降伏
日本は「アメリカ合衆国」に降伏した。
日本軍は、各部隊に戦闘の停止を通達した(とりま連絡が届く範囲だけ)。
アメリカ軍は、直ちに戦闘を中止した。
ついで、アメリカは、アメリカだけではなく連合国に対して、無条件降伏をするよう迫る。
日本から返事があった。
「上層部は正式に降伏の意志を示したとして、一部跳ね返りを説得するため、各地へ散っている。かような情けない理由で即日会議は開けらず、遺憾の意を表明する。貴国の無差別攻撃を原因と発する混乱のせいで表現方法か翻訳に手違いがおこったらしい。すぐにでも正式な降伏を指定された場所、人へ正式に申し出る。この事は、ミカドのお言葉であるととらえていただいてよろしい。現在、ミカドの玉音放送が放送されているので、皆様方お揃いのうえ、是非聞いていただきたい。すぐにでもハンコ押しますんで、ひとつよろしく!」
これに対し、アメリカは、それなら仕方ないねと返事した。
一度、日本降伏の報が、全軍に流れたのだ。戦争が終わった開放感に全将兵が浸っている。厭戦気分が蔓延している。帽子を放り投げている。いまさら、戦争はまだ終わってませんよ、作戦を継続せよ! とは言えないし!
だって次の作戦は、最も人的被害が発生するであろう本土上陸作戦だったからだ。ここで、さっきのは無しよ、となれば反乱が起こる。
次からは連絡を密にしてね。ということで、正式に日本の降伏を承認し、無条件降伏の調印に関する正使者を送った。
で、なんで日本は間違えたのかというと……
その頃、補給を完璧に済ませた日本海軍連合艦隊の生き残りが、北の海にいた。
最後の連合艦隊旗艦「戦艦」信濃を先頭に、戦闘可能艦をかき集めるだけかき集め、該当海域へ投入した。駆逐艦ではなく、戦艦信濃が先頭に立つ!
今世界の信濃は着工が早かったお蔭で完成も早く、大和型戦艦第3番艦として生を得ていた。
日本が降伏した3日後、ソ連が日本に参戦。
ソ連艦艇多数が樺太沖に集結。
これを手ぐすね引いて、捻り鉢巻きのたすきがけで、袖をまくり上げて、手に唾付けて、ここ数年の鬱憤晴らしとばかり、全艦全員護国の戦鬼となりてうちてしやまん、と待ちかまえていた連合艦隊。
静かな「かかれ」の一言だけで、全艦全速前進!
一糸乱れぬ、それこそワイヤーで繋がったが如く見事な艦隊行動は言うまでもなく全艦全力突撃!
超弩級戦艦信濃が初弾(九発一斉射撃)を放ってからたった1時間(四捨五入)で撃破!
丁寧に丁寧に、それこそ海の藻屑へと帰す職人技的作業に没頭。逃げ帰れた艦船は一隻も無し。日本側に、被弾するような間抜けな艦はいなかった。
これだけでは血の騒ぎが収まらぬとばかりに、ソ連艦隊の母港に向け、お釣りだとばかりに艦砲射撃。
信濃はもとより、駆逐艦に至るまで主砲も砕けよとばかりにタマシイを込めた全弾を撃ち込み、あまつさえ機銃弾まで撃ちつくし、破壊と暴虐というふざけた暴力の限りを尽くし、残弾ゼロの状態で(さすがに予備弾は残した)引き上げた。
この結果を受信(平文)した直後、日本政府は正式に降伏。日時は8月18日であった。
ソ連は日本に抗議した。「これは無条件降伏後の戦闘である」と。
日本は返答した。「米国合衆国に対して降伏しただけだ。ソ連に降伏などしていない」と。
日本は、一度も「連合国軍」に降伏するとは言ってない。
――歴史は改変された。
こうして、日本は「最後」の大戦を終えた。
とんでもない数の命と人生と悲しみと、そして後悔と涙を引き替えにして。
その後日本の領土がどうなったか、戦艦信濃の行く末は、等々について、ヌシ達は無関心であった。
その年の暮れも迫った来た12月のある日。
4:19。昭和南海地震 潮岬南方沖(南海トラフ沿いの領域)78キロメートルを震源とする。M8の大地震が起きた。世に言う昭和南海地震である。
この地震で発生した津波により、甚大なる被害が起きた。
