2 エンカウント
意識を取り戻したイズミの目の前には、青空が広がっていた。
空を裂くようにはしる電線に、天へ向かって伸びる電信柱、似た外観の平屋の連なりなど、さきほどまで存在していたはずの見慣れた景色は視界に一つとして存在しない。ただ、突き抜けるように澄んだ空だけがあった。
たっぷりと数分呆けて、どうやら横になっていたらしい体を起こす。周りを見渡すと、日のよく差し込む爽やかな印象の森が広がっていた。
イズミはそこの開けた草っぱらに倒れていたらしい。
「えーと…………もしかしなくても、死んだ?」
額に手を当て思い返す。
意識を失う前、持病の眩暈に襲われて車道へ倒れ込んでしまったことはハッキリと覚えている。田舎とは言え日中の、それも交通量の多い時間帯の車道へ、だ。運良く轢かれた記憶こそないが、気づいたら森の中にいたという突拍子もない状況は、そう結論付けるには十分な材料だろう。
万が一にも、倒れていた人を病院へ運ぶ者はいても、森へ運ぶ者はいないだろうし。……いや、もしかするとイズミを轢いたと思ったトラックの運転手が、森へ証拠隠滅しに来たのかもしれないけれど。
それにしたって近場にこんな爽やかな森はなかったと思う。
もちろん、夢、という可能性もなくはない。通りすがりの善人がイズミを病院へ運び込んでくれていて、実はそこでぐっすり寝ているだけなのかも知れない。
しかし、草っぱらについた手から伝わる草や土の感触が、それを否定する。夢でも、イズミの好きなVRゲームですらも、ここまでリアルな感触など再現できはしないのだから。
まあ、送られた場所が三途の川ではなく、森の中という点は解せないが、死んだものと考えて問題ないだろう。
声が出たことに密かに安堵しつつ、イズミは脱力して再び草っぱらへ寝転んだ。
「あーあ、ついに死んじゃったかぁ……」
どこの病院にかかろうとも持病は治らないのだと覚り始めた頃から、イズミは自分が長生きできるとは思っていなかった。理由は単純。外だけではなく、家の中でも何度も死にかけてきたからだ。
ある時は眩暈で階段から転げ落ち、ある時は風呂場で滑り、溺れ、またある時は家具で頭を打ちつけた。田舎に越してからはその回数もかなり減ったが、それでも二十一歳まで生きながらえたことが奇跡だと言っても過言ではない。よくもまあ、あんな体で成人を迎えられたものだと自分で自分を褒めたいくらいだ。
しかし、残してきた家族にはただひたすら申し訳なかった。
持病で身も心も削れていく生活の中で何とか生きてこられたのは、ひとえに家族の支えがあったからだ。ただの一度だって邪険にすることはなく、みなバカみたいにイズミを甘やかし、外へ出られず、自分では何一つ出来ない寂しさやもどかしさを紛らわせてくれた。
父は店で忙しく、母はとうに他界してしまっていたが、兄三人は(そこそこモテたはずなのに)彼女も作らず、弟も部活に入らず自由な時間は全てイズミに費やしてくれた。
「せめて、お別れくらい言えたら良かったのに……」
そうしたら、今後はちゃんと彼女を作って幸せにねとか、今からでも部活に入って青春を謳歌してねと遺言を残せたのに。あと、墓前にはお父さんのラーメンも供えてね、とも。
こんな体ゆえ、日頃からことあるごとに感謝の気持ちは素直に伝えていたつもりだ。が、いざ死んでみると全然伝えきれていなかったと後悔ばかりが押し寄せてくる。言葉ばかりではなく、手紙などにもしたためるべきだった。今ならそれぞれに便箋五十枚分ずつは書けそうなのに。
せめてお盆には一番速い馬で帰り、少しでも多く感謝の念を側で送ろうと決意した。
天国ならどうせ服も汚れないだろうと、再度草っぱらに寝転ぶ。
流石は天国というべきか、寒くも熱くもないポカポカとした陽気が心地良い。日本は初夏であったため今のイズミはそこそこ軽装なのだが、丁度良いくらいだった。
イメージしていた天国とは少し違ったが、何も問題はない。
それよりも、これから? どうしたものか、と暫くぼんやり青空を眺めていたイズミの耳に、どこからともなくガサガサと草木の擦れる音が届く。
ここに来て、いや、意識を取り戻してから初めて受けた刺激だ。空高く伸びた木々へチラと目を向けるも、風はほとんど吹いていない。ならば動物か。天国でもウサギや猫はいるのかなと音のした方へ顔を向けると、そこにいたのは――
「え? …………スライム?」
ぷるぷると震える、水色のまんじゅう型ボディに、つぶらな瞳。
前触れもなく目の前に現れたそれは、どこからどう見てもゲームやアニメで見るファンタジー生物の代表的存在である、あのスライムにしか見えなかった。
イズミは反射的に体を起こすと、自分の頬を抓ってこれが夢オチではないことを確認する。
うん、ちゃんと痛い。夢じゃない。
天国で痛みを覚えることが正しいのかどうかは、この際置いておくとして。
「天国にスライムっているの……?」
少なくとも、日本人が天国といわれてイメージするそこに、ファンタジー生物はいないだろう。イズミが想像していた、花の咲き乱れる天国にも当然いない。
だって、ドラゴンやユニコーンのいる天国など聞いたことがあるか?
