6.それぞれの価値観
文才が溶けていく。
先生が、急に恐ろしく見えた。
結局彼も、『純血』なのだろうか。
『僕は、生きた試しがない』
そんな事があるのだろうか。
あの笑顔も、怒った顔も、俺たちを『守る』と言ったあの言葉も。
偽物……?
「ユキト!」
飛んできた声に、思わず肩が跳ねた。
後ろを振り向くと、ツバサが水入りペットボトルを持って走ってきた。
息を切らしていて、息を整えるよりも先に言葉が飛び出してきた。
「クレア見てない⁈」
嫌な予感が、頭の内側で暴れて行く。
何があったんだ、とツバサに聞く声は震えていた。
「クレアのために水買ってきて、部屋覗いたらいないの……!
どうしよう……っ!クレアどこ行っちゃったんだろうッ!」
いつになく動揺し、体を震わせるツバサ。
その両肩を掴み、綺麗ごとだが必死に言葉を紡ぐ。
「大丈夫、俺が見つける。一応先生と寮監さんに連絡してくれ。
あと、トイレかもしれないから探す。寮部屋のドアとかに書き置き
してくれたら入れ違い防げるからよろしく!」
言い終わる前に俺は走り出していた。
ツバサは女子寮をしっかり探しただろうし、何しろ俺は入れない。
クレアさんは男子寮に入るような人ではないだろうし、
寮監や先生に何も言わず学校から1人で帰るような真似もしないと思う。
クレアさんの家の人に電話して、家に帰っているか聞いてもらわないと。
共有スペースでは、沢山の人が談笑したり飲み物を買っている。
あの印象深い白髪は見えない。
外に出て、寮周りを探す。外の談笑スペースやベンチも探す。
いない。確かに、ここまで探していないのなら、そりゃあれくらい焦るわ。
俺は足を止めて、荒い息を整える。
大きく息を吸って、耳を澄ます。
人の笑い声。そよ風の音。空から聞こえる飛行魔法の音。
そして。
誰かの、啜り泣くような声。
確信はないのに、俺は弾かれたように走り出していた。
声が聞こえる方向に走っていくと、木々が増えて獣道のようだ。
足元には、俺より小さい足跡がある。
草木を掻き分けて、やがて、開けた場所に出た。
「クレアさん……」
そこには、泣き腫らしてしゃがみこんでいるクレアさんがいた。
「ユキト君……⁈」
クレアさんは、目元を強く擦って立ち上がった。
心を落ち着けるためか大きく深呼吸して、笑顔で言った。
「探しに来てくれたの?ありがと。」
泣き腫らした目元。震えている手。
無理しているのが丸わかりだ。
「別に俺は、泣いていても迷惑な奴だとかは思わないけど。
……俺も今日泣いたし。」
クレアさんの目から、涙が溢れた。
いや、涙ではない。氷だ。氷が落ちたのだ。
「え、いや。何で。」
クレアさんの目元から落ちる氷が増えるたびに、空気が底冷えしていく。
これが、クレアさんの『異能』か。
感情によって暴発すると聞いてきたけど、まさか此処までとは。
息を吐くと、空気の一部が白く濁った。
「何で泣いてたんだ?」
答えは分かっていても、聞いてしまった。
今日の事を思い出したのか、とても悲痛な顔をして、言葉を溢す。
「もう法律改定されてずっと経つのに、まだ理解されないんだなあって
思って、悲しくなっちゃって。」
法律改定されてすぐに生まれたので違法では無いのに、
まるで存在することが間違いのように言われると辛い。
その気持ちは、ずっと昔から知っている。
法律改定されても認められないのは、魔族の王と、人間の貴族のせいだ。
魔族の王として、1000年に一度目覚める魔王は、幾度となく人の命を
奪ってきた邪神だ。
例え魔人協力条約が結ばれたとしても、魔王がやってきた事は
歴史に残る。魔族がどんなに友好的に接していても、魔王が一度
暴れて仕舞えば、築いてきた関係性は音を立てて崩れて行くだろう。
そして、人間も。
純血の貴族は、平民に純血主義の考え方を強制している。
この前も、魔人協力主義の貴族が、暗殺された事件があった。
皆んな、怯えているのだ。純血主義に殺されるかもしれないと。
「人間とか魔族とか、混血とか。そんなのどうだって良いのに。
一緒にいて楽しい人といれたらそれでいいのに。
混血だからって、その自由まで奪われるなんてヤダ!」
「……」
その背中を優しく摩ると、クレアさんは言葉を詰まらせる。
「クレアさん。寮に帰ろう。1人で泣きたかったのはわかるけど。
何も言わずに出て行かれたら、ツバサさんも、俺も、心配するからさ。」
「うん……」
まるで小さな子供のように、啜り泣きながら俺のパーカーの裾を掴んだ。
俺がゆっくり歩き出すと、それに合わせるように、小さな歩幅で歩いていく。
「わっ!」
急に大きな声がしたので驚いて振り向くと、
クレアさんが落ち葉に足を滑らせて尻餅をついていた。
「大丈夫?」
俺が手を差し出すと、有り難う、と言いながらその手を取ろうと、
クレアさんは手を伸ばした。
しかし、あと少しで触れるところで、クレアさんは手を下ろし、
自分で立ち上がった。
拒絶された……?
