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【完結済】名もなき湖水のロマンス  作者: 夕波


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10/11

10.グランド・フィナーレ

王都に冬がやってきた。

今年は特に冷え込みが厳しくなるだろうと異国の行商人が言っていた。


「昨日は乾いた嵐のようだったでしょう?こういう風がふいた年には乳飲み子と老人がバタバタ死ぬんです。おばあ様も用心することですよ。喉を温めて、サラマンダの花が咲くまでは外に出ないほうがいい。」


行商人の男はそう言って、常連客のミシェルに体を温める効能があるというハーブティーをサービスしてくれた。

長いこと行商人として沢山の国をめぐってきた男はとても博識で、彼の言葉はミシェルにとって恐ろしい忠告だった。


おばあ様になにかあったらどうしよう。

不安な気持ちで家路を急げば、祖母はアンナの淹れたお茶をゆったりと楽しんでいるところだった。

外套を脱ぎながら祖母の顔色を見る。

大丈夫、今日は調子が良さそうだとミシェルは内心ほっとした。


祖母は今日は「今」にはいないだろう。

夢を見るような表情の祖母に、ミシェルが孫として認識されているかどうかも怪しかった。


私のことが分からなくなってもいい。それでも、私にとってはおばあ様がたった一人の家族なのだから。ミシェルがそう思っていると、来客を知らせるベルが鳴った。


「どなたかしら?今夜の晩餐会は欠席すると伝えたはずなのに。」


若い頃の記憶が入り混じっているのだろう。歌うように、祖母はそんなことを言ってゆったりと椅子から立ち上がった。

ミシェルはそれを制して「私が見てきます。」と玄関へ向かった。


「そう?もし晩餐会の迎えの馬車だったら、招待状は確かに欠席で返送したとお伝えして頂戴。」

「わかりました、おばあ様。」


晩餐会の迎えはこない。ミシェルは祖母にどう返答しようか考えながらドアを開けた。

勿論、そこにいたのは御者ではない。


あまりに非現実な光景に、ミシェルは一瞬息もできなくなるほど驚いた。

そうして、目の前にいる人が本物なのかじっと眺めた。


はにかんだように笑うこの顔を、何度夢に見たことだろう。

そこにはイスカ騎士団の隊服をきたルスランが立っていた。


「ルスラン。」

「やあ、久しぶり。」


少しやつれただろうか。目の下にうすい隈をつくって、ルスランは泣きそうな顔で笑っていた。

「どうしてあなたがここに…?」


「ミシェル嬢を見送ってから何度か大叔父の墓に足を運びました。墓の前であなたのことを考えて。そうしたら、自分と同じ道を行くなと言われた気がしたんです。

父と長兄を説得して、騎士団に休暇を申請して、あなたに会うためにここまでやってきたというわけです。」


驚きを隠せないミシェルより先に口を開いたのは、来客が気になり部屋から出てきた祖母イルゼだった。


「ルネ…ルネなのね?」


吸い寄せられるように、イルゼはルスランの目の前に歩み出た。見開かれた瞳はこれ以上ないくらいに輝いている。


どうか祖母に夢を見させてほしい。イルゼの背中越しに、ミシェルはルスランに向かって頷いた。それを了承したかのように、ルスランは小さく微笑むとそっと祖母の手をとった。


「お久しぶりです。」

「本当にルネなのね?久しぶりだなんて、あれから何十年もたって私はすっかりおばあさんになってしまったわ。」


「いいえ、相変わらずお美しいままですよ。」

「まあ、あなたの口のうまさも変わらないわね。」

「困ったな。本心なのに。」


ルスランはそういって心から楽しそうに笑い、そんなふたりのやりとりを見ていたミシェルの目に涙が浮かんだ。


伯爵夫人としての姿しかしらなかったが、この人はこんなにも茶目っ気たっぷりに笑う人だったのか。

ミシェルは祖母の新たな一面を見て、不思議な気持ちでいっぱいだった。


「ここまできてくれてありがとう。」

イルゼは目尻に浮かんだ涙をぬぐった。


「でも、私はすっかり歳をとってしまって、もうあなたと湖まで歩くこともできないわ。ご存じの通り結婚して夫もいるのよ。

だからね、代わりに孫娘を連れていってちょうだい。とても気立てがよくて、どこにお嫁に出しても恥ずかしくない自慢の孫なの。

私は旦那様と十分幸せになったから、ミシェルをお願いできるかしら。」


祖母のまさかの申し出に驚いたのはミシェルだけだった。

もとよりそのつもりだったルスランは

「お孫さんが私でもいいとおっしゃるなら、ぜひそうさせていただきましょう。」

と言って笑った。


「ですってよ。」

くるりと振り返った祖母がクローデル伯爵夫人なのか、乙女イルゼなのか、ミシェルには判別がつかなかった。

祖母がどうあっても自分を大切に思ってくれる存在には違いなかったけれど。

 

「ミシェル・クローデル嬢。私はイスカの街よりやってきました。あなたのような女性に巡りあえる僥倖は、きっとこの先訪れることはないでしょう。

辺境の、ただの一騎士にすぎませんが生涯をかけてあなたを愛すると誓います。どうか、私と結婚していただけないでしょうか。」


ミシェルの背中にそっと添えられた祖母の手が、彼女の決意を固めた。

ルスランがどのような出自であってもかまわない。自分の居場所は彼とともにある。そう信じられるだけで十分だった。


「私でよければ、どうぞよろしくお願いいたします。」

「決まりね、これから忙しくなるわ。」

「ありがとうございます。そういっていただけるのなら、きっとなにもかもうまくいきますわ。」


母がどんな話し方をしていたのかあまりよく覚えていないけれど、ミシェルは母のふりをして返答した。


あったかもしれない未来。

きっとこんな風に幸せを分かち合っていたのかもしれないと、ミシェルは思うのだった。

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