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旅人

 この世界、隠れ村の平均寿命は数えで40歳。サムライの支配する村は35歳である。ちなみに0の概念が無いので1が最初の数字だ。

 平均寿命と表記したが、寿命で死ぬ者は少ない。死亡原因の大方が殺人の被害者。次いで、飢えや病気である。60とか70まで生きるためには何より健康と、サムライから逃げ切れる脚力が必要とされる。


 さて――


 イズ半島をぐるりと回り、サガミの地へ抜けようとする男が居た。山ほどの荷を背負った行商人だ。

 がっちりした体付き。そのくせ、顔の作りが貧弱というちぐはぐな見た目を持つ男。弱い者には強いが強い者には弱い。それが行商人として彼を一人前にした。

 その行商人は今年で20代後半。そろそろ先が見えてきた。 

 この秋も、サガミの国へやってきた。

 

 ハコネ山の峠を突っ切る道と、フジ山とハコネ山の間を通る峠道。西から東へ行くには、この二つの道がある。街道とはとても呼べない、獣道に毛が生えた程度の道だ。そんな道だが、旅する商人にとって、通らねばならない難所である。


 フジにヌシは居ないから良いようなものの、ハコネがやっかいだ。最近、ハコネのお山から煙が吹き出るようになった。いまでも遠く山鳴りが聞こえる。現代風に言うと小規模な噴火だ。

 そして、ハコネにはヌシが居る。このハコネのヌシが偏屈なのだ。


 この行商人は第3の道、シミズからイズに入るルートを取っている。

 ハコネのヌシとイズのヌシの領域ギリギリのきわどい境界線の道を通るのは、二柱のヌシが牽制し合って手を出しにくい場所だからだ。


 行商人は、毎年、イズのヌシの恐ろしい姿を遠目に見ながら、息を殺し、気配を断ち、細心の注意を払いながらイズへ入る。その後、来た道を辿り、ハコネ峠を越えて東の海に出る。

 ……イズから山越えで東の海へ抜ける道がある。それが使えればもっと楽になるのだが、ヌシと鉢合わせの確率が高い。絶対死の賭けに出るバカはいない。


 なぜだか、ヌシは己のテリトリーに入ったヒトに敏感だ。必ず探しにやってくる。武装してようものなら、容赦なく殺しに来る。とくにイズのヌシはそれが顕著なのだ。だから、彼は寸鉄も帯びていない。

 このようにして毎年命がけの苦労をするのだが、今年は楽だった。

 イズのヌシの姿を見なかったからだ。


 イズに入って理由が知れた。ミウラのヌシと戦って負けたのだ。イズはミウラのヌシの物となった。

 で、ミウラのヌシの評判だが、さほど悪くない。上ヌシを殺す獰猛さを隠していた割に性格は温厚らしい。時たま、若い美女の生け贄を求めるだけだ。

 その程度なら安い代金だと思う。


 西の国でも上ヌシが上ヌシに殺される事件が発生している。東の国でも同じ事が起こってる。だが、行商人に関係ない世界の話だった。……イズ半島に棲むヌシと会うまでは。

 

