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命の神  作者: oto
一部 一章 "三日月は昇る"
34/35

34 "三日月は昇る"


 「…褒めても何も出ないからね…、ばーか。」


 そう言って、小さく開いた扉の向こうから顔を覗かせる者がいる。

 その者は顔を真っ赤に染めて、じっ…と睨む様にして様子を伺っていた。

 

 「妃蝶さん、何時からそこに…、男だけの秘密を覗くだなんて破廉恥ですよ。イヤーン、なんつって。」

 

 妃蝶は扉の内側に張り付いて動きそうに無い。すると、妃蝶の背後からもう人影が姿を現した。


 「えいっ」


 気の抜けた掛け声と共に、扉が勢い良く開かれる、それと同時に張り付いていた妃蝶が前に投げ出された。

 

 「えっ…ちょっ!?」


 彼女は勢いを制御できずにバランスを崩し、顔面から地面に激突した──かに思えたが、寸前で人影に背後から服の襟を掴まれ、間一髪で激突を免れた。


 「あっぶな…、ちょっと何するの!?」


 「ごめん、ちょっと勢い余った、まどろっこしくてつい。」


 白髪の少女である。表面上は謝っているが、明らかに顔が笑っている。


 「絶対反省してないし…」


 もー、と言いながら地に手をついた時の汚れを払い、涅巴たちに向き直った。


 友親が目を泳がせながら、妃蝶に何時からいた、と尋ねる。


 「えっとその、『うわぁ~はっずー』の辺りかな、その、ごめん。」


 「冒頭じゃねぇか……………くそ、まあ良い、別に減るもんでもねぇ。」


 「おっ、素直になれるじゃねぇか、このまま妃蝶に告白しちゃおーぜ。」


 「言ったろ、もうそういうのじゃないって、本人の前で言う事でもねぇだろうけどよ。確かに昔は女性として好きだった事もあるけど、今では友達として好きだ、──マジでいきなり何いってんだオレぇ……」


 友親は深くため息をついて、顔をそらしす。対する妃蝶は小刻みに震えながら、硬直していた。流石の妃蝶と言えど、ここまで直接好意を伝えられたことはなかったようだ。


 そして、少しの間隔を置いて──


 「うん、私も好きだよ。」


 と、少し気恥ずかしそうに、唇を震わせながら言葉を返した。


 「……って、とっ友達としてね!?」


 そして自身の言い忘れに焦りながらも、言葉に訂正を加えた。


 涅巴はその天使の様な照れ顔に軽く失神しつつ、真剣な顔になって、友親に向き直う。


 「──これから、どうするつもりだ、友親。」


 ──これから、自分が何をするのか。

 人生とは多種多様だ、人が生きて行く上で歩む道は木々の枝の様に分かれていて、幾千、幾万の可能性を孕んでいる。

 友親がその中のどの(みち)を選び、そして進んで行くのか…


 「俺は出来るだけそれに協力するよ、内容によっては止めることも在るだろうけど……」


 涅巴は少し言い淀む、彼が母の死という現実を踏まえ何を起こすのか。平凡な人生を望むというのであれば何も言う事は無い。

 だか、母に仇なした者に対し憎悪を抱いき、怨讐の炎をその腹に灯したのであれば……


 「お前は、奴らを……」

 

 「いいや、オレは復讐なんぞはしねぇよ。」

 

 友親が涅巴の言葉を遮った。


 「全く憎くない、わけじゃねぇけど、そんなもんよりも優先すべきものがあんだ。」


 友親はポケットから、ある紙を取り出し拳の中に握り込む、死期を悟った母が最後に書き残してくれた手紙を、破れないよう優しく。


 「オレは菫を守る、お袋の代わりになってやりたい。」


 彼は、真っ直ぐとして、決意に満ちた目をしていた。

 

