おまけ:サリー・ホーキンス版『説き伏せられて』(2007)をアマプラで観ました
オースティンの作品は、映画化されたのもええぞ!とコメント頂戴していたので、アマプラ確認してみたら、サリー・ホーキンスがアンを演じた2007年制作の映画『説き伏せられて』がありました。
サリー・ホーキンス、私が見たのは『ゴジラ』(2014・いわゆるギャレゴジ)『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019)、『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)くらいかな…
ゴジラでは、ゴジラに肩入れしているピュアピュアな若干?マッド・サイエンティスト。
『シェイプ・オブ・ウォーター』は、発話障害があり、謎の研究機関で清掃員として働いていて、半魚人と恋に落ちるヒロインです。
どちらも、ひたむきな女性、一歩間違えると狂気にいっちゃいそうな危うさも持っているという役柄。
わかりやすい「美人女優」ではなく、謎の透明感がめっちゃある女優さんで、両方ともはまり役だったと思います。
サリー・ホーキンスなら、『説き伏せられて』のアンもめっちゃハマりますやん!?となり、テレビ映画なので90分と短かったこともあり、速攻見てみました。
ほんとにね、アンそのもので、サリー・ホーキンスやべえ…マジやべえ…となりました。
日記を書きながら泣いちゃう場面とか、ウェントワースと一緒になって居心地が悪そうな場面とか、感情表現の繊細さ、ほんとにこの人凄いです。
90分なので、スミス夫人関連とかごちゃごちゃしたところはだいぶ端折ってありましたが(スミス夫人は出てくるけど、どうしてアンの友達なのかとか、ウォルター・エリオットとの関わりとかは説明されてないので、これが初見だとなんぞ??ってなるかも)、他の登場人物もそれぞれ人となりがぱっとわかるような演出がされていて、わかりやすかったです。
たとえばマスグローヴ家の姉妹の無邪気なきゃっきゃ具合とか、メアリのあかん人っぷりとか、父と姉が会話の途中に鏡を覗き込んで、自分の姿に見入りつつちょいちょい手直しする場面とかとか。
開幕、ケリンチ屋敷の引っ越しということになって、家具に白い布をかけたりする作業を、アンが差配しているところを、後ろから手持ちカメラで追ってる場面から始まるのですが、一家の歴史、かつてはあった富の豊かさがもう秒で伝わる場面で、めっちゃ良かったです。
監督は、Adrian Shergoldという、日本公開作がない方のようなのですが、相当巧いなこの監督…と思いました。
お約束のもだもだも、他に言わなあかんことあるのに、上っ面の世間話をしてしまうギクシャク感とかね。
よい仕事をしています。
ちょっとおもしろいなと思ったのが、アンの衣装が、全体的になんかコーデがちぐはぐなんですよね。
19世紀初頭なので、エンパイアドレスというかシュミーズドレスというか、胸下で絞って下は膨らませていないだらんとしたマキシ丈のワンピという感じなのですが、茶色とかグレーとかくすんだ色なのはまあいいとしても、羽織とのコーデがおかしいというか、なんというか……
ウェントワースがやってくることになって、服をあわせてはああでもないこうでもないって迷うシーンがあるのだけど、正直どうやってもどれも良くはないんですよ。
このへんは、エリオット家の財政がきつくなってきていたから、自分の服は後回しにしていたとか、家族がアレすぎて好みをはっきり言えずに、適当に服をつくっていたから?
婚約破棄をした19歳の頃の回想シーンはないので、もともとこうだったのか、婚約破棄後にそうなったのか不明ですが、アンが自分を後回しにして生きてきたんだろうなというのが、絵で伝わってくる感じでした。
ラスト、ウェントワースと既に結婚している場面では、淡いグレーですけれどすっきりしたドレスで、ちぐはぐさはないコーデになっていました。
いうて、身内しかいない夕食でも、ちゃんと晩餐用の服には着替えているんですけれどね。
姉と比べるとやっぱり地味ですが……
ちなみに、男性の使用人は18世紀後半風の白いカツラ着用&お仕着せもソレ風で、主人側はもうそんなんかぶってないのに、働く側は昔っぽい衣装なんだ!?とちょっとびっくりでした。
やっぱり、120分でじっくり撮ってほしかったなぁ…とも思いますが、さくっと見れる利点はありますので、お時間ありましたらぜひ!