反省だけなら神でもできる
ザックスとして地上に現れた私が、魔物に呆気なくやられてから一週間が経過した。
カッコ悪すぎる。なーにが人々を助けて人間の神様になる、だ。人々が願って造られた借り物の体のくせに、私は自分の力と勘違いし、情けないほど無様に殺された。
モルガンにダイナ、私に付いて来た男たちは、みんな殺されてしまった。助け合う気持ちが芽生え、良い方向へ向かうと思った矢先に。私が助けたいなんて思わなければ、みんな死ななかったはずだ。
私が殺したようなもの。この一週間わたしは、借り物の力で出しゃばった自身を省み、最悪な事態を招いた愚かさを空の上で後悔していた。
「あの、神様。心の傷は、そろそろ癒えましたでしょうか?」
少年がおそるおそる、と控えめな感じで私に訊いた。
体育座りでうつむく私を気遣う少年。正直、放っておいて欲しいから返事をしない。私は空の上に戻ってから、たくさんの男たちを結果的に殺してしまった罪にさいなまれ、ずっと泣き伏せていた。
しかし私は一方で、少年の反応を恐れてもいた。さぞ落胆しただろう、彼も戦ってくれたと言うのに。
少年は私が借り物の体で調子に乗ってたときに、「コウモリとは次元が違う」と忠告した。それを私は聞かずに過信し、結果があのザマだ。合わせる顔がないとはこのこと、穴があるなら入りたかった。
失望されたくない。だから私は涙を盾にして、この一週間少年の顔を見るのを避けていた。ところが、
「神様。誰にだってしくじりは付きものです、あまり気を落とさないでください。むしろ僕は、あれほど神様が戦えていることに驚きましたから」
少年は誰にだってあること、と私を責めず、むしろ落ち込む私を優しく慰めた。
「ミカエル君」
「はい」
「君は、私にがっかりしていないの?」
「がっかり? どうして僕が神様にがっかりするのですか?」
「だって、あんだけ勇ましく飛び出しておいて、呆気なくやられちゃったじゃない。人もたくさん死んじゃったし、あんな失敗情けなくて、もう表に出て歩けないよ……」
「なるほど。神様はお優しいのですね、下界の命などに気を病むなんて。どうせ人間などそのうち滅ぶのです、神様が下界の命にかかずらう必要なんかありませんよ」
「……えっ」
「神様はこの前まで人間でしたから気にするのかもしれませんけど、人間が虫けらの命にいちいち気を遣いますか?」
少年は私の失敗など、全く気にせずに肩をすくめていた。
それよりも、下界の命など虫けら同然。さらりと吐いた少年の言に、私はびっくりしてしまう。
そんな言い方ってあり? モルガンもダイナも、私に付いて来た皆は必死に頑張っていた。別に強くもないただの男のくせに、普通に戦ったら到底かないっこない魔物と、血を流しながら懸命に戦っていた。
村のために命を削っていた。未来のために犠牲となる覚悟だった。そんな讃えるべき人たちを、虫けらと言い捨てるなんて。だから、
「虫けらって。あいつら、いいヤツだったもん……」
好かない男たちだったはずなのに、ついかばい立てしてしまう。
私は反抗した。共に戦って死んだ男たちは、気高くて美しい勇気を私に見せてくれた。
借り物の体では決して分からない、弱さ故の意地と奮闘。そして、そこから芽生え始めた他者を思いやる気持ち。ここに自力でたどり着いた男たちに、私はものすごく感動しており、だからこそおとしめる少年が私はどうしても許せなかった。だが、
「はい。だから神様はお優しいと述べたのです」
少年は抵抗する私を肯定した。彼が虫けらと言った意味に他意はなかったのである。
「不快に聞こえたようで失礼しました。しかし、神様は必要とあれば、下界に棲み付く数え切れない命を絶やさなけれななりません。……まあ、今の神様に言うことではないのは重々分かっていますが、いつかはそのような選択を迫られるときがあります。だから僕はお優しいと言ったのです。神様、もう泣くのはやめ、下界の命など塵芥と等しく見るようお願いします」
私に乞う少年。初め話がかみ合わず、なんてひどいことを、などと憤ったが、私は空の上に住む存在ゆえに少年の真意を理解できてしまった。
胸にぐさりと突き刺さる。私はどうして、こんなときに限って物分かりがいいのだろう。少年が告げた選択、それは、死ぬ前でも確かにあり、上に立つ者なら当然の務めである。例えば私が果樹園を営む農家だったとする。もちろん私は果物を売るために、おいしく大きく美しく育てるだろう。その為には出来の悪い果実を除く。出来の悪い果実とて精一杯実ろうとしているが、でも私は出来の良い果実への養分を優先するため、出来の悪いのは切って捨てる。
小を捨てて大に就く。神様になるとはそういう事なのだ。いくら可愛い存在であろうと、それが全体にとっての不利益となるならば、心を鬼にして首を切らなければならない。
伝染病に侵されて殺処分された家畜の映像。死ぬ前にニュースで目にしたそれが、不意に私の頭をかすめ、今の私は地上の人々が死んだくらいで、恥じる事や悲しむ事など許されない立場だった。
「やだ。そんな簡単に、割り切れないよ……」
