有言実行
7月、梅雨。ジメジメしているのに、蒸し暑い季節。更に今日は、いつにも増して天気が悪い、カミナリ様も激おこプンプン丸である。
2限目の授業が終わった休み時間だった。
「はぁ〜学校だりぃ〜」
田中は、おれの机の正面から両腕を伸ばしつつ、気だるそうに言っていた。
「よなぁ〜マジ萎えるわ。外は雨やし、テストもヤバかった。田中は?100点取るとか、言ってたよな?」
どうせ赤点ギリギリだと思いながら聞いた。
「有言実行」
田中はドヤ顔だったが、テストが帰ってくるのは、まだまだ先だろう。本当に100点であるかは、まだ分からない。
「俺、帰るわ、テストも終わったし」
田中は笑いながら立ち上がる。おれなら、テストをする前に帰るだろう。律儀にテスト後に帰ると言う辺り、意外と田中は真面目なのだろう。
まぁ…田中は今まで授業の途中で帰った事はない。きっと冗談だろう。
「おう、帰れ帰れまた明日な……ちょっとトイレ」
冗談交じりに言いながら、おれは立ち上がった。
「いっといれ〜」
暫くすると、腹が痛みを訴えた。今の天気と連動しているらしく、ギュルギュルと雷雨の如き音。
奮闘後、慌てて教室に戻ると同時に、2限目を知らせるチャイムの音。
マリモ頭の担任は、科学の授業を始めようと教卓の前。
「…田中どうしたか知ってるか?」
マリモ先生の言葉に釣られて田中の席を見た。このクラスには、田中は一人だけだ。見ると、その席がぽっかりと空いている。
……え、マジで帰ったのか?
「誰も見てないのか?……田中がサボりか、珍しいな…」
8月の中旬、日本は、まだまだ茹だる暑さが続き、がに股女子が時折見られる季節である。眼福。
「はぁ〜あいつら、マジだりぃ〜虐めとか、最低じゃね?」
いつものように、昼休みになって田中が来ていた。その場に屈み、おれの椅子に片手を回している。
「まぁなぁ〜でも、絡まれると嫌だろ。それに噂があってさ。山口の親、警察じゃんか、何があっても揉み消されるらしぜ。」
「へぇ〜まぁ…でも許せなくね?俺、ちょっと話してくるわ。」
「お、おう。まあお前、山口と結構仲いいもんな。」
次の日、田中は学校に来なかった。ズル休みだと思った。翌日には、普通に学校へ来ていたから。
ただ、山口と仲良くなったらしく、その日を日切に、山口と田中は時々一緒に帰るようになった。
おれには友達と呼べる存在が、田中しかいないので、時々、隣に誰もいない状態に、何かが足りない、というもどかしさを感じた。
田中が山口と二人で帰りたい、という事への口出しも、そういう気分、という言葉を聞いてから、追求はしなかった。おれが田中の友好関係を制限するのも、変な話だろ?
11月も末、どんよりとした灰色の空から、雪がチラホラと振り始めていた。底冷えするような寒さのなか、教室の暖房は一向に作動していない。一定の温度、とやらは、いったい、何年待てば来るのだろうか。
「はぁ〜死にてぇ〜学校クソめんどいわぁ〜」
田中は、気だる毛に、おれの机の正面から、身を投げ出すように伏した。
「マジだりぃ〜よなぁ」
いつものように、おれは共感の相槌を打った。
「ちょっと、屋上行ってくるわ」
「は?封鎖されてんだろ。」
「ちょっくら、天国にな。」
田中は笑いながら答える。
「後であったか教えてくれよ?」
「ん〜〜無理じゃね?」
田中はフッと笑うと、教室から出て行った。その後ろ姿は、妙に覇気がなく、フラフラとしていた。眠いのだろうか?
