既視感、距離感、第六感。
高峰綾奈に死越細胞が打ち込まれてから3日後、水無月と氷銀は施設周辺のパトロールに当たっていた。
「つっても、もう人の気配すらしないな」
「……星奈が初日からとばすからでしょ」
「ああ?あんだけ越者が暴れてりゃあ、ぶっとばすだろ」
「とばすって言うのは、何ていうか……。最初から全力、みたいな意味です」
「千早お前、手ぇ抜いてたのか!?」
「いや、何でもない。手は抜いてない」
「ふーん、ならいいけど。な!今日はちょっと遠出しようぜ!いいだろ?」
「え、まあ別にいいけど…」
「っしゃあ!!んじゃ走ろうぜ!!」
「いやぁ走らなくても……あ、ちょ、待って!!」
爆速で街中を駆けていく水無月。まるで疲れ知らずなのか、彼女が息切れしている姿を見たことがない。味方としては心強い限りなのだが、一緒に行動するとなると苦しいものがある。
あの日、高峰綾奈を復活させると決めた日から、水無月は思うがまま暴れまわっている。といっても悪い意味ではなく、施設周辺にいた荒くれ者たちを片っ端から制圧していたのである。強盗中の越者をぶっとばしたり、ひったくり犯をぶっとばしたり、煽り運転車両をぶっとばしたり、戦闘中の越者たちをまとめてぶっとばしたり……。おかげでここら一帯はかなり静かな町になった。水無月がいることで他の越者達は逃げ果せて、一般市民が1人で買い物している姿も見られるようになった。少し前の惨状では考えられなかったことだ。
「おーい、遅えぞ千早ー!!なまってんじゃねーのー!?」
「ほっといてくれーー!!」
「えー!?なんてー!?」
「ほっといて!!くれーーー!!」
「あーー!?聞こえねーーー!!!」
「だから、あの、止ま、止まれぇぇぇ!!!!」
聞こえないと言いつつ距離が開いていくため、一向に会話が成り立たない。ようやく追い付いたのは、水無月が長めの赤信号に引っかかってくれた時だった。
「おっせぇなぁ千早。昔はそんなことなかったろ」
「もう……いいんだ……昔の……ことは……!」
荒れた呼吸が整い始めたころ、信号が青に変わる。
「あたしまだあっちの方角に行ったことないんだよ」
「ああ、たしかに――」
その時、どこからか視線を感じた。すぐ近く、そこにいる誰かから。不思議なことに全く不快感はなく、むしろ温かい気持ちが湧いた。
「ん、どーした千早」
横断歩道上で氷銀は足を止めた。そしてもう一人、氷銀の視線の先、右斜め前に位置する女性も同時に立ち止まった。2人は見つめ合ったまま動きを止めた。
「お、おいどうした、信号変わっちまうって」
信号が点滅を始めた。
「あ、あの……おかしなこと、聞きますけど、どこかでお会いしませんでしたか……?」
氷銀は自分で言って、自分で驚いた。いつもなら勘違いだと無視する感情が、なぜか今だけは無視することが出来なかった。そして――
「私も、同じこと、思いました……」
斜向かいの女性もまた、氷銀と同じ表情をしていた。
「な、なあ信号変わるって!とりあえず渡ろう、な!?」
信号が赤に変わり、クラクションが鳴らされ始めた。
「でも、思い出せない……あなたは――がっ!?」
「うあっ!?」
なおも会話を止めようとしない2人を、水無月は強引に引っ張った。
「横断歩道で見つめ合うんじゃねえ!!迷惑だろうが!!」
「待ってくれ星奈!!何か、大事な記憶を思い出せそうな気がする!!」
「すみません!!私もなんです!!」
「だとしてもここじゃねえだろ!――お、ちょうどいいとこに喫茶店があるじゃねーか!」
水無月は2人を引きずったまま喫茶店に入った。店内は比較的空いており、奥側のテーブル席に案内された。周りに他の客がいる様子もなく、3人で話をするにはうってつけの場所だった。
「いてて……すみません、うちの星奈が乱暴で」
「いえいえ……私は頑丈ですから」