いいや、ない。
いるのは精々、ご先祖様方人類と、犬猫を筆頭とした地球上の生物の魂くらいだろう。
あとは当然神様。その辺が一般的なイメージだと思う。
しかし、何度瞬きをしてみても、目を擦ってみても、頭を振ってみても、目の前にいるのは確かにスライムなのだから、天国にはファンタジー生物もいるのだと受け入れるより他になさそうだ。
元々イズミは動物が好きだ。
犬猫を筆頭にモフモフした動物はもちろんのこと、海洋生物も大体好きだし、爬虫類も小さめのトカゲやヘビくらいまでなら可愛いと思える器を持っている。それゆえ、イズミ的には当然スライムも可愛い生き物に分類される。
虫だけは問答無用で駆除だが……。
つるつるプニプニしていそうな丸いボディなど、触ってみたくて仕方ない。感触としてはイルカ(のおでこ)の上位互換ではなかろうか。どうにか接触を試みようとイズミが立ち上がりかけたところで。
「ぷる……」
「?」
「ぷる……ぷ、」
「鳴き声なのかな? かわい、」
「ぷるらぁあああああ!!」
「ええええええぇ!?」
大人しかったスライムが突如奇声? を発し、飛びかかって来た。
そのまんまるボディのどこにそんな跳躍力が!? と大混乱する内心とは裏腹に、イズミはとっさに両腕で顔を庇う。すると、スライムは勢いそのままペットリと右腕へ張りついて、顔への被弾を防げたイズミは一先ずホッとした。
気持ち右腕を体から遠ざけつつ観察すると、感触は想像していた通りプニプニで、なおかつひんやりとしていて気持ちいい。空いた左手で恐る恐る突いてみれば、まるで赤ちゃんのほっぺのような柔らかさと弾力で、思わずイズミの頬が緩んだ。
これは永遠に触っていられる……!
こんな至福を味わえるとは、まさに天国! と、暫し無心でスライムをツンツンするイズミ。
しかし数分と経たず、ふと右腕に違和感を覚えて手を止めた。
何だか皮膚がチクチクするような……?
