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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

生きてるだけでえらい

作者: 秋野 寛

「生きてるだけでえらいんだよ」


いつからか、彼女はしきりとそう口にする。会社から帰ってきて愚痴を零す時も、日常の些細な風景の中でも、そう言わなければ落ち着かないかのように。


「そんな無責任なこと言わないでよ」

「無責任……かな」

少しだけ濁った笑顔を浮かべて、彼女は言う。

「でも、ほんとのことなんだけどなぁ」

「無責任だよ。実際、今の社会じゃ、ただ生きているだけでは肯定して貰えないだろ」

口から自然と言葉が零れ落ちる。ぽろぽろぽろぽろ。だというのに、本当に、本当に言いたかったことは、ちょっとも音にはなってくれなかった。

「そうだね。だけど、やっぱり、生きてるだけでえらいんだよ。私はほら、逃げちゃったからさ」

薄く透けた足を持て余したのか、彼女はぶらぶらと揺らして言った。幼子を諭すような声で。


彼女は、およそ2か月前……厳密には、2ヶ月と3日前に、自宅のアパートで首を吊った。遺書はあったけれど、判に押したような言葉ばかりが連なっていた。生きているのが苦しくなった、希望を見出せなかった。

君の言葉じゃないことだけ分かった。


「……なんで、君は、自殺なんて」

「君がいてくれて、幸せだったからかな」

言い切るより前、そう聞くのをわかっていたんだろうか、間髪入れずに彼女は笑った。

「人生を楽しいと思ったこと、なくて。君と出会う前も、君と出会ってからも、つまらないまんまで」

「だったら!」

僕と出会う前に、死んでおいてくれよ。


そりゃそうなんだけどね。そんな前置きで、君は語る。

「君が生きている世界を、なによりも愛おしいと思えたんだよ、私は」

それが、他のどんなことよりも嬉しかった。

「だから、この世界を肯定できているうちに、死んでしまおうって思っただけ。大した理由も無い、ただの逃げだよ」

大仰な表現。どこか軽くて薄い言い回し。ああ、きっと彼女は、本当のことを言うつもりはないんだろうと思った。それでも、その言葉を真に受けてしまっても、誰も僕を咎めはしないよな。


「僕だって」

「僕だって、君がいないこんな世の中のことなんて、どう頑張ったって肯定できないんだよ」


それから、丁度1週間が経った日、彼女は突然居なくなった。ありとあらゆるオカルト、例えば霊媒だとかにも頼ってみたけれど、なんの音沙汰もなかった。

不意に、あ、死のうと思った。

決めてからは早かった。もとから死に方は決めてあったから、道具を揃えるだけで良かったのだ。


「じゃあ死ぬか」

心残りがあるとすれば、遺書の中身がびっくりするほど薄っぺらくなってしまったことくらいか。関係各所への感謝と、謝罪を綴る他には、書くべきこともなかったから仕方ないんだけど。

最後は、首を吊っていこうと思っていた。君と同じ死に方をすれば、同じ場所にたどり着けるかもしれなかったから。椅子に上って、輪に首を通す。足に力を込めた、その瞬間だった。

『生きてるだけでえらいんだよ』

彼女の声がした。



作者的には恋愛の話なんですよね。要素、煎餅布団よりうっすいけど。


ありがとうございました。

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