「……そこじゃねえだろ」
水無月は紅茶を、氷銀と女性はホットココアを注文した。
「いきなり引きずったりして悪かったな。あたしは星奈、水無月星奈だ。よろしく」
「よろしくお願いします!えと、空音です。空音、ゆかっていいます!」
「僕は千早です。氷銀、千早。いきなり引きずらせてごめんなさい」
「大丈夫です!健康体なので!」
「こいつら……」
ひとしきり自己紹介を終えたところで、水無月が口を開く。
「それで?何が起きたら横断歩道で見つめ合う事になるんだ?」
水無月は頬杖を突きながら2人の顔を見比べた。
「それが、僕にもよくわかんなくて………」
氷銀はもう一度女性の顔を見た。頭に着けたカチューシャに倣うように白い髪が靡き、その毛先は仄かに青味掛かっている。垂れ目気味の瞳は深紫色に彩られ、吸いこまれそうなほど煌びやかだった。
「わたしも不思議な感覚で……よくわかりません」
「なんだそりゃ……そういや千早さっき、どこかで会った気がする、みたいなこと言ってなかったか?」
「ああ、そんな気がして……でも」
「ありえねーな」
きっぱりと言いきった水無月に、空音が怪訝な表情を浮かべる。
「あの、どうしてそう言い切れるんですか?」
「あたしらの境遇は特殊でな、物心ついたころには一般社会とは断絶されてたんだよ。あんたは普通に生きてきた身だろ?」
「普通に……まあ、そうですね、義務教育を終えて、高校にも通いました」
「だろ?こっちは幼稚園にも通ったことが無いからな」
「え!!」
「代わりに特殊な施設で10数年過ごした。数えたことないから、自分の年がいくつかも分かんねえ」
「それは、特殊ですね……」
「一応秘密機関で育ってるから、施設外の人間とは関わるはずがないんだ」
「そう、ですか……」
「たぁだぁし!!」
水無月は氷銀と乱暴に肩を組んだ。そして人差し指で氷銀の頬をドリルの要領でつつく。
「こいつだけは施設を逃げ出した空白の5年間がある。その間に遭ってるんだとしたら、話は別だ」
「5年間……ですか」
「ああ。だとしても覚えてないのはおかしいけどな」
「たしかにそうですね……」
女性の視線が氷銀に向けられる。
「逃げ出したんですか?」
「まあね……色々こじらせまして」
「そういうことも、ありますよね!」
「え、うん、そうかも…?」
「そうですよ!」
拳を握って元気づける空音に、氷銀は照れ臭そうに頭を掻いた。その様子を、水無月はつまらなそうに眺め、
「なんか、千早が弱くなった理由が分かった気がする」
と呟いた。
「弱くなった?」
「いや、なんでもねえ。それより2人の違和感は勘違いってことでいいのか?それならさっさと茶飲んで出たいんだけど」
「ちょ、ちょっと待ってください!やっぱり気になるんです、氷銀さんの事」
「気になるってなんか……大胆だな」
「僕も、他人だとは思えない」
「千早は乗っかってるだけじゃないよな?」
水無月を除く2人は再度見つめあう。謎に顔に力を入れて、お互いの顔を凝視する。
「なあ……そんなに睨んで何もないなら、なんもねーんだろ。何か、根拠とかあんのか?」
「温人君を思い出したんです」
「はるとくん?」
「あたたかいひと、で温人です。わたしの友達で、急にいなくなっちゃったんです」
「行方不明ってやつか……もしかして今も?」
「はい……」
氷銀と水無月は顔を見合わせた。
「そんなに似てんのか、千早と温人ってやつは」
空音は首を振った。
「いえ、全然似てないです。だから驚いたんです……横断歩道ですれ違ったとき、温人がいるような気がしたことに」
「ふーん、だってよ千早、残念だったな」
「別に残念では……。その温人って人は同じ学校の人?」
「はい、幼馴染で幼稚園からずっと一緒でした」
「だったら尚更関係ないように思えるけどな」
「そう、ですよね……温人は一人っ子でしたし、いとこもいないはずです」