「…田中どうしたか知ってるか?」
教卓の前に立った、マリモ先生の言葉。
梅雨の湿り気が全身を覆い、体がズンと重くなる。遠い昔の記憶を思い出すように、雨音の一粒一粒が鼓膜を揺さぶる。
「誰も見てないのか?……田中がサボりか、珍しいな…」
デジャブ。
先生が不思議そうに呟く中、授業が始まり、委員長が号令を掛ける、その時だった。
一瞬、教室が暗くなった気がした。
「キャッーーーーーーーー!!」
窓際の女子数人が、劈くような悲鳴を上げる。数名の男子も、女子の悲鳴にかき消されたもの、大声を上げていた。
何事かと、教室中が騒然とし始める。
「た、田中くんが!」
「田中?」
「田中はサボりだろ?」
「み、見てよ!田中くんだって!」
「た、田なっ、か、かがっ!」
「落ち着けよ」
ゾロゾロと、みんなが窓際に行く。どよめきの声が上がる。田中、という単語が次々に呟かれる。嫌な予感がした。
屋上は、ちょうどこの校舎の真上にある。ただし、今は使われていなくて、立ち入りは禁止されていた。だが、鍵が老朽化して、押せば入る事ができる。
おれは、出遅れながらも、ゆっくりと窓際に近づいた。他のクラスメートを掻き分けて…おれは見た。
真っ赤な人型の染みが、地面に押されていた。
田中は自殺した。そういう事だ。田中は、最後まで有言実行したらしい。
その後、警察などからの事情聴取はなかった。自殺した時に書いた遺書には、自分は生きている価値がないので…などと書かれていた、と直ぐに噂が広まった。
友人なのに気が付けなかったおれは、責められる事もなく、寧ろ被害者のように扱われた。そして、山口と友人になった。
山口には、自殺の予兆はあったか、如何して死んだと思う、相談はされたか、と事細かく聞かれた。おれは、全てに正直に、答えた。まるで、懺悔を、する罪人のようにおれは山口へ内心を吐露した。
だけれども、一番の容疑者が山口になのも、わかっていた。だけど、信じたくなかった。
山口が、孤立しそうに成ったおれに救いの手を差し伸べ、懺悔を聞き出し、その上、友人になってくれたから、じゃない。
自分が、田中の為に、山口へ刃向かって、田中の二の舞いになりたくなかったからだ。いいや、例えそうならなくても、自分の暗い未来を想像するだけで、足がすくんだ。
結局は…………
…………他人事だから。そう感じる自分は、きっと最低な部類の人間なのだろう。だけど、それでも良かった。平穏な日常が続いてくれるのなら。
雪も降り積もり始めた12月中旬、帰りのホームルームで先生が告げた。
「放課後、山下は残ってくれ。」
一瞬、何か自分がやらかしたのかと思ったが、一瞬遅れて、心当たりがない事に気が付いた。
おれと仲良くなった山口は一緒に話を聞きたそうだったが、先生は駄目だ、と告げ、教室の外でおれを待っている。
生徒全員が居なくなった後、先生は、A4サイズの紙を1枚、渡して来た。何かやらかしたと思っていたので、一瞬拍子抜けする。
「え」
「田中のテストだ。」
ぐっと、息が詰まる。田中、という単語を聞いただけで、心臓を鷲掴みにされる感覚がした。
「遺書に、100点のテストを山下に見せるよう、書かれてあったんだ。」
「遺書…」
「田中の部屋を整理している時に、田中のご両親が見つけたらしい。山下宛ての内容がある。今から読む。よく聞いておきなさい。」
マリモ先生はポケットから紙を取り出し、コレは現物じゃなくて写しだ、と言った。
「 有言実行!100点取ったぜ!
この手紙を読んでいるという事は、俺は死んだらしいな。あーあ、死んじゃったかぁ……ww実感ないな。なんせ、まだ死んでないからwww。
そんで、残念だが天国や地獄があったかは、死んだ俺には伝えられない。物理的に無理だろ?ま、色々と世話になった。自分の近くにいた、それも親友が(少なくとも、俺はそう思ってる。もし、山下が思ってなかったら、滅茶苦茶恥ずいわw)死ぬなんて壮絶な体験、させて悪かったな。普通にトラウマもんだろ?山下は長生きしろよ?絶対。
あとさ、俺以外にも友達作れ、山口とかな。そんじゃ、さいなら。来世で会おう、友よ!」
「………」
山口と友達になれ、そして、長生きしろ…か。つまり、おれが裏切る事を容認していた………のか?たが、山口に脅されて書いた線も、消すことは出来ない。所々、自虐的なのも田中らしくない。
いや、寧ろ自殺なんてする気配、おれは全く感じなかった。寧ろ、山口が田中を突き落とした、という方が説得力があるくらいだ。山口は、クラスで一緒に授業を受けていたのにな…。