人々は、日本を破滅一歩手前にまで導いた日本人へに対するヌシのお怒りであるととらえた。この事もあってか、良い様に叩きのめされたからか、日本国は不戦の誓いを立てることとなったのである。
『戦争はもう嫌です。益荒男は迷惑なだけです』
「所詮、人はサムライであったか。どの様な政治形態を取ろうと、最後は人にござる」
イズ半島の隠れ家で、イオタとミウラが向かい合って麦茶を飲んでいた。井戸で冷やしたヤカンより注いだ麦茶は、残暑の茹だるような暑さ対し、心地よい喉ごしをくれた。
ツクツクボウシがうるさい。
『なんでも、アメリカはまだ戦争を続けるらしいですよ』
「超弩級戦艦信濃をアメリカが持って行ったらしいでござるな。残念にござる!」
イオタさんは「超弩級戦艦」というワードが琴線に触れるらしく、信濃の名称を出すときは枕詞として「超弩級戦艦」をつけるようにしている。
『そのうち、どっかの半島に向けて艦砲射撃をするのかもね』
「戦はこりごりにござるが、艦砲射撃は夢が詰まっておる!」
こういう人がいる限り戦争はなくなりません。
『この後、戦勝国アメリカは、南方で戦争を続けることになるでしょう。民主主義を押しつける……もとい、俺たちの民主主義Tueeを広めるために。同じく戦勝国ソ連も戦争に関わっていく。共産主義Tueeを押しつけるために。サムライって世界中にいたんですね。驚きです』
「国を上手く治めておれば、如何様な制度を取っていようと放っておけばよいものを。共産でも宗教でもいいではないか。絶対正義の押し売りはごめん被る」
ツクツクボウシがうるさい。生命の源、太陽が狂ったように照りつけていた、あの暑い夏ももう終わる。
『なんですかね、聞いたところによると、日本国憲法に不戦の文字が躍っているとか、平和憲法とかで、軍隊や武力を持たないとか唱ってます。これで法の上からも戦争ができなくなりました。つまり、戦争はできないと言うことです! 平和平和、やっぱり平和が一番だよね!』
何所から手に入れたのか、憲法の草文の写しをポンポンと前脚で叩くミウラである。
「それは、またおかしな法度にござるな。ごくごくぷはーっ!」
湯飲みに注がれた冷たいお茶を飲み干すイオタさん。
『なんかおかしな事書いてましたっけ?』
ミウラは赤鉛筆を手に、憲法草文を開いて推敲しはじめた。
「平和憲法。それは国際連合とやらの条文に掲げるべきで、一国の法度に織り込む種類の物ではござらぬ」
『どうしてですか? 平和憲法なんて世界初ですよ。日本の偉業ですよ。……GHQに強制されたとしても』
「例を挙げるいとまもない。例えば、今川家と武田家が条約を結んでおったのに、今川の御当主が討ち取られた際、武田は条約を無視して今川の領地を切り取った。日本は戦いません、武装しません、と決めれば、目端の利いた国なぞ舌なめずりして、侵攻の手を伸ばしてくるでござるよ」
『ふえー! やっぱダメっすか?』
ミウラ、解って言っていた。
『共産主義とか、実質上の王制とか、学校とかその教職員とか、会社とか、公官庁とか、人の集団である以上いつか必ず強権体制が生まれる。共産主義がダメなわけじゃない。強権主義に成りやすいのが共産主義というだけ。まあ、制度が強権主義ですんで、成るように成ってるだけですが』
「すべては上に立つ者の資質にござる。さて、次の戦争まで百年は保たせたいのもにござるな!」
『次はお金かな。敵軍事基地の回りの土地をずらりと買い込んだ者の勝ち。皇居の眼前に自社ビル持った外国の勝ち。国境の諸島を買った者勝ち。経済で支配した者の勝ち。調略と民族浄化が主戦闘。民衆を騙した者勝ち。なんともつまんない戦争になりますよ』
「それでもしばらく日本は平和にござる。平和平和、やっぱり平和が一番だよね!」
そして――この戦争を機に、イオタやミウラを含むヌシ達は、山や森の奥へ引きこもり、遠くからしか姿を見なくなったのであった。
して――
一つの元号を終え、次の元号へと時代は代わった……。