 この男の商域はイズ半島東側まで。毎年、秋にここを訪れ、冬が来る前に地元へ帰り冬を越してから、また一年の行商がスタートする。

 イズ半島の東側地域が仕事納めの地である。


 商人はイズの村で商売のついでに情報を集めていた。この情報は、しかる筋に売れる。商売で上がる利益と別口で利益が上がるのだ。

 いつも村長の家で、今年一年で起こった出来事を聞かせてもらっている。


「ミウラのヌシ様が、イズのヌシ様を倒したことはご存じですか?」

「はい、イズの西で耳にしました。なんでも虎型の小振りなヌシ様ですとか」

 商人は湯飲みの中の湯で口を湿らせた。


「小さいから弱いと、儂ら皆思っておうたのですが、どうしてどうして! つい先だってサガミのヌシまで殺してしまわれたのです」

「なんと! 見かけによらずお強い!」


 それは初耳だった。凄く良い情報を手に入れる事ができた。これは売れる。いつもより早く帰ろう。情報は新鮮であれば新鮮であるほど高く売れる。


 商人は内心喜んだ。荷物の小箪笥から引き出しを一つ開けて中身をゴソゴソさせている。

「すると、サガミとイズの国はミウラ様の物に?」

「当然じゃの」


 当然の話だ。常識の範疇。しかし商人はあえて村長に聞いている。自尊心をくすぐるためだ。

 商人は、引き出しから取り出した風車を「お孫さんへのお土産です」と言って村長へ手渡した。

 村長のご機嫌がますます上がる。口も軽くなるというもの。


「どうやら、ムサシのヌシ様の元へ行くと見せかけて、森から釣り出し、そこを撃ったらしい」

「ほほう! 軍略家ですな!」

「うむ、アシムラ家とニシダ家の戦場に飛び込んで大暴れして、サガミのヌシ様を呼び込んだということじゃ」

 風評被害も甚だしい。


「両家とも存亡に関わる大損害を受けたらしいぞ!」

 村長は黒く笑った。サムライを毛嫌いしているのだ。

「それはようございました!」

 商人も同調しておく。ちなみに、この商人、各地のサムライにもおべんちゃらを言って仲良くしている。


「そうそう!」 

 村長も湯を一口飲んだら大事なことを思いだした。

「ミウラのヌシ様の所に新しいヌシ様が寄るようになってな。名をイオタのヌシ様という」

 それは初耳だ。


「イオタのヌシ様ですか? はて? どの様なヌシ様で?」

「うむ……」

 村長は、言い淀む。言いたくないのかなと商人は思ったが、どうも違うらしい。どう言えばよいかを考えているようだ。なけなしの砂糖菓子を出さずに済んでよかった。


「絶対に口外することまかりならんとされておる。ここだけの秘密じゃ」

「口が堅くないと商売はやっておれません」

 こうやって秘密は伝播していく。


「獣の耳と黒くて長いヘビのような尻尾を持った女のヌシ様じゃ。大きさは人とさほど変わらぬが、男ほどの背の高さ……お前さんほどの背をしておる」

「ははぁ」

 商人は、仕事が仕事だから体が大きい。背丈は男子の平均より高い。


「着物を着て、腰に刀を差しておる。目が大きい。口に牙がある」

 それだけでも異様な風体だ。特殊なヌシであると言うことが判る。


「しかし恐ろしく強いと。ミウラのヌシ様も一目置いておられる」

「ははぁ……」

 商人は、想像していた。ギョロリと目を剥いた般若が山姥の格好をして、背を丸め、手に長包丁をぶら下げている。そんなイオタさんの姿を。


「ちょっと……遭遇したくないですね」

「じゃがイオタのヌシ様が、生け贄に出していた若い女を帰してくだされてのう。酷くお怒りであった。若い女の生け贄は無しにせよと仰っての。それで無しになった」

「ほほう、良いヌシ様じゃ、と言いたいところですが、女のヌシ様でしょう?」

「そうじゃ。ミウラのヌシ様は、新たに手に入れたイズの山奥でイオタのヌシ様に新しい家を建てようとしておられる。つまりそう言う事じゃ。あんたも奥方には弱かろう?」

「確かに!」

 2人は声を上げて笑った。

 商人は各地に現地妻を持っているのだが。……未亡人の。


 それから商人は、この村で仕事を終え、本拠地へと帰路についた。

 最後の村はイズの森にそこそ入り込んだ村であったので、このまま低い山に分け入り、山を越えた方が、最も速く安全な街道へ入れる。

 たくさんの情報を早く持ち帰りたかったのだろう、商人は、いつもなら使わない山越えの道を使った。

 ミウラのヌシが比較的温厚なヌシ様だとの話もあったし。

 商人は、まばらに生えた樹木の地域を抜け、川沿いの山道に出た。ここまでヌシの姿どころか気配すら感じなかった。まずは上々。


「毎回、ここを安全に通れたらなぁ」

 商人はぼやいた。ここをいつもいつも抜けられるなら、大金持ちになれるのに。


 このまま川に沿ってのぼっていくと、上流で対岸に渡れるところがある。そこを渡ればすぐ、開けた場所へ出られる。

 水は澄んでいるし、一息入れても良いかなと考えていた。


「ミウラのヌシ様より、イオタのヌシ様の方に気をつけねばならないだろうて」

 川はすぐ側を流れるようになってきた。休憩予定地はもうすぐだ。

 それは、大岩を曲がった所であった。


 ネコ耳ネコ尻尾、小豆色の細袖、紺色の袴姿で腰に刀を差している。そんな黒髪の女性が、川に釣り糸を垂れていた。


「おお、商人、待っていたぞ!」


 一番会いたくないイオタのヌシ様であった。

 

 

 

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