私は人間だった。いくら正しく賢くて、それが神様としての真理と気付いても、残された情が漏れにもれてしまう。
少年向け漫画の主人公のように鈍感でありたい。ただ可哀想な者たちを助けたいと願い、勝手でわがままな感情をもらす愚か者でありたい。出来が悪いからと無慈悲で残酷な務めなど、私はしたくなんかなかった。
やはり、私なんかに神様は務まらない。優しさやいたわりなど教えても無意味だ。弱肉強食の無情な世界こそ、この世における自然な成り行きである。
この広い世界において、私なんかが何ができる――。耐えきれずに涙があふれるが、少年がうつむく私の手を取る。
顔を上げた私の潤む目を、少年が澄んだ瞳で見つめ、
「神様、だからこそ僕がいるんです。先程はああ言いましたが、僕は神様の人間らしいところが好きです。ですから辛いときは、僕が一緒に支えます」
ちょっとドキッとしてしまう顔で、私なんかを好き、と告げた。
「……どうなされました?」
「……ううん、なんでもない」
「おかしな神様ですね」
「君さ、いま天然で言った?」
「はい?」
「ああ、いや、なんでもないから気にしないで。……あのさ、キミ前世じゃもてたでしょ?」
「いえ、もてるもてない以前に僕は、……ああすみません、これ以上は言えませんので訊かないでください」
むむむ、少年のくせに。ナマイキよ、なんてありふれた言葉の一つくらい浴びせてやりたい。
もやもやする。私のプライドがほだされるものか、と抵抗している。私はこう見えても、死ぬ前はそこそこもてたのだ。それが災いして最後には死んだんだけど。そんな私を、中学生くらいの見た目のくせに惑わせるなんて。
可愛いとは思ったけど、少年からの好意はそれ程でもなかったので、そのような感情は抱けなかった。でも、今のは少しときめいた、ときめいてしまった。私って今更なんだけど、年下が好みだったのかしら。え、でもこの子って、私よりあにまでいる時間が長いよね? 年下として扱っていいのかな。
ともかく、少年の虫けらと言ったセリフには驚かされたが、彼なりに慰めようとしているのだろう。一人で抱えていた悲しみを吐くことができ、ふさいでいた気持ちが少しだけ楽になった気がした。
「ねえミカエル君」
私が涙をぬぐってから訊く。
「はい、なんでしょう?」
「キミ、前に予行演習って言ってたよね? あれってどういうこと?」
「言葉のままですよ。人間が滅び、次なる地上の支配者が台頭したときに、神様が神様らしく振る舞えるべく、今回は演習のつもりで神様に奇跡を起こして頂いたのです」
「……はあ、どうりで、がっかりしてないのか。私が君の言っていた“セントール”にやられることも予想済みだった訳ね」
「申し訳ありません。あのときはちょうど良い機会でしたし、神様にはまず体験してもらって、慣れてもらうのが一番と思いまして」
「……槍に刺されて、すごく痛かったんだけどさ」
「すみません」
ようやく合点がいった。私は少年に乗せられていたわけだ。
おかげで私は奇跡という自分の力を知ることができた。とても痛くて死んじゃったけど、許すとしよう。彼が教えなければ何もできない幽霊のままだったし、考えてみればあれはザックスであって私ではない。勇者ザックスの名に泥を塗っちゃったけど、私自身は傷付いていないのである。
何よりも私は温厚で寛大な女だ。いつか私が神様らしくなれたら、少年にはキリキリと働いてもらうとしよう。馬の体を持つ騎士「セントール」にやられたこの恨み、晴らさでおくべきか。しかし、少年はもう諦めているが、私はまだ諦めたくないと思っている。
この未来は、人間にとってとても生きづらい環境である。
一人じゃ魔物と戦えない。しかも愚かで傲慢で、自分のことばかりを考える。こんな人間は世界にとってG以上の害虫と言えよう。
だからこそ私が知る神様は、互助を唱え、愛を説いていた。しかし、そんな神様を人間は捨てた。結果、尊大さばかりが増長し、その挙句が今の地上である。人間は自ら滅びを招いた。魔物が跋扈するようになったこの未来において、もう人間が淘汰から逃れられるとは思えなかった。
滅ぶべきなのだろう、少年の諦めに従って。でも、諦めたくない。私はまだ人間を見捨てたくない。
私自身が少し前まで人間だった。それに、私が教えなくとも、人間は助け合える事ができた。モルガンとダイナが助け合ったあのとき、私はあの腰巾着と蔑んでいた二人に、ちょっとだけ見惚れてしまった。
だから私は、やっぱり人間の神様になりたい。私ごときが「なに言ってんのか」と自分でも思うし、勝手なのもわがままなのも神様として正しくないのも認めるけど、人間が本来備えているはずの美しさを、もう一度世界に見せてやりたい。
自信なんかもちろんある訳ない。けれど、これは天に住む私にしかできない勤めだ。世界という決して逆らえない激流が、いかなる土嚢や防壁を押し流してしまっても、私だけはせめて人を愛してあげたい。
人を助けたい。そう願った私が、いつも見ている下の集落に目を向けると、
「あれは」
少年も気付いた。一人の小さな女の子が、私と少年の目に留まった。