第二話:闇の国の噂
「黄金の卵なんてないよ……」
誰もいない地下書庫で一人伸びをした。凝った首を伸ばそうと見上げれば、吸い込まれてしまいそうな程高い天井に目眩がする。かれこれ何時間ここで過ごしただろうか。
年季の入った紙の独特な匂い、永遠の時を感じる程静かなこの空間でついたため息は誰に拾われることもなく消えていく。
「つまんないなぁ」
幻のカボチャ大作戦を掲げてから、一週間が経った。
本来ならば私も外で情報を集めるべきだ。しかし、私は一人で転移装置を使うことを禁止されているため、外の情報収集が出来ない。何度か試したけれど転移装置の前で手を伸ばすと、いつも誰かに制される視線がよぎる。
そのため、メアのご希望チョコマフィンのレシピを探すことくらいしかやれることがない。自分の背よりも遥かに高い本棚、背伸びでギリギリ届く範囲のレシピ本を取っては美味しそうなマフィンを探す。目を通し終わった本の山が、私の座高を超えた時やっといいものを見つけた。ただ、必要な材料がない。全て入手困難なものばかりなのだ。
「私も、外出したい」
皆は、私がうっかり毒林檎を食べた警戒心ゼロの人だと思っている。そのため、私一人を歩かせたらまた何かに巻き込まれるのではないかと考え、転移装置を使わせてくれない。そんな生活ももうすぐ一年経とうとしているけれど、慣れはしないのだ。
机の上に突っ伏して、顔を横に本を眺める。頬に触れる机は、石のように冷たくて、体温を少しずつ奪っていく。けれどその冷たさが、思考の熱を落ち着かせてくれる。静寂に包まれた空間で、ただ文字の羅列を追っていけば次第に瞼が重くなっていく。
(ねむくなってきたなぁ……)
視界が霞む。とくとくと聞こえる心音に耳をすまして、瞼を閉じかけたとき不意に柔らかい何かが乗っかってきた。体温を感じないそれはむっちりと柔らかく、小さなお手手でぎゅっと私の髪を掴む。
「痛いよ……」
「カランの悪夢たべた〜い♡ てさ」
「バクはそんな事言わない」
「いーや、言ってるね。コイツはカランが思ってるほど、可愛いやつじゃないですよ」
それは知ってる。多分懐いていると言うより、私の悪夢を餌だと思っているから餌付けされてるだけなことも。
でも私は丸くてもちもちしたフォルムの生命体が好き。だから、バクにも少し夢を見ているのは事実。ただ、飼い主に吹き替えされるのは癪である。分かった上で改めて言われるとなんか、腹立つ。
「私になにか用でもあるの? ないなら邪魔しないで」
「邪魔するために来たんですけど。ほらほら、天才カランさんは、いったい何に悩んでるんですか〜?」
む、か、つ、く。
こういう人は相手にしたら調子に乗る。言い返さない代わりにため息を付けば、バクの飼い主メアはカラカラと笑って私の隣の椅子を引いた。椅子の音も、座る時に聞こえるはずの布が擦れる音もしない。本当に気配を消すのが上手い人だ。流石は、闇の国のチャンピオン。その身長に合っていないブカブカなローブを被っていなければ、視界に入らず私は隣に座られたことすら気づけなかったと思う。
「メアがチョコマフィン食べたいとか言うから困ってるの。あ、そーだ。これ見つけてきてよ、黄金の卵。大魔法使いメアさんならおちゃのこさいさいだよね」
「もう少し感情込めて言うことできないんですか。そもそも、そんなハイクオリティな品ハナから求めてないですよ」
横から伸びた手が、私が見ていた本を掻っ攫う。マジシャンのようにしなやかなその手は、ペラペラと丁寧に紙をめくる。一ページ、二ページ……同じ動きを繰り返す指を目で追った。本を取られた以上、見るものもないし減るものでもないからいいだろう。
ささくれひとつも無いな〜なんて思っていると、飽きてきたのかメアは片足首を反対の膝に乗せ始めた。ずるずると前のめりになり、ついには腕を枕にし片手で本を読んでいる。一体先程の姿勢の良さはどこへ行ったのか。
