04.イスカの湖上で
それから4日間、約束通りルスランは墓探しを手伝った。
午後一番の鐘の時刻に大聖堂の前で待ち合わせて、昔のイスカを知る人に聞き込みをし、ここぞと思われる教会や墓地をあたってみる。夕刻には解散し、また翌日へ…。
そんな日々を重ねてふたりはすっかり親しくなったけれど、有力な手がかりは1つも得られないままだった。
7歳の年齢差を感じさせないほど話しやすく、それでいて紳士的な気遣いに長けているルスランと一緒にいるのは楽しかったが、ミシェルのなかにはじわじわと焦りが生まれていた。
ひかえめな祖母が「最後のお願い」と言うからには絶対に叶えてあげたいのに、このままでは時間だけが過ぎていくだけだ。
留守の間、祖母になにかあったら悔やんでも悔やみきれない…。
時々思いつめた表情になるミシェルを見て、ルスランは少し迷った後、口を開いた。
「明日は思い切って墓探しは休みにしませんか?ミシェル嬢、この街にきてから観光していないでしょう?
これ以上あてもないのなら、街歩きを楽しんでいったん気持ちを切り替えたほうがいいと思います。それに、観光客目線で街を歩けば意外なところで手がかりがみつかるかもしれない。」
ね?とにっこり笑いかけられると、こわばっていたミシェルの心はゆっくり溶けていくようだった。
「観光客目線…。そんなこと思いつきもしなかったですけど、確かにそうですね。」
せっかくここまでやってきたのだ。息抜きとして祖母やアンナにお土産を探すのもいいかもしれない。
明るい表情に戻ったミシェルに、ルスランは内心ほっとした。
「まあこれは、あなたを誘うための口実でもあるんですけどね。」
「素敵な騎士様にお誘いいただけるなんて、光栄ですわ。」
冗談には冗談を。そんな軽い気持ちで返答したのは、ミシェルの本心でもあった。
「明日の朝、ホテルに迎えの馬車を出します。」
「ありがとうございます。」
ルスランはミシェルの右手をとると、自分の額の前まで掲げた。
「また明日。」
囁く声には名残惜しさがにじんでいた。
ホテルの食堂で簡素な夕食を済ませて部屋に戻ると、ミシェルは今日訪れた墓地の名前を書きだし、地図に×印を付けた。
パタリと手帳を閉じれば、思い浮かぶのはルスランのことばかり。
結婚適齢期を過ぎているとはいえ、ミシェルは男性が苦手だったり、騎士が珍しいわけではない。
王都の近衛兵からも何人か縁談がきたし、夜会では何件もダンスを申し込まれた。
仕事先でも生徒の父兄と食事をする機会も少なくはない。けれど、胸が高鳴るような思いをすることは一度もなかったのだ。
また会いたいと思う相手は、ルスランが初めてだった。
翌朝、ルスランは約束通り馬車で迎えにきた。
紋章こそ入っていないし小さいけれど、御者の服装ひとつとっても、ひと目で貴族のものだと分かる馬車だった。
ルスランは彼女の手をとって馬車に乗せると、そのままイスカ湖まで向かわせた。
この地方には大小さまざまな湖が点在していて、中でも一番大きなイスカ湖は領民の憩いの場として、あるいは観光地としていつの季節も人が訪れていた。
バカンスシーズンが終わりに差しかかっているとはいえ、湖畔ではピクニックを楽しむ家族連れや釣り人が点在し、水面にはいくつものボートが浮かんでいる。
王都ではまず見られない風景に、ミシェルの心は弾んだ。
「すごい…。こんなに大きな湖を、生まれて初めて見ました。」
子どものように目を見開く彼女に気付かれないよう、ルスランは口元をゆるませた。
墓探しが難航していくにつれ、ふさぎがちだったミシェルが明るくなって嬉しい。
それ以上に、ただ彼女が楽しそうにしているだけで、ルスランの胸のうちまで温かくなるのだった。
「見るだけじゃなくて、よかったらボートに乗ってみませんか?」
「でも…。」
「大丈夫。騎士ルスランが漕ぎ手と護衛を請け負いますよ、お嬢様。」
おどけた表情で茶目っ気たっぷりにそう言われると、ミシェルは笑顔で頷くしかなかった。
ルスランは慣れた様子で舟小屋で代金を支払い、ボートを借りてきた。
「どうぞ。」
差し出された手につかまってボートに片足で乗り入れると、舟底がぐらりと揺れた。
「きゃっ…!」
ルスランはひとつも焦ることなく、バランスを崩したミシェルの腰に手をまわすと、しっかり支えて落ち着かせてくれた。
「大丈夫ですか?」
「はい。ありがとうございます。」
夜会でのダンス以外に、男性とこんなに体を近づけたことのないミシェルは内心別の意味で焦ったが、ルスランは何事もなかったかのようにオールを手にした。
きっと女性の扱いにも慣れているのだろう。もしかしたらここに別の人を連れてきたことがあるのかもしれない。
ミシェルはなぜ胸がしめつけられる想いがするのかも分からないまま、湖面に滑り出していく舟に身を任せた。
ルスランのひと漕ぎは力強く、ボートはあっというまに湖の中心部までやってきた。
ここまで漕いでこられる力のある者はそういないようで、この辺りに浮かんでいるのはミシェルたちだけだった。
雲一つない晴天の下、時々水面を走っていく鳥の影に目を細めながら、ミシェルはぽつりと口をひらいた。
「ルスラン様の瞳は深くて穏やかで、この湖のようですね。」
漕ぎ手を休めたルスランは、そう言われてミシェルを見つめた。
家族の中で自分だけが違う髪と瞳の色を持って生まれてきた。
それを陰で口さがなく言う使用人もいて、ルスランは自分の容姿があまり好きではなかった。
「あなたは先祖返りで大叔父様に似ているのよ。騎士団に入隊したのも、きっと何かの縁ね。」
英雄の肖像画の前で母親にそう慰められても、心がすっきり晴れることはなかった。
言われてみれば確かに似ているかもしれないが、今までルスランの素性を知らないものにレナトゥスとの血縁関係を指摘されたことはない。
兄や弟と同じ髪や瞳の色だったらどんなに屈託なく生きてこられただろう。
そんな彼の小さな葛藤をすべて乗り越えて、いま目の前でミシェルが微笑んでいる。
「湖の色、か。確かに、私はイスカの子だったのですね。」
両親と英雄の血をひき、この地で生まれ、この地で育った。
それで充分じゃないか。
ルスランの中にかすかに残っていた心の澱が、すうっと消えていく気がした。
ルスランが何に納得したのかミシェルには分からない。
けれども、生まれた土地でこんなにも穏やかな顔で笑っていられることを、素直に羨ましいと彼女は思った。