31 "仮面の鍛冶屋"
「友親、遅いね。もうすぐホームルームが始まっちゃうのに。」
妃蝶が頬杖をつきながら心配そうに雨雲を見つめる。
友親が遅刻するというのはさほど珍しいことではなかった。だが彼は最近になって、ふとした時に魂の抜けた様な顔をして、ぼーっと天井を見上げていることが多くなったのだ。
昨日だってせっかく購入した花を手を滑らせて落としそうになったり、赤信号の横断歩道をいきなり渡ろうとして危うく車と衝突しそうになったりと、注意力が散漫となってしまっていた。
「…」
涅巴からの返答はない。両腕を枕にし、顔を埋めて小さく寝息をたてている。
「…ねてるし。」
涅巴は何時でも何処でも寝ている。その上夜更かしをしているのだからたちが悪い。
授業終了間際となって急に起き、焦って急ぎ板書事項を写すのたが、時間が足りず後になって妃蝶にノートを見せてもらうのなんてことも日常茶飯事だ。
それにしてもよく寝ている。口元が緩み涎を垂らす程にぐっすりだ。せっかくの制服が汚れてしまう。
「触っても起きないかなー…」
試しに人差し指で頬をついてみる。反応は無く、されるがままな状態だ。
軽く痛くならない程度につねってみたが、同様に動く気配はない。
「ふふ…」
なんだか少し楽しくなってきて、変顔をさせてみたり、机を揺らしてみたりと色々ちょっかいをかけてみるが、幸せそうに涎を垂らすだけで変化は無かった。
「おいお前ら席に着け、出席取るぞ。」
生徒たちは談笑を辞め、皆各々の席へと着いていく。
教師の猿田が扉を開け生徒たちを一瞥する、そこで友親がいないことに気づいたようだ。
「また倣城は遅刻か、」
だが、さほど気にしていない様で出席番号の頭から一人一人の名前を呼んでゆく。
次呼ばれる生徒が妃蝶となったその時、いきなり涅巴が起床し席を立ち上がった。
「え、涅巴?」
「為白、どうした。」
猿田や妃蝶が驚きに包まれた表情を見せる。
涅巴が顔を上げたとき、一瞬だが目を大きく見開いていたように見える。焦燥の念が顔に出た様に額に冷や汗をかいていた。
涅巴は空を見つめ一拍置いた後、「嫌な予感がすんだ」と一言だけ残し、駆け足で教室を出ていった。
「な…!涅巴!待ってって!」
妃蝶も涅巴の後を追い教室から飛び出て行く、が、追い付く事は叶わなかった。涅巴は廊下の窓を開き、まるで死を恐れぬかのようにそこから飛び出したのだ。
「な、え…嘘!」
頭が降る雨に濡れることなどそっちのけで慌てて窓の外を覗き込むが、そこに涅巴の姿は無かった。
「…一応…ついてきて。」
代わりにそこにいたのは、二人目の居候となった白髪の少女だ。壁にある小さな溝の上に立ち、うまい具合にバランスを取っている。
「どうして貴女がここに…いや、なんでこんな所にいるの!?」
「…説明は苦手なんだ、とりあえず掴まって?」
「え、」等という言葉を発する間もなく、妃蝶は外へと強引に引っ張り出されてしまっていた。
そして、妃蝶を抱えたまま壁を大きく蹴り上げ、第二校舎の屋上まで飛び上がる。続けて屋上を駆ける事により助走をつけ、大きく跳躍した。
「うそ……こんな、魔法みたいな……」
少女は家の屋根を伝いながら街を駆け抜ける。人のできる業とは思えぬ現象に妃蝶は少し目眩がしていた。もしくは豪速で空と屋根を翔ける状態に頭が酔ってしまったのかもしれない。
「ああくっそまただ、また"夢"だ。こーゆー時には碌なことが起きねぇ…そうゆう事だよな…!」
涅巴は悪態をつきながら同じ様に街を駆ける。あの少女の様に空を翔ける事は出来ないが、出来る限り全速力で走り続けた。
「……いた!友親!!」
人気のない大通りの脇の歩道、そこには同じく走る友親がいた。無我夢中で雨の存在も忘れて走っている。涅巴は友親を追い越して前へと立ち塞がった。
「止まれっての!」
「涅巴!?なんでここに……」
「その話は後だ。気づかねぇのかよ、ここ大通りなのに人っ子一人居ないんだぞ。しかも車の一つも走ってこねぇ。」
確かにそこには涅巴と友親、白髪の少女と少女に連れられてきた妃蝶しかいない。路肩にある店にも店員はおらず、照明のすべてに光が灯っていなかった。
「ここに来るまでに色々見てきたが、道路の真ん中を通っても咎められないし、まず咎める人がいない。」
「…人払いの術といったところかな。」
「お前か…、いやなんで妃蝶がいんの?死ぬ気か?」
「死ぬ気ってなに!?というかなんで魔法?…が使えるの…!?」
涅巴は俺に聞かれてもわからんと妃蝶を一蹴し、友親に向き合う。
「涅巴、お前は……」
涅巴の表情はいつになく強張っており、深刻そうに何かを伝えようとしてくる。
「……ッ!涅巴下がって!」
何かに気づいた少女が二人を車道の方まで突き飛ばす。突如として建物の外壁が破裂し、破片が砂埃と共に四方へと飛散したのだ。そして、続くように影が地上へと降り立つ。
人、か……?
