許しのありか
僕の住んでいるこの地を、侵し始めた者たちよ
僕はあんたたちを許さないぞ
そう思った。
僕たちを攻め滅ぼすことが正義だそうだ
それゆえ、その考え方を変えることはあり得ない
それゆえ、この地を侵し、
僕たちに戦いを仕掛け、僕たちを蹂躙し続ける
はた目には、どうしてもそれが正義だとは思えない
あんた達にとっては、僕たちがここに居ることが許せない
先祖から受け継いだこの土地
僕たちの土地だ。
あんた達がこの地に住むべきだというのか
あんたたちの使命はこの地の解放だと言う
その意味は、僕たちの絶滅。
それゆえ、僕たちはあんた達の存在を許してはならない
敵を愛せと言う
たとえ、相手がこちらを滅ぼし尽くそうと
考えていた相手でも? 相手であってもか?
あえてそれを受け入れ、敵を愛するがゆえに、
自らの存在意義も横において、無抵抗に徹する、と。
人間全体の中で、そのようにして無抵抗に徹し、
たとえ滅ぼし尽くされたとしても、それを受け入れる、と
そうすれば、相手は生き残り、人類は存続するかもしれない
僕たちを殺し尽くすことを信念とする相手を、愛し、
その愛をもって自らの存在を無にする
その結果が、僕たちの滅亡であるとするところに、
正義があるのか。
こうして、あんた達も僕たちも
互いに相手を滅ぼさねばならないと信じ切っている
戦いは避けられない。交渉の余地はないから
勝敗が決したとしても、その信念は消えない。
単にその信念の上に憎しみを重ねるだけ。
生まれた時から攻撃され続けるから
あるいは、相手が滅びるまで
耐えて耐えて戦い抜く。
完全に相手を滅ぼし尽くさなければ
戦争は無くならない...
いつしか互いに相手を完全に滅ぼし尽くす手段を持った
もうすぐ平和が来るだろう
互いに相手を完全に滅ぼし尽す
そこにはもう戦いはなくなる
このようにして、滅びゆく民族は多数いた。但し、必ず憎しみは残る。罪は残る。
殺し尽くすことを信念とした人々は、それに向き合わなければ、正義はない。
さもなければ、滅びついえてしまう。そして残りの民だけが救われることになる。
聖書に言う「残りの民」とは、どんな人々だろう。