06.今日の記念に
イスカ風煮込みは、たくさんの香草とほろほろと崩れる肉が絶妙にからまりあっていて、酸味の強いライ麦パンにとても良くあった。
添えてある生野菜も、このあたりの水が綺麗だから甘味があっていくらでも食べられそうで、これだけでイスカに住みたいと思うほどだった。
ミシェルがシンプルに「美味しい!」と言えば、ルスランは嬉しそうに「でしょう?」と相槌をうつ。
ふたりはデザートのレモンムースと紅茶まで、他愛ない会話とともにゆっくりと昼食を楽しんだ。
帰り際、店主が意味ありげな顔でルシアンの肩を叩いた。
「違うって。」と慌てて何かを否定するルシアンは、年相応の若い青年の顔をしていた。
「仲が良いんですね。」
店を出たあとでミシェルがそう言うと、ルスランは少しバツの悪そうな顔をして
「彼は昔騎士団の食堂で働いていたんですよ。」と店を返り見た。
「俺は次男とはいえ領主の息子でしょう、なにかとおぼっちゃん扱いされることが多かったんです。でも、騎士団のやつらはそんなの関係なく付き合ってくれて。感謝してますね。」
なにか良い思い出が彼の心に浮かんだのだろう。いい顔をしているな、とミシェルは思った。
二人はそのまま市場のほうへ向かって歩いていった。
茶葉や雑貨、野菜にパン、湖で採れた魚や貝。ここではありとあらゆるものが雑多に売られている。
墓地だけを回っていれば、絶対にたどり着くことのなかった場所に、ミシェルはわくわくした。
ふと、露店のひとつに並んでいたネックレスが目に入った。
ペンダントトップに使われている天然石は、イスカの湖を閉じ込めたような綺麗な深緑色だった。
その美しさに見惚れていると、二人の背後から
「あれ?ルーシャ、帰ってきてたのか。」
という声がした。
背後には3歳くらいの女の子を抱いている赤茶色の長髪長身の男と、その妻らしき女性が立っていた。
「ああ。3日前にな。」
一目で騎士が軍人だと分かる体つきと姿勢に似合わず、人懐っこい笑顔が印象的だった。
何気なく返答するルスランの口調から、親しい仲なのだろう。ミシェルは会話の邪魔にならないよう一歩下がった。
「そりゃ長いこと大変だったな。…と、失礼。ルーシャの同期のセルゲイ・キーシンです。隊が違うんでルーシャと騎士団で会うことはあんまなくて。いきなり声かけてすみません。」
ニッと笑うと八重歯がのぞき、自分にまでこんな風に気を遣ってくれるなんていい人だな、とミシェルは思った。
「ミシェル・クローデルです。はじめまして。」
「ああ、いいっすいいっす。俺貴族の挨拶とかあんまわかんないんで。邪魔しちゃってすみません。ほら、アーニャ。ルーシャおじさんに挨拶してな。」
「おい、おじさんはないだろう。」
ルスランは抗議しつつも笑いながらアーニャと呼ばれる娘に手にタッチした。
「じゃあなルーシャ。せいぜい楽しい休暇をすごして、復帰したら詳しい話を聞かせろよ。ミシェルさんもまた。」
ルスランのやりとりを見ていれば、彼もその周りも温かい人たちが多いのだなとわかる。
祈りの街と呼ばれるほど悲しい過去があったけれど、今はこうして笑顔で暮らす人々がいることを祖母に伝えようとミシェルは思った。
「それにしても、魔獣討伐の詳しい話を聞きたいなんて、やはり騎士のみなさんは勉強熱心なのですね。尊敬します。」
セルゲイ一家を見送りながら、心から感心したように呟くミシェルを、ルスランは困った表情で見下ろした。
「いやその、今のは…。」
「え?」
「あー。うん、魔獣ですね。魔獣…。」
なぜルスランががっかりしているのかわからず、ミシェルは首を傾げた。
「可愛いお嬢さんでしたね。」
「ああ、俺なんかにも懐いてくれて。あいつ昔は騎士団一の荒くれものだったんですけど。結婚して、あの子が生まれてからは別人のように穏やかになったんですよ。」
「とても幸せそうなご家族でしたものね。」
やはりミシェルには家族に対して複雑な思いがあるのだろう。ミシェルの口ぶりからは、若い娘らしい結婚への憧れは見えてこなかった。
「ミシェル嬢はその…婚約者とか、いい人とか、いないんですか?」
「いずれは市井に降りるつもりでいるので、そういったお話は全てお断りさせていただいているんです。できれば手に職をつけて一人で身を立てていければと。」
「結婚は考えていない?」
「その前に自立するので精一杯でしょうから。」
「…そうですか。」
自立を選ばす裕福な家に嫁入りすれば「済む」ことなのに、そうしないのがミシェルの強さなのだろう。
ルスランは彼女が先ほど眺めていたネックレスを手に取ると商人に手渡した。
「あの…。」
「良ければ今日の記念に贈らせてください。」
ルスランの申し出に躊躇うミシェルに、商人は値札をとりながら「今つけていきますかい?」と声をかけた。
どうしますか?とほほ笑まれたら、断ることはできなかった。
ミシェルが小さな声で「お願いします。」と答えると、ネックレスはルスランの手によって彼女の首元におさまった。
「ありがとうございます。」
「うん、よく似合ってる。」
満足そうなルスランに見つめられて、ミシェルは思わずときめいた。
恋人からプレゼントを贈られるとこんな気持ちになるのかしら。ふとそんな考えがよぎって、すぐに振り払う。
ここへはお墓参りにきただけなのに、こんなに楽しくておばあ様に申し訳ない。それにお墓が見つかれば王都に戻るのにー。
ミシェルは自分に言い聞かせる。
王都には祖母もいて仕事もある。彼女がふたたびイスカにやってくることはないだろう。
さきほどまで跳ねていた心はゆっくりと沈み、ルスランの言う通りこのネックレスはただの記念なのだと思うことにした。