砂埃が消え、それが姿を現す。
顎から脳天までを覆う左目だけ露出した鋼鉄の仮面と、下半身を覆うローブと鳶服の様な着物を身に付け、肉体をさらけ出し、両の腕に大きなナタをもつ男がいた。
「…な、なに、こいつ……」
妃蝶が後退りをする。
男は左足で片足立ちをしながら左目をギロギロとうごめかせ、周囲の人間を一人ひとり一瞥する。
振り上げたナタを道路標識に落とし、ポールを大きく湾曲させた。
こいつ…やっぱり夢に出てきた……
「涅巴、こいつも召喚獣ってやつか? 明らかに敵意剥き出しだ…」
「俺はそんな直ぐに判断できるほど出来た魔法使いじゃねぇよ……、わかるのはただ人間じゃねぇってことだけだ…!」
男は今にも襲いかかってきそうな目つきで涅巴を睨んでいる。ナタ同士を研ぐようにぶつけ火花を散らした。
「ね、ねぇ!こいつなんなの、しかも皆こんな魔法みたいなことやって、この街で魔法なんて使えないはずなのに!!」
「それは…すまん、後でみっちり話してやるから勘弁してくれ。……こっから妃蝶と友親を逃がすこととか出来る?」
「…それは無理だ、人払いと一緒にここを中心に結界が張られてる、無理に逃げることはできない。」
少女は二人に慈しむような視線を向けた。
「それに二人を孤立させるのは余りにも危険が過ぎる。」
それもそうだ。なにせ刺客が一人とは限らない、そもそも誰がどういった目的で何をしようとしているのか、何一つとして分かっていないのだ。もしも孤立させること自体が目的の場合は取り返しのつかないこととなる。
「だ、そうだ、友親、妃蝶を任せた、一旦こいつを無力化する……!」
「ほんとに…できんだな?」
「おうよ、任せとけ!特に俺じゃなくてこの娘にな!」
少女が少し呆れたような表情を見せ、涅巴の合図と共に突進する。
男はナタを勇猛と進んでくる少女に対し振り下ろす、胸から引き抜いた双剣の片割れをナタに目掛けて振り上げ、その攻撃をいなした。
男はただ怪物の様に濁った目を少女に向ける。いなされたこともさして気にしてはいないようだ。
片足でトントンと小さく跳ねながら移動する。その行動に意味があるのかは不明だが、奇妙なことにも次々と飛んでくる斬撃をすべて躱すことが出来ていた。
「……なんだ、反撃が出来ていないぞ、躱すことがそんなにも大切か?」
少女は全ての攻撃が当たらないことに苛立ちを覚え始めていた。炎を使えば確実に攻撃を直撃させることができるだろうが、周りの建物への被害を考えればそれは難しい。怪物は挑発にも乗らずじっと見つめてくる、気が狂いそうになるほどに。
「…それなら!!」
剣を振り下ろした瞬間、自身の血を飛散させた。その血は瞬く間に質量を増やし、硬化しながら一斉に怪物へと突貫した。血は牢の様に怪物の動きを制限し、次の一撃を必中させる為の礎となる。
少女は剣を返し、思い切り振り上げる、そして刃が胴体に触れ肉体を容易に切り裂く事が出来る……はずだった。
「ごッあぁ……!!」
確かに血は牢獄の役割を果たし、剣は会心の一撃となる筈だった、だがまるで攻撃は成功していなかった。──刹那のこと、刃が肉体に触れる直前、それよりも速く怪物が剣を打ち砕いたのだ。
命令系統を失った血は行き場を失い、朝を過ぎたアサガオの様に萎れて地へと落下した。
そして、二本目のナタが姿勢を崩した少女の胸に深く突き刺さり、怪物にナタを刺されたまま持ち上げられ、片手で放り投げられた。
少女はショーウィンドウに激突し、そのまま屋内へとぶち込まれた。
「うがぁっ!!」
何も出来ずにいた涅巴はそこで動き出し、追撃を妨害しようと走り出す、が……
そこで奇妙なものを見た。
怪物の仮面の丁度口辺りが分断し、歯並びの悪い首元まで伸びた口が露出する。そしてあろうことか、ナタの一振りを見つめた後、大きく裂けた口に入れ込んだのだ。
「な…捕食…? いや、ありゃ"加熱"か?」
喉元から火花が飛び散り始める、橙色の煙が立ち登り、鉄の溶ける様で肉の焼ける様な鼻につく匂いが立ち上がった。
そして、加熱が終わったのか赤く照り上がったナタを、何処から取り出したか不明な金床の上に置いた。
がんっ、と甲高い金属音が小玉する。