 「そっか…、なら、よかった。」


 涅巴はそっと胸を撫で下ろした。彼が復讐心に駆られ、何か問題を起こすのではないかと心配していたが、全くの杞憂だったようだ。


 「それと、ありがとよ、色々心配かけた、…それとな、話し変わるけどよ、」


 友親は頭を掻きながら、彼女を指差した。


 「ん…?」


 白髪の少女が自分のことを指さす友親を見て目を丸くしている。そして懐疑的な表情を浮かべながら自分を指さした。


 「んあ?えっと……こいつ、がどーした。」


 「そうだよ、ソレだよ、お前もどう呼べばいいか分からなくて言い淀んでんじゃねぇか!」


 確かにそうだ、できるだけ気にしないようにしていたが彼女に未だ名前がないのだ。


 「いい加減あだ名でもいいから名前でもつけてやれよ…、」


 友親の言葉に妃蝶が賛成する。


 「まぁ確かに呼びやすい名前はあった方がいいよね、うんうん分かる分かる。でも、私はもう考えて、」

 「名前なんて言われても…な、白髪、赤い目、白い肌、ぐらいしか特徴ねぇし──いやだいぶ特徴あるね。」


 言葉を遮られた事を不満そうに涅巴を見つめる。薄々気付いていたが、最近彼らの自分への扱いが段々と雑になってきている様な気がして頬を膨らませた。

 気を取り直し、本題に移ろうと雑念を払拭する。


 「…だよね!それで名前考えてきたんだけど、」

 「オレは見た目だけに固執する必要はないと思ってるぜ?彼女の性格とか、好きなことからとって考えてみても良いと思う。」


 こやつらは人の邪魔が大好きなのか、先程よりも大きめに頬を膨らませた。


 「…ふっふふふ…」


 あの子が変な声を出して笑っている。

 まあ、彼女が楽しそうならいいか、と納得しかけた。が、ここまで来たなら言っておきたい。遮られ続けて私はすこしご立腹なのだ。


 「私、この子の名前は──が、」

 「おし、閃いた、今日から君の名前は蒲鉾(かまぼこ)だ!!」


 白髪の少女はピンと来ていない様子だ、まずかまぼこ自体が何なのかを知っているのだろうか?

 ──だが、気付いた事がある。


 「結構かわいいかも……、じゃなくて!!私の話を聞けー!!」


 妃蝶は男共二人に軽くデコピンをする。二人は流石におちょくり過ぎたかと軽く謝った。


 「…んで、その考えた名前とやらを聞かせてもらおうか?」


 妃蝶は得意げに腕を組み、この時を待ち侘びていた様にニヤリと笑みを浮かべた。


 「良くぞ聞いてくれました!私が考えた名前は……」




 「──まぁ、良いんじゃねぇか?」


 「後は本人の意思によるな……どうだ?」


 白髪は何も言葉を出さず、ただ右手の親指を上げて拳を出した。キリッとした表情から察するにある程度は気に入った、のだろう。


 「そこら辺は大丈夫だよ、事前に彼女と話し合って決めたから。」


 妃蝶は白髪に対し「ねー」と笑いかけた。白髪も左手をグッドの形にして妃蝶に突き出した。やっぱり表情はキリッとしている。


 かくして、やっと彼女の名前は決まった、初対面から一週間とちょっとくらいである。 名前を手に入れて、彼女も嬉しそうに微笑みを浮かべていた。

 ふと、涅巴は気になる事が出来た。


 「なぁ、お前らそんな仲良かったっけ?」


 彼女らはお互いを見つめ合い、示し合わせたように言葉を発する。


 「「乙女の秘密です。」」






 ──時は少し遡る。    

 涅巴が友親を連れて強引に学校へと連れて行った時よりも少し前、病院を出て自宅へと帰宅した妃蝶は、自室で机に参考書を並べて勉強に勤しんでいた。

 と言っても、あのようなことがあった後では勉強に身が入るわけもなく、薄明かりに照らしたノートを眺めて、ただぼーっと物思いに耽っていた。


 今日はかなり不思議なことが起きた。

 涅巴や白髪の女の子が使えるはずがない魔法を何故か安々と操り、謎の化け物との激戦、そして遠方に見えた奇妙な長身の男、にわかには信じがたい光景が永遠と広がっていた。

 この街で魔法や魔力は存在することができないと幼い頃から言い聞かされていたのに、その常識は数時間で覆されてしまった。

 正直、未だあの光景が現実だったとは信じきれていない。もしかして自分が夢を見ていたのではないかと考えてしまうほどにも彼女にとって現実みのない話であった。

 

 「あれが魔法──か……」


 妃蝶は生まれてこの方この町から遠くへと出たことがない、故に魔法を現実で見たことは初めてだったのだ。

 

 術者の思い一つでありとあらゆる形に変化し、様々な超常現象を引き起こす力、"魔力"、世界最新の元素、または亜種元素と呼ばれる"魔素"、それらが何故今更になってこの町に現れたのか見当もつかないが……


