恋と好奇
周囲の散策を終えて施設に戻った氷銀たちは、研究室の一室で黒野と落ち合っていた。
「ふーん?会った事があるような感覚、ねぇ……」
「ああ、別に大したことないんだろうけど気になってさ」
氷銀たちの出生について、本人たちよりも詳しい黒野であれば何か知っているかもしれない、という水無月の案だった。
黒野は椅子に座り、ひじ掛けにもたれながら寛いでいた。
「どんな人だったの?」
「白髪で、毛先がちょっと青かったかな……」
「たしかに!あれ染めてんのかなぁ。すげえかわいい子だったよな」
「うん、まあね」
「ああそれと、目ん玉が紫っぽかったな。宝石みてぇな」
「目ん玉って……」
空音という人物が持つ特徴を聞き流しながら、黒野は小さく唸った。
「なるほどねー……名前は?」
「空音ゆかさん」
しかしフルネームを聞いた瞬間、黒野の眉がぴくりと動いた。
「空音……」
さらに黒野は何事か、考え込む顔つきになった。
「お、何か知ってんのかマスター!」
しかし黒野の表情は冴えず、回転式の椅子でくるくると回りながら唸るに留まった。
「申し訳ないけど、心当たる節はないかなぁ。聞いた限りだと、互いに一目惚れした、としか思えないや」
「ひ、ひとめぼれ!?」
「君たちは恋愛とかしたことないもんねー。胸がしまり、息が詰まり、邪念を振り払った数秒後には、気になるあの子の姿が見える。頭の隅にこびりついて消えない、身を焦がすようなあの甘酸っぱい気持ちを……知らないんだ」
黒野は自らの手で胸から首元をつぅっと撫で、最後は悲劇に暮れるオペラのように頭を抱えてかぶりを振った。
「恋愛か……考えたこともなかった」
自身の身に起きた不可解な気持ちを、氷銀は現実的に受け止める。一方の水無月は、理解の及ばないその感情に興奮を覚えていた。
「それってどんな気持ちなんだ…?ありもしない記憶とかが蘇るもんなのか……?」
「いや、別に恋愛だって決まったわけじゃないし……」
「じゃあどんな感覚なんだ!?」
いつになく喰いつきの良い水無月を宥め、黒野は普段通りのにやけ面を取り戻した。
「まあまあ星奈ちゃん、落ち着いて。そのうち分かる日が星奈にも来るよ」
「マスター……そういうマスターはあるのか?そーいう、恋、とかいうの……」
「あるよ?」
「「あるの!?」」
「そりゃあ日奈だってふつーの女の子ですから。恋の一つや二つ、経験ぐらいありますよ」
「想像つかねーな……やっぱ、告白、とか、したのか……?」
水無月のしどろもどろな質問。黒野は心底嬉しそうに水無月を眺め、視線に好奇の色をにじませる。
「意外と乙女だよねー、星奈ちゃんはさ。気になる?」
水無月は頬を赤らめ、逃げるように視線を逸らした。
「べ、別に……ただ、なんとなく、理解しがたくてさ……」
「ま、あの時伝えてみても良かったかなー、とは思うよ」
黒野はいたずらな笑みを、今度は氷銀へと移した。
「それは……後悔?」
「いいや、どっちかっていうと興味かな」
「興味って……」
落胆を滲ませた水無月に、黒野はふふんと笑って言葉を続ける。
「あの時気持ちを伝えてたらどんな顔しただろうなーとか、どんな未来になったかなーとか。考えても仕方ないことなのに、考えちゃうんだよね。恋って、そーいうものでしょ?」
「そ、そーなのか?あたしには、分かんねぇけど……」
「僕にもわかんない……」
水無月と氷銀は俯き気味に顔を見合わせ、勝ち誇った顔の黒野から視線を逃がす。そんな二人に黒野は嘲笑交じりに言い放つ。
「まだまだ子供だね!100年早いか!」
「ああ??」
「…言いすぎでしょ」
けんかっ早い水無月がすぐさま反応し、氷銀はぼそっと不満を呟く。そうして顔を上げた2人に、黒野は続けた。
「それより二人とも、ちょっと」
二人を手招きし、貼り付けたような不気味な笑顔で佇んだ。氷銀の胸に嫌な予感がよぎる。
「ん?なんだぁ?あたしの顔に何か――いだだだだだ!」
「いい痛い!!!マスター痛い!!!」
のこのこ近づいてきた2人の頬を、黒野は思い切り引っ張った。
「一般人と関わっちゃいけないって、日奈言ったよねー?」
「だ、だってだって!千早が急に立ち止まったんだもん!しょーがないだろ!?」
「ぼ、僕のせいかよ!?」
「そーだろ!!横断歩道のど真ん中で止まりやがっ――いだぁっ!!」
「いっっったぁ!!」
頬をつねる指先を力任せに滑らせ、黒野は笑みを睨みに変えた。
「どっちでもいいよ。次関わったらこんなんじゃ済まさないからね?」
黒野の鋭い眼光を浴びて、2人は涙目ながらに頷いた。
「わぁったよ……くそ」
「すみませんでした……いたい」
「分かればよろしい」
黒野は椅子を回転させ、徐に立ち上がった。
「ま、千早君も人間らしい感情が芽生えたってことで、今回は見逃してあげよう」
その場で大きく伸びをした後、試すような目で2人を眺めた。
「話は変わるけど、綾奈ちゃんの様子見たくない?」
頬をさすっていた二人は顔を見合わせ、
「「見たい!!」」
と声をそろえた。
氷銀と水無月にとっては3日ぶりの対面。例によって、高峰たちが保管されている隠し部屋に3人は集まっていた。
「どう?見えてる部分だけでも、だいぶ修復されてるでしょ?」
ガラス越しに中を覗く水無月と氷銀に、黒野は少し離れた位置から問いかけた。
「信じらんねぇ………どこにも傷跡が見当たらねぇぞ」
「ほんと……前に見た時は、本人かどうかも怪しいくらいだったのに」
焼けただれていた顔の皮膚は、もとの白い素肌を取り戻していた。焦げていた髪の毛も、本来の朱色を帯びた紅白色へと彩を取り戻している。
「この調子ならあと4日、超越細胞を打ち込んでから丁度1週間かな。それくらいで意識も戻ると思う」
水無月と氷銀は再び顔を見合わせる。
「これ……夢じゃないよな」
「一応、マスターに頬引っ張ってもらうか……?」
「いいよ?」
「ひっ!?」
2人の絶叫が響く部屋で、高峰の表情が微かに揺れ動いていた。