攻め
「これから聞くことは聖典の中身についてでござる。座頭殿、貴殿は目が不自由でござろう? 宣教師と共同して事に当たるがよい」
座頭は、宣教師に通訳した。宣教師はにっこり笑って同意した。聖典の内容についてだ。こちらの土俵だとばかりに勝利を確信する笑顔だ。
「キュウヤクの方。シンメイ記の13章の6節から、……何が書かれてござるかな?」
座頭がそれを訳すと、宣教師の顔が引き締まった。だが、追い詰められたという気配はない。厳しいが充分反論出来るとの自信に溢れる顔だ。
だが、座頭は違和を感じた。自分の知らない内容だったからだ。
「通詞に時間が掛かるであろうから、某がかいつまんで話してやろう。そこには――」
宣教師が声を荒げて座頭に何か言ってる。だが、通訳を行う時間差を利用して、イオタが話を勝手に進めた。
「――それは戦記物でござろう? 神を裏切った者に対する過酷な処罰と虐殺の方法が書かれてござる」
戦記物と聞いて、徳川家の武将が俄然聞く気を持った。これまで、話に付いていけず、眠たい目をこすっていたのに、戦記物と聞いて目の色が変わる。自分たちの得意分野だからだ。
「さらにシンメイ記28章52節より籠城戦の心得がかかれてござるな。兵糧がなくなったら人肉を食っても良いぞと。真か?」
「な!」
驚きの声が上がった。信康が大口を開けている。信康だけではなかった。
座頭も驚きの声を上げていた。
「ほほう、座頭殿。その方も知らなかったか? だが聖典は……失礼した。目が不自由にござったな。気配りの足りぬこのイオタのヌシを許せ」
「い、いえ、そのような事は、お気になさらずとも結構です」
イオタさんズルイ。座頭の貴重な一言目をイオタ個人のことに消費させるとは。
イオタさんは一気にしゃべり出す。
「では、シンヤクの方からも幾つか。よしゅあ記から。こういう一説がござるな、……この町と、その中なかのすべてのものは、主への奉納物として滅ほろぼされなければならない――」
宣教師が騒ぎ出した。座頭の通訳が間に合わない。どうしても一歩遅れる。それを利用するだけ利用するイオタさん。
もっとも、座頭はニホン人の無知に付け込んで突っ込み放題してきたから、文句を言える筋合いでは無いが。
「――そして町にあるものは、男も、女も、若い者も、老いた者も、また牛、羊、ろばをも、ことごとく剣にかけて滅ぼした……。神の命による大量虐殺にござるな」
「それは――」
「神の命令は絶対の命令でござろう! 敬虔深いよしゅあ殿は、神の命に従ったのでござろう? 殿の命を一名に替えてでも遂行する。立派な武人にござる。このイオタ、感服いたした!」
まだ座頭に喋らせる隙を与えない。
「命令、すなわち契約を素直に実行することが、その方らの正しき信仰の姿。これに質疑を差し込むこと、即ち冒涜。故に異教徒対信者の構図が生まれる。……何でござるかな、これは?」
宣教師と座頭の間で激しくやりとりしているが、ほぼ絶叫だ。
残念な事に異国語であるため、家康達は何を言ってるのかさっぱりなのだ。むしろ彼の目に見苦しく映るだけだった。ニホンの半分を支配している男の目に。そして、この後、ニホンを統一する男の目に。
「まるで某が嫌うサムライのようにござるな。あ奴らの日常にそっくりにござる。欧羅巴には未開の猿でも住まわせておるのでござろうか?」
『イオタさん、それは言い過ぎだ』
ミウラからだめ出しが入った。
「失礼した。心より謝罪しよう。ところで、如何思う、家康殿?」
「これはゆゆしき次第。人を導く聖典に、戦記どころか斯様に過激なことが書かれているとは、論外にござる! さらに、その内容を布教にて薦めるとは。残念の思いにござる!」
家康君、メッチャ厳しい目をイオタさんに向けている。
これでも宣教師達を思んばかって、彼らを直接睨み付けることを避けた結果である。
しかし、部下達はどうかな?