 「あの子って何者なんだろう……」


 あの白髪の少女、彼女が現れてから何かが大きく変わった気がする。

 彼女はあの有名な心霊スポットである高倉病院にいたそうだ、あそこは廃病院になってからかなり時間が経っていて、老朽化がかなり進行している、以前なら肝試しに行くこともできたが、現在では崩落の危険性を鑑みると、とても行く気にはなれない。


 では何故そんなところにたった一人でいたのか──

 

 「って、考えても答えなんて出ないか……」

 

 ただでさえ非現実的なことの連続により頭が疲れきっているのだ、本人に直接聞く以外答えを出すことなんてできない。


 「本人に……直接……」


 今彼女は涅巴とともに正面のアパートで暮らしている。そこを尋ねれば答えを聞くことができるだろうか。

 二階の自室の窓を開けアパートの方向に目を向ける。


 「…あっ!」


 彼女がいた、アパートの二階へと続く階段でぼーっと外を眺めていた。

 白く長い髪が風に揺られ月光を反射するように輝いている。

 少しだけ見惚れた、同性といえども優雅にそして少し寂しそうに夜風の吹く方向を眺めていたその横顔に、視線を外すことができなくなった。

 彼女も自身に向けられた視線に気づいたようで、妃蝶に表を向ける。

 月明かりしかない夜中でも見失わないほど 宝石のように真っ赤な眼、それに見つめられると目を背けることができなくなる。

 彼女はまた一瞬目をそらして夜風の方向を向いた後、手招きをして少し笑いかけた。


 私はその目と手に誘われるまま、自室を出てそのまま自宅を出た。


 気づけば彼女の元へと足早に駆けつけていた。彼女との距離は実に三メートルを満たない、私はその場で足を止めた、早く駆けつけたい気持ちと何故か近寄りたくないという気持ちが混ざり合って、喉から変な声が出る、痙攣しているのかもしれない。


 私は意を決したように彼女へと歩みを進めた。今まではこんなことはなかった。綺麗で可愛いらしい女の子だと思っていた、けど、ここまで情熱的に彼女を想ったのは初めてだ。

 

 「───ー」


 彼女が何か言葉を発した、でも聞き取れない、いつまでも私の意識は彼女の吸い込まれるような眼に集中している。


 私は今にも彼女に襲いかかれるほどに接近し、その両肩に手をかけて………


 「──ねぇ、大丈夫……?」


 「─っあ…!」


 私はようやくそこで自分の意識を取り戻した。

 彼女のしなやかな手が自分の頬に触れている。夜風にあたり少し冷えてしまったその手は自分の熱意を急速に冷やしていく。

 

 「ご、ごめっ、わっわたし……!」


 私は彼女の肩を強めに掴んでいたその手を 退け、三歩ほど後ろに下がる。

 今一瞬完全に自我を失っていた、一歩遅ければ彼女に何をしていたかわからない。


 「──顔、赤いよ?」


 彼女は心配するような目で私を見つめる。だが今度は先ほどのように目を奪われるような感覚には陥らなかった。

 

 私は大丈夫と言って少し口角の上がった顔を正し、彼女に顔を向けた。

 彼女は私よりも背が小さく、顔つきもまだ幼い。実年齢がいかほどかは分からないが、十三から十四ぐらいの年なのでは無いだろうか。


 彼女は胸に手を置いてほっとしたような顔を浮かべ、私を慈しみに満ちたような顔で見上げる。

 

 「よかった、フラフラした足取りだったから体調が悪いのかと思って心配したよ。」


 私はごまかすように笑顔を作った。言えるわけがない、君に見惚れてぼーっとしていただなんて。


 「でもまだ少し体調が悪そうだね……、よかったら部屋で少し休んでいく?」


 私はその提案を断ろうとする、はずが…


 「休んでいく…!!」


 私はなぜか食い気味に了承していた。

 答えた直後に私は自分の回答に違和感を持つ、考えるより先に言葉が出てしまったのだ。

 しかし、後悔は持っていない、心の奥が高鳴るのを感じる、だって、こんな可愛い子と、同じ部屋で、同じ空気を吸って、同じベッドで寝てイチャイチャできるということだろう?──断る理由がどこにある!!!