水無月は前髪をかき上げ、しかめっ面をした。
「それじゃあいよいよ無関係じゃねーか。まあ、ゆかの感覚は人違いだったとして、千早。お前は?誰か思い出しのか?」
「いやぁそれが……空音さんの顔を見た瞬間に、空音さんを思い出した、というか」
水無月の顔が曇る。
「何言ってんだお前」
「僕もよく分からないんだけど、そんな感じ……」
その後、数十分ほど会話を続けたが、結局2人が覚えた違和感の正体ははっきりしなかった。
「ま、偶然が重なったってことだろ」
水無月のこの発言を最後に、3人はカフェを後にした。
「飲み物一杯だけで随分長居しちゃったな」
「そうですね…何かスイーツでも頼むべきだったでしょうか」
「別にいいだろ。気になるならまた来ればいいだけだ」
何気ない発言に、空音は瞳を輝かせた。
「そ、そうですよね!!また来ればいいですよね!!」
空音は提げていたバッグの中を意気揚々と探り、スマホを取り出した。
「あの、良ければ連絡先教えてください!何か思い出したら、いえ、そうでなくてもまた会えるように!」」
名案とばかりにトーンを上げた空音。しかし、水無月と氷銀は困ったように顔を見合わせた。
「申し訳ないけど、僕らに携帯は与えられてないんだ」
「え……携帯、持ってないんですか?」
「ああ。本来なら一般人と接触すること自体タブーなんだ。今は外がこんなだし、律儀に守ってねーけど」
「そう、だったんですか……」
がっくりと肩を落とした空音を見て、氷銀は慌てた。
「で、でもしばらくは近くにいるし、その、偶然会うこともきっとあるはず……ね!せな!」
「そんな頻繁に接触してたら、空音の方に迷惑がかかっちまうぞ」
「あ、そうか……」
「迷惑……?」
「あたしらは国に極秘で雇われてる身だからな。あたしらに関する情報はすべて国が管理してる。そこに異分子の空音が関わって来れば、お偉いさんの調査が空音の家にまで及ぶ」
「でも、それくらいなら私――」
「だけじゃない」
「え?」
「あたしらは真っ向から越者たちと対立してる。奴らにとっての脅威、宿敵、攻撃対象そのものと言っていい。今頃、あたしらを殺すための計画があちこちで生まれてる頃だろうぜ。そんな中、一般人の空音があたしらと親しい人物だと知られたらどうなるか、分かるよな」
考えうる最悪のケース。越者は基本、氷銀や水無月と言った戦闘のエリートに歯が立たない。だが、一般人の空音には負ける要素がない。仲間を拘束された腹いせに空音を襲う、あるいは人質に取ってくる可能性もある。水無月は何としてもその状況だけは避けたかった。
「言われてみれば、その通りだな……」
氷銀は肩を落とし、落胆を露にした。
「千早、お前は把握してなきゃおかしいぞ」
やがて空音がゆっくりと顔を上げた。
「すみません…そんな大変な立場だとは分からなくて……」
「はは、そりゃ分かるわけねーよ。まあでも、久しぶりに外の人と話ができてあたしは楽しかったよ」
「それは私も!……楽しかったです、ほんとうに」
寂し気に視線を落とす空音。そんな彼女を見て、水無月は微笑んだ。
「そっか。ほら千早も、いつまで項垂れてんだ。しっかりしろ」
氷銀は髪の毛を乱暴に掴み上げられ、ようやく顔を上げた。
「ああ……あの、またどこかでお会いしたら……きっと、何か伝えられると、思います……」
「大丈夫かお前。意味わかんねーぞ」
しかし空音の表情は明るくなった。
「そうですよね!私も何か、思い出せそうな気がします。……お仕事、頑張ってくださいね!」
「おう!ありがとな!」
「……お元気で」
片手を上げて去っていく水無月と、名残惜しそうに歩き出した氷銀。その双方が遠ざかる姿を眺め、
「きっとまた、会えますよね……温人君……」
と、小さく呟いた。微かに震える唇に、流れた涙を自覚しながら。