なんにせよ……気がつくのが遅すぎた。ちょっとくらい、弱みを見せてくれても、相談してくれても、良かったじゃないか。そんなに、信頼できなかったんだろうか、おれ。……出来なかったんだろうな、おれなら、おれを友人として信頼しない。
なんせ、こんなにも薄情なんだからさ、人間なんてこんなもん、そう言ってしまえば、そこまでだが……納得いかない部分も、多かった。
…だけど、結局おれは、田中の甘い言葉に乗った。そういう人間だ。そういう事しか出来ない。田中が告げた、という免罪符を行使できる。
おれは、肩の荷が下りた気分で、山口と共に下校していた。もう、何も考えなくていいんだ。
「僕達、良い友達になれるよ。田中も、山下が落ち込んでいるよりも、忘れて元気にやっていく方を、願っているよ。」
「ああ、そうだな。」
田中の、最後の言葉だ。例え、山口により加筆されていたとしても、それでも、変わらない。
「有言実行。ゲーセン行こうよ?」
山口は茶目っ気たっぷりに告げる。
「駅前のにしねぇ?安いし、種類も結構あって、田中とはよく行ったんだ。」
「っあ、いいね!そこにしよう。」
「山口が田中を殺したのか?」
なんて言葉、口が避けても聞けなかった。
だから、ずっとおれを騙し続けて欲しい。山口は、おれを救い出した救世主だと思い込ませて欲しい。そうすれば、おれは何も考えなくて済む。やがて、この傷も癒えていくだろう。
3月初旬、春休み。段々と暖かくなり桜の蕾の開花も目前、という良い日和だった。それなのに、田中が居なくなってから、というもの未だに景色が霞がかっていた。
山口の友人達と、山口に家に行き、トイレの場所を聞き忘れて戻って来た時、扉越しに聞こえた声。
「アハハ……ッ!僕が殺したのに、全く気付いてないんだ。本当、馬鹿だよね。」
だれか、嘘だと言ってくれ。夢なら覚めてくれ。この悪夢を、どうか否定してくれ。
…しかし、太陽が沈み、季節が移ろい、一つ歳を重ねても、現実は変わらなかった。田中は、死んだ。おれは、この先の人生で罪悪感を一生背負う事でしか、生きられないらしい。
友人のSOSに気がつけず、助ける事もせず、自殺に追い込んだ人間に加担する。
ーー有言実行ーーその言葉を、田中の言葉を免罪符にして、おれは生きる。
………この世で一番、最低な人間だ。
「最低な人間だ…」
口から漏れて、ふと気が付いた。田中は、些細な事であろうとも、全ての言葉を有言実行していた。高校1年の頃、弱音を吐かない、そう言ったっきり、田中は本当に弱音を吐かなくなった。
ああ、そうだった。だから、田中はおれに相談しなかった。いや、出来なかったのだ。そこまでして、田中は有言実行を貫いていた。…そこに気づけなかった、おれが悪い。
だったら、田中の分まで、おれが生きて有言実行しよう。そうする事でしか、おれは罪を償えない。
「有言実行」
そう、小さく呟いた。まずは、先程の言葉から、今後の人生すべての言葉を有言実行する。
田中、お前はおれが、親友と思っていなければ、恥ずかしい、と手紙に書いてあったな。実際、去年までは、そうだった。だが、田中が自殺した事でよくわかった。ここまで、他人のことを思い遣ったのは、産まれて初めてだ。これが、親友、と言うことなのだろう。
だから…おれは最低な人間という罪を一生背負う。もし天国があったなら、見ていてくれよ田中、おれは…例えお前の意思に反したとしても、絶対に忘れないから……
……いや、それなら、寧ろ見ないでくれる方が助かるな。やっぱり今のは、なしだ。結局は、罪の意識に耐え兼ねただけ、なのだから。
言葉は、思うだけなら自由だ。しかし、発言は、有言実行しなければならない。今まで以上に慎重に言葉を紡ぐ必要がある。
実は誰よりもこの言葉に、田中は苦しめられていたのかもしれない。
今からおれは、おれ自身を騙す。山口に騙されているのではなく、自分で騙しているのだ。有言実行、という免罪符を掲げて。
あぁ…結局、おれは変われなかったらしい。刃向かう事を諦めて、内側で全て消化するのはおれの悪い癖だ。だが、今更変えることも出来ない。おれはそう言う人間だ。
根性なし、意気地なし、薄情者、そう罵られる覚悟は、もう出来ている。
暫くして、扉の向こうの会話は、ゲームの話題に変わった。おれは、扉を開けて、先程の話なんて全く聞いていなかったように、明るく、宣言するように、腹から声を出した。
「おれも仲間に入れてくれ!」
その後、自分がトイレに行きたかった事を忘れていた田中は、山口にトイレの場所を聞いて、急いで向かった。
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