 自身の鼻息が大きくなる、顔に熱が灯り、今すぐにでもこの女の子を抱きしめたいという欲望が強くなる。


 「だっ大丈夫…?顔また赤くなってるよ…?」


 彼女が私に近づいてくる。そして顔近づけて、私の前髪を右手で上げておでこ同士をくっつけた。

 

 「ッんんっ……!!」


 声にならない声が口から漏れ出す、彼女が、彼女の顔が眼前にある、少し顔を動かせば口付けをしてしまいそうなほどに接近している。

 つややかな肌に鼻腔を震わす様な甘い香り、そして私とおでこを合わせるために頑張って背伸びをしてぷるぷると震えているその足──


 全てが可愛いらしく、愛おしい。


 「やっぱり少し熱があるかも、ここは冷えるし、中、入ろ…?」


 そして彼女は私の手を掴んで、部屋へとゆっくり誘っていく。

 彼女の手はやはり少し冷たく、だが少し内側に暖かさを感じさせた。

  

 そしてその手を私は……


 ──振り払った。






 私は彼女の手を振り払った。


 突然の出来事に彼女は目を丸くして驚いていた。


 「ねぇ、やっぱおかしいよ……」


 私は振り払ったその手をもう片方の手でさすりながら一歩彼女から遠ざかった。

 本能と言うか、感情と言うか、それに振り回されたが、また理性的な感性を取り戻した。

  

 「気づいているでしょ、私が貴女に良くない態度を取っていたって……」


 実際、恩三郎から注意を受ける程度にはあからさまな態度をとっていたはずだ。行動の一つ一つは些細なものかもしれない、けれど私は彼女が居候になってから、ほぼ彼女とコミュニケーションを取らなかった。彼女からの行動には一切関わらなかったし、声をかけられても無視をしていた。

 

 「それなのになんで貴女は私に優しく接することができるの?」


 妃蝶には理解できなかった。自身を貶めようとする存在を慈愛に満ちた眼差しで見つめ、あまつさえ心優しく接するなど自分には考えられないことだった。


 やはり彼女は自分とは違う、何をもってしても前向きに生きることができるんだと、直感した。

 

 彼女は困ったように眉間にしわを寄せる。

 

 「どうしてって、聞かれてもね、考えたこともなかったな…」


 彼女は一瞬目をそらし、深く考えるように顎に手を置いた。


 「私、やっぱり君にどんなことされても、嫌いにはなれないみたい。」


 私は「えっ」と素っ頓狂な声を出した。

 嫌いになれない?なんだそれは、それじゃあ、


 「あはっ、これじゃ理由になってないね。──妃蝶ちゃん、人はどんなことをされたらその人を嫌いになると思う?」


 彼女はそう私に問いかけた。

 質問に質問で返されるとは思っていなかった私は、突然の出来事に少し口ごもりつつ、私は口を開いた。


 「それは…ひどいことをされる、とか、」


 「──そっか君はそう思うんだ。でも私は違うんだ。」


 彼女は一拍を置いて少し気恥ずかしそうに話し出す。


 「私には記憶がない、それと同時に人として備わっているはずのものも抜け落ちてしまっているんだ。」


 記憶以外に少女が失っているもの、一部の感情、元にあった精神性、自分の権能など、己の大半を失ってしまっている。もはや元いた人物とは別の存在とも捉えられるだろう。

 人生経験というものが今の彼女には枯渇している、妃蝶から受けるより以前にいわゆる『嫌なこと』を然程(さほど)されたことがない、故に嫌悪という感情にたどり着くまでの道が"存在していない"のだ。


 「論理的に考えるとこうなるけど、実際には他の要素も絡んでいるの。」


 彼女は妃蝶を指さして、顔を赤らめながら言った。


 「私は少し嬉しかったのかもしれない。」


 「──それはどうして?」


 妃蝶は相槌を打った。その答えを聞くために、あくまでも義務的に。

 妃蝶はその答えを聞くことが自身の義務だと悟っていた、先へ進むために、無意識のうちに彼女への贖罪をしようと考える程に。


 「初めてだったから、かな。」


 涅巴と初めて会ってから数週間、短期間といえど少女は様々な出来事と巡り合った。嬉々とした事、美しく思えた事、そして人と人同士の繋がり、それはまっさらと白紙の様であった感性のキャンパスを鮮やかに彩ることへと繋がった。