信康始め、正信、正純、長安の徳川家を実質切り盛りする重鎮達は、殺意すら籠もった目で宣教師達を直接睨(ガン見)んでいる。
……ミウラが狙ったのは、この状況であった。
聖典に書かれている内容は、家康達にとって、過激で相容れない言葉が一部に載せられている。ほんの一部に。
彼らは知らない。聖典に載せられている該当事項、その掲載理由を。前後の文脈や、宗教の成り立ちなどの背景を歴史的に理解していれば、解釈も違っていたことに。
このオワリが作ったショーは、ミウラに利用された。
ミウラの狙いは、家康への偏向報道にあったのだ。
家康達の反応はミウラの狙い通りであった。ミウラは宣教師達を論破するつもりなど、これっぽちも持ってなかったのだ。
ダメ! 絶対キリトリ掲載厳禁!
これで目的は完了した。ミウラは悪の首領みたいな笑みをその口元に浮かべた。
「イオタ様!」
座頭が叫ぶ!
「黙れ座頭! その方、バテレンの教えに対し、ニホン人が無知である事を利用して布教に努めたであろう? よもや某の戦法を卑怯とは言うまいな?」
座頭は賢かった。イオタの目的を悟った。
万が一、イオタを論破できたとしても、もはやどうにもならない。
もはや家康達、ニホンの支配者が宣教師を優遇する事はないだろう。
賢かったから諦めも早かった。これ以上反論する意味が無い。
実を言うと、座頭も大量虐殺の話を聞かされていなかった。これが聖典にある限り、ニホンでの布教はムリだと悟った。
聖職者達が、自分にこの事を教えなかった理由も理解した。日本人である以上、受け入れられない逸話だからだ。自分の目が不自由であることも、彼らは利したのだと知った。
そして、一夜で聖典を読み解き記憶したヌシの知能を上方修正し、様々な検討をした結果、勝ちは無いと断定した。
そして……イオタとミウラのヌシは、宣教師達、異国の言葉を理解している。ということは、彼らが口にした罵詈雑言を耳西、理解し、その上で聞かなかったことにしている。
これは勝てない。
「さて、もう一つ座頭殿に聞きたい。その方らの解釈だと、某らヌシは何でござるかな?」
座頭は――。
「悪魔にございます! サタンにございます!」
……ヌシは、自分から、神を奪った……
座頭は涙をこぼした。
「それでよろしい」
イオタの話は終わり、後ろへ下がる。
「儂の神を返してくだされ!」
座頭は叫び、そして泣いた。
『では、本題に入ろうか』
変わって、のっそりとミウラが前に出てきた。
『諸君らは、この地で何がしたい?』
「ううっ、ただ、ただ、正しき神の道を伝え教え帰依させるため――」
『そうじゃない。宣教師の後ろに怖い人達が付いているだろう? ニホンと貿易をしたがっているのではないか? もう既に布教していないか? センシュウやキュウシュウで』
座頭は、ミウラの持ち出した話題が宗教問答ではなかったと判断し、宣教師達に通訳した。さすが論客と呼ばれた座頭。気持ちの切り替えが早い。
「布教しております」
それが答えだった。
『家康君、君も一枚噛んでいるだろう?』
今度は家康に振った。
「はっ! 誠に申し訳なく。このような邪教の者とはつゆ知らず……、面目次第もございません」
傍観者の立場であったのだが、いきなり舞台に乗せられたので焦っている。……先ほどより、徳川が貿易を行っている事を持ち出されませんようにと願っていたのだがダメだった。ヌシはなんでもお見通しだ。
ミウラのヌシに対する恐れが家康の心に、より一層深く刷り込まれた。
『安心したまえ。わたしは貿易自体に口を挟むつもりはない。ニホンに無い珍しい品物を輸入し、また輸出して儲ける。これは悪いことではない。むしろ奨励したいとさえ思っている』
「ははーっ」
ドキドキしていたのだけど、あっさり認められてホッと一息付けた。
『ちなみに、対価は何で支払っているのかな? 輸出品でも良いぞ。銀か? それとも人か?』
安心したらこれだ。家康はミウラに対し、何度目かの気を引き締める決意をした。
「仰せの通り、主に銀でございます。それと、不確かでございますが、人が船で出て行っております」
『銀に関しては後で話をしよう。人が輸出品として出ていくのが大問題だな』
「はぁ? ……人身売買がそれほどの大問題なのでしょうか?」
『あれ? 意外な答えが返ってきたぞ?』