「ねぇ、興味ないなら本返してよ」
「ボクのために作ってくれるなら、ボクが選んだ方が早いじゃないですか。あんな黄金の卵とかいらないし」
「それは、そうだけど……。でも、メアにはこんなことより普通にカボチャの居場所探して欲しい」
「へぇ、ふーん。ボクがリクエストするものをこんなものと、こんなものかー。あとその件なら殆ど場所は絞られてきてるんでいいですよ、あんなの」
うわ、急にめんどくさいモード入ったよ。わざとらしく「あんなの」と強調してそっぽ向くメアは「あ、このクッキー美味しそうですね」と言葉を続けた。
「ど、どれ。そっち向きで開かれると見えないんだけど」
「頑張って覗いてくださいよ。あ、この蒸しパンも美味しそうだな〜」
仕方ないから頭に乗っているバクを机に置いて、メアを覆うように手を伸ばせば背表紙の高さを下げて腕枕を組みかえ反対側に持っていく。
「ねぇ、ちょっとわざとでしょ」
「えぇ? カランの反射神経が遅いだけですよ」
「もうマフィン作らない。クッキーも、蒸しパンも」
「……。……あっそういえば例の店、目星付けた地図あげますよ。はい」
上体を起こしたメアはフードの中から、四つ折りの紙を取り出した。ご機嫌取りのつもりなのだろうか。何か小言のひとつでも言おうかと口を開いたけれど、情報を取り逃すのも嫌なので黙って有難く受け取り、再度椅子に腰をかける。なんとなく、受ける時に不意触れたメアの指先がわずかに冷たく感じた。地下は寒い、言い合っている間にも時間はそれなりに経っていたのかな。
机に置いたバクは、ぽてぽてと歩きそのまま私の膝の上に向かって落ち、メアは「くわぁ」と小さな欠伸をして私の方へ目を向ける。
「眠いの?」
「まさか」
なんて返す彼の真紅の双眼は、今も重たそうに瞬きを繰り返す。陶器のように白い肌は、暖かな照明の光に照らされていても青白い。膝の上に乗っているバクも心做しか元気がない気がする。けれど、彼の性格上心配されるのは恐らくプライドが許さない。深く探らないで置こう、そう思いながら渡された紙を開けばのそりとメアが身を乗り出した。
「ここ、分かります?」
トンっと人差し指が置かれる。つられてそこに視線を送ると、赤い丸がついてあった。その場所は人々が住む中央国から少し離れた森。闇の国と繋がるところだ。でも、場所が少しずれている気もする。
「闇の国へ向かう経路の森なのは、分かるけど」
「ほぼ正解。でもカランは来たこと多分、ないですよね。ここは冥界の森と呼ばれているところです。名前だけでも物騒なこの森に、好んでやって来る者は普通居ませんけど」
「しかし、ハロウィンに限り」
「来ちゃう人がいるんでしょうね」
呆れたように、いや興味が無いのかメアはつまらなさそうに言葉を続けた。
「ミカゲさんの情報によれば、幻のカボチャを食べた者は皆、何かに取り憑かれたように興奮し、その後昏睡状態になっているらしいです。つまり、一種の魔術の餌食になっている可能性が高いんですよ」
「餌食……。殺さず、生かしているから?」
「ご名答。恐らく、貴女に毒林檎を渡した者かその同族の仕業じゃないですかね。わざわざ自分の存在を知った者を生かすほど、罪を犯す者は優しくないですから」
それは、そう。現に私も生かされてるものの呪われてるし。
しかしそうなると事態は深刻だ。どうやら求めていたものは、私が思っているようなスウィートな物ではないらしい。ただ、奴らの餌食という犠牲者が出ているのならば、根本を探し潰すしかないだろう。正義感の強いミカゲが、放置するとも考えられないし。
「それじゃあ、ハロウィンの前に見つけよう。そんな奴らを野放しにするなんて国の治安が悪くなるからね」
「行く気満々なところ悪いんですが、出来ればカランには来て欲しくないんですよ。ダメ元で言いいますが、チョコマフィン作って待っててくれます?」
「なんで? 私、強いけど」