「ごめん。自分で立てるよ。そんなに介護してもらわなくても、
大丈夫!」
涙声で言われると、全然説得力がない。
俺も、別に気にしてない、だの、気にしないで、だの、
上の空で言葉を吐き出した。
困ったな。何だか、苦しいこと、辛いことばかりだ。
恣意的だが、やっぱり俺の周りには誰もいないんだと
思ってしまう。
寮の入り口に行くと、ツバサさんがバタバタと走り回っているのが見えた。
「クレア!」
クレアさんの姿を見た瞬間、飛び込んで来る。
「心配した!何で黙ってどっか行くのよ!」
クレアさんの目元を見て、そして吃驚したように呆けて、
やがて怒ったように俯き、俺のことを睨んでくる。
「ちょっとユキト!お前クレアのこと泣かせた⁈」
「俺じゃねえよ!」
「ユキト君。人の涙腺簡単に壊しちゃうから。
涙腺ブレイカーだね。」
「嫌なあだ名つけてないでフォローしてくれクレアさん!」
「許さん!殺す!」
「ちょ、異能はナシ!異能はナシだって!」
クレアさんに手伝ってもらってツバサを落ち着けて、
先生に謝罪をして、事は終わった。
「えっと、じゃあまた明日!」
「もう暗いし、家まで送るよ。」
スニーカーを足に収めて言うと、クレアさんは一瞬迷ったような
表情を見せた。やがて笑顔で頷く。
外に出ると、空は紫と黒が入り混じっている。
ふっと息を吐くと、クレアさんは悲しげに目を伏せる。
「どうかした?」
「私、クレアさん呼び嫌なんだよね。
ツバサみたいに呼び捨てしてほしいな。」
この前連絡先を交換した時とは違う、張り詰めた声音。
俺を見る瞳は真剣だ。
「……ごめん、我儘で。」
「俺もごめん、クレア。」
隣を歩いていても話題が思いつかない。
喉がカラカラに乾いて行く。
「あの、ユキト君。此処までで大丈夫。ありがと。」
クレアは振り向いてくれない。
その雪のような白髪は、宵闇に溶けて消えてしまう。
彼女は優しくて純粋だ。
人間と魔族の間に隔たりがあってはならないと考えている。
だからこそ、逆境に立ち向かう人生を送っている。
そして、それは間違いでは無い。
この世界は、『正しさ』が必ずしも正しいように出来ていない。
寮に帰ると、イツキがイチゴミルクを啜っていた。
「やっほー。送り狼。」
「俺はクレアに乱暴してないぞ。」
「でも泣かせたんだろ?」
否定できないのが悔しい。狼であるのも事実だから尚更悔しい。
「お前は、人間の事どう思ってるんだ?」
聞くと、イツキは目を瞬かせた。
イチゴミルクを啜り切ると、パックを潰してゴミ箱に投げ捨てる。
5メートルほど離れていたが、寸分違わずゴミ箱に入る。
「死ねば良いのにって思ってるって言ったらどうする?」
イツキは笑った。押し黙っていると、イツキは言葉を続ける。
「お前らが作った境界線で俺たちが億劫にならないといけない
理由が理解できない。魔王が何だよ。俺たちに関係ないのに
同じ括りに入れるなよ。人間だって魔族の命を奪うくせに
被害者ヅラしてるのが気に食わない。どうして俺は……ッ」
「イツキ。」
「ヴァンパイアなんだから仕方ないだろ。血肉を欲して
何が悪い。こんなに人間が嫌いなのに、自分も半分人間なんて、
こんな辱めを受けて生きるなんて。」
我に返ったのか、イツキはそこで言葉を終わらせる。
「わり。熱くなった。先、部屋戻ってる。」
イツキに余裕がないように見えた。
ウザ絡みする気もないし、その背中を見送る。
彼は少し歪んでいる。
生きている上で当然の歪みだ。
人間なんて大嫌いで、自分が半分人間である事に苦しんで。
その感情は、俺たちにとっては正しい感情で。
この世界では、『それ』は歪んだ感情だ。
「ユキト、こんなとこで眠んな」
目を開けると、そこにはツバサがいた。
時計を覗くと、気づけば11時を回っている。
イツキと話したあと、共有スペースのソファーで寝落ちしたらしい。
ツバサの目元は、赤く腫れていた。
「泣いてた?」
「まあね。私、意外と涙脆いから。」
麦茶を買って渡すと、おもむろに受け取って喉に流し込んだ。
「精霊って人間に友好的だけど、ツバサは?」
「私は嫌い。メンタル弱いから、ああやって辛いことがあったら泣く。
でも、何でアイツらのために泣かないとダメなんだろうって思う。
だから、嫌い。」
この前泣いていたのも、イツキと喧嘩してしまった事を
思い詰めていたのだろうか。
新しい一面を知る度に、イメージ像が歪んでいく。
「ユキトは?」
その質問に、俺は答えることが出来なかった。
それぞれの価値観を知る度に、自分の価値観がドンドン嫌いになる。
俺は。
俺は、人間を嫌いになれない、だなんて。
次回、ユキトの過去を深掘りします。
シリアスはまだまだ続きそう……