「出来栄えに不安があるからって、敵の目の前で鉄を打ち出す奴が何処にいますかね?」
怪物は少女や涅巴に目もくれずその場で打ち直しを始めたのだ。
ただ一つの刃毀れのためだけに自身の身の危険を顧みず行動に移すその姿は余裕からかの行動か、もしくは蛮勇か、何にせよ攻撃においての絶好の瞬間だ。これを逃す程涅巴はお人好しではない。
「しゃあおらぁ!やってやるぜぇ!!」
涅巴は拳に炎を纏い怪物に殴り掛かった。
そして見事拳は怪物の横顔に的中した。だが、
「まじかよ…」
怪物は微動だにしなかった。
「……いってぇぇえ!!仮面硬ぁ!!炎あつぅぅぅゔ!!」
涅巴はその場に倒れ込み拳を抑えて転がり回る。
「うぉあ痛ってぇ…!じーんってする……やけどしたし…」
情けなくも半泣きで熱くなった手に息をフーフーと吹きかける。
「おい!直ぐに起きろ!!怪物が立ち上がってる!!」
友親の声に応じ後方に下がりながら起き上がる。怪物は鍛冶を終えて出来上がったナタを愛おしそうに眺めていた。
「普通もっと工程がある筈じゃねぇの?火を通して鉄を打つだけってどんな製法だよ。」
涅巴は話しながらも魔力を練り始める。彼自体魔法において高度な技術を持つ訳ではない。あの少女との契約により出力の高い魔法を放つ事も出来たが、アレは捨て身により魔力を暴走させて無理矢理引き出した力だ。そうやすやすと連発出来るものでは無い。
そして、涅巴の持っている攻撃手段では有効な効果は期待できない。
怪物は静かにナタを構え、そして、一歩、また一歩と片足立ちで向かってくる。
「なら俺はサポートに徹するのが一番だよなぁ?」
怪物が目の前まで到着し、大きく獲物を振り上げた、その時、
「──今だ!!やれ!!」
怪物は声の向けられた方向である後ろに振り向いた……が、そこには何もいない、これが罠だと気づいた時にはもう遅かった。
「……ォラァ!!見たか!ゲーセンのパンチングマシーンで鍛え上げたこの力!」
涅巴の拳が怪物の腹にクリーンヒットする。ただの拳骨ではない、直撃した 部分から練り込んだ魔力を注入し、そして暴れさせる、いうなれば乱暴なタイプの注射器である。
「敵の言葉は信じないほうがいいぜ、平気で嘘をつく俺みたいな奴がいるからな。」
だが、前述した通り彼の攻撃では有効打にはならない、ならもう一押しが必要となる。
「さぁ、座標は打ち込んだ、とっておきの一撃を頼むぜ?」
雨雲の一点が赤色光を放ちだす、そしてそれは丁度怪物の真上に留まっていた。
「チェックメイトだ。なんちって。」
赤色の雨雲は蓄積していた雷を一点に集中する、そして、怪物に向けて一本の雷撃を打ち込んだ。
雷は一瞬にして怪物へと到来し、彼の者の肉体を焼き続け、悲鳴に近い雄叫びがこだまする、そして雷がそれを超える音量で鳴き続けた。
「これで消えてくれるといいんだけど……そんな甘くはないか。」
黒く焼け焦げた地面の中から、ヨレヨレと何かが立ち上がる、怪物は肉体の半分を失いながらも生きながらえていたのだ。
続いて少女が店の中から歩いてきた。怪物の姿を見ると、少し落胆した様な表情となる。
「……火力が足りなかった。ごめんなさい。」
「いいよいいよ、ここまでやったら相手も抵抗できないだろ、一応対話できないかやってみる。」
怪物はゆらゆらと揺れながら潰れかけの眼球で涅巴を見据えている。
涅巴は怪物に話し掛けてみた。
「あー、どうも?もう出来ることもそうないだろ?出来れば君の目的を教えてくれるかな?」
「…」
怪物は無表情のままだ。対話が成立するとは思えない。
まぁ、この怪物の正体が召喚獣ならば口封じをされていると考えるのが妥当だ。術師の命令に逆らうことはしないだろうし、することも出来ないだろう。
しかし何故友親を襲ったのか、先日の高倉病院の件、それが関係しているのか、報復、もしくは白髪の少女を発見したことへの口封じか、だがそもそも殺す事が目的ならばリスクを侵さず、大規模な魔術行使ではなく毒殺や暗殺をすればいいだろうに。
あれ、そもそも口封じをするだけなら、魔法により暗示をかけたりすればいい……、じゃあ何故やらない、いや、"出来ない"のか?