 それは、悲観的に繋がる事柄も例外ではない。

 厳密に言えば初めて憎悪、恐怖を向けられた相手には妃蝶は当てはまらない、だが日常的に接する間柄の中で言えば彼女は唯一と言っていいほどの人材であったのだ。


 「私が自己的な意識を得てから初めて、私に厳しく接してくれた、また新しい"私"を見つけさせてくれた。」


 「──だからこそ、私は嬉しい、私は知りたいんだ、この世界に広がる、自分の知らないものを、私はこの"夢"を叶えたい……!」


 その言葉を聞いて、不思議と力んでしまう、ほぼ無意識の内に歯噛みをした。


 「私はみんなとは違う、嫌いがわからない、嫌われてみたい、人を嫌いたい、人を好きになりたいし、みんなに大好きって言われたい

──」


 「─私は、君に嫌われているのなら、次は君に私を好きになってほしい、これから私も変わっていくから…!」


 あぁ、本当に彼女は私とは違うんだなと、再認識する。

 力んでしまった体に再度故意的に力を込め、脱力した。


 「あーもう、そんなこと言われたらこっちも言うしかないじゃん…っ」


 私はぐっと伸びをして彼女を見つめる。


 「私はあなたが嫌い、私よりも素直なところとか、ポジティブなところとか、全部ぜーんぶひっくるめて苦手!」


 彼女は「知ってるよ」と涼しげにニコニコ と笑いながら言ってのける。その言葉に若干のやりづらさを感じるも、話を続ける。


 「でも同じくらい、尊敬してる…、自分の名前も、住んでいた場所も分からない、そんな状態でも生きる希望を失わずにしっかりと前を向いている君が、すごく格好よく見える。」


 そして妃蝶は俯き、自身の行いを顧みる様に少々の間目を閉じ、やがてその澄んだ黒い目を彼女に向けた。


 「それに嫉妬して、君の強さに嫉妬して、意地悪をした、本当はダメなことだって自分で理解しているはずだったのに、」


 「君に憧れて、でも憧れることしかできない自分が情けなくて、それを隠すように君に八つ当たりをしたの、」


 先ほどまでハキハキと話せていた妃蝶の声色に若干の緩みが生じた、その緩みはやがてそれを潤んだような声へと変える。


 「君だって辛いところはあったはずなのに、私は追い打ちをかけ続けて…」


 後悔と自責の念が込み上げ、瞳が濁り、声は段々と震え混じりなか細い声へと変化する。


 「…本当にごめんなさい、」


 妃蝶は拳をギュッと握って、俯く様に小さく頭を下げた。


 「ごめんなさい…ひどいことしてっ、私が初めて君を嫌ってしまった人間になってしまって……っ!」


 「──素直になれずにごめんなさいっ…、あなたを弱いだなんて思ってごめんなさい、」


 「悪い人になっちゃってごめんなさい……」


 妃蝶はそこで深々と頭を下げた。

 目には大粒の涙を流し、目尻が赤くなるまで泣き続けた、一番に嫌った行動を取ってしまったことを後悔するように、自分に精一杯の笑顔を浮かべてくれる様な彼女を傷つけてしまったことを懺悔するように。

 

 白髪の少女は泣き続ける妃蝶を前にして、泣きじゃくられることなど経験がなかったせいか、対応する(すべ)を持たず、ただそこで慌てふためくしかなかった。


 友親が泣いていた時は妃蝶や涅巴に任せて後は周りの流れに身を委ねていた。だが今は自分と妃蝶の二人しかいない、故に自分でどうにか対応しなければならない。

 彼女はこの場を切り抜けるために、自分のまだ多くの記憶を内包していない脳を活性化させ、躍起になって対応策を模索した。


 過去の経験、あの廃病院とやらから解放されて今現在に至るまでの短い時間の中に、きっと何かあるはずだと思案する。


 テレビ見たバラエティ番組、勝手に学校の中で盗み見た文字の多い本の内容、妃蝶の部屋に多くあった、いたいけな少女には早い男性同士の絡み合う本……どれを取ってもこれだという内容は見つからない。


 思案し思考し熟慮して頭痛がするほど熟考して、それでも考えつかなくて、泣き続ける妃蝶をじっくりと観察し、考察し、ずっと考えて考えて考えて思いつくまで考えて、目の前が暗くなるほど、虫の心地よい声が聞こえなくなるほど、風の吹く冷たさを忘れるほど、かんがえ、かんがえ、また身震いする程の亀裂の入る様な頭痛に苛まれ──


