#3
『戦後1960年代、私は姉と小さなアパートで二人暮らしをしていたの。私は百貨店の店員をしながら、女学生時代からお付き合いしていた、初恋相手と婚約をしていたわ。
彼は外務省に務めていて、海外赴任から帰国したら結婚しようって、彼と約束していたの。「必ず君を迎えに来る」って言っていたのだけど、数年が経っても手紙の一つも来なくなっていたわ。
そんな時にね、当時百貨店の上司で、出世を期待されていた男性から求婚されたのよ。その事を姉に相談したら、その人は地元では裕福な家系の出で、誠実な方だったから、姉も喜んでくれて・・・・・・私はその男性からの求婚を受ける事にしたわ。それが、隣の部屋のお仏壇の写真に写っている、私の主人よ。私達は結婚して、子供に恵まれて、とても幸せだった。
でもね、それから五年ほど経ったある日、姉から「実はあの人から手紙が届いていたの」って打ち明けられてね。その手紙が来たのは、主人から求婚された直後くらいだった。姉は私の幸せを思って、その手紙を見せなかったのよって。手紙の内容はラブレターでね、「もうすぐ帰国出来そうだから、待っていてくれ」って事も書かれてあったわ。
そんな事を今更聞かされて、それはもう怒ったわ。「どうして私に決めさせてくれなかったの!」って。姉は私に、「あなたには裕福な家庭に嫁いで、幸せになってほしい」って言っていたわ。それにね・・・・・・主人は本当に誠実な人だったの。私が骨折して入院した時も、脳炎で倒れた時も・・・・・・。当時はデパートがとても繁盛していて、主人も出世を期待されていたのに。あの人は、仕事よりも、出世よりも、何よりも、私を一番に大事にして、気にかけてくれて、いつもお見舞いに来てくれたわ。私は彼から、本当に誠実に尽くし愛されてきました。彼と引き合わせてくれた姉にも、今では本当に感謝をしているわ。』
老婦人は微笑みながら、うっすら浮かぶ涙を拭う。
「私は幸せでした」
エイクは筆を止め、彼女の話を静かに聞き入っていた。それから口を開く。
「ねぇ、おばあちゃん。もし天国で会えるとしたら、どっちに会ってみたい?」
「ウフフフ・・・・・・それは秘密よ。それに、こんな皺くちゃになった姿なんて、恥ずかしくて見られたくないわ」
老婦人はニコリと笑う。
「て、もう・・・・・・エイクさんったら。私はまだお迎えなんて来そうにないわ。この通り、元気なおばあちゃんよ」
小さく両腕で力こぶをつくる仕草をする彼女に、
「ご、ごめんなさい!」
と、エイクは慌てて謝った。老婦人は再び刺繍を手に取り、筆を走らせる彼を見つめる。
「エイクさん、あなたはどんな恋をしていくのかしらね。ウフフフ」