08.別れ路
王都へ戻る日、ミシェルはにぎやかな輪の真ん中にいた。
約束通り、観光案内所の会計係の老人に無事に墓が見つかった報告をすると、あっという間に周辺の古い住人たちが集まって、案内所はちょっとしたお祝いムードに包まれた。
王都からイスカまで、たった一人ではるばるやってきた若い娘が、無事に祖母の古い友人の墓参りを済ませることができた。それだけで、イスカを愛する人々は胸が熱くなるのだった。
ミシェルは彼らからさまざまな土産物を山ほど持たされて、とうとう騒ぎを聞きつけた新聞記者までもがカメラを片手に駆け付ける始末。
それもこれも、ミシェルの人柄が招いたことだと、少し離れたところで見守っていたルスランは思った。
こんなにも人に愛される人が、どうか自分の価値を信じて幸せになれますように。
祈れば祈るほど、ルスランの胸の裡はひしゃげていくようだった。
やがて馬車の御者が出発の時間を知らせにやってきた。
外まで見送ろうとする男性陣を引き留めたのは、案内所の受付嬢だった。
彼女は隅にいたルスランに目くばせをすると大きな声で
「さあさあ、ここから先は若い二人の時間ですよ。」
と男たちを裏口から追い出した。
「本当にありがとうございました。」
「ああ、元気で。」
「ルスラン様にお会いできて良かったです。」
「私もです。あなたのような女性に巡りあえる僥倖は、きっとこの先訪れることはないでしょう。」
ルスランは彼女の胸元にかかるネックレスを見ながらそう告げた。
精一杯の告白は、しかしそれ以上続くことはなかった。
ミシェルに出会ってたった6日しか過ぎていないというのに、もうずいぶん長いこと一緒に過ごしてきたようだった。
馬車に荷物を積み込んだ御者が
「そろそろよろしいでしょうか…。」
とひかえめに声をかけた。
恋人たちの別れには慣れていますよ、という顔をしていたけれど、二人はこの先交わることのない他人同士なのだ。
「それじゃあ。」
精一杯の笑顔で一歩踏み出したミシェルの肩を、ルスランは咄嗟に掴んだ。
婚約者でもない令嬢の体に、こんな風に触れていいわけがない。
分かっているのに、自分の意志ではない何かに突き動かされた気がした。
馬車の陰で、ルスランは彼女を抱き寄せた。
ミシェルの亜麻色の柔らかい髪の毛が、ルスランの頬をくすぐった。
今まで命の危険にさらされるような戦い方を何度もしてきたルスランだったが、体が勝手に動く、そんな経験は初めてだった。
ふたりはしばらくそのまま、じっと動かなかった。やがて彼の腕の中でミシェルが身じろぎをした。
それは、ルスランを抱きしめ返すためではなく、彼から身を離すためだった。
「…帰らないと。」
ミシェルは泣いていた。
彼女にはいつも笑っていてほしいと思っていたのに、結局最後にこんな顔で泣かせたのは自分じゃないかとルスランは情けなくなった。
「ごめん。」
何に対しての謝罪なのか、ミシェルは聞かないまま馬車に乗り込んだ。
もしかしたらレナトゥスも、想い人をこんな気持で見送ったのかもしれない。
馬車が遠ざかっていくのを眺めながら、ルスランは大叔父のことを考えるのだった。
※
「ただいま戻りました。」
玄関に活けられたモネの花がふわりと香り、ミシェルは家に帰ってきたのだと実感した。
わずか二週間の旅だったのに、ずいぶん長いこと留守にしていた気がする。
いろんなことがあった旅だったが、まずは祖母に無事墓参りが済んだことを伝えなければならない。
祖母イルゼは一番日当たりのいい部屋で、いつものようにアームソファに体をあずけていた。
「おかえりなさい。遠いところ大変だったわね。お茶を淹れてもらいましょう。」
イルゼはアンナに紅茶の用意を頼み、部屋には二人きりになった。
「お約束通り、ルネ様のお墓参りをすませてきました。」
ミシェルは祖母の目の前に座ると、テーブルの上にそっと視線を落とした。
「ありがとう。」
「お墓は、湖の良く見える丘の上にありました。一族の方がわざわざ用意した場所だそうで、静かで、とてもいいところでした。」
ミシェルが何を見てきたのか、イルゼには分かっていたのだろう。
それでも、安心したように笑う彼女の心にさざ波が立った様子は見られなかった。
ミシェルは思い切って切り出した。
「大切な方だったんですね。」
「ええ、とてもね。今はもうないけれど、イスカには私の実家の別荘があったのよ。小さいころから、毎年夏になるとイスカに滞在したわ。ルネに出会ったのも湖のほとりでね。
その頃にはもう婚約が決まっていたからもちろん清い関係のままよ。
お互い一緒になれないと分かっていたから、彼と別れてからは二度とイスカに行かなかった。
だけどまさか、孫娘に行ってもらうことになるなんてね。ミシェル。本当にありがとう。」
目尻に浮かんだ涙を拭ったイルゼは、ミシェルの首元にゆれるネックレスに気が付いた。
「あら、素敵な色ね。イスカの湖を思い出すわ。」
貴族令嬢として、伯爵夫人として、高価な宝飾品を見る目は確かな祖母にとってこのネックレスがどこで売られていたものかはひと目で判断がついただろう。
その上で、素直に褒めてくれたことが嬉しくてミシェルは大きく頷いた。
「ええ、とても大切な思い出です。」
忘れよう、おばあ様がそうしたように。
そっと首元に手を添えながら、ミシェルはイスカでの日々に別れを告げた。