 ──記憶は躍起した。






 ──泣いていた、自分が泣いていた。


 理不尽に泣いたのか、不条理に泣いたのか、将又(はたまた)自分の非に不甲斐なさを感じ泣いたのか、それすら覚えてはいないが、ただ私は泣いていた。


 情けなく身を小さく丸めて啜り泣くように、己の袖に顔を擦りながらただ泣いていた。

 その場には私以外に誰もおらず、そよ風に揺られる桜の花の下で幹を背にして俯いている。

 時期は桜が咲いているから春か、いや、そのようなものはここでは通じない、それはここが──── であるからであろう。


 一人私が泣いていると、遠くから駆け寄ってくる影があった。近寄って私のそばに腰を下ろすと、何があったのか、と優しい声で 私に問いかける。

 また兄にやられたのか、それともお役目が嫌になったか、とその人が聞くと、私は何か 、顔を上げずに答えた。

 その人はそれを聞くと優しく私の頭を撫でて、抱き寄せるようにその(うずくま)った顔を胸に置いてくれた。ゆっくりと私に大丈夫だよと言ってくれた。歌うような軽やかな声で私を大丈夫、貴女は強い、と包み込むのだ。

 私のしゃがれた声は、いつしか落ち着きを取り戻したようによく聞く声に戻っていた。


 私は表をあげて、今度は彼女の髪についた桜色の花びらをなでるようにとってあげた。






 ──っあ……!


 急速に現実に引き戻されると共に、軽い目眩が起こった。張り裂けるような頭痛は瞬く間に引いていき、正常な脳の反応へと戻る。

 さほど時間は経っていないようだ、見れば妃蝶が未だ啜り泣いている。


 もう迷いはなかった。やるべきことは定まった。実に簡単なことであった、自分がしてもらいたくなるようなことを、相手にしてあげればいい、ただ真似るのではなく、ただ相手が自分と同じような存在なのだと、理解すればいいことだった。

 

 私は彼女を抱き寄せた。でも身長差が大きく、私は背伸びをして、彼女には身を屈んでもらうような体勢をとってもらう必要があったが、気合で何とかする。

 彼女は驚いたように目尻の赤くなった眼を丸くする。そして私は言うのだ。


 「大丈夫、もう泣かないで、君が言いたいことはわかった、ありがとう。」


 そして私はもういいんだよ、と彼女の背を撫でながら彼女の謝罪を受け入れ、泣き止むまで、ずっと背伸びをした。


 夜中の住宅街、彼女たち以外誰一人として出歩かない月夜の中で、ひっそりと啜り泣く音が木霊した。

 





 ──時が経ち、人より虫の声が響く様になった。


 泣き止んだ妃蝶は少女に頭を抱かれ座り込み、ただ静かにされるがままになっていた。


 妃蝶はそっと頭を撫で続ける彼女の手を退かし、ゆっくりと背筋を伸ばす。


 「ごめん、私が謝る側だったのに、変な気を使わせた…」


 妃蝶は立ち上がって申し訳無さそうに少女を見下ろす、それに釣られて少女も立ち上がった。


 「そんなの気にしないでいいよ、私は好きでやってるから、これも大切な経験の一つだよ。」


 少女はそうのほほんとした表情で返した。

 

