02.祈りの街
「それでは、いってまいります。」
仕事先に調整をつけ、すべての準備が整うと、ミシェルは大きなトランク1つをもって長距離馬車に乗り込んだ。
指定の宿で一泊してからイスカの街へ向かう道中、彼女は早く墓地が見つかって祖母のもとに帰れますようにと祈るのだった。
祈りの街と言われているだけあって、イスカはどこを歩いても絵になる街だった。
王都も美しいが、それとは別の歴史を感じさせる通りばかりで、観光地として人気なのも頷けた。
イスカ・オレンジと呼ばれる淡い色のレンガで作られた古い家が並び、街の規模のわりに多くの教会が点在している。
この地方は二百年前、隣国と戦争をしていたころ、物資輸送の中継地点だった。
ここより先は熾烈な戦場。そんなイスカには家も家族もなくしたものが、美しい湖に寄せられるように集まった。
彼らが戦死者をここで弔ったために、街には教会が多いのだと座学で習ってはいたけれど。
聞くと見るとは大違いで、こじんまりした家が礼拝堂になっていたりと、街は大小さまざまな教会で彩られている。その美しさにミシェルは一瞬自分の仕事を忘れそうになるのだった。
街の中心はわかりやすく広場になっていて、地元住民や観光客が入り混じって祝祭日でもないのに賑やかだった。
イスカ大聖堂には巡礼者が賑わい、英雄レナトゥス像の前ではじっと祈りをささげる人や、熱心にスケッチする若い絵描きもいた。
「英雄レナトゥス…」
石像を見上げながら、ミシェルはぽつりとその名を呟いた。60年前、再び隣国が攻め入ろうとしてきた時に先陣を切って戦い防衛の要となったのが、イスカ騎士団の名もなき若い騎士だった。
『確かな剣さばきと兵法の知識をたずさえ、戦場でもユーモアを忘れることなく、どんな逆境においても常に兵士たちを鼓舞し続けた希望の男。英雄レナトゥス。シメール歴1628年11月、隣国トルイの侵攻に屈することなく戦い、イスカの盾となり戦場にて没。』
台座のプレートを読みながら、レティシアはこの街が戦場だった頃のことを思って目を閉じた。
祖母の友人ルネも、もしかしたら家族が従軍してこの町にやってきたのかもしれない。
とにかくこれだけ教会があるならかたっぱしから探していかないといつ帰れるか分からない。
翌朝、ミシェルはイスカ大聖堂の向かいにある観光案内所で地図を購入することにした。
「お嬢さん、一人旅かい?」
従者もつけずに身なりの良い娘がひとりで地図を買い求めたことを不思議に思ったのか、会計係の老人はにこやかにそう聞いた。
「いえ、お墓参りに。」
「そりゃいいことだ。ここは祈りの街だからね。それにしてもあんたみたいな若い娘さんは珍しい。最近は湖に遊びに来る人ばかりだよ。ここは治安はいいけど、中心街からはずれると寂しい通りもあるから、お嬢さんも用心するに越したことはないよ。」
「ありがとうございます。実は目的のお墓のはっきりした場所が分からないのですが…」
ミシェルは会計係に祖母から聞いた墓地の特徴を話して心当たりがないか尋ねた。
「ニワトコの生垣なんてここらじゃ珍しくないからねぇ。大きな墓石が並んでるってことは、こことこの辺り、それから湖へ続く道のこのあたりかねぇ。せめてファミリーネームが分かりゃあツテはあるんだが。」
小さく首を横に振るミシェルに、会計係は肩をすくめた。
ミシェルを不憫に思った彼は、周辺に住まう古い顔なじみに声をかけた。案内所に集まってきた年配者たちから話を聞き、これで十数か所の墓地が候補に絞り込まれた。
彼らはなにかとミシェルの世話を焼きたがり、安心して食事のできる店を教えたり、手ごろな料金で安心して乗れる貸し切り馬車まで手配してくれた。
「なにからなにまでありがとうございます。」
「礼を言うにはずいぶん早いよ。まだ墓が見つかっていないんだからね。せっかくここまできたんだ。無事に墓参りをすませたら、イスカの景色を楽しんで、名物を食べて、土産物を買って、それで時間があればまたここに報告しにきてくれると嬉しいよ。」
深く頭を下げるミシェルに、会計係はそう言って照れくさそうにあごひげを撫でた。
これだけリストアップされれば思いのほかすぐに見つかるかもしれないと思っていたミシェルだったが、すぐに自分の見通しが甘かったと考えを改めなければならなかった。
今日訪れた教会の名前には次々と斜線が引かれていき、初日の探索はあっと言う間に終わってしまった。
名もなき小さな教会の、墓石の名前も読み取れないような古いお墓だったらどうしよう。名字を教えてもらえなかったのは、ルネが平民だったから?だとしたら一体どうやって探し出せばいいのか…。
ここにきてミシェルは事の難儀さをかみしめていた。
「明日も迎えは必要で?お嬢さんの予約なら最優先に受けさせてもらいますよ。」
ミシェルをホテルまで送り届けた御者はそう尋ねた。
観光案内所から呼び出された時には、また面倒事かと内心ため息をついたが、行ってみれば待っていたのは感じのいい若い娘だった。
彼女と少し話しただけで、案内所の面々がなんとかこの娘の力になってやりたいという気持ちがよく分かった。
長いこと御者をしていると、時々こういう人間に会うことがある。
御者はそれを「とくべつに心根が綺麗なお客」と密かに呼んでいた。
いくらチップをはずんでくれたとしても、金さえ払えばどんな振る舞いも許されると思っている客に疲弊している御者にとって、ミシェルはまさしく正真正銘心根の美しい娘だった。
ミシェルはしばらく考えてから
「いえ、明日は歩いて回ってみようと思います。」
と断りをいれた。
「そうですかい。馬車が必要になった時には、ホテルの受付に声をかけてもらえればいつでも馳せ参じます。うちはホテルへの出入りが許可されているんで、どうかご安心ください。目的の墓、見つかるといいですな。」
「お気遣いありがとうございます。そうですね、馬車に乗る機会はまだあるでしょうから、その際にはぜひよろしくお願いいたします。」
ミシェルはそういってほほ笑んだ。
貴族ではないと言っていたが、ミシェルの振る舞いは今まで乗せたどの貴族よりもはるかに洗練されていると御者は思った。