自らの手で開拓していった。
開墾も種蒔きも水やりも収穫も。全て彼自身の力でやっていた。
ザックが望めば作物に適した天候や気温を保つことも出来る。だが、彼はそれもしない。季節の移り変わりや、干魃や嵐などの災害も意図せずに起こす。
結果的に作物が上手く育たない時もある。だけどもザックはそれを良しとしていた。
「ま、これが農業ってヤツだ」
長々と説明しても、きっと今のカーディスには半分も理解出来ないだろう。彼はまだ若いからだ。直情的に物事を考えるカーディスにザックの思想を話したとしても共感を得られることが難しい。
いつかは腰を据えて話し合えるだろうが、今はその時期では無い。
作物と同じだ。カーディスはまだ花開く前のつぼみみたいなものだ。
「こんな面倒な物が楽しいのか?」
「いずれお前さんにも分かるさ」
ふぅんとつまらなさそうな表情を浮かべてカーディスは再び塩漬けをかじりだす。よほど口にあった様子だ。
もう一つザックはカーディスに内緒にしていることがある。
ザックの育てた作物は、カーディス以外の人間が食べれば害が出る。軽くて腹痛、最悪の場合は中毒症状が出てしまう。
魔王の証である頭の角が生える少し前からそのような事変が起きた。恐らく強過ぎる魔力が、作物を通じて周囲に悪影響を与えたのだろう。
この事態に気付いた時、ザックは己の尊厳を奪われた気がした。それほどに彼は農民としての誇りと生きがいを持っていた。
角が生え始めると、彼は黙って故郷を去り、この荒野を訪れた。
しかし、何も無い大地で彼は再び鍬を手にしていた。それしか彼は知らなかったから。
たった一人で、大地を耕し続けた。
妙に好戦的な少年――全ての魔力を無効化する勇者が現れるまでは。
「何だ、人の顔をじろじろと見て」
相変わらずの不機嫌な顔つきに、ザックは思わず苦笑する。
「いや、食い終わったら種蒔き手伝って貰おうかと……」
「き、貴様! 図々しいぞ。第一、賭けの分は済んだでは無いか」
「おんや、バレたか」
ペロリとザックが舌出すと、カーディスがわなわなと震えだした。
「よくもまぁ人をコケにして……。ふん、いいだろう。ただし、もう一度勝負させてもらうぞ」
再び賭けをしようとカーディスは言う。ザックが勝てば手伝いを、カーディスが勝てばザックの角を貰う。
「あぁ、俺は構わないぞ。それぐらいの時間はまだあるし」
「無駄口を叩くのもそこまでだ。貴様の戦法は見切った。先ほどの手はもう通じないと思うが良い」
そうしてカーディスは高笑いをする。もう勝った気でいるらしい。
「そーかそーか。気ぃつけないとな」
次は大地を盛り上げて
足場の邪魔をさせてみようかとザックは企みながら、握り飯を口にした。
【了】