05.それぞれの居場所
ルスランの話を聞きながら、ミシェルは居場所について考えた。
駆け落ちした夫婦の娘である自分は、一体どこに所属すればいいのだろう。
貴族でも平民でもない中途半端な存在。
祖父母には感謝しているし大好きだけれど、心のどこかで『母親のかわりにいい子にしなければ』という思いがずっとあった。
自分を引き取るだけの価値があったのか。
自分は祖母のもとにいていいのかと、いつも心のどこかで躊躇ってしまう。
誰も自分を知らないイスカの街にきて、少しだけ息をするのが楽になったのは、誰からもなにも求められていないからなのかもしれない、とミシェルは思った。
そんなことをぽつりぽつりとルスランに話せたのは、何があっても変わらずここにあり続けた湖のおかげかもしれなかった。
「そう言ってもらえてイスカの人間としては嬉しい限りですが。子どもが育つのに必要な価値なんてないんじゃないですか。」
話を聞いたルスランは静かにそう答えた。
「小さな命は、それだけで守られるべきなんだ。おばあ様がミシェル嬢をを引き取ったのも、価値とかそういうことじゃないと思いますよ。ただ助けたかったんじゃないでしょうか。私だって同じ立場だったら、価値とか理由なんて考えずに迷わずそうする。」
「…そんなこと、考えたこともなかったです。」
「急に考えを改めるのは難しいかもしれない。でも、助けた相手が元気になってくれた。一緒にいて楽しい、幸せ、嬉しい。それで充分じゃないですか。」
「一緒にいて幸せ…。」
「そう。幸せになるのに、理由なんていらないんですよ。まあ、長年持ち続けてきた考えを改めるなんて簡単にできることではないし、あなたは優しい人だから、王都に戻ったらまた自分の価値について悩んでしまうんだろうな。せめてここで一緒にいる間だけは、ただのミシェルとルスランでいませんか。」
ミシェルの考えを否定することもなく、ルスランは彼女から視線をそらさずに穏やかにほほ笑んだ。
泣いてはいけない。ミシェルは彼にもらった言葉に慰められ、気を抜けばぼろぼろと泣いてしまいそうだった。
「ありがとうございます。」
涙腺が決壊しないよう小さく呟くのが精一杯で、ルスランの顔をみることができなかった。
ふたりは無言のまま、しばらく湖面を漂った。
湖のボートが少なくなってきたころ、ルスランが口を開いた。
「そろそろ正午になりますね。ただの男のルスランは、街で出会った素敵なお嬢さんを昼食にお誘いしたいのですが。」
さっきまでの雰囲気を消し去って、ルスランはいたずらを思いついた少年のように片目をつぶって見せた。
「それはいい考えですね。」
ミシェルの同意をうけて、するすると水面を滑るようにすすむボートは、あっという間に岸までたどり着いた。
※
二人は中心街から少し離れた場所にある小さな食堂にやってきた。
ルスランとは顔なじみらしく、褐色の肌に黒髪の店主が、厨房からにこやかに笑いかけてくれた。
それぞれのテーブルには一輪挿しに野草が飾られ、壁にかけられた絵やカーテンには素朴なあたたかみがあった。
昔住んでいた家を思い出すな、とミシェルはふんわり頬を緩ませた。
ミシェルの出自を聞いてここに連れてきていいものか迷ったけれど、一番気に入っている店を選んだルスランはそんな彼女の顔をみて安堵した。
「良かった。庶民の店は苦手だったらどうしようかと。」
「いいえ。普段行く機会はあまりないので、嬉しいです。素敵なお店ですね。」
「ここは煮込みがうまいんです。ミシェル嬢は苦手は食べ物はありますか?」
「大丈夫です。ルスラン様のおすすめを教えていただけますか。」
イスカの名物といえば、香草や隣国から入ってきたスパイスをふんだんにいれた肉のごった煮だった。
この辺りが貧しかった時代に、なんとかして魔獣を美味しく食べられないかと工夫をこらしたものだが、現在は牛肉で作られることがほとんどだという。
「昔ながらに魔獣の肉を出すところもあるんですけどね、今では祭りの時期にしか出回らなくて、魔獣の方が高価な食材みたいだ。
まあ俺は、つい先日まで遠征先でその高級食材をこれでもかと食べてきたんですけどね。」
ルスランがそんな冗談を真顔でいうので、ミシェルは思わず声をあげて笑ってしまうところだった。
「こんなに笑ったのは久しぶりな気がします。」
ルシアンはそんな彼女を優しいまなざしで見つめるだけだった。