あっけらかんと返す私に、メアは怠そうに目を逸らし「ですよねー」と呟く。
「冥界の森は、幻影の魔術がかけられてるんです。それだけなら、可愛いんですけどね。迷い込んだ人は、もう二度と会えない大切な人に出会ってしまうんです」
「出会えるなら、いいんじゃ」
「心の傷から生まれるその幻覚は、幸福と同時に絶望が蘇る。まるで楽しかった日々が一瞬にして崩れてしまったことのように。どちらか一つだけの記憶で幻が生まれればいいですけど、記憶のトリガーは不意に起きるものです」
メアの声はどこか懐かしむように、優しい。けれど真紅の双眼は過去に囚われているように冷たい気がした。
幻影、彼が気にかけているのは私が毒林檎を食べるきっかけとなった親友の事だろう。花嫁───白雪に選ばれた私は、婚約者候補の方々と顔合わせするその前夜に、親友に裏切られた。魔女と契約をした彼女が、今どうなっているかは分からない。
カチカチと秒針の音が書庫に響く。メアの小さな呼吸すらも聞こえるほど、ここは静かだ。まるで、この世界で二人きりのようだと錯覚するほどに。机に突っ伏した彼は顔だけこちらに向ける。眠いからか、それともただ話したい気分なのかメアは言葉を続けた。
「確かにカランは強いですよ。でも、メンタルは誰よりも弱いじゃないですか」
「そんなことないよ。それに、あの子はきっとまだ生きてる。私は、作り出された都合のいい存在に心躍らせないよ」
「……ボクは、お前よりもお前のこと知ってるんですよ。見当違いなこと返さないでください」
トゲトゲした言葉とは裏腹に、その眼は寂しげだ。細められた目は、じっと私を見つめる。
まるで、私を通して“誰か”を見ているみたいに。
その後、不貞腐れたメアは冥界の森ついて教えてくれた。全て話して満足したのか、そのままフードを被り眠りに入ってしまったけれど、どうやらその死者の幻影には、二つのパターンがあるらしい。
─── ボクが知る限り、二通りあるんですよ。ひとつ目は、目の前で恨み言を言われ死者となったその時の光景をもう一度見せつけられる。ふたつ目は、湖や崖に誘われる。溺死、落下死どちらも最後には死者に愛の言葉を囁かれるんだとか。
調子が戻ったのか、得意げに人差し指を立ててくるくると指を振りながら話してくれた。
生きたまま、トラウマを抉られるか死してなお愛される泡沫をみるか。どちらを選んでも、最悪という事には変わりない。
黒まんじゅうと化したメアを一瞥し、膝の上にいるバクを撫でる。体温こそ感じないけれど、頭に乗ってきた時に比べて重たい。全体重がかかっているということは、飼い主と同じで寝てしまったのだろうか。そっとメアのフードを退かせば、あどけない寝顔の目元にはクマができていた。
「……カッコつけなくていいのに」
ここ最近、メアが留守だったのは知っていた。元々、一人でふらっと消えては、音もなく戻ってきている人だったから深くは考えていなかったけど。渡された地図には、候補どころか一点しか丸がなかった。つまり、今日この時まで調べ尽くしてくれたのだろう。寝ることもせずに。
「これ、借りてくね。だから今はゆっくりおやすみ。メア、バク」
知らぬ間に付箋が大量に貼られていたレシピ本をメアから取って、他の物を全て棚に戻してから私はこの場を後にした。
拠点が分かれば、後はミカゲと情報共有。頑張り屋さんには、マフィンもあげないと。退屈で枯れかけてた心が嘘のように、弾んでいく。
「私も本気を出しますかっと」
固まった肩を解しながら伸びをする。書庫を出て、窓から顔を覗かせれば真っ赤な夕日が空を染めていた。日が沈むまでまだ時間はある。森の中にいる元凶と戦闘になるのならば、剣術の感覚は取り戻しておきたい。
そう思った私は、自室にレシピ本を置いてからこの世界で誰よりも強くてかっこいい人がいる隣部屋を叩いた。
「カキラ、お手合わせお願い出来る?」
─── 全ては、完璧な勝利のために。




