03.騎士ルスラン・ネズヴァル
その日、イスカ騎士団第4分隊長のルスラン・ネズヴァルは一か月ぶりに自邸へ帰るところだった。
いつもは短く整えられている金髪も、今はうなじまで伸びっぱなし。無造作におろしたままの前髪と不精髭が遠征の疲れを物語っている。
深緑色の瞳を輝かせていつもは人懐っこい表情も、今日ばかりは静かな沈黙を保っていた。
隣接する辺境領から、盗賊団の摘発への協力要請。
半月もかからないだろうと思われていたのに、現地へいってみれば魔獣の被害も深刻とのことで、結局ひと月近くも滞在することになってしまった。
野営続きの過酷な任務を終え、これでようやくまとまった休みがとれる。
ルスランは柔らかい寝台を思い浮かべながら黙々と通りを歩いていた。
そんな彼の視界に、ふと若い女が入り込んだ。
夕暮れの裏通り。地図を片手にひとり佇んでいる姿が、妙に心にひっかかった。
一部をゆるく編み込んだ亜麻色の髪も白い肌もよく手入れがされている。髪よりも濃いブラウンの瞳には、穏やかながらも芯の強さが感じられた。白いブラウスに、足首まで隠れる紺色のスカートは生地に張りがあり、すらりとした立ち姿からひと目で裕福な家の娘なのだと分かる。
道に迷ったのか、トラブルから逃げてきたのか。ルスランは彼女を警戒させないようにゆっくり歩み寄ると、出来るだけ穏やかな声で話しかけた。
「どうかされましたか?」
「あ、いえ。この先の教会に用事があったもので。」
娘の発音は美しかった。
王都から来たか、あるいはそれなりの教育を受けてきたものの話し方で、そんな人間がなぜこんな通りにいるのかルスランはますます気になった。
「この先というと…トラヴィル教会跡しかないはずですが。」
確か15年前に司祭が亡くなってから跡を継ぐものがなく、今は廃墟になっているはずだ。
かろうじて墓地の手入れや墓参りに訪れる人がいるだけで、よその土地の人間が来る場所ではない。
そんなルスランの疑問を察したのか、彼女は困ったように微笑んだ。
「実は古いお墓を探しているんです。」
「よければご一緒しましょう。日没も近いし、あなたのような女性が一人で歩くには心配だ。
申し遅れましたが私はイスカ騎士団のルスラン・ネズヴァルと申します。」
ルスランはそういって騎士団所属の証である懐中時計を見せた。
「まあ、騎士様でいらしたのですね。ご親切にありがとうございます。ミシェル・クローデルと申します。」
薄い花弁がゆっくり開くように、ミシェルはふわりと笑った。
警戒されていないことに安堵しながら、ルスランは彼女を墓地まで案内した。
イスカの騎士ならこの街の地理や歴史にもそれなりに詳しいかもしれない。
ミシェルは隣を歩く男をちらりと見上げてそう思った。
騎士団にはもちろん平民から叩き上げで入団するものもいるが、さきほど見せてもらった金時計は、それなりに階級が上のものしか持てないはずだ。
ゆったりとした麻のシャツとトラウザーは着古されているが、彼の物腰から察するにそれなりの貴族の出なのだろう。墓探しに有力な情報が得られるかもしれないと、ミシェルはこの偶然の出会いに感謝した。
たどり着いた墓は、何年も新しい者が埋葬された跡はなく、どれも古いものばかりだった。
名もなき小さな墓石をカウントすれば5つ並んだ、と言えるかもしれない墓のどこにも、ルネという表記は見当たらなかった。
「こちらには探している方はいらっしゃらないようです。」
ミシェルはゆるゆると首を横にふり、それから礼儀正しく頭をさげた。
「お手数をおかけして申し訳ありませんでした。日が落ちる前に、宿に戻ります。」
肩から流れ落ちたひと房の髪に、ルスランは思わず手を伸ばしそうになった。
もう少し彼女の傍にいたい。力になりたい。そう願ったと同時に、ルスランは口を開いていた。
「ご迷惑でなければ、これも何かの縁だと思って私にも墓地探しを手伝わせていただけませんか?土地勘のある人間がいれば多少は役に立てるかと。」
ミシェルにとって、ルスランの申し出は願ってもないことだった。
さっき会ったばかりだというのにこんなにも話しやすいのは、彼が持つ穏やかな温かさのせいだろう。
もしも自分が小さな迷子だったら、こんな騎士に保護されたい。そう思うような優しさと強さが彼の中にあふれていた。
「お申し出は大変ありがたいのですが、騎士様にもお仕事がおありでしょうからそこまでしていただくわけには…。」
「いえ、ちょうど明日から10日間の休暇に入るところで、どう過ごしたものか考えあぐねていたのです。どうせ家に戻っても鍛錬するか屋敷の仕事をするだけなので、気にしないでください。それにこんなことを言っては何なのですが、少ない手がかりから古い墓を探し当てるなんて、ちょっとした冒険めいて面白そうでしょう?」
そう言っていたずらっぽく笑うルスランは少年のようだった。
確かに、男の子はそういう探しものが好きだなと、ミシェルは今まで受け持ってきた生徒たちのことを思い出した。
「そういうことなら、ぜひお願いいたします。」
ルスランはほっとしたように目を細めて彼女を宿に送り届けると、浮き立った気持ちで帰路についた。
確かに、休暇を前にしてこんな面白そうな話にくいつかないわけがない。
けれどもそれ以上にルスランは彼女が気になってしかたがなかった。
恋というほどのものでもない、この胸に沸く不思議と懐かしい気持ちはなんなのだろう。
今をのがせば二度とこんな人間には出会えないという騎士としての直観が、彼を古い墓へと導いているようだった。