仮にもスライムなどという謎生物がくっついているのだから、違和感はあって当然だ。しかし、その違和感が徐々に大きくなってきたような気がする。もしかして犬アレルギーならぬスライムアレルギーでも存在するのだろうか。
そこはかとなく嫌な予感を覚えつつ、右腕に張りついたままやけに大人しいスライムを見れば、そのつぶらな瞳と目が合う。
やっぱり可愛い。
のん気にそう考えた瞬間、その目が弧を描いた。
それはまるでニヤリと勝ち誇るかのように――。
「! ま、まさか……」
持病で学校にすら通えないイズミの日々の楽しみは、フルダイブ型VRゲームだった。その中でも特に気に入っていたのがMMORPGで、その作品でもスライムは序盤に登場した。
スライムは登場する物語、ゲームにもよるが、基本的に弱い。雑魚中の雑魚といっても過言ではなく、その攻撃手段は主に体当たりや水鉄砲。中にはめちゃくちゃすばしっこいものや、酸で攻撃してきたりする厄介なものもいるのだが……
「って、やっぱりそうだよね!? 酸だよねこれ!? やだやだ、溶けるっ!!」
スライムに張りつかれて皮膚がヒリヒリする理由など、オタク知識を総動員しても他に思い当たらない。
慌てたイズミは右腕を上下に振って引きはがそうとする。
が、小憎らしいことに案外しっかりと纏わりついているようで、スライムは中々離れてくれない。
平和的に交流していたつもりなのはイズミだけだったらしい。スライムは最初から殺る気満々だったようだ。
ブンブンと風を切る音が鳴るほど強く腕を振るえば、流石に耐えきれなかったらしい。腕から離れたスライムは一直線に飛んでいき、ベチャッ! とイヤな音を立てて木へ激突。「ぷ、ぷるぅ……」と切ない声を上げたかと思うと、落下し地面へ溶けて消えた。
「やった離れた! って、ええええぇ!? うそでしょ死んだ!?」
流石はスライム。天国でもめちゃくちゃ弱かった。
イズミは慌ててスライムへ駆け寄るが、後の祭りだ。その場には謎の丸い石? 核? らしきものだけが残され、あのつるつるプニプニとした魅惑のボディは跡形もなかった。
形見、もといドロップ品? と思しきアイテムを手に取り、イズミは項垂れる。
VRゲームではどんな魔物を倒そうと大した手ごたえはなかった(精神衛生上の問題で規制があった)し、消える時も光の粒子となってアッサリ消えてくれたため特に思うところはなかったのだが、天国ではしっかりとイヤな感覚が残るらしい。
木に激突した瞬間のべチャリと潰れた音に、悲し気な鳴き声、ドロドロと溶けていく体。そのどれもがハッキリと残っている。忘れたくて頭を緩く振ると、イズミは手中の綺麗な石へ視線を落とした。
「はぁ、天国で死んだらどうなるんだろう……。というか、魔物が死んでアイテムが残るなんてゲームみたい。まさか【ステータス】とかもあったりして?」
掌で石を転がしつつ、何の気なしに呟く。
瞬間、パッと目の前にゲーム画面のような半透明のウインドウが現れ、イズミはギョッとした。
「わっ!? ……これってステータス? 私の?」
そこに書かれた文字を追うと、イズミの名前に年齢、レベル、種族、職業、HPやMP、スキルといった項目があり、それはまさにゲームのステータス画面そのものだった。
「天国でステータスとか要らないよね? ……もしかして、ここって天国じゃなくて異世界的な……?」
などと零しておきながら、いやいや、そんなまさか。死にかけて異世界へ飛ばされる、なんてラノベのようなご都合主義が起こるはずはない、と即座に否定する。
そう思いつつも好奇心からステータスに目を通していくと、一番下の欄に【固有スキル】の文字を発見した。スキルの欄は悲しいことに綺麗な空白だったが、こちらには何やら書いてあるようでイズミは注目する。
「えっと、なになに……【術技創造】? なんか響き的には凄そうなスキルだけど、詳しい説明がないとなんとも……あ、説明出てきた」
【術技創造】の文字を注視していると、その下に説明文が現れた。
「魔力を消費して術技を創造することが出来る? まんまだなぁ……。レベル1では作った術技は自分だけが使えて、既存の術技は作れない。ただし、効果に差異があれば類似スキルは作れる……と」
読んだ限り、説明通りなら相当便利なスキルだ。
が、既存スキルやら差異やらと、説明を読んだだけではいまいち要領を得ない点も多く、イズミは首を傾げる。
「とにかく使ってみるしかないか。術技を作るには魔力が要るみたいだけど、私の魔力はどのくらい……って、43280!? 魔力だけ異様に多っ!」
ステータスに表示されたイズミの基礎スペックは、
体力100
攻撃力15
防御力10
俊敏性16
と、恐らくゲームで言うところの一般人(NPC)レベルの数値しかない。それに対し、魔力だけが頭一つも二つも飛び抜けていた。
当然、生前の世界には魔法やら魔力といったものは存在しなかったため、鍛えようもないし鍛えた覚えもない。これはイズミだからなのか、それとも固有スキルによる影響なのか。イズミには知るよしもないが、これだけあれば恐らくスキルの一つや二つは作れるだろう。
気を取り直してさっそく術技創造に取りかかる。
異世界ものの小説やアニメで定番のスキルと言えば、もちろんアレだろう。
【アイテムボックス】だ。
スキル使用者のみが物を出し入れできる不思議空間で、手ぶらで移動できる夢のようなスキルである。内部の時間停止や容量無限などの効果もあればなお良しだが、一先ずそれが作れるかチャレンジしてみることにした。