「───ツデイ……」
喋った!?話せるのかよ…、あんな奇妙な口してる事もあって話せないのかと一瞬……
「──コウ………」
「あ?もっぺん言ってみ?いい子だからもっとハキハキと……」
──ピシャリと、音が鳴った。
風を切る様な音と共に何かが跳ねたのだ。
「……っあ…」
顔に衝撃を感じて、後ろに倒れ込む。
あれ、なにが起きた?前が見え、は?なんだよ、痛い、痛てぇ、痛ってえええええ!!
「……ゴォガぁあ……っ!!」
後ろに服を強く引っ張られる、だが痛みに悶え、それどころではない状態だ。
「おい!!しっかりしろ!!そのくらいのキズなら自分で直せるんだろ!!」
「友、親ぁ?」
そうだ、その通りだ、俺ならキズを直せる、目が見えねぇ、あの野郎…大人しいと思ってたら、油断した隙になんてことしやがる……、目と喉元を掻っ切りやがったな……!
どうやら友親が後ろに引っ張ってくれたおかげで、頭と首が離れてしまう事だけは避けられたらしい。
すぐさま魔力を通し、目と喉元を再生させる。
「しゃあ……再生完了……!!」
「涅巴っ…!!援護をっ!コイツさっきより速くなってる!!」
「んなバカな…」
鍛冶師の怪物は持ち前のナタを使い乱雑に、そして精確に少女の急所を狙っていく。少女も必死に食らいつくが、先程とは打って変わって防戦一方だ。
「援護って……こんな隙のねぇ状態でどうやりゃいんだよ!!」
「涅巴っ!!速く……」
くっそ、どうすりゃいい、うまく介入出来る気がしねぇ……、腕の動きが予測できない、なら足は?駄目だ、右足立ちで奇妙なステップを踏みながらうまく移動してやがる……
「っあ!!!」
少女剣が火花を散らし弾かれる、そこに出来たのは大きな隙、怪物は間髪入れずに斬撃を叩き込む、
『っ若雷!!!』
カウンターに高熱を帯びた火炎を前方に射出する、いくら素早い動きといえど、目と鼻の先まで接近した状態では避ける事もままならないだろう。
「後方支援くらいなら……うぉ……」
駆け寄ろうとしたが膝をついてしまった、魔力がどっと抜けていくのがわかる、やはり高火力の魔法は消耗が激しい。
しかも連日の魔力行使により貯蔵量がかなり減っていたこともある、これ以上の行使は命に関わるやもしれない。
「やば…魔力を送れねぇ…」
「なっ、おいそれじゃあ、コイツとどうやって戦うんだよ!」
俺はもう戦うのは無理だ、だけどここまでやれば相手も相当消耗してるばす、もう一押しで奴を……
そう、盛者必衰の理という言葉の通り、どんな生物であれ限界というものはくる、それは戦う双方に言えたこと、だが、読みが甘い、彼は相手が生物でないということを、忘れてしまっていたのだ。
『──雪泥、鴻爪……』
「あ……」
確かに彼女の炎は隻眼の怪物を包み込み、その身を何度も焼き尽くさんと赤色の輝きをその腕から放出してきた。
それでもその炎が"耐えれる程度"に落ちぶれて来ていたなんて、考えたくもない、けど、それは現実として此処にあった。
「う…?」
おぞましくも炎により変形したナタが、彼女の背から腹を大きく穿っている。
もし炎を使っていなければナタが溶け出し鋭利な形になることもなかったし、ナタを打ち直す姿を見ていれば熱を瞬時に冷やし固める力をも対処できたかもしれない。
彼女はどんな致命傷を負おうとも直ぐ様回復する権能が備わっていた、しかしそれも魔力のバックアップが完備されている事が前提であり、それも無くなった状態ではただの小娘に過ぎない。
ナタが引き抜かれ彼女は倒れてしまう、絶望の表情で己の契約者の姿を見つめながら。




