修行
『おや?』
睡眠を取る必要が無い体なのに寝てしまっていたミウラ。
抱っこしていたイオタが腕の中にいないことに気づき、あわてて辺りを見渡した。
「むん! すん! むん!」
見渡すまでもなく、庭からイオタの声が聞こえてきた。ずいぶんと気合いが入っている。
縁側から庭を覗くと、イオタが素振りの稽古をしていた。
『早朝からご精が出ますね』
「む、起こしてしまったか?」
素振りを止めてミウラを見る。手にしているのは真剣だ。木刀じゃない。
素振りはイオタの日課だった。江戸でもイセカイでも毎日の素振りをかかしたことはない。
『ヌシになったのに素振りの稽古なんて。……こんなセリフを知ってますか?』
ミウラは口角(ネコにあるのか?)を歪め、思いっきり訳知り顔の見下し顔でイオタに尋ねた。
『なぜ野生の猛獣は鍛錬をしないのに強いのかって? へへん!』
「逆に鍛錬すればもっと強くなれるのでは?」
ミウラの口が、そっと閉じられた。
『それもそうですね? なんで鍛錬しないんだろう?』
「知恵が無いからでござろう」
『これだから畜生はッ!』
前足でバンバンと庭を叩くミウラであった。
「これから少し走り込むが、ミウラも付き合うか?」
『お供致しましょう』
2人は周りの野山を高速度で駆けまわった。
「体を動かすと気持ちよいのな!」
『ですね。でもネコとしてどうなんだろう?』
家に戻ったイオタは、竈を前にしてキョロキョロしている。
「茶でも湧かそうと思ったが、こう、いろんな物が無いのな?」
人身御供の女性を帰した際、綺麗に掃除と整理整頓されていて、物の在処が逆に判らなくなったパターンである。
『女の人が暮らしていたので鍋釜や米はそこら辺にあるはずですが、茶葉は見たことないですね。まだこの世界でお茶は普及してないんじゃないですかね?』
「茶葉は無いか。なら笹とか蓬とか十薬(ドクダミのこと)とか蕎麦茶とか、力入れて験ノ証拠でお茶モドキが作れるだろう? それも無いか?」
『現時代ではチート能力ですな、旦那の江戸知識は。えーっと、竈に燃えかすとか薪の残りがありますね。火ならわたしが起こしましょう』
「なら某は川から水を汲んでこよう」
基本、ヌシは口から栄養を摂取しなくても問題無い。むしろ「食べる」ヌシは見たこと無い部類に入る。
2人は前世からの習慣や、食いしん坊由来の要因で食べ物を欲する体質であったのだ。
「前の世界からの引き続きでござるが、ミウラは火に困らないのな!」
『今ならヌシの神通力がイオタさんにも使えるはず。後でお教えしましょう』
「おお! いよいよ某も魔法が使えるか!」
お粥であったが、いまの2人には充分満足できる朝食であった。
『さて、では、ムサシのヌシ様のお勧め通り、ヌシとしての神通力のテスト……実力検査を致したいと思います』
「然り!」
場所をイズ半島の深い山中に移しての修行モードが開始された。
雷光が飛び交い、たまに青い光の柱が空に飛んだり、海に突き刺さったり、山の木々がバラバラに切り飛ばされたりと不穏な動きをすること半日。周囲の村々は恐怖のどん底に陥った。
山肌の一部が大規模に崩れたあたりで、2人は反省し、項垂れて山を下りた。
その夜。
ミウラ半島の隠れ家に帰ってきた2人は、囲炉裏を挟んで向かい合っていた。あ、ミウラは虎サイズね。
「ヌシって、結構強かったんだ……」
『こっちは、前世で構築していた魔法理論を全部再現できましたよ。いまなら、上ヌシでも何とかなる自信があります』
得た物は大きかった。
まず、自分の力を確認できた。
ミウラの予想通り、魔法の応用が可能となった。これでかなり自在に雷撃を使えることになった。
イオタに関しても、新たな特性が見つかった。ムサシのヌシが言っていた「剣神」にふさわしい実力であった。これに従来の加速と収納がそのまま使えるとなると、かなりハイスペックなヌシと呼べる。
それと、もっとも大事な事柄が一つ。イオタとミウラのコンビでのみ可能な特殊能力が判明した。
それはアクティブなテレパシー。互いに呼びかけ、了承することでのみ繋がる、精神感応である。秘密のお喋りだ。
2人で1人の扱いだから、意思の疎通も自在のはず。もともと、ツーと言えばカーな関係であった2人だ。それが具現化しただけのこと。考えてみれば、なんら不思議なことではない。
囲炉裏を見つめること、しばし。
パチパチと小枝が焼け爆ぜる音だけが聞こえる静寂に包まれていた。
「この世界でござるがな、ミウラよ、」
『なんですか、イオタの旦那?』
「戦国の世に似てないか?」
『戦国前期、北条早雲がブイブイいってた時代がベースでしょうか。因みに、三浦半島の三浦家を滅ぼしたのも早雲庵宗端です』
「詳しいな。されど、早雲様は居られぬ。それっぽい立場のサガミ殿はご退場願った。取り敢えずミウラ幕府は安定しておる」
また、小枝の爆ぜる音がした。
イオタが囲炉裏に小枝をつぎ足した。
「あと、人間の世の趨勢が分からない。各地のヌシの趨勢も知らない」
『ですね。でもそれを詳しくリアルタイムに、……実時間で知っているのは人間達です。わたし、人間に恐れられていますし。今さら人に聞けないし』
イオタは囲炉裏の火を小枝でつついている。
「村人が詳しいのか?」
『いいえ、商人です』
「それだ!」
イオタがポンと手を打った。
『それ多分、関東平野だけの情報しか得られませんよ。商人は、平野部ならそれなりに大きく活動していますが、山間部はヌシに隠れるように少数の限定的な商人だけが旅しています。わたし達が知りたい情報は、山々を越えた西向こうの情報です。ここからだと、伊豆箱根富士山から連なる、秩父山地、浅間山、越後山脈と続く高い山々の向こう側になります。日本列島は、あの辺で東西に分断されていますからね』
これらの険しい山々を越え、ヌシの脅威をかいくぐり、サムライとも折り合いを付ける。それが出来る者がこの世界の行商人である。ある意味、サムライより怖いお兄さん方だ。
「うーむ、やはりイズ半島の山の中の村を訪れる行商人を絡め取ろう。居るよな?」
『何人か肝の据わったのが居りますが、ヌシの山を大荷物背負って越えてくる商人は、全員が頭のどこかがおかしい連中です。大丈夫かな?』
イオタは二足歩行の牛を連想した。
『でもそれが最適者でしょうね。彼らは現世で言う、難所の箱根峠か足柄峠と、ハコネのヌシの支配地域を越えてやってくる猛者。情報はたんまり持ってるでしょう』
「なるべく、弱そうなのを選ぶとしよう。さて、寝るか」
イオタはゴロリと横になった。そして、おいでおいでする。
『ヌシは睡眠を取る必要がないんですが、それも明日考えましょう」
ミウラは囲炉裏をぐるりと回り込み、イオタの背後から優しく抱きしめた。
イオタは前に回ったミウラの前足に手を添える。
今のミウラはイオタより一回り大きい。大型虎サイズのネコだ。
イオタはネコ耳ネコ尻尾。2人お揃いの獣ペア。獣はいてもケダモノはいない。
うえるかむようこそケモナーの世界へ今夜もドッタンばったん大騒ぎ。
こうして夜は更けていく。




