イオタのヌシ様
「ど、どうか命ばかりはお助けを! こ、この荷であらば全て差し出します!」
商人は土下座して額を河原に擦りつけていた。
「特に命をどうこうする気はないが……、ちなみにその荷は何でござるかな?」
「薬にございます! 胃腸薬、風邪薬、歯痛、腰の痛みに虫下し、何でもござれでございます!」
「ヌシに薬は必要なかろう?」
「どうか命ばかりはお助けを! 家には10を頭に5人の子供が!」
「子だくさんで何より。ちょっと落ちつこうでござる。命は望まぬゆえ」
「どうか、どうか、家には5を頭に10人の子どもが!」
「計算が合わぬようになってきたでござる。……落ち着かぬと殺すよ」
「落ち着きました!」
どうにか話ができるまでになった。
「某、イオタと申す者。ミウラのヌシ配下のヌシでござる。其処許の名は?」
「へ、ぇへい! わたしはサブロウです。エチゼン湊屋のサブロウです。薬売りの行商人でございます!」
サブロウは、地面に唾を飛ばしながら名乗りを上げた。上げないと殺されるから!
サブロウの心中や如何ばかりか? 最も出会いたくないヌシにばったり出会った。もう死ぬ。すぐ死ぬ。さあ殺せ! 出来れば痛くないように。
「そのままでは話ができん。面を上げよ」
「へ、へい!」
3センチほど上がった。
「……顔を見せよ。聞きたいことがある。聞かせてくれれば命は取らぬ」
「へいっ!」
もう5センチ上がった。合計8センチだ。鼻が立体であることだけ判った。
「命は取らぬ。顔を見せよ。話を聞きたい。……話してくれれば、イズの森の通行手形を渡そう」
「はい! 喜んで!」
サブロウは、がばりと顔を上げた。涙と鼻水で小汚くなっていたが、満面の笑顔だ。
「安全にイズの森を通れるなら、命など惜しくありません!」
「本末転倒という四文字熟語を知ってござるか?」
イオタは呆れた。だが、それくらい図太い方が話が早いだろう。
「それで、手前がお話しすることとは?」
「うむ、この地のことだ。この地のことを聞きたい」
「この地って……お恐れながら、イズの地はイオタのヌシ様の方がお詳しいのでは?」
なかなか言う男だ。
「そうではない。外の国を知りたいのだ。そうだな……」
イオタは小首をかしげ、ちょっと考えるフリをした。
そして、ミウラに精神感応で語りかける。
【あーあーミウラよ、聞こえますか? 捕まえたはいいが、こやつ要領が悪い。国の名前を聞いた方がよいと思うのだが、いかが?】
【こちらミウラ、こちらミウラ。そっすね、それが良いと思います。方角とか位置も添えて話すように言ってください。オーバー】
イオタは、急に思いついた体をとり、サブロウに向かい合った。
「その方が知っておる国を教えてくれ。イズから見てどちらにあるか、どんな大きさか、どの様なヌシが棲んでいるか等だな。大変興味があるのだ」
「ははー、では……」
サブロウは語った。
サガミとイズを中心とした世界観を。
見て聞いて知った、遠い地のヌシ達のことを。
そして、人の世のことも。
薬の行商人サブロウは山の中を走っていた。重い荷物も何のその! 悪い足場も何のその! 全力で走った。
イズの地で行動の自由を勝ち得た。もうハコネのヌシを怖がらなくて良い。
「エチゼン湊屋のサブロウ。イズの地の通行自由を保障しよう。ただし、他言無用」
当たり前だ! 誰が言うか!
この話を聞けば通行の許可を求めて商人が殺到してくる。ミウラのヌシは太っ腹。片っ端から自由を与えるぞ。そうなれば俺の利が無くなる。利に聡い商人なら、絶対に漏らさない!
「次、この地を訪れた際、また話を聞かせてくれ。それが条件だ」
たやすい条件だ。完全に俺が有利な商談だ。ビタ銭で仕入れた小物が銀で売れた。こんなうまい話は、そうそう転がってない! どう考えても絶対有利!
ここが安全に通れるなら、あれもしよう、これもしよう、あれを売ろう、これを買おう!
サブロウの目の前に明るい未来が開けた。走っても走っても疲れない。体の奥底からどんどん力が湧き溢れてくる!
「商人王に俺はなる!」
多少、危ない事を叫びながらサブロウは走る。
この後、仲間を集めた彼は、いつの日か、一続きの商路をつくるであろう。たぶん。
西の空が真っ赤な夕焼けに染まる頃……
「フジのお山の向こうはカイの国。カイの国の北にシナノの国がある。そこまでは知ってた。目を西に転ずれば、トウトウミ、ミカワ、オワリの国にミノウ、イセ、ヤマトにカワチにセッツの国。オウミにはオウミの海」
『うん……やばいっす』
ミウラ半島の秘密の家。囲炉裏を前にイオタとミウラが並んでいる。「第一回・やはりお前の力が必要だった。帰ってくることを許す! と言われてももう遅い。 はぁ? わたしら可愛い恋人と一緒に奥地でまったり生きてますよ?」会議である。
「会議名が長いなオイ! コホン! やはりエチゴには軍神エチゴが。カイには戦神カイが。それぞれ竜と虎の姿をしておるそうな」
『やばいっすね』
正座していたイオタだが、座り直してあぐらをかいた。
ミウラは香箱座りで火に当たっている。
「オワリの魔神とやらが、ミノウの蛇神を倒し、ミカワ、トウトウミを睨んでおるとか?」
『やばいっす。第六天魔王はミカワとトウトウミを食うつもりっす』
「魔神な」
しばらく、2人は黙っていた。それぞれ、いろんな事を頭に浮かべていたのだ。イオタは江戸時代の知識。ミウラは現代知識。それぞれ知ってることと知らないことがあり、互いに補完しあえる知識であるのが救い。
ミウラが口を開いた。
『第六天魔王様は、いつかこっち来ますよ!』
「やばいっす! 魔神な」
ちなみに、茅葺きの日本家屋は、竪穴式住居の完成系とされる説がある。この際、関係ないが。
また沈黙が囲炉裏の周囲を支配した。
「うすうす気づいておったが……、この世界って、アレでござるな」
『うすうす気づいておりましたが……、ハリマ、カガ、ナガト、トサ、ヒュウガ、戦艦に使われている国名が。江戸に幕府が開闢される以前の日本みたいな世界ですな。あるいは、どこかバカが、たとえばパパンンナナムム社が考えた戦略シュミレーションゲームの中か?』
2人はうつむいた。ウンウンという唸り声だけしか聞こえない。
『物は考えようです』
ミウラは顔を上げた。
「どうしたミウラ? 開き直ったか?」
『幸い、我らヌシは不老不死。数百年後、上手く泳げば、わたしが生きていた時代と同等の未来世界がやってくるはず! それをイオタの旦那にお見せできる!』
「をを! 戦艦が空を飛ぶアレな未来でござるな! 道や階段が動くという与太話の!」
『そうです! その未来です! 我々の使命は正史になるべく近づけること! 戦いは回避し、のんびりと生きること!』
どうやら折り合いが付いた模様です。
「ならば、我らがどう動くべきか動かざるべきか、方針を考えようではないか!」
『ふふふ、イセカイにおいて、軍師と称されたネコの実力を発揮するときが来たようですね」
ネコとネコが額を付き合わせて悪巧みを始めた。