 「それに…!たおやかな女性の胸の中はとても柔らかく安心する…とテレビで言ってたから…!!」


 少女は自信有りげに胸を張った。妃蝶はなんとも言えない表情で取り敢えず、笑った。


 妃蝶は決して口には出さない。たおやかはともかく、決して柔らかくはなかったと…。


 「──ねぇ、私、君にはどう見える…?」


 突然、少女は妃蝶に問いかけた。

 妃蝶の横を通り過ぎて、遠くに浮かぶ月を眺めながら言葉を続ける。


 「──みんなみたいに、人として有れているのかな…」


 少女は、軽く握れば折れてしまいそうな程細い三日月に、不安そうに(まぶた)(せば)めた。


 返答に詰る。

 妃蝶から見れば、少女を紛れもなく人間だ。姿形や感情による表情の変化、対話を可能とし、物を見て何か思い感想を言える、これを人と言わずして何と言うか。

 ──と、即答できればよかった。彼女はすでに見ている、(いかづち)と炎を纏い、人のような何かと争いを繰り広げたその姿を。

 その御業は到底人の成せる技には思えず、もしかしたら、(あやかし)の類なのではないかという疑ってしまう。そんな部類の姿。


 妃蝶はすでに彼女をただの人間とは考えていない。そしてその発言からして、自分が人に紛れた(けだもの)だと自白していることは明白。


 それでも少女の瞳に映る思いは本物のようで、心の底から人のようにありたいと、知りたいと、願っているのだろう。


 返事が帰ってこないことを受け止めた少女はただ何も言わず、当分満ちることのない月を眺めていた。


 「貴女が人のようにありたいなら、周りの人のようになりたいと思うのなら、十分人の素質はあると思う。」


 苦し紛れに出たような言葉、響くかもわからない、そんな言葉。

 

 気休め程度にしかならないのだとわかっていても、何か声をかけてあげたくて、出てしまった言葉だった。


 「目標っていう金型があるなら、ただ諦めず 歩いてみるのもいいと思う。」


 今の自分がゆがんだ鉄屑に過ぎぬとしても、一心不乱に目指し溶け込んで最終的に形になればいいと、


 「今は薄い三日月でしかなくても、いずれ面積を増やして目いっぱいに輝く満月に成ればいい、」

 

 妃蝶は振り返る少女を強く見つめ、精一杯に言葉を尽くす。


 「だから、知ろうよ…!良いところも悪いところも、そしてなろうよ、君の目指す人に…!」


 「一緒に見つけよう…、本当の貴女を…!」


 少女は驚いたように動きを止め、妃蝶の言葉を聞き入っていた。


 人を知り、他者を知り、自分を見つける。


 ただそう提案されただけなのに、どうしてここまで自分の胸に響くのだろうか…


 少女は静かに、そして力強く頷いた。


 妃蝶はその姿を見て微笑んだ。──自分と彼女の間に何か目に見えないものが生まれたことを、漠然と感じた。


 妃蝶はよし、と小さく親指を上げた。そして少女もまた真似するように親指を上げた。


 「…さて、やりたいことは決まったよね、じゃあ気になってたことをしたいんだけど、いい?」


 妃蝶は少し照れくさそうに少女に問いかける。少女は首を傾げながらも了承する。


 「…名前決めようよ、貴女の名前、無いと…少し不便じゃないかなーって、」


 「なまえ……」


 少女はうーんとうなり声を上げながら考え始める。


 「白と赤だし……ナルト……とか?」


 …涅巴譲りの圧倒的ネーミングセンスの欠場が日の目を浴びた。夜間の間だから、月の目か?


 「……それはないでしょ……?」


 妃蝶が複雑そうな目で、それと同時に憐れむような目で彼女を見つめた。


 肌寒い風が二人の長い髪を揺らす。


 ふと風の来る方向を見つめると、未だ細く、満ちることを待ちわびる星が見える。


 「(つき)……ツキ、か…。」


 少女がはっと驚いたように妃蝶の目を見つめた。


 「これがいい?」


 少女は曖昧に頷き、そして決したように強く頷いた。


 「じゃあ決まりだね!私の名前は近藤 妃蝶、貴女の名前は?」

 

 少女は頬を赤く染めながら、その新しい自分の名を口にする。


 「私はツキ…、為白 (つき)だよ…!」


 彼女は三日月を背に、満面の笑みでそう答えた。


 妃蝶はツキと月を同時に眺めながら、微笑む。


 ツキの瞳を通して見えた自分の黒い瞳は、穏やかに、そして月明かりを反射し、一瞬だけ虹のように輝いたように見えた。






 「──ってちょっと待って、"為白"!?」


 「私、なんだか涅巴とか友親に名前を自慢したくなってきちゃった……」


 「─は、は?えちょ……」


 おもむろに妃蝶の肩と腰の辺りに手を回しお姫様抱っこをする。


 「いこっか!!」


 「どこに!?」


 ツキは、妃蝶の声を無視し、駆け出し大きく跳躍した。


 「あぁあ、うぁああぁ!!!!」


 女性らしくない悲鳴を上げながら妃蝶は暴れ続けた。だがツキは案外力強く、一切の抵抗を許さなかった。


 星空の照す中、二人は住宅街の屋根を伝い、どこかへと跳ねていくのだった。

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